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2011年1月

お年玉フロク

元旦朝 10時「お早うございまーす」
「おめでとうございます」
「お着替えなさいますか」と
爽やか元気印(^^♪Aさんである

着替えの最中 K君が起きてきた
「おめでとう ハイ お年玉」
『アリガト』!(^^)! 受取ると
傍の(^^♪ Aさんが「まぁ!先生」と
思いなしか目を潤ませておられる
ワタシも内心はウルウルだが
ヽ(^。^)ノ\(^o^)/ヽ(^。^)ノ\(-o-)/
ヽ(^o^)丿である

大晦日夕方 車椅子運転手の
K君御到着 大忙しだった
どこも売切れ続出の花屋7軒を
アチコチ2時間近く駆け回り
店に飾る[生け花]を買って来てくれた

受け取ったのだが
―このワタシ ドーモヒトコト多い―
『木瓜と蝋梅って私のコトかょ』
「?エッ?」
『ボケてローバイ』
傍らの店のNさんに「社長!」と
軽く睨まれた 

ハンセイ\(-o-)/である

年越し蕎麦は「僕が作ってやる」と
K君が12月に早々と宣言していた
独り年越しの私を案じて 5年前からの
恒例だが いささか気がひける
遠慮を申し出ようとしたら
奥さんのT子さんに 機先を制せられた
「ハケン(?)ですので不慣れですが
ヨロシクー」だってサ\(^o^)/ 

K君レシピ片手に そば茹である
『イチイチ噛むな
スパゲッティじゃナインダカラ』
「ソバカラ うるさいですょ」
=オヤジギャグの心算らしい

午後9時頃 突如 睡魔に襲われた
夏以来頻発する 低血圧症状らしい
生まれて物心付いて以来
はじめて 除夜の鐘を聞かずに
眠り呆けて仕舞った
K君と誰かが 喋っている声が
夢うつつに聞こえていた …………


東京には 雀が少なくなった 

正月三が日 人気の無い町の表通りに
雀達が群れては遊ぶ姿を
眺めるのが好きだった

その雀が 近頃 ほとんど姿を消した
チュンチュン チュン の囀りは
かつて 遠く近くの家々から洩れる
団欒のさざめきや 年始の訪う声の
間奏曲でもあった

我が家への お年始客第一号は
Nサン夫妻
「オジチャマァ 着るのに
一時間かかったのょぅ」
それでも はんなりと薄茶格子縞の
塩沢御召に 縮緬地にロウケツ染の
名古屋帯が お洒落に決って
なかなかではある
さりながら自他共に着物が似合う
ご主人Nサマが 着物姿ではないのは
不自然ダ

仕組んだか 仕組まれたかは知らないが
N夫妻が夕刻出かける予定の
歌舞伎見物に
夫妻連れ立ってを中止して
オクガタサマと私が一緒しろと
3人が急に奨めの段取りになった

コイツハ初春から縁起がイイワイ!!

自分の目の色がカワルのが
カク出来る
さてと
「着てゆく着物は アレダコレダ」と
指図したが 次々と見当違いの着物を
K&Nが納戸の箪笥から持出して来る
好みと違う 言ってやった
『二人とも呉服屋へ出入りシテ
何年ナンダ』
K&Nが反論
「シャチョウ!数が多過ぎるょ」
「整理!」「セイリ」
『ウッサイ チカジカ私自身が
セイリされる』

テンヤワンヤの行く先が
【ル テアトル銀座
坂東玉三郎初春公演】 
元旦歌舞伎興行は70年振り
元旦特別追加公演である

演目は【阿古屋】女形の至芸と
【女伊達】女助六 粋の真髄を
当代随一の女形玉三郎が演じる
垂涎の初芝居=凄いお年玉である

K&Nは終演迄 銀座で飲んで
御迎いに来てくれる=
お年玉のフロクである

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2011年の始まり ~ [けじめ]と[礼]のために ~

新春ソノ壱
【年越し蕎麦のお振る舞いと お年玉を
頂いた 

新春ソノ弐
【ル テアトル銀座 坂東玉三郎公演】に
招待された 

師走 歳の暮 昭和30年代中頃までは
我が ひらさわ呉服店のある商店街の
道路両側に高さ2~3mの大きな笹竹が
家々毎に飾られて 街路約2kmに
立並び壮観だった

