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2018年11月

木リン・ゾオ・カバ列車 ~ 戦争の記憶 ~

昭和16年当時6才の私は
重度の小児喘息 有名小児科医に
「余命は10才迄」と宣告され
父母は 必死の想いだったようだ
唯一 喘息発作が軽くなるのは
【転地療養】だったが
同じ所に3週間位過ごすと
発作がぶり返す
冬の定宿熱海から伊豆山へ
或いは来宮へと 2~3日間
ジプシー転地後 また定宿熱海へを
繰り返していた

16年の晩秋 熱海の宿で
特別の計らいを女将が考えてくれた
夜間の寝床で発作を起こす私に
宿の階段踊り場に 陶製アンカと小机
絵本を用意して 一晩中 踊り場の窓から
夜行の蒸気機関車を眺めたり
ウトウト寝たりは 如何かと?
狙いは的中!?だった
大好きな「本を読む」
「汽車ポッポを見る」事で 気持が安まる
喘息発作の起因
子供心の強迫観念も有で― 
夜寝ると発作が起きるのが
―解消されて 毎晩 夜ょ来い(^^♪♪
夜ょ来いの気分になった

幾晩目かの深夜 線路を照らす灯りが
すうーっと半減し 貨物の無蓋車が
ゆっくりと 熱海駅直近で停車した

薄明りを目を凝らし よく見ると
キリンと象とカバに シートが
掛けられているようだ
ゆっくりと麒麟 象 河馬列車が動き出す
ほどなく 次々と 麒麟 象 河馬列車が
暗闇から ゆったり来る 
~ 幼な心の好奇心をソソルのに
十二分なスリル感があった

後日談である ほの暗い暗闇
夜行列車終了後運行
無蓋車の 麒麟に見えたのは高射砲
象は大砲 河馬は戦車
それぞれが積載されシートを掛けた
兵器輸送車だったのだ

母にも宿のおばちゃんにも内緒
イッパイ来る麒麟象河馬の数を
帳面に書く事に決めた
帳面には 麒麟=木リン
象=ゾオ 河馬=カバアと書いたが
積算に正の字使用は無知 11111を
並べる書き方で 毎晩大満足だった
だが 私の【宝物帳面】が紛失した
内緒にしてた母にも 宿のおばちゃんにも
打ち明けたが
【宝物帳面】は行方不明??!??

ゲンキンナモンデ その晩から
マタマタ喘息発作再発~~~
コマッタ コマッタの状況下
数日後【ワタシの宝物帳面】が発見された
だが しかしである ソノ【宝物帳面】は
憲兵隊に保存されてあるとの事
宿には「帳面持主出頭命令」を告げに
警察官が来た 昭和16年11月だった

昭和16年12月8日大東亜戦争開戦
後年名称「太平洋戦争」
「第二次世界大戦」

(つづく)

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戦争の記憶Ⅰ

本年84才の私 幼い頃の学歴?
極めて珍重である
何しろ幼稚園を落第した
小学校(国民学校)も
一年生を落第している
言い訳をすれば 3才の時に
百日咳をこじらせて かなりひどい
小児喘息を患っていた

小学校一年生では
1年間通算の出席日数が
20日間位だったそうだ
複数の医者から
「多分10才位迄の寿命だろう」とも
宣告されていたと言う

私が生まれたのは
隅田川浅草の対岸向島区寺島で
花柳界芸者町の隣接地だった
今から考えれば 芸者衆や
置屋さん相手の呉服屋商いには
最好適の立地だった

番頭さん(営業マン)3~4人を使って
商売繁盛だったらしいが
小児喘息の私には
反対側隣接地が小工場密集地帯
煤煙モクモク 大気汚染スモッグ
風下にあり最悪だった


外で遊ぶと直に喘息発作を起こす
家の中で“本”を読むのが
私の唯一の遊びだった

読み書き家庭教師?は
番頭サン爺やサン 呉服屋なのに
何故か当時 珍しい大学生の書生さんも
居たので万全だったが
遊び盛りに外で遊ばぬ私が
父には歯痒かったらしい

或る時 父が大声で私に言った
「ウチの中でホンばかり読んでるから
ゼンソクが起きる」
「オモテへ行って
着物を泥だらけにしてこい!!」 
 『ハァーイ』と私
店の前へ出て 道路で寝ころがり
一回転して 『タダイマー』と
帰って来たそうだ

番頭さん達全員 父への遠慮で下を向き
笑うに笑えずのワライダッタと
後年聞かされたカワイクないガキだったと
目下84才にして 反省しきりである

喘息発作の治療薬が無かった当時
唯一 喘息発作回避の方法が
転地療養だった
毎年 秋10月末になると
母と私と妹弟4人で 熱海に一冬滞在した
熱海駅の傍 線路わきの旅館だった
喘息病が急変した時に 即 列車に
乗れる場所が 旅館選びの
最大の理由だったらしい

― 大東亜戦争勃発昭和16年秋
   転地療養の私6才がスパイ容疑で
   憲兵隊に取調べられた ―


【続く】

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