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2010年3月

桜の花の咲く頃に

かってのスキー仲間Nさんから便りが
あった
「我家の広大な2坪なる庭
片隅に植えた梅の大木は
紅白それぞれに咲き競っております
桜の老樹が花を付けるのも
間近と思われます」とあった
スキー仲間では ワルガキおじ様と
定評だったNさん
一筋縄デハナイ 用心用心である

昭和の頃 三十数年間
Nさんと私は 毎冬50人前後の仲間を
引き連れて スキー旅行をしていた
Nさんのイタズラは 毎度々々
卓越していた
数人で談笑しながら風呂に入っている
トシヨウ 

やおらNさんが「オサキィ」
出て行った後に 悲劇は起こる
ダレカの衣類一式が
Nさんに持ち去られるのだ
イウマデモナイ下着もパンツもネコソギだ

アルトキである
その悲劇の主人公に同情して
ヒソカニ下着パンツの差し入れをした
男がいた
差し入れた男は深夜熟睡中に
口紅を塗られ アイシャドウを塗られ
頬紅を真ん丸に塗られて
次の朝早くタタキ起こされた
「ホラホラハヤク ハヤク」と……
寝ぼけマナコに厚化粧の男に向って
旅館のアナウンスが鳴り響いていた
「○○サマ○○サマ 至急玄関ロビーへ
お出で下さい」etc... etc...

かくて悲劇は繰り返されたのである


~ コウダイナ2坪なる庭とは何だ ~
カタスミニ植えた梅の大木とは何なんだ

シャクな話だがN家は
旧宅の母屋と3階建て住居の間に
Nさんの手入れが行き届いた中庭がある
但しである
広大 大木 老樹 ナドは存在しない
ナイのだ 不可解な表現である

片隅に植えた梅の大木 などトワ
マコトニシャク?な限りの表現ではないか

Sakura1003


スグサマ返信を私は考えた
『近来 貴兄はゴ老眼が進捗
盆栽を大木との見間違えはないか』
『梅でなくボケではないのか』と
ムフフ ワレナガラ名科白ではある
だが マテヨでもある

ここ数年 車椅子になり
出歩き不能の私を Nさんは
折にふれ 用事にかこつけては
訪れてくれた

だが 昨年の後半は 顔を見せなかった

昨秋ご子息の結婚のやり取りも
年の瀬も 新春にも 来訪はなく
節分を過ぎてから長電話があった

長い話の中ごろに
 「アタイはさぁ」とNさん特有
本音話の始る時のガキ言葉が出た

昨年夏 癌の手術をしたそうだ
昨年暮に 抗がん剤医師から
奨められたが 止めたそうだ
『知らないで ゴメン』 と
私は翌日 店から綿入れ半天を
御送りしておいた

冒頭の便りは その返信だ
カレシは照れてんだ
庭の手入れも相変わらず出来る!
桜の季節も その先も元気でやるょ!
梅も桜も 大木・老樹になるまで
頑張るょ! とのメッセージなのだ 

きっとそのはずだと 私は確信をしている

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みんな忘れ去られてしまう ~ 東京大空襲・シベリア捕虜収容所 ~

「シベリァは極寒の地だ
零下40度にもなる」と 聞かされても
理解も想像も及ばなかったが
幼かった私や私の仲間も
「オシッコがスグ凍る」の表現には
ファー寒そ!と 得心をしたものだ

敗戦後しばらくして
ご近所あちこちのお宅に
「兵隊から帰って来た」お父さんたちが
何人も居た
「復員兵」とも呼ばれた
そういうオジサンたちの所へ
体験談を聞きに行って
当時幼かった私たちは
未知への好奇心を
充足させていたものだった 

時に 語り手のオジサンたちの
意に反して 幼い私たちに
はミステリァスな探検を聞くような気分も
あった

ただ日本中が飢えていた戦中戦後を知る
私たちは シベリァで捕虜だった
オジサンたちの 悲惨な飢餓には
胸をつまらせて共感をしたものだ

― 味の無い麦茶のようなスープに
消しゴム位の大きさのパン
それだけの朝飯―
昼飯はジャガイモ一個
それが チィーセーンだょ と
歯噛みしたいたオヤマダのオジサン

シベリァでも異なる捕虜収容所に
抑留されていた タナカのオジサンに
聞いたら
「オンナジようなもんサ」と答えていた

Photo_3


「アカのヤローにシャベルで
ケツひっぱたかれて ソコが膿んだり
栄養不良で 死んじまったのが
俺の一番の仲良しだった」とも聞かされた
捕虜となった時点で 選別があったそうだ
「弱そうな 病い持ちは オイテケボリょ
引っ張られたのは 運のイイホウかと
思ったら」