木枯しに吹かれ
さっさっさ~さらさらさらと
笹竹の竹すりの音が 調べ良く聞こえて
慌ただしい 年の瀬の風情を
演出していたものだった

当時は 年始回りの[手拭]が
呉服屋の売れ筋商品だった
店の奥座敷に家族が総出で
ご注文の手拭を 切って 畳んで
熨斗紙掛けて 積み上げる手順だが
八畳間が 日を追って4畳半か3畳の
スペースになる位に
ぎっしりと部屋の周囲が
手拭の山になった

御年始廻りには 手拭が どこの家でも
欠かせぬ品だった

長屋暮しも 塀の中のお金持も
とりわけ商店にとっては【名入り手拭】が
必需品だった

名入り手拭(100本以上)の柄には
競って粋を凝らしたものだ
名前や家紋を入れるのも定番だった
次善は【印型入り】(30本以上)と言って
出来合い(既成)の柄に
名前だけを入れる手拭があった

その次は 出来合いの手拭柄を
そのまま名入れせずに
お使いになる方々と 様々だった

お年始の手拭に添えてのプレゼントに
風呂敷 半衿 帯揚げ 帯締め
羽織紐 などが使われた

渡される先方様のお人柄を
説明されながら あれこれ選ぶ悩みも
また愉しげなお客様方の素振りに
ほのぼのとした心意気や心情が
感じられて 嬉しい商いの余福があった

【お仕着せ】と言う習慣も
かすかに残っていた時代だった
女中さん小僧さん達に
お給金ではなかなか買えない
正月の晴れ着を 主人先が
買い与えたものだ

“当座の着物”にするか
“先行き所帯を持ってからも
着られる着物”にするのか
それぞれの働き振りとの見合いもかねて
あれこれの心配りが
その家のおかみさんの器量でもあった

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元旦の朝
「お休みのところ すいません」と
男物の足袋をお求めのお客様が
おいでになった
かすかにだが見覚えが
ある方のように思えた

「わかりますか」
『あー Tさんにいらした』
「そうそうTで働いてました
~50年前です~」

~~~

「おかみさんに つくってもらった
着物一式を」
「正月には 毎年
手を通しているんですょ」……

お歳暮もお年始も 濃やかで温かだった
人間関係の 一年の始りと終りに
[けじめ]と【礼】を尽くす
大事な手立てとされていた時代が
そこにはあった

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FC東京 村林社長へ

FC東京がJ2に降格した
瀬戸際のリーグ最終戦に まさかの敗北
逆転の転落だった
優秀と言われた選手を多く擁しながら
この夏以来 あれよあれよの敗戦続きだった

毎夏 恒例『浴衣着てサッカー観戦』の
イベントで 私とは手を携えて来た
FC東京村林裕社長が
電撃的に引責辞任を決意され 12月23日朝
寝耳に水の社員一同に告知をされた
その日 午後5時からマスコミ各社へ
記者会見で[ 社長辞任を発表 ]の
段取りと 慌ただしかったが
その10分前に FC東京N部長から私に
電話が入った

「記者会見の前に お世話になった平澤様に
お伝えをと社長からの伝言でございます」と
言う事だった
相変わらず 律儀な人である

~駆け抜けるように思い出すことがあった~

6年前私の再手術の数日前だった
見舞いに来られた村林社長に問われて
病状の説明をした

『長年使い続けた鎮痛剤注射の副作用で
私の左肺は 右肺に比べ4分の1
消えて小さくなっており 手術の際に
自呼吸に戻れず 生死の危うさも伴う』
そう話したのだった

村林社長は テーブルに
大きく両手を拡げて付いて
低い声で「お元気で 必ず お元気で !
お戻り下さい 」と言いつつ
勢い良く頭を下げられた
が 勢い余ってテーブルに ゴツーンと
ひたいを強打された

『潔さ』 『男子』
何れも近頃絶滅危惧種だが
幸いにも ひと昔近い
爽やかなお付合いの 余福で
近来稀な潔い出処進退を 目の当たりにした
『快哉』が私の胸に躍る

使いの若者に 手渡しの手紙を託けた

【  村林 さま

男子
進退は自らの決断に拠り
毀誉褒貶は史家に委ねる
と 存じます

長い間 ご苦労と戦われた日々に
敬意を表しております

ささやかな品 幸便にてお贈り申上げます


  平澤    ]

※社長辞任発表後サッカー天皇杯争奪戦で
FC東京は準決勝に進出したが
延長戦で惜敗した

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