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戦争の記憶Ⅰ

本年84才の私 幼い頃の学歴?
極めて珍重である
何しろ幼稚園を落第した
小学校(国民学校)も
一年生を落第している
言い訳をすれば 3才の時に
百日咳をこじらせて かなりひどい
小児喘息を患っていた

小学校一年生では
1年間通算の出席日数が
20日間位だったそうだ
複数の医者から
「多分10才位迄の寿命だろう」とも
宣告されていたと言う

私が生まれたのは
隅田川浅草の対岸向島区寺島で
花柳界芸者町の隣接地だった
今から考えれば 芸者衆や
置屋さん相手の呉服屋商いには
最好適の立地だった

番頭さん(営業マン)3~4人を使って
商売繁盛だったらしいが
小児喘息の私には
反対側隣接地が小工場密集地帯
煤煙モクモク 大気汚染スモッグ
風下にあり最悪だった


外で遊ぶと直に喘息発作を起こす
家の中で“本”を読むのが
私の唯一の遊びだった

読み書き家庭教師?は
番頭サン爺やサン 呉服屋なのに
何故か当時 珍しい大学生の書生さんも
居たので万全だったが
遊び盛りに外で遊ばぬ私が
父には歯痒かったらしい

或る時 父が大声で私に言った
「ウチの中でホンばかり読んでるから
ゼンソクが起きる」
「オモテへ行って
着物を泥だらけにしてこい!!」 
 『ハァーイ』と私
店の前へ出て 道路で寝ころがり
一回転して 『タダイマー』と
帰って来たそうだ

番頭さん達全員 父への遠慮で下を向き
笑うに笑えずのワライダッタと
後年聞かされたカワイクないガキだったと
目下84才にして 反省しきりである

喘息発作の治療薬が無かった当時
唯一 喘息発作回避の方法が
転地療養だった
毎年 秋10月末になると
母と私と妹弟4人で 熱海に一冬滞在した
熱海駅の傍 線路わきの旅館だった
喘息病が急変した時に 即 列車に
乗れる場所が 旅館選びの
最大の理由だったらしい

― 大東亜戦争勃発昭和16年秋
   転地療養の私6才がスパイ容疑で
   憲兵隊に取調べられた ―


【続く】

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