« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

機を見るに鈍なり ~ 自由民主党総裁選 ~

秋彼岸である 
普段 不信心の罪ほろぼしに
お線香のましなものを 買いに行って貰った
「どうせなら 銀座の鳩居堂にしましょう」
と お使いさんが言った
例年 土地価格日本一高値の店である
だからとも言えないが 品揃えが安心だと
お使いさんが 言いつつ出掛けて行った

買って来た線香は
何とも 不本意な代物だった
「煙の少ない線香」とかの宣伝文句であるが
私には いささか『文句』がある
香煙というではないか
香りと煙が一体になって
はじめて「線香」である
煙が出なくて どうするのである

亡母の知人が 仏壇に
手を合わせて下さるたびに言う
「ごめんなさい わたしゃ喘息だから
火をつけずに お線香を立てるだけにするゎ」
これで十二分である お気持ちが通じるし
ありがたく 何時もほのぼのと後味が良い

天下の老舗の 下手に細工した
「煙の少ない線香」は 火付きが悪い
香りが悪い 灰が多く出すぎる イイトコ無し
見当外れ な 思い込みオオシの品である

-----見当外れの バカ二代-----
初代トンズラ首相 安倍晋三
「ボクチャン オナカイタイ」と
トンズラ逃げ出した
医者も病名にクロウしたとの 評判だった
直前まで オーストラリァ
インドでエラソーに首脳会談やって
帰国直後トンズラ!だ
日本国に泥を塗った
その上 辞職が総理大臣だけとはナンダ
と 呆れカエッたモンだ

代議士 衆議院議員も辞して
始めて いささかの責を取って
幾分かの償いになるのだ

二代目トンズラ首相 福田康夫
「アナタとワタシはチガウンデス」と
開き直った
― あなた方世間の常識と ワタシ福田は
チガウンデス ―と 精確に言えば良い

この男もまた サミットで世界の首脳を集め
議長をやったすぐ後トンズラ!辞職だ
日本国に泥を塗った
辞めると言った後の“防衛会議に欠席”
“メディァの会見拒否”で
ヒキコモリ だったら自宅に帰りなさいっての
誰でも良い「給料ドロボー」と言う言葉を
フクダヤスオクンに教えて欲しい


三代目はトンズラしないさせないと
確約せぬままに
自民党総裁戦 誤認(五人)興行 三文芝居だ

[ 座頭 麻生太郎 ]
当選直後
「小澤一郎に選挙で勝つことが天命だ」と
ヌカシタ
金融危機 騒乱戦乱 地球温暖化
山積するグローバルな難問に
どう日本が生き抜くか この国の未来のために
如何なる理念で起ち上がるのかが天命であり
その命題に 問われ答えるのが 総理への道
総裁に与えられた「天命」であろう
セコクハナイカ 民主党との選挙を
天命にするのは!
「幹事長」止まりの器の証拠だ

[ 与謝野薫 ] 
五人のなかで まぁまぁ ましかと思えるが
如何せん 器が小さい番頭役
官房長官がヨロシイノデハナイカ
ひと月前まで 自分で首相の器ではない
総理は目指しませんとホウボウで語ってた
嘘はドロボーのハジマリ
政治は夜道でなく 大道を歩む者に託したい

[ 小池百合子 ]
ライス国務長官に
「貴女はお米 ワタシはスシ」と語ったそうだ
寿司でなく 回転すしだろう
日本新党 新進党 自由党 自民党
次々クルクル回転党
厚い白仮面の舌は 信じられない

[ 石原伸晃 ]
論評にアタイせぬ 軽すぎるオトコ
政党助成金の不審 東京新銀行への
口利き疑惑 きっちり公表致すべきです

[ 石破茂  ]
夜の番組で 信念モットーを問われて
誠実だか誠意だかと答えてた
鉄面皮とはこのことだ
イージス艦勝浦沖の遭難事故の際
次から次へと 嘘ゴマカシ
イイヌケのオンパレードだったオトコ
よく言うヨ

