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2012年4月

この夏 粋 粋 絞りの浴衣

花冷えどころか 肌寒い
葉桜並木に蝶が舞う 皐月晴れの空が
待ち遠しい

きもの商いは 四季折々に寄り添って
季節風情の先取りが大事と
教えられている
キヤッチコピーを 作らなきゃ~ と
頭をひねってても
背中をガスストーブだょ

『天下二枚 祭ダボシャツ オリジナル』
一反から同柄2枚のみを作る
ひらさわオリジナルのダボシャツ
天下の二枚目に 掛けたつもりでもある

昨年バカたれが 自粛々々と言い立てて
祭りが アチコチで中止になった
祭は神事だ 盛大にやろう!
祭りは 忌を祓い 運を祈願するのだ
【起ち上がる幸先にケチを付けた
痴事(石原)は相手にするな】
『粋なダボシャツオリジナル
他人と同じは野暮なシャツ』言い過ぎかな

『振り向いて 藍 本染め浴衣』
『藍』は【大国主命が藍衣を着ていた】と
古事記の記述されているそうだ
それほど『藍』は 日本人の感性に合い
日本的な『和』そのものの優れて
《粋な味のある色彩》でもある
ところが近年 東京本染が
壊滅的に少なくなった
『藍』の孤塁を守る近県の本染を
ひらさわの暖簾にかけて
今夏は 集めた

『「嫌いなんだょ」外国産のプリント浴衣』
プリント染を浴衣の名で売るなと言いたい
率直に言ってプリント染浴衣は
マガイモノなんだから!
プリント染をデパートもチェーン店も
ユニクロでも=浴衣として売ってるが
オカシカナイデスカ アレッテ
浴衣マガイなんだ

つい先日 通院の道筋で
ラーメン店の行列を見て唖然とした
看板メニューにデカデカと書かれてあった【味噌カレー牛乳入りラーメン】
店もバカなら 客もバカ
日本人の節度も感性も
ここまで下品になったかと
呆然たる思いだった

度の過ぎたブランド志向も野暮下品だが
本物偽物の御見分け目利きお手伝いが
商人の節度と心して
この夏 商いに励みます

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昭和がまたひとつ消えてゆく

東京新聞3/27
≪ 足立のライオン看板二つ ≫と
大きな記事が載った

昭和が また ひとつ消えて行く
足立区千住に《やりかけ団子》という
お店がある
芭蕉が 奥の細道へ旅立ちの千住宿
旧日光街道沿いに 築140年の
団子屋さんである
3.11の震災で建物が揺るぎ
建替えをなさる
それを東京新聞の記者が
取材に出向いた
店はT字道の角にあり 都内では希少な
トタンライオン看板《やりかけ団子》と
掲げている― やりかけ ―は
宿場はずれに 大名行列の槍持ちたちが
槍を立て掛けて休む所である
~千住の別の場所に《槍掛け最中》の
店もあったが 数年前に
店仕舞いをした~

記者が やりかけ団子の店で
ライオン看板と呼称する意味を尋ねたが
3代目主人60代と若主人29才の
お二人とも「よく分らない」
「ただウチのより数倍大きい
ライオン看板が関原のひらさわ呉服店に
ある」と教えられ
東京新聞記者が当店に取材に来た

取材記者に ひらさわ呉服店の
トタン看板=ライオン看板について
語り出したのだが 延々3時間を越す
ロングインタビューになり
疲れは限界になったが私は話し続けた
それは 私が私の知る東京下町の
悲惨な過去を 伝えるべく
絶好の機会と捉えたからだ

ライオン看板は 太平洋戦争敗戦後
一面焦土に化した焼野原の東京下町に
建ち始めた
お粗末な家 バラック建築の店舗が
前面だけは立派に見えるトタン看板が
あたかもライオンのタテガミの如く
前は立派 後ろはダラシナイという
東京っ子の洒落であり
《大日本帝国》が瓦解
敗戦後の猥雑で混沌とした世相を
背景とした建造でもあった
その時代 東京に暮らす人々は
食べるもの無く 住むところ無く
着るものの無い誰もが皆 貧しく切ない
その日暮らしの生活だった

Photo

敗戦間際昭和20年3月10日
アメリカ空軍の無差別爆撃による
東京大空襲で下町は壊滅した
非戦闘員の死者焼死者10万人を超える
惨劇は 生き残った人々
ほとんどの身内知己だった

家を失い家族を喪った戦争孤児が
垢まみれボロ服ハダシ同然で
上野駅地下道に暮していた
手足を喪い汚れた白衣の傷痍軍人が
上野駅駅頭でハーモニカを吹いて
物乞いをしていた
上野の山は パンパン売春婦
オカマ やくざが横行して
視察の警視総監がオカマに殴られた
上野~御徒町のガード下は
おおむね日本人以外の人が占有
騒然とした闇市だった

西新井駅~西新井橋迄約4㌔
間口の狭い商店がびっしり立ち並んで
活況だった
どの店も7時半~8時開店
閉店は午後9時頃だった
「働かざる者食うべからず」
「働けばお天道様と米の飯は
付いて来る」と人々は必死に働いた
「天は自ら助ける者を助ける」と
その頃の人は自らを奮い立たせて
必死に働いた

―《ライオン看板》―は
生死を彷徨い 財産を失い
親兄弟を喪う どん底の窮地から
復興に起ち上がった人たち
見事復興を成し遂げた世代の人たちが
生き抜いた『証し』なのだと
私は信じています

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