電気依存・日本の不発弾

「はじめチョロチョロ 中パッパ
ヤヤ子(赤ん坊)泣いても ふた取るな」
コレワカッテ [お釜。カマド。薪]で
ご飯を炊く“手順”“コツ”
“レシピ?”だったのである

“ママタキ(飯炊き)三年”とも言う
ご飯を美味しく炊くのは
結構ムズカシイ事であり
女性が一人前に成る必須科目!の
ひとつでもあった
それが 今や スイッチONで 馬鹿?でも
OK!のゴジセイに相成った

我が家では しばらく前まで
鋳物釜でのガス炊飯だったが
モウ止めタッ 

頚椎再手術後5年間
私の身の回りを看て頂く
或いはお見舞いに来て頂いた
女性たち延約40人サン
老いも若きも 皆さん揃って全員
恐縮ながら 水加減火加減が
完璧でなく ママ炊き落第?だった

米は日本人の主食と言うが
いささかな言いチガイがある
米そのものは材料である
「ご飯」に炊かれてはじめて
「主食」と言えるのだ

我が家へお出での女性たちだけではない
日本人はホボ全員が
主食を「電気にお任せ」が現況なのだ
その電気に「恐怖のコスト」が
存在する事を 省みるきっかけが
東北地震津波災害なのではないか

その反省が 痛切な慮りが
生まれないなら 被災し亡くなった方々は
浮かばれないと思う

半世紀少し前まで
日本中 いつもどこかで
「停電」が常識だった それがである

飯炊きだけではない
洗濯掃除の家事は電気
マンション住居階段上り下りも
電気依存である

数えれば際限がない
生活全ての利便
はっきり言えば生活手抜きの欲望に
電気が並行して存在した

16年前 モト居候サン
いわき市のNサンに教えられ
今回の被災地双葉町へ別荘を作ろうかと
検討したことがあった

Y君K君と下見に行った
高台に温泉施設があり
見晴るかす果てない一望の太平洋は
絶景だった 

絶景の右手に原子力発電所が
見えたが 私は さして
気には留めなかった

土地は神社の社有地で格安に借りられる
手術後のリハビリ生活に好適と
前向きに考えた

母と妹も下見に出掛けた が
帰宅した母は
「景色はいいけど あたしゃ
原爆がヤだゎ」と言った

原爆と原子力平和利用の「違い?」
なるものを 私は躍起になって
聞きかじり読みかじりの知識で

半可通な説明を試みたが
母は「どうぞ お好きに」とは言いつつも
不承知の様子がありありと見て取れて
この話 結局は ご破算にした

今にして思うのは
母が慧眼だったのではない
母は当り前の常識に立ち位置に有り
私の知識が 浅はかさにも
オールメディァ依存だったのである

あの時 別荘を建てていたら
今頃私は「想定外」の被害に
遭遇していただろう

――「想定外」とはつまり
ワタシ馬鹿ょね の 同義語である

東京のベイブリッヂ
40階50階高層マンションの
津波地震の対策が如何かは
何とも心許無いがそれより以前に
只今現在高層マンションの
消費電力に「恐怖のコスト」が
含まれている事実に関心や反省が
及んでいるのかが
大事なこれからの日本あるべき
暮らしの原点なのだ

電気自動車が“エコ”のカーではなかった
その事実を見過ごせば
 「恐怖のコスト」は「恐怖の現実」に
肥大するだろう

[スカイツリー]それを
バベルの塔にするのかが
今まさしく厳しく問われているのだと
私は思う



追伸 《3月11日大地震の後》

『さまざまな方々から
心を込めたお見舞いと
お気遣いをお寄せいただきました

旬日の間 私は胸溢れ
感謝尽きざる思いで過しておりました

当日の激しい振動には
我ながら呆れるほど
平然と対処出来ましたが
事後の不連続的な余震により
頚椎にダメージを受けて
いささか体調を崩してもおりました

暇フロク休載をいぶかり
お便りお電話を下さった方々にも
心から熱い感謝を申し上げます

                          平澤 建二

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叱れるは宝

いささかヒステリックすぎる
【禁煙】の風潮が 近頃蔓延である

煙草喫いは 道路片隅に寄り集って
肩身狭そうに セカセカとした
喫煙風景は 何ともうら寂しい

私自身は小児喘息だったので
煙草は喫わないが
友人知人の紫煙くゆらす姿は
好もしく思っている

かって昭和の時代まで
天皇陛下からタバコが戴けた
功績あって叙勲
故あって宮中参内などで
下賜される(頂ける)のが
[恩賜の煙草]と称
し【菊の御紋】紋章入りの煙草だった

昭和20年代末 父はドコカラか
恩賜の煙草を【一本】手に入れて来た

フイチョーしたのだろう
ご近所の旦那衆が4~5人集まって
「ヘー」とか「ホー」とか言いながら
マッチで火をつけた恩賜の煙草を
一服づつ回し喫みをして
フーッとケムリをそれぞれがふかした後
オジサン達は口々に言った
「モッタイナイ」
「アリガタイ」
「ケド」
「ナンダナァ」~~~

「ヤッパリ タバコの味だょなぁ」
たかがタバコ一本をゴ大層にと
噴き出し笑いの私はニラマレタ

――世代のギャップ?
と言うべきだったか!

昭和30年代 私の選挙区の
鯨岡兵輔代議士が
演説会で恩賜の煙草を
右手にかざして語った
「私はねえ 天皇さんから
このタバコ戴いて
どうしょうかと考え込んじゃった」
「天皇さんにお会い出来たのは
私が少々偉くなったからだ」
「私が偉いのは皆さんが
投票してくれたお陰だ」
「となればこのタバコは
皆さんと回し喫みしなきゃならない」
「だが待てょ」

「タバコは10本 皆さんは6万人!」
「考えた末 ジブンでスッチャッタ」
鯨岡は 座談の名手だった

父が後援者だった関係で
鯨岡代議士からハガキの国政報告が
配信されて来ていた

小さい細かな字で沖縄問題が
印字されてあった沖縄について
政治家の誰もが語る事の少ない
時代だった

沖縄のアメリカ軍政下時代に
私は沖縄を4回訪れた
体験を手紙に書き
鯨岡氏に送ったら返事が来た

「某日早朝に会いたい 千住の自宅に
お出で乞う」とあった
朝寝坊の私には辛い話だったが
興味もあって出かけた
朝6時前だった

代議士は洗顔直後の様子であらわれた

「ごめんなさいょ」と言いながら
親子ほど年の違う私に
ざっくばらんな口調で
次々と質問を浴びせた 

その真摯な態度と口調に
私は少なからず恐縮したものだ
約1時間半後 迎えの秘書に合図され
ネクタイを締めながら「ありがとサン」と
代議士は 私に丁重に礼を言いつつ
出かけて行った

思想信条の違い年齢の差を超えて
その時の鯨岡代議士に
私は爽やかな敬意を抱いて
帰宅したものだ

その鯨岡氏の 国政選挙初出馬の時の
エピソードを聞かされたのは
ずっと後での事だった

氏は私淑する
日中友好に生涯かけた 時の政界で
一方の雄であった
松村謙三に応援を依頼した

快諾され下町錦糸町駅前の
街頭演説会にも
松村氏はご老体を無理をして
応援に来てくれる事になった

鯨岡氏は喜び勇んで
自らマイクを握り 宣伝カーから連呼した
「くじら くじら くじらの応援に
松村謙三先生が駆けつけました」
「クジラ鯨クジラであります」

演壇に戻ると
松村謙三氏が怒気を含んで厳しく言った
「わしゃ帰る!」と取り付くしまも無い

おろおろとした鯨岡氏が
何ごとが起きたのかと尋ねると
松村氏は強い語調で言った

「わしゃ人間を応援に来たのだ!」
「鯨を応援しに来たのでは ないっ!」

松村氏にその時 仔細を尋ねれば
人の「矜持」をと問い語っただろう

清廉潔白 頑固一徹の松村謙三氏を
鯨岡氏は生涯の師と仰いだそうだ

「叱ってくれる人は 「宝だ」 とも
言い添えていた

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親のコゴトと冷たい酒は後からジーンとキイテクル

ウチのオヤジは
典型的な「オーイッお茶っ!」の
亭主関白だった

母と女中さんが連れ立って
買物に出掛けた留守中
夕立 ニワカ雨 豪雨になった
案の定と言うべきか帰宅すると
庭の洗濯干し物がびしょ濡れだったので
母がボヤイタ
「お父さんたら お洗濯物を
取り込んで下されば ヨカッタのに……」

父は昂然と言い放った
「ワタシは係じゃナイッ!」

父は 食事時間も食事作法にも
几帳面な人だった
「食事」と言わず「ご飯」と
下町風に言う人だった

朝食7時半 昼食12時
夕食6時に きちんと食事を済ませていた

或る日 たまたま来客が立て込んで
父だけが朝食を遅れて
10時過ぎに済ませた

正午過ぎ(12時半頃)
店から奥へ来た父が
「ご飯はマダカ!」と言った
母が「アラもう召し上がるんですか」と
聞き返したら 父が爆発した
「日本中ドコのオタクも 昼ご飯は
12時と決っているぅ!っ」

そこでの母 ツギなるヒトコトが多かった
「アーラ まだオナカがスク時間じゃないと
思って……」

「子どもじゃない 腹加減まで
オマエの世話には ならないっ」

かくてである
ソノ日以降 父は 断固として[昼の食事]
昼御飯を拒否することになった

夏7月お中元の頃だった
―暑い忙しいの最中で―
身体でも壊したら大変だと
周囲が心配した

母が 昼前に出掛けての留守中
女中さんが
「旦那さん お昼のご飯デスョ」と
声をかけても 
父は「アリガト」と答えるが
食卓にはつかない

店の者が お遣い帰りに
「旦那さん3時のおやつです」と
パンやお菓子を買って来ても~
父は
「ありがとう」とだけで 手を付けない
八百長拒否 ガンコイッテツ である

昼食のみの断食は約一ヵ月半続き
父はやや夏痩せモードになった

ソレトナク事情を知らされた
懇意なご近所旦那衆が
昼飯を兼ね蕎麦屋で
秋祭りの相談を持掛けるが
父は蕎麦には 手を出さない
ゴージョウ イッコク ヘソマガリ である

やがて あれこれの事情を聞かされ
母方の祖母が乗り出し
母に向って切り出した

―「お前ね 口から出した話は
戻らなぃんだょ 出た話の行く先を
直すよか しょうがないだろ」―

正座して両手を突いて
母が父に
「お父さん私が悪うございました
お昼を召し上がって下さいまし」と言った

父が母に
「昼は 秋刀魚がいいな」と言った
一件落着であった

父は幼時に家が没落して
小僧からたたき上げて店を持った 
お出入り先お得意様の
お嬢さんだった母と世帯を持ちたくて
その一心で苦労(努力)した

「苦労の時は 辛抱(心棒)が肝心」と
言っていた
「商いは人様とのご縁だ」とも言い
ホロ酔い機嫌で続けた
「金がカタキの世の中だけど
女郎屋じゃあるまいし」

「金カネ金じゃ寒むスギル」とも言っていた

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地震 雷 火事 オヤジ ~ アジア杯 李忠成~

たまたま と言う「僥倖」に
二度めぐり合わせた

深夜私は断続的な手足の硬直で
眠れない 鎮痛剤を飲む
止むを得ずの寝ボケになる迄の間……
大嫌いな深夜テレビを付けたら
サッカーだった

決勝戦だった
オーストラリァ戦 だぁ!である

朦朧たるお目目をこすりこすり
テレビ拝聴である

テレビ画面からは一瞬
ピッチの選手たちが 試合終了モードに
思えた が である 延長戦だった!

サッカーには 素人中のシロートの私だが
延長戦は オーストラリァが
押せ押せだと観た

デカーァと頑丈ノッポのオーストラリァ
ロングボールで攻め込まれ
『ヤダねー』とサムイょ

大男総身にナントカ
今一歩オーストラリァは詰めが甘い

山椒は小粒 疲れを知らぬコマネズミ
運動量抜群モトFC東京の長友選手から
やったぜ 李ー! 絵に描いたような
シュート カッタァ! 勝ったぁ!

『ヨシヨシ』でラッキーな眠りにつけた

翌々日の晩である テレビが悪いのか
リモコンが悪いのか
操作のオテテが悪いのか
持ち主に似て ウチのヘソマガリテレビは
希望局がナカナカ映らない
希望局にタドリツケナイ

そうこうするうちに
希望チャンネルではないが
李選手父君のインタビュー画面が映った

李選手父君は 品良く恰幅のいい
親父さんタイプの方である

インタビューの最中に
李選手から電話が入った
電話の受け答えで父君が言われた

「今(お前は)寝る事が一番大切だ」
「今晩は どんなに遅くなっても
家に帰って来て寝なさい」
と やさしく しかし厳とした
父君の物言いに
私は心和らぐ感動があった

蛇足のようだが付け加えたい

今のお前にとっての大事は寝る事だと
(李選手)息子への明察指導は
父親ならではのものだろう

家へ帰って来て寝なさいは
息子へ一家の長としての
父親の確かな自信のメッセージでもある

―|地震 雷 火事 オヤジ|―

近頃は 伝統ニッポンの【オヤジ】が
絶滅危惧種になって
外来伝播種の【パパ】が蔓延している

パパはヤサシイ パパは
ナカヨシオトモダチ
それで『いいのかな』と思う
ビデオを持って【ムスコ】の
オッカケをやってる場合かょ と思う

二十歳過ぎた【ムスコ】の
ドーハンをやってる場合かょ ト オモウ

在日4世の 李忠成選手のその後を
テレビで追った

自らの出自を 自らの帰化を
自らの故国日韓を 李選手は淡々と
しかも整然と語っていた

【外来伝播種パパ育成の若者】は
自らを語る事に腰が引けたり
人生を語る事をダサイと
信奉しているらしく イライラするが
【絶滅危惧種オヤジ育成の李選手】は
ワタシヲシテ言わせてイタダケルナラ
しなやかにやさしい若者
若者らしい若者 である

その存在を知り得て
本日名実ともに立春大吉の心境である

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お年玉フロク

元旦朝 10時「お早うございまーす」
「おめでとうございます」
「お着替えなさいますか」と
爽やか元気印(^^♪Aさんである

着替えの最中 K君が起きてきた
「おめでとう ハイ お年玉」
『アリガト』!(^^)! 受取ると
傍の(^^♪ Aさんが「まぁ!先生」と
思いなしか目を潤ませておられる
ワタシも内心はウルウルだが
ヽ(^。^)ノ\(^o^)/ヽ(^。^)ノ\(-o-)/
ヽ(^o^)丿である

大晦日夕方 車椅子運転手の
K君御到着 大忙しだった
どこも売切れ続出の花屋7軒を
アチコチ2時間近く駆け回り
店に飾る[生け花]を買って来てくれた

受け取ったのだが
―このワタシ ドーモヒトコト多い―
『木瓜と蝋梅って私のコトかょ』
「?エッ?」
『ボケてローバイ』
傍らの店のNさんに「社長!」と
軽く睨まれた 

ハンセイ\(-o-)/である

年越し蕎麦は「僕が作ってやる」と
K君が12月に早々と宣言していた
独り年越しの私を案じて 5年前からの
恒例だが いささか気がひける
遠慮を申し出ようとしたら
奥さんのT子さんに 機先を制せられた
「ハケン(?)ですので不慣れですが
ヨロシクー」だってサ\(^o^)/ 

K君レシピ片手に そば茹である
『イチイチ噛むな
スパゲッティじゃナインダカラ』
「ソバカラ うるさいですょ」
=オヤジギャグの心算らしい

午後9時頃 突如 睡魔に襲われた
夏以来頻発する 低血圧症状らしい
生まれて物心付いて以来
はじめて 除夜の鐘を聞かずに
眠り呆けて仕舞った
K君と誰かが 喋っている声が
夢うつつに聞こえていた …………


東京には 雀が少なくなった 

正月三が日 人気の無い町の表通りに
雀達が群れては遊ぶ姿を
眺めるのが好きだった

その雀が 近頃 ほとんど姿を消した
チュンチュン チュン の囀りは
かつて 遠く近くの家々から洩れる
団欒のさざめきや 年始の訪う声の
間奏曲でもあった

我が家への お年始客第一号は
Nサン夫妻
「オジチャマァ 着るのに
一時間かかったのょぅ」
それでも はんなりと薄茶格子縞の
塩沢御召に 縮緬地にロウケツ染の
名古屋帯が お洒落に決って
なかなかではある
さりながら自他共に着物が似合う
ご主人Nサマが 着物姿ではないのは
不自然ダ

仕組んだか 仕組まれたかは知らないが
N夫妻が夕刻出かける予定の
歌舞伎見物に
夫妻連れ立ってを中止して
オクガタサマと私が一緒しろと
3人が急に奨めの段取りになった

コイツハ初春から縁起がイイワイ!!

自分の目の色がカワルのが
カク出来る
さてと
「着てゆく着物は アレダコレダ」と
指図したが 次々と見当違いの着物を
K&Nが納戸の箪笥から持出して来る
好みと違う 言ってやった
『二人とも呉服屋へ出入りシテ
何年ナンダ』
K&Nが反論
「シャチョウ!数が多過ぎるょ」
「整理!」「セイリ」
『ウッサイ チカジカ私自身が
セイリされる』

テンヤワンヤの行く先が
【ル テアトル銀座
坂東玉三郎初春公演】 
元旦歌舞伎興行は70年振り
元旦特別追加公演である

演目は【阿古屋】女形の至芸と
【女伊達】女助六 粋の真髄を
当代随一の女形玉三郎が演じる
垂涎の初芝居=凄いお年玉である

K&Nは終演迄 銀座で飲んで
御迎いに来てくれる=
お年玉のフロクである

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2011年の始まり ~ [けじめ]と[礼]のために ~

新春ソノ壱
【年越し蕎麦のお振る舞いと お年玉を
頂いた 

新春ソノ弐
【ル テアトル銀座 坂東玉三郎公演】に
招待された 

師走 歳の暮 昭和30年代中頃までは
我が ひらさわ呉服店のある商店街の
道路両側に高さ2~3mの大きな笹竹が
家々毎に飾られて 街路約2kmに
立並び壮観だった

木枯しに吹かれ
さっさっさ~さらさらさらと
笹竹の竹すりの音が 調べ良く聞こえて
慌ただしい 年の瀬の風情を
演出していたものだった

当時は 年始回りの[手拭]が
呉服屋の売れ筋商品だった
店の奥座敷に家族が総出で
ご注文の手拭を 切って 畳んで
熨斗紙掛けて 積み上げる手順だが
八畳間が 日を追って4畳半か3畳の
スペースになる位に
ぎっしりと部屋の周囲が
手拭の山になった

御年始廻りには 手拭が どこの家でも
欠かせぬ品だった

長屋暮しも 塀の中のお金持も
とりわけ商店にとっては【名入り手拭】が
必需品だった

名入り手拭(100本以上)の柄には
競って粋を凝らしたものだ
名前や家紋を入れるのも定番だった
次善は【印型入り】(30本以上)と言って
出来合い(既成)の柄に
名前だけを入れる手拭があった

その次は 出来合いの手拭柄を
そのまま名入れせずに
お使いになる方々と 様々だった

お年始の手拭に添えてのプレゼントに
風呂敷 半衿 帯揚げ 帯締め
羽織紐 などが使われた

渡される先方様のお人柄を
説明されながら あれこれ選ぶ悩みも
また愉しげなお客様方の素振りに
ほのぼのとした心意気や心情が
感じられて 嬉しい商いの余福があった

【お仕着せ】と言う習慣も
かすかに残っていた時代だった
女中さん小僧さん達に
お給金ではなかなか買えない
正月の晴れ着を 主人先が
買い与えたものだ

“当座の着物”にするか
“先行き所帯を持ってからも
着られる着物”にするのか
それぞれの働き振りとの見合いもかねて
あれこれの心配りが
その家のおかみさんの器量でもあった

