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2010年10月

寸土を争う ~ 菅直人 ~

世間様より 早くから 私は「菅直人」を
アキカンと命名したが 
尖閣諸島沖事変では アキカンどころか
菅首相は スッカラカンと
内外に恥をサラシてくれた

[寸土を争う]と言う

1寸は ほぼ3センチ
領土の境界争いは まさに[寸土]を
凌ぎあい 戦うものなのだ
四海波に囲まれて 例外を除けば
領土境界の寸土の争いに
私たち日本は ほぼ無縁だった

だが戦後 海の境界線が
領土領海問題として紛争の
原因になってきた

韓国の無法な李承晩ラインに
日本は散々苦渋を呑まされ
現在竹島は 韓国に占領されているが
日米安保が適用されたり
アメリカが進んで仲介の経緯は無い

当然だが自らが毅然と言うベきを言い
主張すべきを主張して 初めて
双方納得の打開策が生まれるのだが
自民も民主も 駄~目だ

尖閣諸島を 菅は
我が国固有の領土だと
国内向きには強がるが
対外広報宣伝は 無策と言う外無い

尖閣諸島海底に膨大な石油資源の
判明した後 中国が強欲に
手を出し口を出しなのに
日中共同開発話は
御人好しを通り越して アホそのものだ

エネルギー爆食の13億人中国は
頼る石炭があと10年で枯渇とされ
代替に海底油田がゼヒ欲しい
詭弁 屁理屈の中国に対抗が
菅首相ではスッカラ・カンのカラッケツに
サレソ 嫌なヨ・カンがする

Senkaku


[粛々]と言う

菅も前原も「粛々」をバカの一つ覚えに
繰り返していたが モトはと言えば
鞭声粛々夜河を渡るだ
上杉・武田 川中島の戦いで
謙信が暗夜の闇に乗じ
信玄を撃つべく 軍馬の鞭も
軍兵の声も潜めて静々と河を渡った様が
[粛々]で頼山陽の漢詩だ

つまり「鞭声粛粛」[粛々]は
戦術戦略を 縦横に駆使して
方策を固め 大事を衝ることであって
菅や前原のように ビビッて声が出ない
腰が引けて声を出さないのとは
ゼーンゼーン訳が違う

政治家語「粛々」の先鞭は
故竹下首相の十八番だった
但し「ナニもやらない」の
同義語でもあった

[最小不幸社会 有言実行政権]と言う

いみじくも菅夫人が
近来 総理の人材が小粒になったと
著したそうである 仰せの通り! だ

「最小不幸社会」とは
ナミダの出るホド ナサケ無いヨナ
小粒なデキノワルイ スローガンである

一国の宰相は 地を這い
血の出る辛苦の時代にも 明日を!
次代を! と 希望を語り 国民を鼓舞し
勇気づける人材であるべきが基本だ

[最小不幸]

病院待合室のコボシ話ミタイに
オタガイサマ~デキルダケ~
フシアワセに~ナラナイヨーにシヨーょ

― ナンちゃっテ アーッア ヤダヤダ
これがトップの言うセリフかょ
救われないょ この国は!

不言実行をもじって 有言実行との
言い換えたらしいが 困ったモンょ

国家の政権運営を 抱負経綸無し
智識集積無し 語意検証も出来ない
パソコン的発想人間提示の
[安ッポイ キャッチコピー]を
鵜呑み羅列のアキカンには
コノ先有為なブレーンも出来ナイダロシサ

どうする ドースル 皆の衆 だ

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終わらざる夏

猛暑 猛暑 また 猛暑が
秋彼岸までつづいて 「猛暑」が
秋の季語になったかのようだった
言うまいと思えど「お暑いですね」が
誰方も 時候のご挨拶だった

浅田次郎の《終わらざる夏》を
読み終えた 近来稀な胸透く小説だった
恐らくには 著者浅田次郎が
読み込んだであろう 膨大な資料に
依拠した智識に圧倒された

安直なネット検索の半可通な知識が
横行する昨今 著者浅田次郎の
執念にも似た 真実への探求が
浅田ワールドの 魅力溢れる人物像をも
創りあげた 感動の一篇だった

頚椎損傷後の私は 読書を控えめにと
かつて 主治医の故加藤先生から
ご助言受けているので
毎夜 20~30ページづつ
ゆっくりと読み進んだ

1945年8月15日大東亜戦争
日本国敗戦の日から
戦闘が始まった史実
―私は知らなかった―

知られざる事実を掘り起こし
その戦闘 戦争に巻き込まれて
起ち上がった人々の物語だった

不条理も理不尽もあった
だがそれでも生真面目に
自らを枉げずに生きた 生き抜いた
人達の物語に胸熱い共感があった
それは一途な生き方だった
私の 父母の世代の人々と
重なりあったからだ

War


《終わらざる夏》

今 この国が 私たちが 忘れている
生真面目さと道理を踏む大切さを
痛切に思い起こさせた

9月26日 ルース駐日アメリカ大使が
長崎を訪問 核廃絶を誓ったと
報道された
[十日の菊]である

白々しくも出遅れである
ルース大使は8月6日広島の原爆忌には
参列したが長崎は所用でと
出席を取止めた経過がある
核廃絶より大事な用事が
存在するとは どうにも考え難い

察するに 原爆投下を未だに正義だと
主張するアメリカ国内の保守派に
配慮 ゴマスリ欠席だったのだ

そしてほとぼりさめた50日後長崎へ来訪
或る種のバランスを執ったと言える
[六日のアヤメ]だが
これはこれで 戦後65年
終わらざる夏への 巧妙な 外交という
名の戦さなのではないか

単細胞のアメリカですら
かくも巧妙に立ち回るのが外交なのに
尖閣列島事件で「粛々」一辺倒

バカのヒトツ覚えで 菅も前原も
戦術戦略皆無 為すべき手立て無く
無様な敗北外交を露呈したが

―『終わらざる夏 戦いはこれからだ』―

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