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2014年1月

戦後下町のど自慢 ~ 島倉千代子 美空ひばり ~

江戸っ子 特に下町っ子は「駄洒落好き」
土壇場でも切羽詰った急場でも
ダジャレを連発する
それが まぁ「オッチョコ チョイ」と
評される由縁でもあるのだ

敗戦後 東京大空襲の焼け跡
ガレキの山が片付かないその頃に
あちらこちらの町内で
競うように「のど自慢大会」が開かれた

「オレッチも 一発ヤラナケリャ
顔がタタナイ」とワガ町会も
オジサン達が協議開始
ウチの呉服屋店先と
隣家の町会長「ジイ バァ」宅が
会議場?で 小学生の私は
常に野次馬見物が出来た
『米』『酒』『衣料』が配給制
極端な物資欠乏の時代でもあった 

「○○町は一等賞に酒1本」
「闇酒かょ甘酒かょ」
「サケは塩味!」
「鉄管ビールっぅ手ヮ」
「◎◎町はミーンナにキャラメル」
「豪勢だナ コチトラ銭が無い
スルメじゃドウダイ」
「ヨソじゃスルメー 如何か」etc~
ガレキの片付け 町内廻りの寄付集め
シャカリキ大童で 開催の段取りに
なった舞台は丸太で高さ3m弱の屋台に
鳶職が組立て 天井は天幕
壁はヨシズ張り 伴奏はアコーディオン
(手風琴とも言った)のみ
スタンドマイクが1個でも有れば
上々級だった

マイク アンプの音響が悪い
音が割れるので 慣れた歌い手は
マイクをオフにして今風に言うなら
アカペラで唄い 拍手喝采を浴びたものだ

何しろ《1等賞生卵15個》
《2等賞バナナ2房》を受賞?した姉弟に
「ヨッ親孝行!」と大向うの掛け声が
飛んだ時代だ
観客は立ちっぱなしだが
どこもかしこも超満員だった

この「素人運営」の
「素人のど自慢大会」を渡り歩き
或る意味修業した後年のスターが
「美空ひばり」や「島倉千代子」だった
その島倉千代子の「この世の花」が
思わぬ所で 思いがけぬ
私のひとつ噺になった

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秋の園遊会 ~ おぼろ絞り訪問着・由紀安田姉妹 ~

由紀さおりさん安田祥子さんお二人に
きものひらさわが「訪問着」を
お買い求め頂いた
お二人お揃いとの御希望だったが
敢て 同じモードで異なる柄模様をと
相反する難題を 凝り性の店主 私が
選択したお奨めが 大成功で
諸処からも好評を戴いた

《忙中閑》の二十日正月 
沢山頂戴した 賀状と寒中見舞い とを
改めて読み直した
由紀さおりさんからの お便りもあった
「園遊会で 姉と二人で 着せて
頂きました」と記されてある
例の《素敵な おぼろ絞りの訪問着》の
事なのだ

Yukiyasuda


秋の園遊会では天皇陛下から
御声掛があり テレビを観た方々が
「流石の由紀さんも緊張気味だったわ」
「素敵! あの絞りの御着物」と
嘆声と讃嘆を聞かされ
私は少なからず鼻高々だった

由紀さんとは 私が経営の
信州白馬《古民家宿》に
安田姉妹お二人が旅番組レポーターで
お出でになったのが初めての
出会いだった

撮影当日は 予約御断り
全館空室の筈が テレビ局の手違いで
撮影が一日遅れになって
御宿泊客3組様が ご滞在となり
『撮影の支障にならないか?』が
私の心配だった
案の定と言うべきか 由紀さん安田さんに
初対面のご挨拶を済ませて
私がオーナー室で休憩をしていると
ケタタマシイ声がした
「オネェチャン!」
「おねぇチャン!」
「お姉ちゃん!」
「ネーネッ オネェチャーン」~ ~~
ヤッパシィと 私は若いスタッフを呼んで
ゲンメイした
『ちょっと あの賑やかなお客様を』
『撮影中は』
『隣りの神社見物にでもお連れしなさい』
戻って来たスタッフが
キワメテ言い難くそうに言った 
「アノーゥ」
「あのオネエちゃん」
「お姉ちゃんって騒いでる方」
「由紀さおりさんデス」
??!……? !

14011801yuki


珍しい古民家宿の所蔵品あれこれを
童女のような声を挙げて由紀さんが
お姉様の安田さんを呼んでいたのだった

天真爛漫のような由紀さんも
辛いご病気をされた経験があり
人生の屈折も経験され
歌手としての浮沈も又経験されているが
何度も何度も不死鳥のように復活された
そして 奇跡のブレーク!

昨年は あの透き通る歌声で
パリ サンクトペテルブルグ
ロスアンゼルス 北京 と
世界中の人々を 魅了した
デビユー45周年に 心を込めて
拍手を送ろうと思う

4月11 12 13日
六本木シァターでリサイタルをされる
[ 猿之助プロデュースの異色公演 ] 
満幅の期待を寄せたい!


――――――――
[きものひらさわ 全力応援です] 
お出掛けご希望方 お電話ください

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有難う

生まれて初めての短歌(のようなもの)を
つくって 年賀状に書いた

「生き生きと 生きていたいと思う朝
ひとり静かに ベットより起つ」
手が利かないので
パソコン頼りなのだが
印刷中ふと気がついた
~ひとり静かにベットより起つ
などと気取っても 実情ではない

私は毎朝 幼稚園児みたいに
オキガエをしてもらい
ハーミーを手伝ってもらい
自分ヒトリでオカオも洗えない
シタガッテ猫以下
三毛やタマにもオトル能力だし
ペットほどカワユクナイのも自覚セニャ!
そうなんだョナァ~と 急遽反省した後
「生き生きと 生きていたいと思う朝
支えを借りて 車椅子に乗る」に
直した~ ~

平成元年9月
私は運転中の車を停車したが
正面から衝突され 頸椎4ヶ所を損傷した
翌年4月 頸椎手術
「首の骨を一旦バラバラに~」と
説明されて ほぼ絶望の心境だった
手術はバラシタ首の骨と骨の間に
腰部腸骨を切出して3ヶ所に埋め
ステンレスで固定
整形外科とは ヨクゾ言った
マサニ整形→大工仕事
手術名は「前方固定術」だった

手術後は重量1㌔の砂袋10個で
:頭部と肩と腰:を抑え
24時間中仰向寝に固定された
ビー玉大の痰の排出に約一日間
絶え間なく咳が続く苦痛
睡眠出来ぬ圧迫感は その後
波状的に襲われる激痛と痙攣と
一種異様な痺れの連続に
肉体も精神も苛まれた

面会謝絶中をスリヌケ
近隣の歯科大医局員だったK君と
後輩達が 昼食 夕食時間に
「餌付けデース」と来てくれた
スプーン ストロー スイノミでの
流動食と言えども 仰向け寝のままでは
『流し込むのも辛いノダ』と
変な実感をした(ヘッドホンもダメ
新聞もダメ)の私に
食後最高のデザートは K君達の
他愛のないお喋りだった

Nenga2014

砂袋固定はそのままだが
一ヶ月後ベットが35度に起こされて
窓の外を涙目で見詰めた
床ずれにもなった
若い担当医に けいれん止めの麻酔を
注射され 血圧が急低下した
多分天国の入口あたり?
藤色のもや 菜の花色のかすみ の傍で
行きつ戻りつもした

面会謝絶が解けたが
ベット状態変更ナシで お見舞の方々は
ベットの足元に起立し会話
つまり私は 殿下か閣下モード
失礼千万だが お見舞客との会話は
黄金の一刻だった

弁護士O先生に日々のメモ代りに
「俳句をつくったら」と勧められ
その気になった

5月「病床を覗き揺るるや胡蝶蘭」
6月「病棟のまちまちにして衣更え」
7月「介添えの腕汗ばみて大暑かな」など
40位の(俳句もどき)が出来たが
8月『ヤーメタ』にした
初心者の下手な作句は仕方ないが
自分ながら腹立たしいのは 
どの句にも 日夜の激痛や痙攣
異様な痺れが表現出来ていない
そして何よりも もどかしいのは
どん底逆境の 私を支えている
人 心 情の温もりを表せない
切なさだった

年賀状の『支えを借りて』では
言い尽くしていない 
今 私は 目一杯な支えがあって
やっとやっと 日々を暮している

言い尽くせぬ『有難う』を心に銘じて
本年を過ごしたい

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