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2016年3月

男和きもの 添いバッグ

【男 和 きもの】【添いバック】
旧聞だが【イタリア万国博覧会】の
プロデューサー『R』は スキー仲間だった
万博パンフレットに載る
チラリ白い髪のRの写真を見て
小学生の彼を知る私は
うたた今昔の感有りだったが
取敢えずプレゼントを さてドースルと考えた

正式な社交に 刑務所ルーツの腰履き
作業着ルーツのジーパン
ガキルーツのアメカジ等 当然ナシで
和の羽織袴姿なら気品アピール万全だが
80才に余力はない となれば
スーツ姿が本命だが
少々の困惑は 握手とハグの挨拶だ
スマホを始め必携邪魔物多々だ
名刺:カード:札入れ:硬貨:ペン:
身分証明書 Etc...
セカンドバックも邪魔の範疇だ
さてドースルと考えた
考えた末に【添いバック】を思いついた
スーツ下に収まる薄さ
高級きもの布地と革紐の取合せで完成
仕上り極上との自慢を添えて!
『R』に贈った

Photo

返信が来た
「素敵なバック有難う
包みを開けたトタンに 嫁がキャー素敵!」
で…つまりヨメサンにカツアゲされたらしい
『もう一個? 冗談じゃない!
実力行使取戻せ』がダーメで
【添いバック】ミラノでの【御目見得登場】は
叶わなかった

【男のきもの】
さいたま市の I様ご来店
黒いマントご持参である
『何事か』とお尋ねする
「95才大先輩の旦那の形見」なので
「身丈を詰めて欲しい」との事
I様は長身ではない
黒マントは超L寸 怪人二十面相サイズ
デカ過ぎ 直しには高額費用が掛かる
その上 点検すると虫食い穴が多数有
特に:衿の毛皮は 某国トランプ氏の
髪の毛状態? 薄いノダ
結論黒マント良いとこ取りで
ボタンをアクセサリーにして
【添いバック】を製作御納品
ご夫妻様用 ともにご好評だった

【水森亜土さん】
人生の振り巾の芯に しっかりと
【童心】を据えておられる方だ
頂くお手紙が何時も愉しい
Handsomeケンチャン DearKENナドと
嬉しがらせて下さる

Rimg0355


私の地下鉄事故にも御見舞いを頂いていたので
【添いバック】を御送りしたら
ご返事が ♪キャホーッと始まり
「素敵なバック お正月が楽しみだ」と
書かれてあった

遥か昔 新しい品はお正月に使い始めの
慣わしを思い起こし ほのぼのと胸温かかった

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東京大空襲の真実

「戦争体験 未来に語り継ぐ」と題し
3月10日東京大空襲の日は
東京平和記念日なのだと
中学生の投書が新聞に掲載されてあった
一読私は胸詰まらせ
思わず紙面に涙を落とした
本年私は81才
「東京大空襲」の昭和20年3月10日に
私は10才だった

3月9日夜 強風が吹き寒かった
二回か三回か「敵機襲来」の警戒警報が
あったが大事でなく過ぎた
ぐっすり寝込んだ深夜「空襲警報」が
発令され飛び起きた
母は「死なば諸共よ」と空襲警報の都度
私と妹弟に言い聞かせていた言葉を繰り返した

アメリカ空軍B-29爆撃により
東京下町は壊滅し焼野原になった
その頃の 下町には
35才以下の若い男性は全て強制徴兵され
戦場に赴いていた 敢えて言う
その時代の差別語「片輪者と肺病病み」が
銃後=東京に留まれた 昭和19年夏頃から
商店や職人 工員の小父さん達45才迄の男性も
壮年兵として招集されるか
或いは軍需工場に徴用されて
当時東京下町は:女:子供:年寄り:のみが
暮らす 木造家屋密集地で軍事施設は無かった

その下町を 地図で升目に区切り
標的を策定したアメリカ空軍が
低空飛行で襲来した
B-29戦闘爆撃機は低空飛行で威嚇し
照明弾曳光弾を投下した
暗闇を逃げ惑う人々は
真昼の明るさに晒され凝然と立ちすくんだが
そこを狙ってアメリカ空軍は 絨毯爆撃
爆弾投下で殺傷し 次に焼夷弾投下
(木造家屋火災目的=黄燐油脂)で
人々を焼き殺した 

更にダメ押し猛煙火災の炎にグリス油脂を
バラマキ 焦熱地獄にした
必死の脱出 逃げ回る残された
わずかな人々に対しても 超低空飛行からの
機銃掃射で 一斉殺戮を行った