どっかの政治学者が 政治家に
民意以上の者はいない と言ったそうだ

煙も香りもしない 五人の首相候補
つくづく 溜息が出ます
アーアこんな程度か と

| | コメント (0)

万世に語り継がねばならない ~ 父への詫び状に寄せて ~

この夏 思うところあって私は
「父への詫び状」を 50人ほどの
友人 知人に お送りをした
熱い思いのご感想が 電話やお手紙で
12人の方から寄せられた 
そのうちの
『ナルミさんは四十数年前に
志賀高原のスキー場で 知り合って以来の親友
彼とは 毎冬40~50人位仲間を集め
スキー旅行をしていた
当時から ワルガキオジサマと呼ばれていた
彼からゲレンデで 皆に配られた
きなこ餅を口に入れたら キナコでなく
和辛子がまぶしてあった
それもコテコテにだった 
イタズラとジョークの天才?である』

ヒラサワ


----------------------------------- 

拝啓

猫の額ほどの我が庭の一隅に
ススキの小さな穂が出て
秋の気配がただよっています
過日
お邪魔して貴方の「それなりの」
お元気に安堵しました
前回お訪ねしたころに比べると
数倍の回復?振りと拝見しました

さてこの度 貴方の「父への詫び状」を
拝読いたしました
小生は ルメイなる人物、
名前の聞き覚えがありましたが 
いかなる所業をしたかについては
残念ながら 未知でありました

太平洋戦争敗戦時に 私自身は
国民学校二年生でした
いつぞや お誘いして
貴方も行かれたことがある宮城県の山の中
鎌先温泉に疎開しておりましたゆえ
当時の東京の悲惨さを知る由も
なかったのであります

後年テレビで観たり
下町で当時を体験された方々から
その悲惨な状況を 聞かされたことが
何度もありました
あなたの父上が語った民間人の悲惨さも
さることながら私は悲痛な重い経験を
したことがあります

九州知覧の特攻隊基地の記念館を
訪れた時のことです
多数の若い特攻隊員の父母への遺書……が
ありました
それぞれ二十歳前後の童顔の青年の
写真がありました
達筆な文面を 私は涙を流しながら読みました

主文は
父上様母上様 先立つことを
お許しください...に始り
弟妹へ 父母の面倒を頼む...
お父上様お母上様
どうぞ ご長命であらんことを祈ります
と ありました

そして又 貴方の「父への詫び状」が
届く前後にNHK地デジ3チャンネルで
「兵隊と戦争」という放送が
夜半に一週間位連続で 放映されていました
……1万5千名の兵士のうち
やっと生き残った数百人の中の
十数人の 体験談を聞き取りしていました
・・・・・
弾薬の無くなった三八銃を
手放すことなく 食料も全く無く
水の無いジャングルの中で 己の尿を飲み
彷徨い歩いた兵士達
火炎放射で火だるまになった
19才の少年兵が「天皇陛下万歳」でなく
「お母さーん……」と 叫んで死んだ……
最後に上官の命令で
たった十数人で 竹槍を持って夜襲をかけ
自身も足を撃たれて
捕虜になった人の体験談  など
惨たらしい戦争で 東南アジア全域で
何百万の日本兵が死にました
戦争というのは 相手を殺すか
自分が殺されるか
どっちかであると思いますが
自らの意思であるか否かを問わず
戦うべき兵隊と非戦闘員の民間人との差は
自明のことと存じます

そして戦争というものは つくづく
人間の思慮と尊厳を失くすものだと思います

願わくば貴方の「父への詫び状」が
もっともっと幅広く若人たちに
読んでもらえることを願います
貴方が語り部になり 
この先何度でも「戦争ヒストリー」を
語り継いで行って下さい


「ケンチャンの元気回復を 信じ切望します」

平成20年9月13日        

平澤建二様
                鳴海勝春

| | コメント (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »