戦後下町のど自慢 ~ 島倉千代子 美空ひばり ~
江戸っ子 特に下町っ子は「駄洒落好き」
土壇場でも切羽詰った急場でも
ダジャレを連発する
それが まぁ「オッチョコ チョイ」と
評される由縁でもあるのだ
敗戦後 東京大空襲の焼け跡
ガレキの山が片付かないその頃に
あちらこちらの町内で
競うように「のど自慢大会」が開かれた
「オレッチも 一発ヤラナケリャ
顔がタタナイ」とワガ町会も
オジサン達が協議開始
ウチの呉服屋店先と
隣家の町会長「ジイ バァ」宅が
会議場?で 小学生の私は
常に野次馬見物が出来た
『米』『酒』『衣料』が配給制
極端な物資欠乏の時代でもあった
「○○町は一等賞に酒1本」
「闇酒かょ甘酒かょ」
「サケは塩味!」
「鉄管ビールっぅ手ヮ」
「◎◎町はミーンナにキャラメル」
「豪勢だナ コチトラ銭が無い
スルメじゃドウダイ」
「ヨソじゃスルメー 如何か」etc~
ガレキの片付け 町内廻りの寄付集め
シャカリキ大童で 開催の段取りに
なった舞台は丸太で高さ3m弱の屋台に
鳶職が組立て 天井は天幕
壁はヨシズ張り 伴奏はアコーディオン
(手風琴とも言った)のみ
スタンドマイクが1個でも有れば
上々級だった
マイク アンプの音響が悪い
音が割れるので 慣れた歌い手は
マイクをオフにして今風に言うなら
アカペラで唄い 拍手喝采を浴びたものだ
何しろ《1等賞生卵15個》
《2等賞バナナ2房》を受賞?した姉弟に
「ヨッ親孝行!」と大向うの掛け声が
飛んだ時代だ
観客は立ちっぱなしだが
どこもかしこも超満員だった
この「素人運営」の
「素人のど自慢大会」を渡り歩き
或る意味修業した後年のスターが
「美空ひばり」や「島倉千代子」だった
その島倉千代子の「この世の花」が
思わぬ所で 思いがけぬ
私のひとつ噺になった
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