« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

親のコゴトと冷たい酒は後からジーンとキイテクル

ウチのオヤジは
典型的な「オーイッお茶っ!」の
亭主関白だった

母と女中さんが連れ立って
買物に出掛けた留守中
夕立 ニワカ雨 豪雨になった
案の定と言うべきか帰宅すると
庭の洗濯干し物がびしょ濡れだったので
母がボヤイタ
「お父さんたら お洗濯物を
取り込んで下されば ヨカッタのに……」

父は昂然と言い放った
「ワタシは係じゃナイッ!」

父は 食事時間も食事作法にも
几帳面な人だった
「食事」と言わず「ご飯」と
下町風に言う人だった

朝食7時半 昼食12時
夕食6時に きちんと食事を済ませていた

或る日 たまたま来客が立て込んで
父だけが朝食を遅れて
10時過ぎに済ませた

正午過ぎ(12時半頃)
店から奥へ来た父が
「ご飯はマダカ!」と言った
母が「アラもう召し上がるんですか」と
聞き返したら 父が爆発した
「日本中ドコのオタクも 昼ご飯は
12時と決っているぅ!っ」

そこでの母 ツギなるヒトコトが多かった
「アーラ まだオナカがスク時間じゃないと
思って……」

「子どもじゃない 腹加減まで
オマエの世話には ならないっ」

かくてである
ソノ日以降 父は 断固として[昼の食事]
昼御飯を拒否することになった

夏7月お中元の頃だった
―暑い忙しいの最中で―
身体でも壊したら大変だと
周囲が心配した

母が 昼前に出掛けての留守中
女中さんが
「旦那さん お昼のご飯デスョ」と
声をかけても 
父は「アリガト」と答えるが
食卓にはつかない

店の者が お遣い帰りに
「旦那さん3時のおやつです」と
パンやお菓子を買って来ても~
父は
「ありがとう」とだけで 手を付けない
八百長拒否 ガンコイッテツ である

昼食のみの断食は約一ヵ月半続き
父はやや夏痩せモードになった

ソレトナク事情を知らされた
懇意なご近所旦那衆が
昼飯を兼ね蕎麦屋で
秋祭りの相談を持掛けるが
父は蕎麦には 手を出さない
ゴージョウ イッコク ヘソマガリ である

やがて あれこれの事情を聞かされ
母方の祖母が乗り出し
母に向って切り出した

―「お前ね 口から出した話は
戻らなぃんだょ 出た話の行く先を
直すよか しょうがないだろ」―

正座して両手を突いて
母が父に
「お父さん私が悪うございました
お昼を召し上がって下さいまし」と言った

父が母に
「昼は 秋刀魚がいいな」と言った
一件落着であった

父は幼時に家が没落して
小僧からたたき上げて店を持った 
お出入り先お得意様の
お嬢さんだった母と世帯を持ちたくて
その一心で苦労(努力)した

「苦労の時は 辛抱(心棒)が肝心」と
言っていた
「商いは人様とのご縁だ」とも言い
ホロ酔い機嫌で続けた
「金がカタキの世の中だけど
女郎屋じゃあるまいし」

「金カネ金じゃ寒むスギル」とも言っていた

| | コメント (0)

地震 雷 火事 オヤジ ~ アジア杯 李忠成~

たまたま と言う「僥倖」に
二度めぐり合わせた

深夜私は断続的な手足の硬直で
眠れない 鎮痛剤を飲む
止むを得ずの寝ボケになる迄の間……
大嫌いな深夜テレビを付けたら
サッカーだった

決勝戦だった
オーストラリァ戦 だぁ!である

朦朧たるお目目をこすりこすり
テレビ拝聴である

テレビ画面からは一瞬
ピッチの選手たちが 試合終了モードに
思えた が である 延長戦だった!

サッカーには 素人中のシロートの私だが
延長戦は オーストラリァが
押せ押せだと観た

デカーァと頑丈ノッポのオーストラリァ
ロングボールで攻め込まれ
『ヤダねー』とサムイょ

大男総身にナントカ
今一歩オーストラリァは詰めが甘い

山椒は小粒 疲れを知らぬコマネズミ
運動量抜群モトFC東京の長友選手から
やったぜ 李ー! 絵に描いたような
シュート カッタァ! 勝ったぁ!

『ヨシヨシ』でラッキーな眠りにつけた

翌々日の晩である テレビが悪いのか
リモコンが悪いのか
操作のオテテが悪いのか
持ち主に似て ウチのヘソマガリテレビは
希望局がナカナカ映らない
希望局にタドリツケナイ

そうこうするうちに
希望チャンネルではないが
李選手父君のインタビュー画面が映った

李選手父君は 品良く恰幅のいい
親父さんタイプの方である

インタビューの最中に
李選手から電話が入った
電話の受け答えで父君が言われた

「今(お前は)寝る事が一番大切だ」
「今晩は どんなに遅くなっても
家に帰って来て寝なさい」
と やさしく しかし厳とした
父君の物言いに
私は心和らぐ感動があった

蛇足のようだが付け加えたい

今のお前にとっての大事は寝る事だと
(李選手)息子への明察指導は
父親ならではのものだろう

家へ帰って来て寝なさいは
息子へ一家の長としての
父親の確かな自信のメッセージでもある

―|地震 雷 火事 オヤジ|―

近頃は 伝統ニッポンの【オヤジ】が
絶滅危惧種になって
外来伝播種の【パパ】が蔓延している

パパはヤサシイ パパは
ナカヨシオトモダチ
それで『いいのかな』と思う
ビデオを持って【ムスコ】の
オッカケをやってる場合かょ と思う

二十歳過ぎた【ムスコ】の
ドーハンをやってる場合かょ ト オモウ

在日4世の 李忠成選手のその後を
テレビで追った

自らの出自を 自らの帰化を
自らの故国日韓を 李選手は淡々と
しかも整然と語っていた

【外来伝播種パパ育成の若者】は
自らを語る事に腰が引けたり
人生を語る事をダサイと
信奉しているらしく イライラするが
【絶滅危惧種オヤジ育成の李選手】は
ワタシヲシテ言わせてイタダケルナラ
しなやかにやさしい若者
若者らしい若者 である

その存在を知り得て
本日名実ともに立春大吉の心境である

| | コメント (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »