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長良じゅんさん

長良プロダクションの長良じゅんさんが
急逝された
連休の始まり5月3日夜
ハワイでの事故を 電話で知らされ
一瞬私は 声を失った

時計の振り子のように
互いにつかず離れずのおつき合いで
半世紀以上が経つ

昭和29年 私の無二の親友山田真二が
映画スターとして彗星のように
デビューした
今なら さしづめスマップ以上の
人気スターになった山田眞二の
マネージャーが長良さん
当時名前を「長良淳」とされ
大手のプロダクション木倉事務所の
新人社員だった
マネージャーという言葉も役割も
定着していない時代だったが
長良さんは付け人の役割もこなす
二十歳そこそこの新人で
私より3歳下 若者に似合わぬ
気遣いの出来る人だった

坊ちゃん育ちの山田真二への苦言を
極めて上手に 私へのこぼし話で
迂回させたりもした

数年を経て「黒い花びら」で
一世を風靡した水原弘さんの
マネージャーになった
ここでは山田真二の坊ちゃん育ちとは
また別に やんちゃな水原弘さんに
苦労したようだ

歌える映画スター山田真二
「哀愁の街に霧が降る」
ロカビリー出身水原弘
「黒い花びら」は ともにレコードが
破天荒な売上げで
二人とも 一世を風靡し
スターの頂点に登り詰めた

Photo

当時のスターは 流行歌をステージで歌う
地方での実演興行が
必要条件でもあったが地方での興行には
今では信じられない位
土地土地のヤクザが絡んでいた
時代だった
時には身を挺し スターの名に
傷がつかぬようにするのが私の役目だと
長良さんの苦労話を聞かされたのは
長良夫人が経営する浅草のバーで
深夜酔客の帰った後でだった

頂点からすべり落ちるような
低迷のスランプが
山田にも水原さんにもやって来た

暗く切ない日々 水原さんは
荒れようもない辛そうな表情で
呷るように酒を飲んでいた

「君こそ我が命」
川内康範作詞で水原弘再起の
リサイタルがサンケイホールであった

山田と二人で出かけると
休憩時間に長良さんが客席に来て
ロビーに誘われた
「君こそ我が命」をどう思うかと
山田君を差し置いて
私に感想を求めるのだった
『音は判りません ただ詞は
「君こそ我が命」も「黒い花びら」も
恋する男の心をギリギリの処で歌って
異なるようで同じに思えます
キット成長路線になるでしょうか』と
答えると 
長良さんは両手で 私の手を包み
お辞儀を繰り返した
素人感覚が=買手感覚と考える
長良流のリサーチだったらしいのだ

やがて 浅草のバーで
水原さん長良さんに
出合うことが無くなった
切なく しみじみと 男心の哀歓を
歌い上げた 水原弘の「君こそ我が命」が
大ヒットになって
水原さんも長良さんも二人ともが
超多忙になったのだ

ある晩 旧友の藤本君と
浅草のバーに出掛けた
新東宝の女優さんだったママの
長良夫人から「オミヤゲーっ」と
手渡された
小さな山葵漬けの箱の上に
《 君こそ我が命 水原弘 》と
サインがしてあった

言うまでもない
≪長良じゅんさんの 気配り≫だったに
違いない

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