「とんでもねぇ (銃の)ダイジリで
コズキ廻されて
列車にホーリ込まれた」

「貨物列車 窓がネェ真っ暗闇だ
ぎゅう詰めだ クソ ションベンは
バケツの中に溜め込みだった」

外から施錠された貨物車にただよう
充満した臭気
日中も薄ボンヤリとした
わずかな光しかない

何日も何日も 来る日も来る日も
行く先知れぬ 告げられぬ
鉄路の揺れに「気が狂ったのがいた」


敗戦間際一週間前 満州に
怒涛の如く攻め寄せてきたソ連軍に
捕虜となって シベリァでの強制労働に
使役させられた日本軍人は
65万人と言われる

そしてそのうち約7万人が
餓死病死で亡くなったと聞く
それから60年余りが経過したが
その方々のご遺骨の大半が
未だにシベリァの凍土に
放置されたままなのだ

突飛も無い
ツジツマ合わぬ連想かも知れない
[ 子供手当て ] [ 高校教育無償化 ]
の新聞記事に触発されて
シベリァ抑留の苦渋の人々を
東京大空襲の悲惨な被害者を
太平洋戦争で戦死した310万人の
戦争犠牲者を 私は思い起こした

僅か僅かにだ
近々60年前の敗戦の史実を
その頃のこの国の現実を 知らずして
教えずして
子育ても教育も 有り得ない のに と
私はひとり砂を噛む様な思いで居る

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東京大空襲 ~ 父への詫び状 ~

焼死者10万人 アメリカ空軍による
東京大空襲 昭和20年3月10日

焼き殺された人々の多くは
老人、女性、子供、であった



父に 詫びねば ならない

半世紀少し前 正確な年月は
忘れてしまったが
その日の情景は精緻に記憶している

ぴたりと 風が止んだ夕昏れ
縁側に父と小山田の小父さんが
大きく枝豆が盛られた卓袱台を挟んで
話し合っていた

何時もは賑やかに能弁な父が
言葉を詰まらせているような
緊迫した雰囲気に
そっと傍らをすり抜けようとした私を
団扇で風を送っていた母が
手招きで ここに座れと合図した

小父さんは 真っ赤に充血した目に
涙を滲ませて語っていた

シベリヤ抑留の捕虜の頃
過酷な労働と餓えで死んだ友人を
埋葬すべく 凍土が硬く
小父さん自身のひもじさ
力足らずが遺体を
浅くしか掘らずに埋葬をした
成仏出来たろうかと
その事が その事が無念な心残りなのだと
絶句していた

小父さんの手は 自身の膝に
爪を立てるように震えていた

ややあって 父が内地でも 酷かったんだと
話し出した
3月10日の「東京大空襲」のことだった

昭和20年3月10日
アメリカ空軍による東京大空襲は 
下町の木造住宅密集地を狙い打ちにして
死者10万人を超えた

死者の圧倒的多数は焼死であった

父は その日未明
自宅から約200メートル先での
類焼が収まるとすぐさま
浅草界隈の下職さん
(染物屋 紋屋仕立屋さん)たちの
安否を尋ねて
自転車で出掛けたのだが
向島から浅草へ 隅田川を
渡る橋の何れもが容易に通れなかったと言う

「ご遺体 死体だなんて
生易しいもんじゃない」
「まっ黒焦げの
ホトケさんがよけようもなく一杯なんで・・・」

自転車を担ぎ上げた父は
「ごめんなさいよ なんまんだぶ
ごめんなさいよ なんまんだぶ」
と言いつつ歩いたそうだ

「キリで心臓に穴開けられるように
切なくて 切なくて」
と父は その時の 我が身の
無力さを恥じて口惜しがった
そして ぶるっと身を震わせ
「おんぶとネンネコがいけなかった」
と言った

母親たちは赤子や幼児を綿入れのねんねこで
背負って必死に逃げた

だが その綿入れに火が点いて幼子が焼死
母親が生き残った
背中の子が機銃掃射の盾となって
母親が生き残った

「死ぬも地獄生きるも地獄 惨い」
とうめく様に父は言った

Photo_3


「おじちゃんのブログ読んで
泣いちゃった」
とズボンドズボンのボーカル
黒崎純子ちゃんから電話があった
「思い通りの事を書けますよ」
とタケウチ君に背を押されて
手に余るブログをはじめた
過半の理由はこの父への詫び状だ

