« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

オトミサンⅡ

級友トミさんは 手紙も電話も
マメな人だったが
しばらくの間 手紙も電話も
連絡がなかった

―半世紀少し前の事だが―

当時 若者の情報ツールは
手紙の文通と赤電話の公衆電話
(都内10円で長話可)だけだった

その頃 大学生は数少ない存在で
黒い学生服を着る事は
若者たちの憧れでもあった 

黒い学生帽は
早稲田が四角な座布団型
慶応は丸い鍋型だった

黒い学帽に黒い詰襟の学生服を着た
《偽学生》が多数存在して
《天ぷら学生》と呼ばれていた 

中身は別々コロモだけ学生の洒落で
一方学資や生活に困り
一回800円で血液を売る苦学生がいた

《苦学生》《勤労学生》に向け
「学生援護会」が誕生「アルバイト」の
言葉がつかわれはじめた

《職業婦人》の言葉が一般的で
主婦の仕事は家庭での
《内職》だけだった

銀行振込のシステム無し
現金封筒も10万円以下のみに
限定された時代だった

春先の或る日
私はお得意様の職業婦人から
多額のお勘定を戴く事になり
会社へ昼休みに伺った

帰途 私は大金を鞄に入れて
やや緊張気味で
浜松町駅ホームを歩いていると
後ろから突然! 両肩を掴まれた!
びっくり仰天!
『ウオーッ』と 振り向くと
トミさんだった

『ビックリさせんなょォ』
「ケンチャンこそ大げさダァ~」
「奇遇だ コーヒーでも」と誘われたが
急ぐからダメと断った
そしてその晩は生憎と
亡父の友人で商売の指南役が
来る予定があるので
残念ながらと トミさんの来訪は断った

「ならサ 大事な急ぐ話がある」と
ホームのベンチに腰掛けた
(キグウでなく待伏せだった?のか)

トミさんの話は 突拍子も無く
笑う 驚く 何とも奇妙な展開になった

普段ほぼ標準語のトミさん
真剣になるとお国訛りになる
「あのサ 二人で漫才ヤラネカ」
『??』
『ヤダョドコノ宴会?』
「仕事ダ コレカラ職業にスルノサ」
『プフッ 冗談じゃない』
「トミケン誕生」
『エンタツアチャコかょやーだ やだ』
立上り電車に乗った私を追いかけて
トミさんも乗車した

電車内でもトミさんは 執拗かつ
懸命だった
「ケンチャン身長ナンボだ」
『160cm』
「俺はサ178」
「ケンチャン江戸弁 俺はサ
クニ訛りでやる」
つまり漫才コンビ トミケン?
最良との力説だが
ソモソモ私は漫才蔑視
漫才師ゴトキは格落芸と日頃思ってる
「漫才やろう」
ソレダケで不快だった

『ベランメエとズーズー弁の掛合いだけで
お金が稼げる程世の中甘くナイと思うょ』
と一蹴したが
トミさん意外な見識?をヒロウした

「漫才はサ 今ほとんど秋田実が
台本書いてる」
「ンダガ俺はサ」
「ケンちゃんに台本書かせる」
「ケンちゃん寝坊助だが朝起きしてもらう」
「朝7時NHKニュースと新聞サ読んで」
「台本書く それをサ昼に舞台に掛ける」

~~勝手に決めるなょとソッポをムイタが
思えばその着想は 後年ブレークし
一世を風靡したコロンビアトップライトの
時事漫才と同じだった

―浜松町駅から日暮里駅迄10駅区間を
乗っては降り 乗っては降り―
トミさんの漫才コンビ勧誘は
強烈に続いた

| | コメント (0)

オトミサン

彼の名を『トミさん』と私は呼び
他の級友達は「オトミ」と呼んでいた

私の亡母の名はトミ 母は親しい人に
「オトミサン」と呼ばれていた
そのほんのちょっとの符合を
トミさんは我が家へ訪れる都度
後年まで話題にしては喜んでいた

半世紀以上前 夏休中に
私の父が急逝した
葬儀の後日 何度か トミさんから
電話があった

「ガッコ止めんナ」
「(俺の)下宿サ遊びにコ(来い)」が
トミさん毎度のセリフだった 

私は 母と5人の弟妹女中さんも含め
暮し向きにも自分自身の将来にも
五里夢中の状況だった

気詰まりと重圧の日々
時には 仏壇の中をかき混ぜたい様な
暗澹とした気分を逃れるように
トミさんの誘いに乗る事にした

トミさんは岩手県釜石市から
上京下宿して 学生生活を送っていた

その頃 携帯は無い
煙草屋店頭の赤い電話機が
数少ない公衆電話だった 

トミさんの手紙の詳細な地図を手に
出掛けた 当時 国電を「省線」と
呼ぶ人もいた時代で
山手線が10円で一周出来た
国電大井町下車 駅前は
大小マチマチにライオン看板
(トタン看板)を掲げた商店が
雑然と空き無く立ち並び
戦後の残滓を色濃く残していた

表通りから路地を入ると
下町風情の玄関先に
空き缶を植木鉢代りに草花を置いた
仕舞家が続き
訪ね宛てた二階家の一階が
トミさんの下宿で トミさんは同郷の
友人A君との同居していた

同居の友人A君は
如何にも田舎出風の
朴訥な感じの良い青年だった

A君は挨拶もそこそこに飛び出して行き
程無くして 両手に氷アズキ二杯を
持ち帰って来た

「3ッは持テネか」
「ン~」
~~トミさんに
「遠慮スンナ」と言われ
氷アズキは 私が一杯を食べた

氷アズキを食べ終わると二人は
突然 私に「風呂へ入れ」と言い出した

『早く帰らなければぁ』と生返事の私に
「風呂」「フロ」と
やや無理強いの二人に負けて
風呂場へ行くと 存外広い流し場で
木の風呂桶も二人でゆったり入れる位
大きかった

トミさんが
「ケンチャーン 牛乳瓶サワンナー」と
大声で怒鳴った 足元の金タライ
(洗面器)に 浅く水が張られ
牛乳瓶が5~6本逆さまに立ててあった

奇異に思ったがそのまま風呂に浸かると
ややしばし 上半身裸のトミさんと友人が
二人でニヤニヤしながら
風呂場に入って来た

「見てレー」とトミさん
A君が金タライを風呂に浮かべ
片手で牛乳瓶を湯の中に突っ込んだ
湯の中で瓶をやや傾けると
ボコボコボコと泡が浮き上って来た

その浮き上がった泡に
トミさんがマッチで火を付けると
ボッと青白い炎に燃え上がった

『ナッ何だッ』
「ヘだ」
『エーッ』
「エで無い 屁ダッ」
「オナラだっつーの」

牛乳瓶のガスは 次々点火されて
青白い炎と赤黄色の炎に燃え上がった
笑った 笑った 私は 吹き出して笑った
「可笑しいぃ か ケンチャン」とトミさん

さらにトミさんの後講釈
「赤い火が俺 青い火がAだ」
「屁ワサ 出すツモリのネェ時も
デルベシ」
「ンだが 出シテェ時に出ネ」
「瓶ツメの屁っ集めるのに」
「苦労だったぁ」
「シリにビンアテテ」

私は湯船を叩いて笑った
トミさんとA君
「笑ったぁ なぁ ケンチャンが」と
肯き合った

腹がヨジレ 涙の出るほど
笑い続けた私は やがて 何度も何度も
湯船のお湯を顔に掛けた

笑いのではない
胸突き上げる むせぶような涙を
トミさんに見せたくなかったからだ

| | コメント (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »