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オトミサンⅣ ~ 越路吹雪 ~

越路吹雪は 昭和のエンターテナー
No1である 誰がナント言おうが
ワタシの評価は 美○ひ○りを超え
『越路吹雪No1』が真っ当精確である

その《越路吹雪》《幻の公演ポスター》が
ワタシの寝室にある

かって
①きものひらさわ
②白馬御宿かやぶき茶屋
③白馬ペンションKEN
④神楽坂マンション
各寝室私の枕元に
越路吹雪サマが微笑んでいた

昭和50年頃 信州大町市で
中華料理店を始めた弟から聞かされた
ニュースに 私は気が動転した

「コシジ ブキサンがさぁ
町外れに別荘を持ってゝ」
『何々 !!』
「時々ウチの近所に買い物に来るんダ」
『ええーっ !!』

斯くも重大事件を軽々と!!
平然と語る神経は!!
ワガ弟ながら呆れた鈍感馬鹿である
私は気を静めて弟に提案した
『オマエ落ち着いて聞けョ』

『費用はイクラでも私が出す』
『至急 出前のチラシを作れ』
『チラシは越路サマ別荘に重点的に撒く』
『越路サマ出前注文は24時間体制で
OK!!』

而して首尾ヨク
越路別荘からの御注文直後
直ちに東京の私に急報
私は夜行列車で駆けつけ
私が出前の食器と代金頂きに
越路別荘に出向く

『ソコデ 越路吹雪サマとワタシの
出会いが生まれるノダ』
この素晴しき超名案を
愚弟はニヤニヤと黙殺
結実しなかった ― 愚弟デアル ―

昭和55年(1980年)越路吹雪逝去

平成十年頃 信州白馬で私が経営する
御宿かやぶき茶屋ライブに出演された
日本舞踊家Sさんから
ビックリ 驚天動地の話を聞かされた

亡くなられた越路吹雪《別荘》が
廻り回って Sさん知人が現在所有
売却希望との話だ 即決!
Sさんに宿泊延長と先方への連絡を
依頼した

2日後 私はSさんK君居候クン
総勢7人で《旧越路別荘》に出向いた
K君Sさんとも 私の越路狂!を
先刻承知! 買う気満々の出動だった


~K君Sさん私3人声を密めて相談
結論は「NO」だった
何よりも建物の外観内部ともに
越路吹雪の「匂い」「香り」が
皆無だったのだ

周辺別荘の雰囲気からの推測だが
恐らくは建売別荘を越路さんが
(義理買い)されたのではないか~?~
~意気込んだ分 落胆も大きかった

売主さんに断念を伝え帰りがけると
「沢山お土産を頂いた御礼に」と
《越路吹雪1981年リサイタル》
つまり逝去の翌年に予定の
公演ポスターを人数分頂く事になった
《幻の越路吹雪リサイタルポスターで
ある!》
そして玄関隣の倉庫を開いて下さった
絢爛たる舞台衣装がぎっしりだった
パリでニナリッチの衣装を
500万円買った
お財布音痴の越路好み
華麗な衣装揃い
― 『ホシイー』「ダーメッ」と
SさんK君に叱られた

Img_0882_2

ゴモットモ《越路吹雪絢爛の舞台衣装》を
呉服屋のウインドウに飾れない 
ましてや寝室に飾ったらソレワ即
世間様の(^^♪のタネになる筈と
諦めたが笑いのタネは暴露された

かやぶき美術館創立の折に集まった
旧友達にバレタ
「ナニ考えテンダ」
「相変らず馬―鹿ヤッテンだ」
「ガキだネ」と
私の評価はガタガタだったが
トミさんはひとり「うーん」と唸っていた


数年後の事だ トミさんは人脈を駆使し
故郷岩手県釜石市に
深緑夏代 高英男 などの
大御所をはじめ シャンソン界の
歌手を網羅して
それぞれの舞台衣装を 一堂に
飾りつけた
《シャンソンおしゃれ館》を
立ち上げたのだった

「ぜひ一度 来てよ」と誘われたが
その頃から 徐々に私の体は麻痺が
進行しつつあった 

「来れば芸者揚げて 歓待すっから!」
『カラオケ芸者はゴメンだょ』
「ナンモナモ 弾いて唄えて踊れる芸者が
釜石にいる」
『婆さんだろ』

「アタリ 70過ぎだ」
軽口ジョークを別にして
ぜひトミさんの故郷へも
《シャンソンおしゃれ館》も訪ねたい
私の切望が果たせなかった 

再手術をして 車椅子生活になった私に
釜石は 遠く遠い異郷になったからだ

昨年暮 突然トミさんの訃報を聞かされた
ご遺族からだった
10月に亡くなられ 病に侵されたのが
2年近く前だったとも知らされた

「病気も訃報も ケンチャンに報せるな」と
トミさんは言い措いていたそうだ

3―11東北大震災

その数日後
〔釜石最後の芸者が被災した〕
新聞記事が掲載された
〔80歳引退披露目前 衣装も着物も
全て津波に奪われた〕とあった

私は動揺した
動悸を抑え新聞社に電話を入れた
匿名で取り敢えず普段着を送りたい
夏に浴衣を送りたい
秋に引退披露の訪問着を送りたいと
希望を告げた

記事の人がトミさんの言っていた
弾けて唄えて踊れる芸者その人との
確信と トミさんにつながる思わぬ縁が
痛切だった

人生は あざなえる縄の如きもの と
亡き祖母の口癖がしきりと思い起こされ
廻り合せの不思議と 帰らぬ日々への
憧憬が切なくもある

※後記
艶子ねえさんの衣装は
著名な団体からの贈呈が決定され
シャンソンオシャレ館は復興対策本部と
なっていると仄聞しています

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