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なぎら健壱さま ~ ライオン看板 ~

お会いした折に 様ざまな想いを
お話し申上げましたが
このライオン看板は
昭和二十三年の建造で 今や
東京都内では 唯一にして
最大級になりました
それは ひらさわ呉服店の
いささかならぬ自慢であり
誇りでもありますが それ以上に
敗戦後一面焼け野原になった
下町の苦渋の暮しから起ち上がった
父や母の世代の人々の
苦闘の歩みを知る形見であり
記念碑とでも言うべき店看板として
私自らの想いをも込め
その保存に心しておるのでございます
この度 なぎらさんが テレビ撮影での
ご来店の際し お目に留められた上で
後日 わざわざ天候を選び
お一人で撮影にお出で下さった
お気持ちとご縁はまさしく幸いの一語に
尽きるものと所存しております

繰り返し様々な機会を得て
語っておりますが 
昭和二十年三月十日 アメリカ空軍の
東京大空襲で非戦闘員焼死者
十万人を超え 下町は全てが灰塵に帰し
家無く 食無く 職を失う悲惨な状況下に
敗戦でした
敗戦後 銀座四丁目角
(和光)服部時計店は
アメリカ占領軍のPX(売店)で
その前面道路に 昼日中から
パンパンと呼ばれた売春婦がたむろして
おりました
風俗も治安も荒んだ東京下町が幾分か
落着き ポツポツとバラック小屋の商店が
建ち並び 人々が職を定め懸命に
働きだしたのが 敗戦後二~三年後の
事でした
やがて その商店の看板に
後に「ライオン看板」と称された
トタン看板が
諸所方々に立ち上げられました
「ライオン看板」とは建物前面のみが
看板で立派 後方は貧弱な状態ままで
ライオンのたてがみのようだと
諧謔を込めた東京っ子らしい
ネーミングです 
当時の商店主達は 朝七時頃には
開店し 閉店は夜間の九時頃
食事時間を
惜しむかのようにひたむきに働き続け
明日への暮しに希望を託してました
「働けばお天道様と 米の飯は
付いて来る」
その素朴な 然し確固とした人生観は
切なく辛い時代を生きる庶民の智慧で
なぎらさん撮影の「ライオン看板」の
写真上部に拡がる青空の構図に
私は未来を夢見た「あの時代の暮し」を
重ね合せ ひとしおの感慨を抱きました

Nagira

二〇〇八年 公的な援助も含め
ライオン看板移築保存に
苦心をいたしました
残されて少ない私の人生の後
ライオン看板も消え行く経緯とは
思いますが
なぎらさんの鮮やかな写真に依り
ライオン看板の雄姿を後々に
伝えることに安堵する想いを得て
今 心から幸いなご縁を頂いたと
存じております

平成二十五年十月十四日
ひらさわ呉服店 平澤建二

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