戦争と天皇㈠
私は昭和10年の生れ
もの心ついた頃から昭和の戦争が
始まっていた
大日本帝国は神国であり
万世一系現人神の天皇陛下の御為
戦争は大勝利と信じていた
国民学校一年生 学校の校門隣りに
白塗り土蔵造りの建物【奉安殿】があった
天皇 皇后両陛下の御真影(写真)が
内蔵され祀られてあった
生徒達は 朝の登校時に全員が
奉安殿前で直立不動の姿勢で
九十度の最敬礼をした後
各自の教室に向かうのが
厳格な規律だった
時に教練の先生(現役兵士)が
見張っていた
各教室の黒板上には
朝の斉唱文言が書かれてあった
教師が入室すると 級長の掛け声
「起立ッ」「礼ッ」の後 教師が斉唱文言に向かい一礼
全員叫ぶような大声で斉唱
「ワタシタチハ テンノウヘイカノ
セキシ(赤子)デス」
【決死報国】死を以って国に報いる覚悟
「天皇陛下萬歳」の戦死が国民の心得と
教えられた
大本営発表は 何時も定まって
「赫く赫くたる大勝利」の報道だった
皇国不敗 神州不滅 白馬にうち跨る
天皇陛下の御姿
ニュース映画に観客は姿勢を正した
やがて戦争末期 【特攻隊】【人間魚雷】
【人間地雷】と呼ばれる
生命を捨て死を賭しての人間武器が
産まれた
死して帰らずの自爆武器は
意表を衝いた緒戦での僅かな成功を除き
精度に劣る武器の差を如何とも為し難く
ほぼ全ての場で戦果無し
「天皇陛下萬歳」を叫ぶ
無為な【必死】に終わった
今次大戦の戦死者310万人
その内約4~5割が 兵站の行き届かぬ
餓死者と言われる
東京大空襲10万余人の焼死者
沖縄地上戦20万余人の死者
広島長崎原爆34万余人の死者
大阪横浜他諸都市へ空爆死者
何処も非戦闘員への無差別爆撃で
完膚無く叩きのめされた
8月15日天皇による
「無条件降伏 ポッダム宣言受諾」放送を
【玉音放送】と呼称した
隣家 爺の家 横巾80cm位の
高級ラジオで 天皇陛下の詔勅を聞いた
明瞭に聞こえる音声は ややかん高く
幾分か つかえ気味に聞こえた
大人達の表情の変化の中
奇妙に聞こえる抑揚の一節が
耳にこびりついた
―「堪エガタキヲ堪エ 忍ビ難キヲ忍ビ
以ッテ萬世ノ為ニ 太平ヲ開カント欲ス」―
71年後の今もなお 私の心の「棘」である
九月二日戦艦ミズリー号艦上で
「大日本帝国無降伏調印式」が行われた
(つづく)
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