私の家は 右方約90㍍ 後方約200㍍の所まで
炎上延焼したが つむじ風が吹き起り
火勢が変化 危うく類焼を免れた

朝方 徴用先軍事工場を爆撃された父が
我家に帰って来たが すぐさま焼き芋2個の
弁当と水筒を持って 浅草の下職さん達
数軒の安否を尋ねて 自転車で出かけた

夕刻 悄然として自宅に戻った父は
一言も語らず床に就き
夜更けに私を叩き起こした
「建二 お前は男なんだから
明日は 一緒に行って見ておけ」と
きっぱりした口調だった

翌朝 父の自転車に二人乗り
隅田川を渡る吾妻橋の袂に着き
自転車を下りて思わず私は
胃を突き抜けるような 嘔吐に見舞われた
ご遺体が無礼ながら 目も鼻も口も
のっぺりと焼けた棒状になったご遺体が
無数に 橋の両側に 覆いも無く
積上げられてあった

私は 嘔吐に続く嘔吐
手ぬぐいの中に 集めた吐瀉物を
欄干から捨てようとすると 
父が「ほとけさまが いなさる」と言って
止めた
隅田川の 河畔あちこちに 死体が 浮かび…
私は ギリギリ ギリギリ ギリギリギリッと
嘔吐をつづけた


昭和20年3月10日東京大空襲の殺戮死者は
10万8千人を超えた 
無辜の市民が 殺され 焼かれた惨劇と
残酷な事実は 今なお 私の記憶に鮮明にある


風化する【東京大空襲】に居たたまれず私は
自らの記憶と思いを重ねて冊子を作り
お知り合いに配りつづけて13年間になります
81才の老躯 車椅子の不自由
力量不足の自らに 苛立つ時もありますが
あの御遺体の方々の 無念さを伝える責務が
同時代を生きた私にあるとの所存です

平成28年3月 平澤建二

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公開 その時 カンナが咲いていた⑤ ~ ギブミー チョコレート ~

「アメリカは 女子供を殺した」
と父は話を継いだ
綿入れネンネコで 背負われた赤ん坊や
幼児が 機銃掃射を浴び 焦煙に巻かれ死んだ
虚ろに 死児を抱いて 涙の涸れた母親が
そこ ここに いた

「なんまんだぶ ごめんなさい
なんまんだぶ ごめんなさいよ」
と父は 自転車を担いで歩きながら
ふと見ると 赤ん坊を抱いて
お乳を飲ませている若い母親がいたそうだ
思わず父は 見知らぬその母子に
「おかみさんっ!」
「よござんしたね!」
と声をかけ~ しばし しばし  絶句した

「その赤ちゃんはな……」
「その赤ちゃんは 死んでいた……」
父は泣いた 父は震えるように 泣いた

「粗相で取り返しのつかない事を言っちまった」
「あの日の赤ちゃんや 無念の仏さんにせめて」
「戦争に負けたこの日が 田舎のお盆のご因縁で」
「母さんと二人で お線香を あげている」

~父には それ以上の 言葉が 続かなかった~

しばしの沈黙の後 蝋燭の火が消え
陽の翳りが感じられた
母が小さく呟くように言った
「紙一重なのょ 〝生きてる〟ってのが」

そして私の顔を見詰めながら 
「戦争に負けたからって
 根性までは 腐らせはしない」 と語気を強めた

〝ギブミイ〟あの時のことだと私は直感した

「犬猫相手じゃあるまいし食べ物投げて
 それ拾って人間のカスですょ」
と母はきっぱりと言い切った

ねえやさんが 蚊取り線香を持って来た

父と母の顔を見比べて そっと私は立ち上がり
滑るように縁側を降りた
庭木戸を開け 一目散に駆け出した

近所の防火貯水池の土盛りの上に立った
おぼろげな理解
〝ギブミイ〟への父と母の怒りが
沁み入るように胸にひろがった

池の渕に 幾つものカンナの花が咲いていた

昏れゆく陽射し 池の水面に カンナの花が映り
小石を投げると
カンナの朱がめらめらと
空襲の夜の炎のように揺れた

(終)

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公開 その時 カンナが咲いていた④ ~ ギブミー チョコレート ~

ギブミイ騒ぎに「掛け合って来る」
と 怖い顔をして出て行った父は
夜になっても戻って来なかった
そして 夕餉の膳に
父の箸 茶碗が置かれて無い何故か
何なのか 大事な事が起きたのか
父がどうかしたのか
尋ねたくても母の緊張しきった張りつめた面持ちに
私は一言も切り出せず 食事も早々と終え
胸の中がモャモャのまま
その晩 まんじりともせず寝つかれなかった

翌朝 登校すると クラス中の話題が
ケンちゃんチ(私)の事件を 中心に沸騰していた

「ケンちゃんチのオジサンがアメリカと喧嘩した」
そして
「ブタバコに入れられた」と幼い級友たちの噂話が
父に関する私の知らぬ真相の核心を明らかにしたが
帰宅してもその真偽を
母にも ねぇやさんにも 聞けぬままに
幼なかった私の心には しこりが澱んでいたものだ

忘れるともなく忘れていた
ギブミイチョコ騒動から 時日が経過して
その日は 後から気がつくと 八月十五日だった

「旦那さんが いらっしゃい って」と
女中さんに告げられ 茶の間に入ると
何故か 盆提灯が飾られて
緊張した面持ちの父と母がいて
固い雰囲気が 張り詰めていた

父は「そこへ お座り」と言ったきり
しばし 押し黙っていた
母が ぎこちない仕草で 盆提灯の蝋燭に
マッチで火を灯した
それをきっかけのように
軽く咳払いをした 父が話し始めた

「今日は 田舎の お盆だ」
と切り出した父が
こみ上げる思いを抑えるかのように
かすれた声で 語り出したのは
【東京大空襲】痛恨の惨禍についてだった

東京大空襲の未明
自宅の類焼をまぬがれた父は
出入りの職人さんたちの生死や安否を知るべく
必死に自転車を漕ぎ 浅草に向かった

隅田川を挟んで対岸の向島に着き望見すると
浅草松屋百貨店の各階から火柱が吹き出していた
渡るべき橋の何処もが と言いかけて
父は 吐き出すように咽び泣いた
「ほとけさんが……
言い方悪いが ほとけさんがごろごろと…
…切ない…ね…ご遺体がご遺体が……だ
真っ黒焦げになって、だ、 ぞ、建二っ
道をふさいで……いたっ」

(つづく)

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その時 カンナが咲いていた③ ~ ギブミー チョコレート ~

そして思い切って一枚全部を口に入れた
恐る恐る噛むと だんだん味が薄くなるのが
心細かったが 私は 味がなくなった分
大胆にクチャクチャ噛みながら
この初体験の自慢話をしょうと
家に帰ると 店へ廻り『ただいまァ』と
父に声をかけた

「お帰りぃ」
「建二 何食べているんだぃ」
「道々 歩き歩きでものを食べてはいけませんょ」
父の言葉をさえぎって 待ってマシタと私は
〝チューインガムを クチャクチャやると
歯磨きになる エーセーにもイイ〟
と力説シタものだ 

『それでサァ アメリカさんはサ』と続けた
『虫歯が無しで 大きく成れるンだってサ』
と コマッシャクレタ変な能書きも並べたてた

「フーン」と父は 半ば呆れ
感心したかのようでもあった

「そのチューインガム 高いのかぃ?」
「どこで買ったんだぃ?」と父に尋ねられて
調子に乗った私は 本日の出来事
アーメン幼稚園での成果の 一分始終を
得々と喋り出した

得々と喋る私の話の佳境というべきか
アメリカ兵が ガムやチョコを放り投げた話に
及ぶと にこやかだった父の顔付きが一変した

「お前! 拾ったのかっ!」
「アメ公! 地面に投げたのかっ!」
凄まじく怒り出した父の形相に気負わされ
私は声を呑んで コックリと頷いた

間髪おかず 父の拳骨が飛んで来た
よろめく私の腕を掴んで
二発目の父のゲンコが私の顔面に炸裂した
店番のシズちゃんが「旦那さぁーん」
と止めに入った 

大声で泣き叫ぶ私の騒ぎに
母と女中さんが奥から飛んで来た

「お父さんはまったく手が早いんですから」
「子どもの言い分を
 良ぉく聞いてやって下さいましな」

母の仲裁に力を得て
私は泣きくじゃりながら事の顛末を告げた
ところが ガム拾いに話が及ぶと

「お黙りぃっ!」
鋭く母が言った
「乞食は ウチの子じゃありません!」
「口から出しなさいっ!」
と 母に頬をツネリ挙げられた
ガムを吐き出して私は
『ガムは 口に入れとくモノなのにー』と
抵抗を試みたが
「恥知らず!」と 母に一喝された

