« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

薔薇一輪の物語(2) ~ 橋本龍伍 ~

抱えきれぬほどに 大きな花包みになった
沢山の黄色い薔薇は  持ち帰った我が家で
父も母も しばし感嘆して見惚れていた
弟妹も女中さんたちも 嘆声をあげて
大喜びだった

坂道の途中でのいきさつ
足の悪いおじさんに頂いた話をして 
『お礼に お煎餅でも買って行こうかな』と
私が言うと 父が「先様 ご丹精のお花だろ」
(高校生のお前が)
「お金で始末(買ったもの)じゃ
ご無礼だょ なんか考えな」と言った
そして ~ 世の中には
値札では付け切れない ものの
値打ちあるんだ ~ と 
父の十八番の台詞が その時にも
付け加えられたものだった

思い出すと少々気障で面映いが
私は おじさんへのお礼を
本棚にある文庫本に決めた
『オーマーカイヤム』
『アラビァ人の詩です』と
話の種にもなるかな などとも考えて選んだ

アラビァの詩オーマーカイアムの文庫本を
毎日学生服のポケットに入れ
四之坂を通るのだが
おじさんになかなか出会えなかった
玄関から訪うのも おおげさのように思えて
気がひけていた 

2週間ほど過ぎたころ
生垣の下草を取っている おじさんを見かけて
薔薇のお礼ですと 文庫本を差し出すと
おじさんは 相好を崩して喜んでくれた
『雑草取りですか』と聞くと
「雑草と言う 草はないと
おかみ が言われたが」と 呟いて
おじさんは 本をパラパラ拾い読み
「いい本だ一週間お借りしょう
ここに置いておくよ」と
門柱脇の‐牛乳受けの「箱」-を指差した
私は『差し上げます』という言葉をのみこんだ

翌週のその日は 梅雨のような雨の日だった
牛乳受けの「箱」に 文庫本は置いてなかった
雨だからだとひとり決めして通り過ぎてから
振り返った 
「箱」にアルミの弁当箱があった
戻って 気になる弁当箱のふたを開けると
中に オーマーカイヤムの文庫本が入っていた
門柱のくすんだ表札に
[橋本]と書かれてあるのにも
はじめて気がついた

Book



おじさんとの出会いは
その後 在学中に3回だけあった



高校を卒業して しばらく後のことだ
ニュース映画 岸内閣組閣の画面で
おじさんを見た
杖をついてモーニング着用
正装の厚生大臣 橋本龍伍が
あの おじさんだった

その後のおじさん
政治家橋本龍伍の活躍は
掛け値なしに 心から拍手を贈れるものだった

その時代 国民医療保険は無かった
介護、国民年金の制度も無かった
福祉の言葉も定着していなかった
その時代に先駆けて
おじさん 政治家橋本龍伍氏は

「弱者にやさしい政治」の 松明を
高らかにかかげ 奮闘しているようだった

私は 政治家おじさんの優れた活躍を
見聞の度に 人生での 一期一会 の
絶妙さが 心に沁みたものだった


「雑草と言う名の草は無い」
それが昭和天皇の御言葉だと私が知ったのは
さらに ずーっと 後年のことでもある




※橋本龍伍氏は
元総理大臣・橋本龍太郎
元高知県知事・橋本大二郎氏の父君

| | コメント (0)

薔薇一輪の物語(1)

おお、五月よ 四月の次よ
春の陽差しはすでにとおく--
私の好きな詩だ  

「五月」は 薔薇が咲き競い
陽光燦々と 讃えられる時季なのに
どうしたのだろう 
今年は 連日雨がけむり
晴れ間の陽差しも弱々しく 燦とした太陽に
お目にかかれない

薔薇の咲く時季
ふと思い出される出来事がある
何十年も昔になる高校時代だ
私の高校は都内では珍しい遺跡のある
高台にあった

私鉄の小さな駅を降り
都心を流れる川添いの道を歩み
坂をのぼるのだが
その坂には それぞれ名称があって
一之坂 弐之坂 三之坂 四之坂 と
上り口に 木杭のような立て札があり
墨字で標されてあった

坂の両側は 戦後新しく開発されたのだろうか
整然とした区画で 家々が立ち並び
どの家も 坂に面して生垣があり
小体な庭がある その頃にしては
瀟洒な家並だった
通学路には 駅から近道の弐之坂と三の坂を
ほとんど多勢が利用していた

