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2008年8月

引かれ者の小唄 ~ 北京五輪考 ~

北京オリンピックの敗者星野監督の談話
「強い者が勝つのではない
勝った者が強いのだ」

ヤメテょね

コーユーのを ヒかれ者のコ唄と言う
未練たらしく 潔くない

北島は強くて勝った
ボルトも ワンジルも
ダントツ強くて勝ったのだ

オリンピック勝者は 偶然や運ではない
冷徹に強者が勝利を手中にしているのだ


モッテ回った言い方で
曳かれ者の小唄を並べるのは
勝者への侮蔑ですらある

スポーツ紙 スポーツ欄 に
「情の星野」がナンタラと書いてあった
そうじゃありません 勝つ為のチーム創り
コンセプトが 皆無だったのです

攻守走 如何なる敵に
如何に対処すべきかの
研究を怠り見識が無かったのです
[投手]=完投先発中継ぎ抑え
投手出身の星野采配に
見るべきも無しだったでしょ
総花的にトッププレーヤーを集めても
オールスター野球やるわけじゃナイでしょ

オリンピック選手がオリンピック選手村に
いないでホテル御宿泊? ナニソレ

性根からして 勝つべく野球にナル筈
ないジャン


星野ジャパン 植田ジャパン
反町ジャパンと言うノ ヤメテょね
と思ってた

古来我が国は「ニッポン」或いは
「日本」が 固有の呼び名であって
「ジャパン」は ガイジンサンが
若干の軽侮を込めての 呼び名であった
言うなら ニッポン星野 ニッポン植田と
呼称すべきが本来である

中国雑技団まがいになった[体操] 
姿三四郎の柔道影も形も無し
ダラシナク柔道着を着用
ヒッパリアイの[ジュードー] の勝者は
私には判然としませんがネ

日本人らしい言わば技術研鑽で勝利を得た
[男子4百メートルリレー]
それは紛れもなく冷厳な記録の示す
強い勝者であった


この国に 今欠けたるもの
『敗軍ノ将 兵ヲ語ラズ』の気概と気骨だ
言うを俟たないことだが
―将たる者 リーダーたる者
詭弁を弄して 責任を回避すべきでない―

けどしかしサ

マスゾエ イシハ アベ アソウ
見渡すと 詭弁イイノガレ病気が
この国のトップに伝染蔓延してるんダヨネ

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足立区長 近藤 弥生 さま

赫々とした猛暑の砌
東京足立区52万人の長として
ご恪勤ご精励に ご活躍の向きを
何よりと拝します     

私は
関原三丁目交番前所在の ひらさわ呉服店で
あります

この度 足立区市街化密集地域開発計画
一環としての道路拡幅に係る工事を
区担当者と協議中であります

ご承知であるかとも存じますが
私どもの
[ひらさわ呉服店]の店看板は
L字型の極めて大きなトタン看板であります
この看板は かって太平洋戦争の敗戦後
しばらくして瓦礫と焼け跡から
必死に復興に立ち上がった
裸一貫の商店主たちが
急造の安普請バラック建築や
商店向きではない町家(しもた屋)を
立派に見せようと 競って掲げた店看板の
一典型です
その名も「ライオン(造り)看板」と
言ったそうです
前面だけが立派で 後方は普通と言った形状が
ライオンのタテガミに似ているとして
名づけられた いかにも 東京っ子らしい
洒脱諧謔なネーミングです

ひらさわ呉服店の店看板の建造から
四半世紀後 昭和四十七年に
私の家と店は 近隣の失火が原因の大火になり
類焼しました

(耐火)トタン看板のみが焼け残り
木造二階建て家屋店舗は 全焼全壊したので
呆然たる思いで焼け跡に立ち続け
見上げた唯一焼け残り「ライオン店看板」は
父の形見です

口惜しさと切なさが交差しつつ
まんじりとして幾晩も眠れませんでした

急を聞き駆けつけ 或いは日を措き伝え聞き
火事見舞いにお出で頂いた
大勢の方々のなかに
父君近藤信好氏 [当時都議会議員]が
おられました  磊落な父君は例の大声で
「ライオン看板が焼け残った!
ライオンのように頑張って下さいよ」と
励まして下さいました

Kanban



「そうだ そうなんだ」と
私は吹っ切れた思いでした

父や父の世代が 戦災の廃墟から
無一物の裸一貫で
立ち上がった象徴のライオン店看板は
そのまま その時 焼け跡から
立ち上がる私自身に重ねあわせる
軌跡と思えたのでした

そして店舗部分は旧状への再築を
決意いたしたものでした

あれから半世紀 父と母と私
三代の商いを見守った ライオン店看板が
近頃では 都内最大級のトタン看板として
マニァが写真撮影に
訪れ来たり楽しき交歓をしたり
メデァにも注目され 記事取材
テレビ取材をうけることも再々あります

いわば昭和の戦後史を知る
[ひらさわ呉服店ライオン看板] の
存続については幸いにして
担当の区職員の方 お二人が親身であり
前向きな方途を
努力して頂いておるところです

成否何れかを問わず
区担当職員の職責全うの尽力には
感謝すべきこと多といたしております

あらためて 又ぜひ 幸便を差し上げる機会を
持ち得度く存じております

足立区関原三―四―五
ひらさわ呉服店

店主平澤 建二

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老害よ去れ ~ 石原慎太郎 ~

お隣りのご隠居 ご町内の長老 村の古老
かっては年寄に いささかな敬意をこめて
尊称したものだが
当今小役人が[前期高齢者][後期高齢者]
呼ばわりして ヒンシュクをカッテイル
サシズメ私などは 身体ボロボロなので
[末期高齢者?]と言うべきではある

ただ私など 少しく心するのは
脳ミソの劣化と妄言を避けることである



石原慎太郎東京都知事 老醜 老残と言うべく
前後を弁えぬ 妄言暴言の連発である
 
「宮内庁の木っ端役人」とほざいたそうだ
皇太子殿下を 東京オリンピック招致の
名誉総裁に推挙を 東宮大夫が難色を
示した事を非難しての言動であると言う

―皇太子殿下 宮内庁
ともに伝え聞く範囲で言えば
恐縮ながら私に全幅の信はない―

だがである

皇太子殿下をオリンピック招致の名誉総裁に
御就任戴くとして雅子妃殿下の御立場を
如何なるものと考慮したのだろうか

妃殿下には 公然語られる
いささかならぬ御体調不振がある

夫君皇太子殿下が
オリンピック名誉総裁とあれば
当然東奔西走の日々におなりだろう

貴顕貴賓の御接待には
しかるべく御夫妻御同伴が定式ではある
その激務に 雅子妃殿下が耐えられるのか
或いは夫君皇太子殿下が
単身でのお出ましの折り
妃殿下の御心境に影響は無いのか
それらに就いて 石原知事の良識と
判断があったのかが問われる所以だ

下世話に言えばだ

『石原慎太郎都知事よ 馬鹿も休み休み
アドバルーンを揚げたが良い』と 言いたい
先方の事情 勘案 充分な根回し
しかるべく明るい爽やかな人事行動が
五輪精神のはずだ

そしてそれは 政治家としても
欠くべからざる必須の要件でもある

相手弱しと見れば 権力カサに暴言を吐き
居丈高に威張り散らすのは
「 悪代官 」と言うべきで
「木っ端役人」よりも始末が悪い――
石原知事の 天に唾する言動の数々は
慎むが穏当と思うが如何だろうか

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