母は先年九十三才で亡くなったが
烈火の如き怒りを露わにしたのは
後にも先にも あの時だけだ

「拾って食べて良いのは 節分の豆だけっ!」
「武士は食わぬど 高楊枝!」

立て続けに飛び出す 
母の小気味良い啖呵の連発に
ドキマキしながらも 私は
言葉の意味がワカラナイと最後の抵抗をした

「腹は減っても ヒモジュウナイ!」
『ワカラナイょ ウチはサムライじゃなくて
 アキンドでしょ』
「ナマ お言いでない!」
母からも 平手打ちが飛んで来た

母は衿元を直して 父に向き直り
頭を下げて言った
「お父さん申訳ございません
 私の躾方が悪うございました」
父は小さく頷いたあと
「掛け合ってくる」と店を出た 

目の前の交番から出て来たお巡りさんの制止を
振り切るかの様子でもあった

母は 店の前に立ち続け
父の後姿を追うようにして
何度も何度も小さく 頭を下げていた

~ その晩 父は帰宅しなかった ~

(つづく)

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その時 カンナが咲いていた② ~ ギブミー チョコレート ~

カッちゃんの情報を整理すると こうだった

我が家から1.5㎞程離れた所に
今 アメリカさんが
アーメン(キリスト教)の幼稚園を建てている

そこへ○曜日に来るアメリカの兵隊が
集まった子供達に
チョコレートとチュウインガムを 
ジープの上から放ってクレルというのだ
従って人数の増加は好ましくない 

「シミツ(秘密)だょ」
と カッちゃんは言った 

「ソンデモッテさ ソン時にはサ」

「ギブミィ チョコレート!とかサ」
「ギブミイ チュウインガム!ってってサァ」 
「ミンナ口揃えて エイゴで
ゴアイサツするんだ」と カッちゃんは
細かな指南もしてくれた

「ダァレニモ 内緒ダカンネ」
と カッちゃんに念を押されて
私は 父や母にも内緒で当日を迎えた

やがて○曜日『ギブミイ チョコレート』
『ギブミイ チューインガム』
私は あたかも念仏か 呪文のように
道々 小さく声を出して 唱えながら
チョコ ガム獲得に?出向いたものだ
   
道幅6m 駅から約2㎞の道程が
荒川の土手に行き着くまで両側は
びっしり大小の商店が 立ち並び
その商店通りから やや奥まって
バタヤ部落と賤称されたあたりが
後年の 愛恵学園建設地であった

既に 数十人の子供達が

ガヤガヤと集まっていた

やがて しばし 現れたアメリカ兵が
もったい振った 大げさな身振りで
ジープの後部に乗った

私もふくめ子供達が一斉に
「ギブミイ チョコレート!」
「ギブミイ チユーインガム!」
と 囃し立てた
三人のアメリカ兵は 大きく両手を広げて
静かにというような ゼスチャーをした

そして次にシーンとなった私達子供に向って 
指揮者のように片手を振り下ろした

またまた子供達は 黄色い声で絶叫するように
「ギブミイ チョコ!!」
「ギブミイ ガム!!」と
声を揃え大歓声を上げ続けた


ギブミイチョコレート!
ギブミイチューインガム!
子どもたちが振り絞るように大声で叫ぶと
ジープの幌 すべてが外され
仁王立ちのアメリカ兵3人が
片手を挙げたり 両手を拡げたりして
子どもたちの叫び声と静粛とを自在に操った

喜色満面のアメリカ兵は
それを 何度も何度も 繰り返した後で 

やっとガムやチョコを 放り投げ始めた
子どもたちは 嵐のような嬌声を挙げて
右往左往ぶっかりあい もうもうと砂埃り
砂塵が舞いあがり 大混乱になった

私も駆けたり 転んだり やっとの思いで
2枚のチューインガムを拾って
ポケットに入れた

銀紙に包まれた2枚のチューインガムを

ポケットから そっと出したり入れたり  
見つめたり溜息をついたり
たまらなくなって私は 帰りの道筋
鳩ポッポのいるお不動様の境内に入った

銀紙をあけ 寄って来た鳩を追い払い
ほんの少しだけチューインガムを折って
口に入れてみた

ガムは 紙芝居で買う昆布
駄菓子屋のニッキとは 比較にならない
それはもう 天国の味だった

(つづく)

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