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2013年4月

屈辱の日に

私の父母の世代の人達は
親しみを込めて 昭和天皇を
天皇さん」と呼んでいた
大東亜戦争 世界第二次大戦の
開戦も 終戦も 天皇の勅語を
拠りどころとしていた

現人神とされていた天皇が
痛恨の反省から 人間宣言をなされて
戦後荒廃した焦土の
日本国内各地を巡幸され
時にぎこちない所作の昭和天皇と皇后の
精一杯な御激励が 
敗戦で打ちひしがれた国民の
アィデンティティを呼び覚まし
国民の復興への意欲を
燃え立たせたとも言える 

その昭和天皇が 終生お気になされて
晩年御歌にも詠まれたのが
『沖縄』であった

沖縄は敗戦直前 空爆 艦砲射撃
火炎放射 砲撃による
激烈な地上戦の末に 迎撃の日本軍も
沖縄県民も掃討され 地形が変わり
ひめゆりの少女 年寄り 子供達などの
非戦闘員9万人を含め 戦死者約20万人
悲惨な終局を迎えた

そして その沖縄は
サンフランシスコ講和条約締結時に
祖国日本と切り離された
アメリカ軍の軍政は沖縄返還迄の
20年間の長期に亘り
その間沖縄の人々は異国支配の苦渋と
辛酸の日々をかさね
アメリカ軍占領体制下の暮らしを
強いられていた

これらがまさに 講和条約発効日を
沖縄の人々が『屈辱の日』と呼ぶ
所以なのだ

講和条約発効から61年目
折り目節目でもない本年
唐突に 独立記念日式典だと
居丈高に言い募る安倍内閣の姿勢に
私は 心の底から不快感を抱くが
その上さらに この日の式典に
天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぐとは
一体 何なのかと 理解不能だ

昭和天皇が寄せておられた
沖縄への篤い御遺志には
聊かならぬ痛惜もあられた筈だ

平成即位以来の 天皇皇后両陛下の
御姿勢は 天皇家の負の部分についても
戦争被害についても
誠実に向き合ってこられたと拝して
私は尊敬申し上げているが
両陛下の従前からの御姿勢と
平成25年4月28日式典御出席は
著しい乖離がある

沖縄県民の心情を切り捨て
国論が全きでない式典に
天皇皇后両陛下の御臨席を
仰ぐべきではない
悔いを千載に残すことになると
私は考え信じる

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