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2012年7月

ちい散歩 ~ 483枚の絵手紙展 ~

《ちい散歩ライオン看板》
《ひらさわ呉服店ライオン看板》
《銀座ライオン》   三題噺ではない

ちい散歩 地井武男さんの
≪遺作 絵手紙展≫が
銀座Mデパート9階で開催中
483枚全作品が初日に完売と
テレビ番組で知った
翌日は通院日だっ
デ モッテ ♪チョウハン何れかと
心中ヒソカな計画を思いメグラセた

前回診察は3時間待ち
グッタリだったが 当日は 天佑か!
神様の思し召しか!
待時間ゼロのトントン拍子だった
シメシメと内心ニコツキ
表向きはゴクゴク サリゲナク
事前に『地井さん絵手紙展』の話題を
車椅子運転手K君にフッテオイタ

ブロック注射
―整形科&薬物発疹―皮膚科&点滴の
全行程? 終了午後1時半
通常より約2時間も早い
ヤッタゼ ホイホイである

『アノサ時間早いから
ちい散歩絵手紙展へ行こーょ』
「体調は どうなの」
『良い訳ネーダロ病院に来てんダ』
『目下ノ懸案ニワ』
『体調問題関係ナイジャン』
『余り時間の有効活用!』
『アノネ』
『今日銀座へ行かないで』
『明日ワタシがシンダ場合コーカイするょ』
Etc~Etc~結果=『キャッハ』
『ヤッターッ』
『アリガトサン』
交渉成立満額回答!
銀座へ出発
ヒゴロ私はココロガケがヨイのダ

銀座Mデパート9階催事場で驚いた
横並び5人が延々長蛇の列で
《ちい散歩 絵手紙展》入場には
2時間半待ちと聞かされたー
待時間はココロガケの問題ではない!
のダが 世の中 諦め切れない
ダメの場合がアルにはアル
イササカならず残念!

Tii2

「折角だから 銀ブラして帰ろう」とK君
『ご自由にドーゾ』と言いたいが
私は車椅子囚われの身だ
「何食べる」と聞かれても囚われの身だ
『ナンデモ』と答えるしかない
連れて行かれたのは
≪ビァホール ライオン≫だった
「学生時代と医局時代に
ヒラサワサンに2度連れて来て
もらったょネ」
『忘れたょソンナ大昔』だが
ライオンは昔のままだった
サッシ窓が 時代の先端だった
昭和29年築と壁に刻まれている
思いなしか客層も
近頃の調子ッ外れ
バカ笑い連中がいない

塩焼きそば~等
変わらぬ昭和のメニューをオツマミに
黒ビールジョッキ半分をアテガワレて
それでも久しぶり満喫感で快い
ご機嫌の私は 結局K君にノセラレ!
車椅子にも乗せられ
再びMデパート9階へ
アイスクリーム2と雑誌で
「オテ」「オスワリ」
待ち時間40分で入場

483枚の絵手紙展を観た
K君と意見一致の素人論評だが
初期の地井さんは雅趣ある『ヘタウマ』が
順を追い絵画的技巧上手~と
ひそひそ話合い~
究極《ひらさわ呉服店》ライオン看板の
絵にたどり着いたのは308枚目だった

Lion


ライオン看板の絵の前に
しばし立ち止まり
傍らのデパート店員に聞いた
『この絵は 私の店がモデルなので
お買上げになった方に
私のメモ的なメッセージを
お届け頂けないだろうか』
『当然ですが 先方様お名前などは
お聞きしなくて結構なのですが』
「かしこまりました」と店員
~やがてエラソーナ係がやって来て
~インギンに言った
「個人情報の関係で
お断り申し上げます」~

知らない街へ ふらりとちい散歩
知らない人に 親しげに話しかける
地井さん
見ず知らずの相手さんの顔には
マルイボカシの画像が入る
そのうちに
そんな世の中になるのだろうか

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ちい散歩 ~ ゆかたアロハ ~

「ちい散歩」 地井武男さんが
亡くなられた
「きものひらさわ」に地井さんが
取材撮影に来られたのが
2008年晩春のことだった
実直な好感もてるお人柄に加え
短いお茶飲み話の中で
当店番頭の奥さんと高校の同期生
昭和18年生まれ
私の妹とも同じ羊年と判った

一見茫洋 朴訥なと思える語り口で
スーッと相手の懐に入る
地井さんの人当たりは
端倪すべからざる資質
地味なようで 持って生まれた
対談名手だと感心したものだ

「ちい散歩」に『きものひらさわ』が
テレビ登場したのは 同じ年の
夏のことだった

「ちい散歩」放映当日『きものひらさわ』の
大ブレイクは 何とも凄まじく
今も語り草だ
その日「ちい散歩」テレビ放映を
店員一同と観るツモリで
午前10時開店をやや遅らせる
――ツモリがアマカッタ 甘かった
ヒジョウに甘かった 放映中から電話が
鳴りだした
「ヒラサワさんオゲンキそうで
ナニヨリでーす」
『どちら様?』
「四谷のK」小料理屋おかみ
「ケンジサン見タワ」
『どちら様?』
「○○ょ」
『エート』
「エートじゃないわょ六本木ぃ」
『▽△のママ?』
「ママじゃない ばばぁょ」~~
切ると鳴り 切ると鳴る
電話ベル!連続
知人&知人&旧知&旧知、、Etc
本音の所『後でユックリネ』の方ほど
長電話だった

「ちい散歩」の中で
地井さんがコメントでほめた
≪ゆかたアロハ≫に注文が殺到した
「柄は何でもいいから3枚送れ」と
箱根の方 三宅島の方から
注文電話があった
何でもいいと言う訳にはいかないだろうと
後日サンプルを送ったが
ナシのツブテ?だった
テレビ放映と同時に「コレーッ!」と逆上?
時間が経つと熱がサメル
(人騒がせ)族?がいる

T07


ちい散歩放映で
≪ひらさわオリジナル
≪ゆかたアロハ≫の知名度が
グングンと上がった
やがて(人騒せ)族が潮を引いたように
音信不通になり 代ってじんわり
本物志向個性派の方々がお客様になり
かなりな遠方からも
ご来店下さるようになった

地井さんに誉められた
≪きものひらさわオリジナル≫の
『ゆかたアロハシャツ』が 
かって大正~昭和初期に
ハワイへ移住した日系移民の人達の
困苦な生活の中から生まれた
アイデァなのだと言う逸話も折に触れて
ご来店のお客様方との
話題にさせて頂いた

T14


そしてもう一つ 忘れられない
「ちい散歩」の中での地井さんの
沁み入るコメントがあった
≪ひらさわ呉服店≫の
ライオン看板についてである

T16

 
「昭和18年生まれ
貧しい餓えた時代を知っていますよ」と
地井さんは言っていた
「ちい散歩」
きものひらさわ登場の場面の
エンディングに ライオン看板が
映し出された

貧しくとも ひたむきに働いて
戦後復興に起ち上がった人々の証し
≪ひらさわ呉服店≫ライオン大看板を
見詰めて 地井さんが言った
「いいなぁ この看板
真面目な職人仕事」

思えばである
その「いいなぁ~」は
「ちい散歩」でも 役者人生でも
地道に脇役に徹した 地井さんが
自らを言う 矜持であったのかも知れない

T20

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