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2012年3月

テレビ撮影

テレビ撮影 《きものひらさわ》
勢ぞろいの場
  
主役店主が車椅子
いささか心許ない:が:しかしである
脇を固めた名優連の 御見事なる
<即興台詞の数々を 次々連ねて
御披露申上げの段>
 <皆々様には ヨロシク御見聞のほど御願い上げ奉ります>
 
◆喜久江さま
御着物 本場大島紬《名工
都喜右衛門作》
「もう10代の頃からずーっと
ひらさわさんでだけ
きものを作っておりますのよ
ご主人をケンちゃん! ケンちゃんと
呼ばせて頂いて オホホホッ(笑)
難しい注文も気持良く聞いて誂えて
下さるので安心してお任せ
心の通う御商いでしょうか
若いころから着物が大好きだったんです
着物を着て帯を締めると どうでしょう
背筋が伸びて 心もシャンと致します~」

Photo

◆小谷さま
御召し物 ひげ紬
《炭白色 羽織着物一対》道行
共生地マフラー
「難しい色味を注文したら
ご主人探してくれました
上に着るコートはって聞いたら
道行をどうですかって
道行は女物でしょ?って言ったら
水戸黄門も着てますょって
一応見るだけ見せてもらって
着物の仕立出来上りを取りに来たら
リボンの掛った箱に道行が入っていて
女房から誕生日プレゼント!って事で
嬉しいサプライズでした」

Photo_2


◆阿部さま
御召し物 《羽織唐桟縞
着物ひらさわオリジナル》
「もともと僕は小さい時から
おばぁちゃんに連れられて
ひらさわさんによく来てました
そのおばぁちゃんが亡くなった後で
形見に おばぁちゃんの着物を
ぜひ自分が着たいと
ひらさわさんに相談したら
それでは 思い切って
派手な長い羽織を作りましょうと
仕立ててもらった長羽織と
それに合わせたこの着物の生地ですが
本当は壁掛けタペストリー用だったものを
ひらさわさんが探して 選んでくれました
着てみると 着物好きの玄人の方達にも
個性的だと大変好評でした」

Photo_3


◆FC東京 大金さま
御召し物 ひげ紬《濃紺地》    
「9年前 ひらさわさんから
お話があって《浴衣着てサッカー観戦》の
イベントを始めました
昨夏は浴衣姿約3000人の観客が
集まりまして 浴衣 花火 サッカーの
コラポレーション
今や夏の風物詩になりました

Photo_4


◆湯上さま
御召し物 白地霞みウールアンサンブル
「女子ソフトボール世界選手権大会
MVP賞に ひらさわさんが
振袖を寄付しておりました
外国の選手達も やはり女性です
振袖を手にした選手の喜び様と言ったら
なかったです」

Photo_5


撮影は 早朝6時半から夜8時半まで
15時間 
主役(ノハズ)の店主には
K君がしばしば間断なく
ノドアメ トローチの補給をしたり
ワンシーン毎に店主をハン強制的に
アーンをさせK君がノドヌールを
注入してたソレモアリ
男のきものに出演したK君
結城紬の羽織袴が絶品だと
おば様方高評価のコレモアリで
撮影スタッフからK君は
「若旦那」「若旦那!」と
呼び掛けられていた

K


『違うンだってばサ』
あの人 本業は歯医者
ヒラサワでは≪車椅子運転手≫ナンデス

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ちょっとイイ話である ~ 芳野満彦 ~

只今「一世一代7割引きセール」中
連日お客様お相手で少々疲れ
早々午後8時半に寝た
ほぼ熟睡中に 電話が鳴った
ウトウト聞いた
『~3回4回~7回8回~』
懲りずに鳴ってる

『10回~13回~~』
タックモウ
ヨイショっと
『ハィッ ヒラサー~』
「ハイじゃないノ」
「アタイだょ」
『ナァンダ』
「なんだジャないでしょ アタイナノ!」
野太いしゃがれ声で
アタイ等と言うシロモノではない
かっての山男=色黒で顔の裏表が
判らないと評された
スキー仲間Nさんである

「超朝寝!超夜更しケン様ドンナ按配ダ」
『目が覚め起きたら
深夜ハイカイに参ります』
「high!にして快!
ケッコー毛だらけ猫灰だらけ」
『見上げたもんだょ スカイツリー』


Nさんと知り合った昭和30年代初め
秋葉原に:ニッピ:と言う
登山用品の店があった
ビギナーの私などが買い求める登山靴は
進駐軍(アメリカ占領軍)払下げ軍靴の
甲部分を足指部分で横に切断
縮めて縫合 足底はカカトで細工
大サイズを小に縮小した再生品が
登山靴に化けて 値段は確か2,500円~
3,500円位だったろうか
それでも その頃は一般的に
上等部類の登山靴だった

アメリカ人の大きな:軍靴を
日本人向き小サイズの:
登山靴に変身させる 思い付きと
器用さは 良くも悪くも
敗戦後間もない時代の
≪メイドインジャパン≫の出自とも言えた
但し 物資不足のその時代でも
≪物造り日本≫の優秀なブランド品は
存在していた
当時登山靴ブランドで言うなら
一も二も無く《高橋》が
最高級品とされていたが
私ら若者には 途方もなく高値!
高嶺!で 触りも出来ない
憧れの登山靴《高橋》は
店が信州松本と東京駅八重洲口に
あった

その《高橋》へ
若かりし頃のNさんは
見るだけでもと出掛けたそうだ
Nさんの給料が3万円やっとの時代
 ≪タカハシの登山靴≫は
3万円だったそうだ
「欲しい」高い「買えない」~でも欲しい=
手が出ない~と
長い時間逡巡するNさんに
話掛けて来た人がいた
「君どこの山岳会」~
「どうしても欲しいなら店に話をしよう」と
見知らぬその人の口利きと保証とで
カードもローンも皆無の時代に
5千円×6回払いで夢に見た憧れの
登山靴を手にしたNさんは
上気し高揚した気分で
「コーヒーでも」と その人を誘って
店外に出てから気が付いた 
その人は 子供のような小さな靴を履き
足は握りこぶし位しかなかった

喫茶店で向かい合って
Nさんがおずおずと切り出した
「ヨシノミツヒコさんですか?」
その人は 磊落な笑顔で
「足でわかりましたか」と言ったそうだ
その人は著名な登山家で
両足を凍傷で失ってなお
山への挑戦と情熱を持ち続けていた
芳野満彦氏だった

「ケンちゃん サー」と
与太話応酬の長電話の後半
Nさんが低い声で つぶやく様に
切り出した
「今日新聞に 登山家の芳野さんが
亡くなった ~ 記事が ~出ててさぁ」

Nさんのつぶやく様な言い方は
ツブヤキでなく 今の私への
エールのように聞こえた

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