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追悼

小野さんあなたは 稀有な人でした
あなたの職場では交番のことを「ハコ」と
呼んでおります
そのハコから抜け出て 一段と一段と
階段を上り詰めて
警視庁科学捜査研究所所長として
定年退官をされました
多く様々な小野さんの職責に対しての
栄えある褒章に加え
この夏 晴れ晴れしく
紫授褒章を授章されました



「刻苦勉励」を 文字通りに
生真面目に生き抜いた
小野さんあなたを 私は
密かに尊敬しておりました
今や 忘れかけられ消え行きつつある
「言葉」ですが
明治の人々の指標に
ふたつのキーワードがありました
「刻苦勉励」と「立身出世」であります
この言葉は日本人のアイデンテイテイと
私は考えます
第二次世界大戦敗戦の
日本が混乱の中から起ち上がり
復興を成し遂げた私の父母の世代の
見事な心意気です
そしてそれは女手一つで
小野さんあなたを育てられた
あなたのお母様の「躾」と
同根であったとも考えます
今まさに時代の若者達の
無気力に生きる世相にあって
古き良きあなたの生き方は
指針ともなる筈であります
勝れたアスリートや優れたタレントは
今も「刻苦」し「勉励」し
明日の「立身」と 世に出る事を目標に
人生への夢を忘れずに
日々努力しているのですから



小野さんあなたは
鹿児島の高校を卒業して
警視庁警官を拝命し初任先が
東京都足立区の本木二丁目交番で
ありました
私どもひらさわ呉服店は 道路を隔て
その真向いにあります
紅顔少年の面影を残した小野巡査が
夜勤の交番の中で
あたかも《お地蔵様》のように
固く座り続けたままで
居眠りどころかかすかにイビキを
カイテイルようだと
我が家の女中さんが
笑って母に報告をしたものでした
夏になり 頬に蚊の刺されたままの
小野巡査の足元へ
母が女中さん言いつけて
蚊取り線香を置かせたことが
小野さんと私の母との
交流の切っ掛けになりました

Motogi1


懐かしく楽しい思い出です
当時 我が家は父を亡くして
私と六人の兄弟姉妹が
小学一年生の末弟から私迄
全員在学中でありました
店の開店時間帯は
皆それぞれが通学準備で慌しく
開店の手伝いをサボって
登校する私たちに代わり
制服制帽姿の小野巡査が
母や女中さんと一緒になり
店のガラス戸十二枚を
次々に 運んでいる様子が
ご近所皆さんの微笑ましい
エピソードとなりました
巡回に来た西新井暑の上司の方が
そのいきさつを
やや 詰問が半分の口調で
母に問い質したところ
母は
「交番のお巡りさんとは
思っておりませんのょ
前のお仕事場の若い衆さんに
手伝って頂いてますの」
と 言い放ったそうであります
上司の方は
「そうですか奥さん了解了解しました」
と言い敬礼をし
一件落着となったのだそうです
地域との連帯や交流という
生硬い思考からではなく
それは懐かしくも情味あふれた
下町の人と人との
お付き合いであったのだと思います
非番の折小野さんが
必ずのように私共へ顔を出して
時にお風呂へ入り
時に食事を一緒にして家族同様
談笑をされるようになりました
お正月非番の日は必ず我が家の
百人一首歌留多会に来られたのですが
小野さんは毎度毎度の四位でした
罰ゲームで歌を唄わされる羽目になり
曲目は決って吉永小百合橋幸夫
『いつでも夢を』が十八番でした
生真面目そのものの小野さんには
似つかわしくなく
唄い始めると 派手なゼスチャー
たっぷりなのにはその都度
みんなが笑い転げたものでした

Motogi2


西新井警察署の新人の中から
嘱望され 選ばれて
警察学校へ幾たびも
入学修学されたのがその頃です
その都度 母は小野さん宛てに
ドラ焼きやお饅頭を
宅急便の無い時代で 郵便小包で
送ったものでした
後年 都内各所の警察署署長を
歴任されましたが
新任の折小野さんは
必ず私一家を招待されました
そのある時 母が
「小野さんも立派に出世して」
と誉めると 母に向かって小野さんが
「出世だとすれば おばさんの
オマンジュウのお陰ですょ」
と言われました 
当時の中野警察学校では
広大な敷地の中から教練以外には
塀の中から一歩の外出も
許可されなかった時代だったのです
小野さんは 我が家の母から送られた
お饅頭やドラ焼きを全部同期生に分けて
若い友人と一緒に食べたと聞きました
後年小野さんが各署へ転任をすると
様々な所で様々な人から
「小野あの時の饅頭美味しかった」
とほのぼのとした回顧が
温かな励みになったものだと
しみじみ述懐されておりました



半世紀以上に亘る小野さんと私との
交流の軌跡の中にあつて
とりわけ 鮮烈に 私の心に刻まれている
出来事があります
平成一年交通事故被害により
私は頚椎にダメージを受けて
頚椎三ヶ所に腰の骨を移植する手術を
いたしました
生死もただならぬ回復の見込みも
暗然とした時 私の枕元で
小野さんが小さな声で
吉永小百合の 「いつでも夢を」を
唄ってくれたことを
今切なく溢れるように思い起こします



小野さんあなたは 吉永小百合
橋幸夫の歌謡曲にではなく
「いつでも夢を」のタイトルが
あなたの人生での信条であり
キーワードにしておられたのだと
私は確信しております
その後私は平成十七年頚椎再手術
一命を取り留めたものの
歩行にも手足にも障害が残り
難病となつて車椅子生活です
ただ 今の私のひたすらな想いと希いは
あなたと同じです
「生き生きと生きて 夢を見つづけること」であります
これから先は しばしの間と思いますが
私はザ・ネクスト
夢を忘れず夢を捨てぬ人生を
生きて行こうと心しております



小野さん あなたの大好きな
鹿児島のお母さんと
東京のお母さんが天国で
待ち受けているはずです
二人のお母さんに甘えてゆっくりと
静かにお休みください



平成二十三年十月
             平澤 建二

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コメント

今日は有り難うございました。


父の思わぬ一面や若い頃のエピソード、警察人生のスタート地点を知ることが出来て大変嬉しかったです。

また常に新しいものにチャレンジしていく姿に母共々、感銘を受けました。


お身体には十分注意なさっていつまでも元気でいて下さい。


投稿: 金丸 希代子(小野) | 2011/12/11 20:24

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