-------------------------------

元旦の朝
「お休みのところ すいません」と
男物の足袋をお求めのお客様が
おいでになった
かすかにだが見覚えが
ある方のように思えた

「わかりますか」
『あー Tさんにいらした』
「そうそうTで働いてました
~50年前です~」

~~~

「おかみさんに つくってもらった
着物一式を」
「正月には 毎年
手を通しているんですょ」……

お歳暮もお年始も 濃やかで温かだった
人間関係の 一年の始りと終りに
[けじめ]と【礼】を尽くす
大事な手立てとされていた時代が
そこにはあった

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FC東京 村林社長へ

FC東京がJ2に降格した
瀬戸際のリーグ最終戦に まさかの敗北
逆転の転落だった
優秀と言われた選手を多く擁しながら
この夏以来 あれよあれよの敗戦続きだった

毎夏 恒例『浴衣着てサッカー観戦』の
イベントで 私とは手を携えて来た
FC東京村林裕社長が
電撃的に引責辞任を決意され 12月23日朝
寝耳に水の社員一同に告知をされた
その日 午後5時からマスコミ各社へ
記者会見で[ 社長辞任を発表 ]の
段取りと 慌ただしかったが
その10分前に FC東京N部長から私に
電話が入った

「記者会見の前に お世話になった平澤様に
お伝えをと社長からの伝言でございます」と
言う事だった
相変わらず 律儀な人である

~駆け抜けるように思い出すことがあった~

6年前私の再手術の数日前だった
見舞いに来られた村林社長に問われて
病状の説明をした

『長年使い続けた鎮痛剤注射の副作用で
私の左肺は 右肺に比べ4分の1
消えて小さくなっており 手術の際に
自呼吸に戻れず 生死の危うさも伴う』
そう話したのだった

村林社長は テーブルに
大きく両手を拡げて付いて
低い声で「お元気で 必ず お元気で !
お戻り下さい 」と言いつつ
勢い良く頭を下げられた
が 勢い余ってテーブルに ゴツーンと
ひたいを強打された

『潔さ』 『男子』
何れも近頃絶滅危惧種だが
幸いにも ひと昔近い
爽やかなお付合いの 余福で
近来稀な潔い出処進退を 目の当たりにした
『快哉』が私の胸に躍る

使いの若者に 手渡しの手紙を託けた

【  村林 さま

男子
進退は自らの決断に拠り
毀誉褒貶は史家に委ねる
と 存じます

長い間 ご苦労と戦われた日々に
敬意を表しております

ささやかな品 幸便にてお贈り申上げます


  平澤    ]

※社長辞任発表後サッカー天皇杯争奪戦で
FC東京は準決勝に進出したが
延長戦で惜敗した

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拝啓  鳩山元首相様

貴方が政界引退を撤回されるとの報道に
またかと不快な思いでおります

昨年の総選挙で私は民主党に
投票しませんでしたが
貴方を首班とする政権交代を
快哉と考えました
長く続いた自民党政治の惰性と閉塞が
打ち破られるかとの思いからでした

ただその直後から右顧左眄する
貴方鳩山首相には
失望と国の大事を託せぬ危機感を
抱きました

普天間問題での貴方は
まさに「ハト」と揶揄される迷走で
沖縄県民を愚弄し 国益をも損じました

“綸言汗の如し”と言いますが
貴方は一国のリーダーが発する
言葉の重みを 一度も省みる事が無く
次々と 軽い言葉を発し
再三前言を翻す醜態を
さらけ出しておりました

「政治と金」の問題もその一例です
今 民主党にとっても政治と金は
緊喫の課題でありますが
これは小沢氏のみならず
貴方 鳩山由紀夫氏の政治と金問題も
未決着であります

不明朗な母親からの政治資金贈与を
問われた首相時代の貴方は
司法当局への資料提出中を理由に
言を左右に 不正贈与の金銭について
国民に対する説明責任を
果たしてはおりません

検察当局が首相在任中の慮りから
貴方の事情聴取を見送り
母親も高齢を理由に上申書提出のみの
一件落着は如何にも恣意的で
他の同様事件との比較から
公平を欠き納得出来得るものでは
ありません

平成の脱税王と詰問された
貴方の脱税額の多さもまた
国税当局の調査姿勢は
不公正と言えます

12月24日つき新聞紙上に
鳩山氏に1億3千万円の贈与税還付の
記事がありました

贈与を「知らなかった」と
トボケタ貴方鳩山由紀夫氏の
作戦勝ち
国税当局が仮装隠蔽だないとの
判断だとのことですが そうでしょうか
母親から資金贈与を受けていた
少なくとも8年間もの間
貴方は鳩山由紀夫氏は
母親と没交渉だったのですか
金をモラウだけの母と子の
関係だったのですか

だとすれば 今後は一切
「友愛」などと気色の悪い言葉を
口にせぬよう慎んで下さい

そしてさらにこの脱税問題に
関してですが 
貴方は時効以前の期間にも
母親からの資金供与を受けていたかの
疑惑がありますが如何ですか

税法上の問題でなく政治家として
母親からの資金贈与が
何時の時点から始まっていたのかを
明瞭にすべきであり
それなくして政治を語るのは まさに
「騙り」であります

及び腰の検察当局の調査も不快ですが
母親からの法外な資金贈与の
【出】の部分についての疑惑を
国民に対して明確な説明を行なうべきが
政治家としての最低限必須の資質と
考えますが
貴方鳩山氏はその資質が
無いのみならず 厚顔にも
秘書に責任をかぶせて逃げた
卑怯者であります

白々しく鉄面皮な貴方を非難する事に
いささか忸怩たるものがあります
天に唾するほどではないにしても
鳩山由紀夫氏を 一時 持て囃したのは
私たち国民だったからです

でも もう結構です
金持ち道楽の定見の無い政治稼業には
お付き合いしたくありません

貴方は 引退すべくが国益なのです
それ以外に正道はありません

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Hの結婚式(2) ~ 由紀さおりさま ~

由紀さおりさま

お便りを拝しました
何時もながら お気持ちのこもった
あたたかな文面にほのぼのと心が和み
明るい陽差しを浴びた気分です

素敵なリサイタルの感想を
早くお伝えをと思い乍ら
あれこれがあり遅々として
ご返信ナマケテおりました  


この夏以来 私は 時々ふわっと血圧が
急降下して低血圧症状にみまわれます
幾つもの検査結果が
原因不明だったのですが
私自身の自己診断では
「賞味期限切れ」が妥当な診断だろうと
周囲に話しましたら
「クダラナイ冗談を言う場合デハナイ」と
叱られ
『ウッセーナ』と応酬した所でもあります
リサイタルの後日 ほどなくして
モト居候クンの結婚式のおよばれで
山形 庄内へ出かけましたが
私にとっては 世界一周旅行も
同様の長旅であり
くたびれてクタビレテ 旬日の間
ニンチショウモードでありました

閑話休題

素敵に心地良かった
リサイタルの話です
今回は店の者など 身内?が揃って
伺いました
「カンノン様みたい」とSさん
「女王サマみたい」とYさん
オーバーなようですが 店の者二人ともに
由紀さんの舞台に大喜びで
思い出しては 話題になっておりました
平素私が
『由紀さんは舞台の人 舞台姿が
由紀さんの魅力』と語る
“社長の百万遍の学説”が
実証され?きわめてマンゾクの日頃です

由紀さんからのお便りにもありましたが
リサイタルで歌われた
「ひばりさんの唄」は
情緒纏綿と邦楽の「和声」を
見事に高い音域まで のびやかに
歌い上げておられて
流石!「由紀さんやるう」と
感嘆しきりでしたし
いささかならぬ驚きを込め 私も 
私の周囲でも 高い評価でした

母が娘時代からの長唄三味線を
時折り ひとりで弾き語りしたり
父が旦那芸の仕込みにお師匠さんを
呼んで都々逸や木遣りの稽古を
はじめると 二階の雨戸を
ガラガラ閉めたものでした
門前の小僧で 私も幾分かは
邦楽が親しみを持っておりますが
由紀さんの情感豊かな表現は
美空ひばりとは別な魅力があったと
掛け値なしに拍手を送りました
ただ 私には駄々っ子的な
言い分思いがあるのです

由紀さんにとって
美空ひばりさんの持ち歌を歌うことは
或る種 伝家の宝刀のようなものだと
考えます
由紀さんが 上手 巧み に
歌えば歌うほど ひばり賛美に
偏る危うさが潜むように 私には思えます
伝家の宝刀は 一閃のみに
価値有りだと考えるのです

Yukiletter


由紀さんがデビューの時代は
歌が豊穣の時代でもありました
すべての歌の 詞が言葉として
生き生きとしておりました
その背景にあって
由紀さんの言葉のない曲が
ヒットしたのだと 私は考えてもおります

当今のヒットチャート曲は
ほとんど全ての歌詞が
あたかもカタログの説明書のような
詩とは言えない駄文の連続です

歌を聴くと言うことには
音階を辿ることだけではない何かを
観客は求めます
ディクションの問題は
素人の私にはよく分かりませんが
声を聞かせるだけでない
より明確な感動の伝達が大事と
ヒラサワクンはカンガエテオリマス
その意味でも今回の
[由紀さおりコンサート]には
充足感がありました

当夜 かやぶき茶屋マネージャーの
息子 チビK10才が 一緒を致しました
一人っ子なので
ダレカのオセワをする事を
覚えさせる為との パパママの発案で
昨秋のコンサートに大人の仲間入り
オジチャマ(私)の車椅子運転手?として
同行をしたのですが
すっかりユキファンになり
今回も「ボクもイクウ」でした
会場では アタリをミマワシ
「オジチャマ ボクが一番だよ」と
訳の判らぬ事を言うので
聞き返すと「ボク一番若いよ」!デスト
思わず噴き出しました
感心なのは 勘所々々で
先んじて拍手をしておりました
オン年10才の熱烈ファン
何れぜひ お目に掛けたく存じます

リサイタルのフイナーレ間近
観客席通路を一周され
舞台へ戻られる前に 
スポットライトを浴びた由紀さんが
マイクで小さく 「ヒラサワサーン」と
呼びかけて下さった その時
私もチビKも ともに大きく手を振りました
チビKの得意満面の(^_^.)を
お見せしたかったです

山形 庄内 酒田での結婚式
モト居候クンへの祝辞に
チャーリーチャップリンの言葉を
贈りました

チャップリンは「あなたの代表作は」と
インタビューで聞かれて 答えたそうです
『 ザ ネクスト 』 と
私の大好きな言葉です

由紀さんにも 贈ります
『 ザ ネクスト 』

次なるチャレンジ 素敵なショウを
期待いたしてます

向寒の折 お風邪などひかれぬよう
お身体大事に ご越年を祈ります


平澤 建二

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日本消滅 成田屋なさけなや ~ 市川海老蔵 菅直人 ~

[目クソ鼻クソを笑う]
馬鹿が阿呆を軽蔑するタグイのものだ

オマエのブログも ソーダロガと
言われかねないが 少なくともワタシは
ヒトノ尻馬には乗らない

市川海老蔵騒ぎにハシャグ手合の馬鹿騒ぎは
タックウ! ナンナンだろか
大新聞が一面に記事を載せていた
当り前なら三面記事以外の
ナニモノデモナイ筈だ

三面とは 遠まわしに三流 と
ややの侮りを含んでのことだった

スポーツ新聞ならコレは仕方が無い
昔流なら赤新聞と言われていた
ガセネタと井戸端会議速記録? が
主流記事だからだ

海老蔵が殴った殴られた
ゴロツキレベルの喧嘩を
3大新聞が矜持を捨てて
一面記事とは情けない

さらに利いた風な ニワカに通ぶる輩が
歌舞伎十八番 成田屋の睨みがどうとか
講釈を並べているが 喧嘩以前に
初春興行の顔見世記者会見のサボリこそ
重大な歌舞伎役者失格事件なのである

歌舞伎興行での宣伝活動は淀川の川くだり
浅草寺の顔見世など 座頭はじめ
役者勢揃いして御ひいき筋への御挨拶が
興行には昔からの仕来りで
欠くべからざる礼儀である

それを「体調不良」を理由のドタキャン欠席は
役者失格もだが人格欠損である

歌舞伎宗家を自尊する市川家
当代頭領の団十郎が 父としても断固 勘当!
と叱責すべきところだ

モットモ何年か前 施政方針演説直前に
「体調不良」でドタキャンした
安部晋三首相がいる
政治家を失格したかと思いきゃ
まーだ代議士やってんでやんのョ

政治を志したのではなく
政治家家業を継いだ者
歌舞伎を志したのではなく
役者稼業を継いだ者

情けない事に その両者を共に
スター扱いのオベンチャラを並べる
マスコミ と そしてだ 皆の衆!

皆の衆が 提灯持ちのマスコミメディアと
意気投合嗜好思考の一致している事が
只今この国日本を不景気面にしている
遠因なのだと 御気付はメサレヌノカ!

事のツイデに 言っとくが
海老蔵は身体をマッチョに改造してた
時に色男を 時に女を 演ずる時は
どうするんだ
「やだねー」が歌舞伎を知る者
大半の声だった

成田屋十八番の 弁慶も荒事も
格闘技ではゴザイマセヌと忠告出来る手合が
皆無だったんデスカネ

そう言えばソウソウ
台本持って舞台に上がった
大根役者がいたいた イタヨ
胡錦濤中国国家主席と会談した
ワガクニ 菅総理大臣
A4位のファイルを持って
下向いてセリフ棒読みをしてたっけ
スッカラ菅も情けないが
情けない総理大臣の姿が
ミンナの日本の国の恥さらしだと
気が付く者(ブレーン)が
一国の宰相の傍らにいない事実に
ワタシャ暗然としておりました

全くモウ 人材枯渇
メクソとハナクソダラケニなった この国は
イツゴロ滅ビルのでしょうかネ

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