「ピカドンも酷いけど
火あぶりで殺すのも非道じゃないか

女子供と年寄りだけの下町に
真夜中 照明弾で明るくして
焼夷弾で焼き尽くす
いくら戦争でも これはむごい 惨過ぎる」
と 父は 歯噛みして言葉を吐きだした

母の団扇はピタリと止まって
大粒の涙を受けていた

「建二!」
まじまじと私に顔を向け
父は絞りだすように言った
「親の仇も同然だ 憶えていてくれ
この空襲は
〝ルメイ将軍〟という男の発案だ」

その時 男泣きという
泣き方を生まれてはじめて私は実感をした


半世紀余 茫漠と 
しかし忘れてはいなかった ルメイ

今年(2005年)3月
新聞紙上に東京大空襲 60年の特集が
掲載され「ルメイ」の文字があった

紙面を凝然と読み進むうちに
私は 血が逆流するほどに呆然として
身体が震えた

そこには「ルメイ」に
日本政府が勲章を与えていた
と書かれてあった

後日
『ルメイ氏の日本航空自衛隊育成の
功労に由る』と知った

あろうことか
『勲一等旭日大綬章』を贈ったとも知った
思わず「恥知らずっ!」と
私はひとりで怒鳴った

私は 父の焔のような恨や憤りを
まるごと引継ぎはしない
けれども断末の苦しみをそのままにして
いかなる経緯にもせよ
勲章を与えた政治家を許したくはない

そして この勲章の異様さを見過ごす
メディアや世間や日本人とは一体何なのか!
と痛惜な思いも抱いている

今 私は 私自身も
逃げずに父に詫びねばならぬ と
詫びるべき言葉を
探しあぐねている

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動物園の誤政道 ~ 羊頭狗肉 ~

働かざる者 食うべからず

羊頭狗肉 羊の頭を見せて犬の肉を売る
[ 子供手当毎月1500万円 ]
[ コンクリートからオ金 ]
マニフェストは 政権獲得のための
腐肉!?の策であったようだ

代表質問に答え
鳩山首相が ハハハハと
私が数え出して18回と
ブログに書いた直後 
予算委員会で同じくハハハ ハハハと
……18回だったそうだ

「不正にも 蓄財にも 使っておりません」
と言い切っていたが 嘘吐けである!

入金分ハハからの 毎月1500万円は
存じません 知りマセン
他人任せですと トボケテおいてだ
使い道の出金分はマチガイアリマセンは
聞いて呆れる 自分が承知を
白状したも同然だろうが

頭隠して尻隠さず メメシイ言い訳である

小沢幹事長を 「豪腕」と
マスコミが囃すが 見当違いであろう
顔付きが福相ではないので
騙されるか見誤るかだが
中身は小心者で臆病者ではないか

銀行破綻が怖くって
家の中に4億円タンスヨキンでしたと
よくまぁ白々しくも言えるし
そんな世迷い言が
世間に通用すると考える程度の
小心者で臆病者なのだろう

Photo_2


金魚の○○○ミタイニ
一緒に付いて行く者もアホだが
143人国会議員サマ
中国旅行の旗振りで
団体サマ御一行サマの威力で
小沢自身の売込み躍起の自信の無さは
小心者以外の何者でもない

[信なくば立たず]
部下の秘書ブタバコ入りを
平然と心が痛まぬ輩に
真っ当な[まつりごと]を
任せるべきではない

『トカゲのシッポキリ』
切り捨てられた身を思いやるのが
政治まつりごとの原点ではないか

小鳩闇金も不快だが
肩で風切る検察の面々は
如何にも恣意的で危うい限りだ
垂れ流しリークの情報操作に
タイコモチ的マスコミもだらしが無い

スネに傷の小鳩とともに
政治家連もだらしがない 
だらしが無い同士のバトルを
ゲーム感覚で観ている国民も
だらしが無い

そういう私もだらし無い
日本国民の一人だけれど
少なくとも私は
オリンピックイベントよりも
政治の流れを上位に考えていた

~働かざる者食うべからず~は
ウチの親の口癖だった 
かってはそれは 庶民の哲学であり
生活指針でもあった

「労働無き富は 罪」と
施政方針演説での鳩山首相の
引用句だが ならば私は言いたい

『罪人に政治を任せたくない』

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