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2012年5月

長良じゅんさん

長良プロダクションの長良じゅんさんが
急逝された
連休の始まり5月3日夜
ハワイでの事故を 電話で知らされ
一瞬私は 声を失った

時計の振り子のように
互いにつかず離れずのおつき合いで
半世紀以上が経つ

昭和29年 私の無二の親友山田真二が
映画スターとして彗星のように
デビューした
今なら さしづめスマップ以上の
人気スターになった山田眞二の
マネージャーが長良さん
当時名前を「長良淳」とされ
大手のプロダクション木倉事務所の
新人社員だった
マネージャーという言葉も役割も
定着していない時代だったが
長良さんは付け人の役割もこなす
二十歳そこそこの新人で
私より3歳下 若者に似合わぬ
気遣いの出来る人だった

坊ちゃん育ちの山田真二への苦言を
極めて上手に 私へのこぼし話で
迂回させたりもした

数年を経て「黒い花びら」で
一世を風靡した水原弘さんの
マネージャーになった
ここでは山田真二の坊ちゃん育ちとは
また別に やんちゃな水原弘さんに
苦労したようだ

歌える映画スター山田真二
「哀愁の街に霧が降る」
ロカビリー出身水原弘
「黒い花びら」は ともにレコードが
破天荒な売上げで
二人とも 一世を風靡し
スターの頂点に登り詰めた

Photo

当時のスターは 流行歌をステージで歌う
地方での実演興行が
必要条件でもあったが地方での興行には
今では信じられない位
土地土地のヤクザが絡んでいた
時代だった
時には身を挺し スターの名に
傷がつかぬようにするのが私の役目だと
長良さんの苦労話を聞かされたのは
長良夫人が経営する浅草のバーで
深夜酔客の帰った後でだった

頂点からすべり落ちるような
低迷のスランプが
山田にも水原さんにもやって来た

暗く切ない日々 水原さんは
荒れようもない辛そうな表情で
呷るように酒を飲んでいた

「君こそ我が命」
川内康範作詞で水原弘再起の
リサイタルがサンケイホールであった

山田と二人で出かけると
休憩時間に長良さんが客席に来て
ロビーに誘われた
「君こそ我が命」をどう思うかと
山田君を差し置いて
私に感想を求めるのだった
『音は判りません ただ詞は
「君こそ我が命」も「黒い花びら」も
恋する男の心をギリギリの処で歌って
異なるようで同じに思えます
キット成長路線になるでしょうか』と
答えると 
長良さんは両手で 私の手を包み
お辞儀を繰り返した
素人感覚が=買手感覚と考える
長良流のリサーチだったらしいのだ

やがて 浅草のバーで
水原さん長良さんに
出合うことが無くなった
切なく しみじみと 男心の哀歓を
歌い上げた 水原弘の「君こそ我が命」が
大ヒットになって
水原さんも長良さんも二人ともが
超多忙になったのだ

ある晩 旧友の藤本君と
浅草のバーに出掛けた
新東宝の女優さんだったママの
長良夫人から「オミヤゲーっ」と
手渡された
小さな山葵漬けの箱の上に
《 君こそ我が命 水原弘 》と
サインがしてあった

言うまでもない
≪長良じゅんさんの 気配り≫だったに
違いない

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白馬岳の遭難事故

白馬岳の遭難事故に心が痛む
東京生まれの私だが
白馬は古里のようなものである
遭難事故のあった 栂池から
白馬大池を経て 白馬岳へのルートは
ある意味で難しいコースではない
栂池高原 雷鳥の生息する
ハイ松の森林限界点から
神の田圃と呼ばれる
高山植物群落を経て
山上湖の白馬大池へ
白馬大池の山小屋から始まる
峨々として切り立つ尾根道は
右に富山 左に長野の県境であり
両サイドを見はるかす
ときめく絶佳な山岳風景が連続する
アップダウンの魅力的な
山歩きのコースだ

かって私は夏山のシーズンに
経営するペンションKENや
古民家宿かやぶき茶屋へ宿泊の
お客様を 時折りご案内かたがた
ご同行の登山をした
くどい様だが 難コースではない

遭難事故直後 テレビ新聞のニースは
右へならえで 登山者の軽装備に
非を鳴らしてた
コメンテーターも識者なる連中も
一斉に夏山支度の服装と
非を鳴らしていた
私は『そうだろうか』の疑念が
頭を離れないので ツイッターにも書いた
むしろ≪装備荷重≫の負担の方が
大きかったのではないかと
考えていたのだ

案の定と言うべきか
遭難者の遺品が発見され
ザック中には 冬山用の着衣が十分に
収納されていたと これは新聞に
小さく報道された(私の知る限り
テレビの報道はなかった)

右へならえ ネタ元一緒 論調オナジ
検証ナシ 自前意見を
評論家コメンテーター任せ
メディア報道=馬鹿雷同
受け売り評論の悪しき側面が
またもや露呈した
不注意不用意と蜂の巣つつく報道を
された 反論出来ない故人(或は個人)の
名誉をどう考えるのだろう

群がるヤジウマメディアに対して
ご遺族が「仏をそっとしておいて」と
きっぱりコメントされたのは
見事な「見識」でもある

蛇足を付け加えるが
天気予報を十分確かめてとの報道も
やや的外れでもある
差別語になるが
「山の天気はメッコ飯」と言われていた
―下(里)が焦げ(晴れ)ても
上(山頂)は グチャグチャ 手が出ない
見えない―の例えだ
天気予報は広範囲で
ある山を特定は出来ない
特定の山の天気を或る程度
予測出来るのは 土地の古老以外には
ないのだが その予報ツールを登山者は
知らないのが 現今だ

出会いの人人のつながり
出会いの他人から得られる
個の貴重な情報が稀薄になった「旅」
旅の遭難は ひょっとして
「マス」「メディア」が遠因かもしれない

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