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2009年5月

粋な昭和の話

私の住む足立区には 花屋さんが200軒ほど
あるそうだ

妹の命日に Yさんから花篭が届けられた
花キューピットの便だが 受け取り印を押し
しばらくしてから 気になった
花○さんと言う屋号 どこかで聞いた覚えが
ある

思い出したのは夕方だった
何十年か前 亡き妹と 花○さんのご子息は
山歩きの仲間だった

花○さんは 我が家から5km以上離れた
川向こうの街にある
偶然の確率もある
Yさんにお礼の電話を入れると
「京子さんの好きだった
野の花でまとめてと頼んだのは
都心の花屋でした」と言う
偶然という符節には
ほのぼのとした計らいもあるようだ


その日の夕方 日昏れ時
ひと昔前の居候R君から電話がかかって来た
ご無沙汰の挨拶もそこそこに
「突然スンマセン
オーナーなら知ってはると思いますが ~」
「尾上松緑さんの御自宅 何処でしょうか?」
『紀尾井町だと思うけど』と返事をした

聞けばR君 会社出張でオエライサンの
お供 目下 赤坂プリンスホテルに
宿泊中なのだが
オカン(母上)から
若い頃伺った松緑さんの御家を
デジカメで撮って来てと頼まれたそうだ

R君のオカン=母上は お若い頃
日本舞踊を習得したと聞いている
弁慶役者二代目松緑は 藤間流の
家元でもあった オカンの青春の
思い出があるのだろう

ケイタイは便利である
ホテルフロントで要領を得なかったR君を
右行け 左行けと指図した
ところがほぼ目的地なのに
見当たらないと言う
待て待てとR君を待たせ 急ぎ旧友のY君に
電話を入れた
「麹町を背に弁慶橋に向って清水谷の~ 」と
Y君の説明には 江戸の名残の地名が
ふんだんに出てきて懐かしいが
「でもねケンちゃん」とY君 
「あのビルの谷間の瀟洒な日本家屋
無くなったと思いますょ」と言う
「随分前に ビルになったと思いますょ」との
Y君の話に ほろ苦く納得をした

Tachi

屋号は音羽屋二代目尾上松緑は
弁慶役者いかつい体つきに似ず
六代目譲りの踊りの名手だった
昭和40年代 松緑宅の新築後
稽古場の箱舞台の造作に
ひらさわ呉服店の店番Sおばさんの息子
大工のMちゃんも加わる事になった

「結構じゃない 桧舞台を造るなんて
いい廻り合せ!若手大工の晴れ舞台!」と
母がハッパをかけた

約1ヶ月後の話 檜の箱舞台が出来上がると
嬉しそうに松緑が 手拭片手にあらわれた
舞台に乗ると 軽く踊りの所作をしたり
トントンと六法を踏む仕草をした が
アル場所に来ると何度も首を傾げたそうだ

「スィマセーン」と大工の親方が声をかけて
そのアル場所の板を外して
じぃっと視て言った

「申し訳アリマセン ココントコの板
一分(1mmぐらい)削り込みです」

松緑
「一分かぁ じゃぁ手拭でも 詰めとくヵィ」
親方
「とんでもなぃ お直し致しヤス」

「そうかい!そうかい ありがとょ」と
松緑
「おかげで手拭 使わずに済んだ」
「持っておいきょ」と
何本かの手拭に 祝儀をのせて
職人にくれたそうだ
『粋』とは こんな話のことだろう

一分の違いに気がついた 名人と職人
確とした勘の冴えは 確率を超えた修練が
生んだ眼力と言える 

遠くなりつつある昭和の話だ

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