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昭和の時代の人いきれ ~ 歴史の転換点に想う ~

年の暮の慌ただしさ 新年の賑わい
人いきれする慌ただしさ 
人いきれする賑わい
昭和の頃の【人いきれ】
どこかへか消えた 
シブヤ スクランブルに 乱雑はあるが
人いきれは無い
テレビに ガサツと猥雑はあるが
人いきれの ぬくもりは無い
 
旧冬【12月8日大東亜戦争開戦記念日】
ブログを書きかけで体調が悪化 越年した
酷い咳だが 熱がやや下がり
喉の痛みも薄らぎ 今日は1月6日だ

【昭和16年12月8日】当時数え7才の私に
その日の記憶は ほぼ無いのだが
【12月8日開戦記念日】
とり付かれたように思いついて
調べまくったのが 中学三年
当時私は 登校拒否中で
暇ありの時間だった
聞取りの近所のオジサン達も
記憶に新しい出来事歴史でもあるので
懇切に教えてくれた

【真珠湾攻撃】
「ニイタカヤマノボレ」
【奇襲攻撃】「宣戦布告」 聞けば聞くほど
何とも合点の行かぬ
整合性の無いデキゴト連動の頻発である

開戦時 立役者とでも言うべき
三方がおられる
開戦宣言は【昭和天皇】詔勅により
万世一系皇祖皇宗の名に於いてと
開戦を宣せられた
開戦実務は【東条英機】内閣によって
執り行われ
主要閣僚に【岸信介】商工大臣
(安倍晋三の祖父)がいた

開戦宣言の昭和天皇は
英姿颯爽白馬に乗る
陸海空三軍の長として臣民=国民に
君臨した
開戦主導の東条英機は軍陣訓
「死して虜囚の辱めを受けるな」と
兵士に刷り込んだ
開戦時閣僚の岸信介は
戦犯として捕らえられたが
東京裁判死刑囚の処刑後 釈放された

開戦時立役者が 敗戦後日本を舞台に
どう立ち回れたのか
昭和から平成 平成から次の場面への
転換を前に 検証すべきが
多々あるのではないか

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