Bara

その日は 確か土曜日
遅くなって ひとりで帰ることになった私は
四之坂へまわった
ゆっくりくだる 森閑とした坂の途中で
目の前に 大きな黄色の薔薇の花が落ちてきた
拾い上げて目をやると 生垣の上に
その家の主人らしい人が「やぁ」とでもいった
雰囲気で軽く頭をさげた

私は 地面に落ちて
いささか傷ついた黄色い大輪の薔薇を持って
門の中に入った

薔薇を渡すとその人は
「バラを持って行くかね」と言って
惜しげもなく次々に剪って私に持たせた

玄関をあけ 奥に声をかけ
新聞紙を持ってきて 薔薇の名がピース
大輪咲きのつるばらと教えながら
大きな花束のように沢山の薔薇を包んでくれた

歯切れ良い口調 懇切な教え方
温容な風貌のおじさんは
帰り際門の外まで送ってくれた
気がつくと そのおじさんは
少し片足をひきずり 軽いびっこだった

| | コメント (0)

オサムイ時代 ~ 遅きに失するマスコミへ ~

今年の四月 東京の陽気は花冷え
三寒四温の季語が 遅れに遅れてやって来て
寒暖の差が激しかった
変わりやすい気候とパラレルに
私の身体も変調しきりであった

四月某日 身体検査の結果
手術前より体重が10Kg減っていた
付き添いのK君「オナカがメタポなのに」と
看護士さんに告げていた
『バカタレ腹筋がアル』と私が反論したら
「それは タンナル三段腹ッ!」と
一蹴された
ケーキ腹ともカラカワレ
メタポなオナカ回りを差し引くと
実質上は 筋肉の衰えがかなりだと言えて
サムイ話だ

その上身長が 7cmも小さくなって
脊椎間狭窄とかで これまたサムイ話である

「いいからイイカラ
車椅子に乗せ易くなったから」とK君が言う
「歩けるようになれば 又
背が伸びるんじゃナイスッカ」
翌日Tに言われた
『バカタレ ソーユー問題じゃナイ』と
二人には カマシテオイタが
思えば親身なK君T君が最大限
私を慰める言葉なのだと思えて 心温かだった

整形外科通院 ブロック注射にペイン通院
内科通院 漢方通院
とまぁ [生きる]ことを保持する為の医者通い
車椅子の私には 結構大変ではある
大変だが それでも私は
周りの温もりに支えられている
医療費も 漢方を除けば
国民保険の制度に支えられている


憮然とするのは 連日喧しく報道される
後期高齢者医療制度である
かく言う私も
もうじき「コウキコウレイ者」である

後期高齢者制度を知って
塩ジイこと塩川正十郎元財務大臣が
「自分の人生を否定されたようだ」と
述懐されたそうだ
同じように私も コノハナシにうそ寒くなった

後期高齢医療制度は 姥捨て山制度で
どう考えても ヤバイやり方 サムイ話だ
テレビも新聞も メディァも
こぞって大騒ぎだが
ダガ しばし待たれょ!である

この制度法律が 自民党と公明党の強行採決で
成立した時には マスコミの報道は
きわめてお座なりで 世の中のジジババも
今日ほどには 騒がなかった サムイ話である
[後期高齢者医療制度]は
小泉内閣の構造改革 小泉竹中路線の政策で
決定されたのだ
サムイ話の中身が さらに寒いのは
この悪法制度を作った小泉内閣において
塩ジイこと塩川正十郎氏は
ご意見番として重用称揚されていたのだ
当時マスコミも世の中も
挙げてコイズミ路線寄りであった
きわめてサムイ話ではある

人生を否定された塩ジイを筆頭に
世のジジババ自身も 省みるべきではないか

ふわふわと大勢に流され体制に利する
マスコミにも民意にも 民主主義の脆さと
危うさがあることの自省がなければ
他に もっともっと お寒いハナシが
やって来る!


【 今日は5月1日 
七年前に亡くなった母の
生きていれば誕生日だった

通院付き添いのK君 両手に花束を抱えて来た
母の好きだった紫色の花束だった

生きている人に言うように
「糖尿だから少しだけ」 と
柏餅が添えられて......

「お母さん 今年100才だょね」と
仏壇に手を合わせてくれた
ほのぼのと私も 一ヶ月振りのブログ
書こうと 思い立った 】 

| | コメント (1)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »