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2018年3月

その時カンナが咲いていた⑤ ~ギブミイチョコレート~

「アメリカは 女子供を殺した」
と父は話を継いだ
綿入れネンネコで 背負われた赤ん坊や
幼児が 機銃掃射を浴び
焦煙に巻かれ死んだ
虚ろに 死児を抱いて
涙の涸れた母親がそこ ここに いた

「なんまんだぶ ごめんなさい
なんまんだぶ ごめんなさいよ」
と父は 自転車を担いで歩きながら
ふと見ると 赤ん坊を抱いて
お乳を飲ませている
若い母親がいたそうだ
思わず父は 見知らぬその母子に
「おかみさんっ!」
「よござんしたね!」
と声をかけ~ しばし しばし  絶句した

「その赤ちゃんはな……」
「その赤ちゃんは 死んでいた……」
父は泣いた 父は震えるように 泣いた

「粗相で取り返しのつかない事を
言っちまった」
「あの日の赤ちゃんや
無念の仏さんにせめて……」
「戦争に負けたこの日が
田舎のお盆のご因縁で」
「母さんと二人で お線香を あげている」

~父には それ以上の 言葉が
続かなかった~

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空爆で半壊した民家を片付ける人々

しばしの沈黙の後 蝋燭の火が消え
陽の翳りが感じられた
母が小さく呟くように言った
「紙一重なのょ “生きてる”ってのが」

そして私の顔を見詰めながら
「戦争に負けたからって
根性までは 腐らせはしない」と
語気を強めた

“ギブミイ”あの時のことだと私は直感した

「犬猫相手じゃあるまいし食べ物投げて
それ拾って人間のカスですょ」
と母はきっぱりと言い切った

ねえやさんが 蚊取り線香を持って来た

父と母の顔を見比べて
そっと私は立ち上がり
滑るように縁側を降りた
庭木戸を開け 一目散に駆け出した

近所の防火貯水池の土盛りの上に立った
おぼろげな理解
“ギブミイ”への父と母の怒りが
沁み入るように胸にひろがった

池の渕に 幾つものカンナの花が
咲いていた

昏れゆく陽射し 池の水面に
カンナの花が映り
小石を投げると カンナの朱がめらめらと
空襲の夜の炎のように揺れた

(終)

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その時カンナが咲いていた④ ~ギブミイチョコレート~

ギブミイ騒ぎに「掛け合って来る」
と 怖い顔をして出て行った父は
夜になっても戻って来なかった
そして 夕餉の膳に
父の箸 茶碗が置かれて無い何故か
何なのか 大事な事が起きたのか
父がどうかしたのか
尋ねたくても母の緊張しきった
張りつめた面持ちに
私は一言も切り出せず 食事も早々と終え
胸の中がモャモャのまま
その晩 まんじりともせず
寝つかれなかった

翌朝 登校すると クラス中の話題が
ケンちゃんチ(私)の事件を中心に
沸騰していた

「ケンちゃんチのオジサンが
アメリカと喧嘩した」
そして
「ブタバコに入れられた」と
幼い級友たちの噂話が
父に関する私の知らぬ真相の核心を
明らかにしたが 帰宅してもその真偽を
母にも ねぇやさんにも 聞けぬままに
幼なかった私の心には
しこりが澱んでいたものだ

忘れるともなく忘れていた
ギブミイチョコ騒動から 時日が経過して
その日は 後から気がつくと
八月十五日だった

「旦那さんが いらっしゃい って」と
女中さんに告げられ 茶の間に入ると
何故か 盆提灯が飾られて
緊張した面持ちの父と母がいて
固い雰囲気が 張り詰めていた

父は「そこへ お座り」と言ったきり
しばし 押し黙っていた
母が ぎこちない仕草で 盆提灯の蝋燭に
マッチで火を灯した
それをきっかけのように
軽く咳払いをした 父が話し始めた

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「今日は 田舎の お盆だ」
と切り出した父が
こみ上げる思いを抑えるかのように
かすれた声で 語り出したのは
【東京大空襲】痛恨の惨禍についてだった

東京大空襲の未明
自宅の類焼をまぬがれた父は
出入りの職人さんたちの生死や
安否を知るべく
必死に自転車を漕ぎ 浅草に向かった

隅田川を挟んで対岸の向島に着き
望見すると 浅草松屋百貨店の各階から
火柱が吹き出していた
渡るべき橋の何処もが と言いかけて
父は 吐き出すように咽び泣いた
「ほとけさんが……
言い方悪いが ほとけさんが
ごろごろと……切ない…ね…
ご遺体がご遺体が……だ
真っ黒焦げになって、だ、 ぞ、建二っ
道をふさいで……いたっ」

(⑤へつづく)

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その時カンナが咲いていた③ ~ギブミイチョコレート~

そして思い切って一枚全部を口に入れた
恐る恐る噛むと だんだん味が
薄くなるのが心細かったが
私は味がなくなった分
大胆にクチャクチャ噛みながら
この初体験の自慢話をしょうと
家に帰ると 店へ廻り『ただいまァ』と
父に声をかけた

「お帰りぃ」
「建二 何食べているんだぃ」
「道々 歩き歩きでものを
食べてはいけませんょ」
父の言葉をさえぎって待ってマシタと私は
“チューインガムを クチャクチャやると
歯磨きになる エーセーにもイイ”
と力説シタものだ

『それでサァ アメリカさんはサ』と続けた
『虫歯が無しで 大きく成れるンだってサ』
と コマッシャクレタ変な能書きも
並べたてた

「フーン」と父は 半ば呆れ
感心したかのようでもあった

「そのチューインガム 高いのかぃ?」
「どこで買ったんだぃ?」と父に尋ねられて
調子に乗った私は 本日の出来事
アーメン幼稚園での成果の 一分始終を
得々と喋り出した

得々と喋る私の話の佳境というべきか
アメリカ兵が ガムやチョコを
放り投げた話に
及ぶと にこやかだった父の顔付きが
一変した

「お前! 拾ったのかっ!」
「アメ公! 地面に投げたのかっ!」
凄まじく怒り出した父の形相に気負わされ
私は声を呑んで コックリと頷いた
間髪おかず 父の拳骨が飛んで来た
よろめく私の腕を掴んで
二発目の父のゲンコが
私の顔面に炸裂した
店番のシズちゃんが「旦那さぁーん」
と止めに入った

大声で泣き叫ぶ私の騒ぎに
母と女中さんが奥から飛んで来た

「お父さんはまったく手が早いんですから」
「子どもの言い分を
良ぉく聞いてやって下さいましな」

母の仲裁に力を得て
私は泣きくじゃりながら事の顛末を告げた
ところが ガム拾いに話が及ぶと

「お黙りぃっ!」
鋭く母が言った
「乞食は ウチの子じゃありません!」
「口から出しなさいっ!」
と 母に頬をツネリ挙げられた
ガムを吐き出して私は
『ガムは 口に入れとくモノなのにー』と
抵抗を試みたが
「恥知らず!」と 母に一喝された

母は先年九十三才で亡くなったが
烈火の如き怒りを露わにしたのは
後にも先にも あの時だけだ

「拾って食べて良いのは
節分の豆だけっ!」
「武士は食わぬど 高楊枝!」

立て続けに飛び出す
母の小気味良い啖呵の連発に
ドキマキしながらも 私は
言葉の意味がワカラナイと
最後の抵抗をした

「腹は減っても ヒモジュウナイ!」
『ワカラナイょ ウチはサムライじゃなくて
アキンドでしょ』
「ナマ お言いでない!」
母からも 平手打ちが飛んで来た

母は衿元を直して 父に向き直り
頭を下げて言った
「お父さん申訳ございません
私の躾方が悪うございました」
父は小さく頷いたあと
「掛け合ってくる」と店を出た

目の前の交番から出て来た
お巡りさんの制止を振り切るかの
様子でもあった

母は 店の前に立ち続け
父の後姿を追うようにして
何度も何度も小さく 頭を下げていた

~ その晩 父は帰宅しなかった ~

(④へつづく)

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その時カンナが咲いていた② ~ギブミイチョコレート~

カッちゃんの情報を整理すると こうだった

我が家から1.5㎞程離れた所に今
アメリカさんがアーメン(キリスト教)の
幼稚園を建てている

そこへ○曜日に来るアメリカの兵隊が
集まった子供達に
チョコレートとチュウインガムを 
ジープの上から放ってクレルというのだ
従って人数の増加は好ましくない

「シミツ(秘密)だょ」と カッちゃんは言った

「ソンデモッテさ ソン時にはサ」

「ギブミィ チョコレート!とかサ」
「ギブミイ チュウインガム!ってってサァ」
「ミンナ口揃えて エイゴで
ゴアイサツするんだ」と カッちゃんは
細かな指南もしてくれた

「ダァレニモ 内緒ダカンネ」
と カッちゃんに念を押されて
私は 父や母にも内緒で当日を迎えた

やがて○曜日『ギブミイ チョコレート』
『ギブミイ チューインガム』
私は あたかも念仏か 呪文のように道々
小さく声を出して 唱えながら
チョコ ガム獲得に? 出向いたものだ
   
道幅6m 駅から約2㎞の道程が
荒川の土手に行き着くまで両側は
びっしり大小の商店が 立ち並び
その商店通りから やや奥まって
バタヤ部落と賤称されたあたりが
後年の 愛恵学園建設地であった

既に 数十人の子供達が
ガヤガヤと集まっていた

やがて しばし 現れたアメリカ兵が
もったい振った大げさな身振りで
ジープの後部に乗った

B29
B29の空襲を受けた後の後片付けの様子

私もふくめ子供達が一斉に
「ギブミイ チョコレート!」
「ギブミイ チユーインガム!」
と 囃し立てた
三人のアメリカ兵は 大きく両手を広げて
静かにというような ゼスチャーをした

そして次にシーンとなった私達
子供に向って
指揮者のように片手を振り下ろした

またまた子供達は 黄色い声で
絶叫するように
「ギブミイ チョコ!!」
「ギブミイ ガム!!」と
声を揃え大歓声を上げ続けた

ギブミイチョコレート!
ギブミイチューインガム!
子どもたちが振り絞るように大声で叫ぶと
ジープの幌 すべてが外され
仁王立ちのアメリカ兵3人が
片手を挙げたり 両手を拡げたりして
子どもたちの叫び声と静粛とを
自在に操った

喜色満面のアメリカ兵は
それを 何度も何度も 繰り返した後で
やっとガムやチョコを 放り投げ始めた
子どもたちは 嵐のような嬌声を挙げて
右往左往ぶっかりあい もうもうと砂埃り
砂塵が舞いあがり 大混乱になった
私も駆けたり 転んだり やっとの思いで
2枚のチューインガムを拾って
ポケットに入れた

銀紙に包まれた2枚のチューインガムを
ポケットから そっと出したり入れたり
見つめたり溜息をついたり
たまらなくなって私は 帰りの道筋
鳩ポッポのいるお不動様の境内に入った

銀紙をあけ 寄って来た鳩を追い払い
ほんの少しだけチューインガムを折って
口に入れてみた

ガムは 紙芝居で買う昆布
駄菓子屋のニッキとは 比較にならない
それはもう 天国の味だった

(③へつづく)

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その時カンナが咲いていた① ~ギブミイチョコレート~

73年前【東京大空襲】で無惨に
焼き殺された死者10万人の方々への
痛切な私の想いを伝えたいと願って
毎年微力を尽くしておりましたが
本年は私の退院後の体調が未だしであり
思うに任せません
「その時カンナが咲いていた」を
再録してお伝えしたいと思います

                  

               平澤建二

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敗戦の日 カンナの花が 燃えるように
咲いていた
見渡す限り瓦礫の山がつづく焼け跡の
どぶ川のふち 防空壕
バラック 防火貯水池
町中いたるところの傍らに
カンナの花が咲いていた 
カンナは 燃えるような朱色の花が
多く咲いていた

敗戦昭和二十年八月十五日

その年の三月十日 東京大空襲
東京の下町は 唸りを上げて 襲来した
B29爆撃機の猛爆を受けた
照明弾で 眩しく 明るく照らし出され
逃げ惑う 幼子も 年寄も 爆撃を受け
機銃掃射を浴び 焼夷弾で焼き殺された

翌朝 隅田川にぎっしりの焼死体遺体が
浮かび 死者は10万人を超えたという

私の家は 右方90mの近隣迄
爆撃を受け炎上した中で 辛うじて焼け残り
ぐるり周囲が瓦礫になった
焼け野原の中で敗戦後も呉服店として
商売を再開していた

敗戦のその年のことか
次の年であったのか
何時の頃かが おぼろ気な記憶
定かでないが 近所の悪童 カッちゃんが
耳寄りな話を教えてくれた

何処で仕入れた話なのか 情報通の彼は
「ミンナに言っちゃ ダメダョ」
と 声をひそませて ささやいた

「チョコレートとチュウインガムが
モラエルンだぞ」と言って 
得意満面の顔付きになった

「ソンデモッテさ それがサ
タダで 貰えるんダカンネ」
と 鼻をうごめかせた

(②へつづく)

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店主退院後のあれこれ

N様

この度はご親身になって 私の代わりに
金子先生の献花 記帳を行って頂き
心から感謝申し上げます
長年尊敬の金子兜太先生は
御所熊谷で青春時代を過ごされたと
聞き及びます
兜太先生は老境に入り極めて鋭く
鮮やかな句作と御活動をされておりました
私は深い敬慕の想いがありました
一昨年夏「アベ政治を許さない」の墨書を
コピーしたスローガンが政治の不法を怒り
この国の未来の為に立ち上がった人々の
求心のスローガンになりました
想いは私も共鳴するところ
多大でありましたが 車椅子の身が
いささかならず苛立たしくありました
店と裏玄関に兜太先生の大きなビラを
貼りましてた
時には「ご商売に差し障りますよ」との
ご忠告ご助言も振り切っておりました
兜太先生の御逝去には
万感の想いがありました
N様の御蔭でいささかならず
気が晴れました
誠に御親身な御対応を感謝申し上げます

先日 きものひらさわで御調度の
御羽織の余り布で作りました「根付巾着」
「根付下げ袋」は職人が一生懸命作り
下げ紐も良い色が見つかり
出来上って参りましたので
本日お送り致します

Dscf1649

先頃私の入院中にお見舞いに
お出掛け頂き その折「頂いた御本」
御陰様で読む体力気力共に戻り
読了致しました
実は私の書棚は二階三階共に満杯で
ございますので 折角お心こもった
二冊ですので N様の御手元へお戻しが
最良かと存じますので同封申し上げます
本当にありがとう存じました
三月の御来店 御予定とのこと
心待ちに致しております
肌寒い日もあります
お風邪など召しませぬようお大事に!

 平成三十年二月

  きものひらさわ
  平澤 建二

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