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2008年3月

話題の政治家三人組

“トンズラ” “イケシャーシャー”
“ゴタクナラベ” “蛙の面にションベン”
話題の三人の政治家を評するのに
もう少し品の良い言葉があったら
ご教示頂きたい


【安倍元首相】
半年前 国家の一大事を目前にトンズラ辞職
無責任のサンプルだった
月刊誌に グダグダと体調不良のイイワケを
書いていたが 主治医も かなりクシンの
病名と言うべきだ とが
もっぱらの世評である

その為 国会国政が 三ヶ月開店休業状態に
なったのは 周知の通りだ

そもそも安倍モト首相は
国民の選挙で選ばれた総理大臣では
なかったが
強行採決18回など やりたい放題の揚句
やれなくなるとトンズラ辞職
頭丸めソリソリ恭順議員辞職したかと思いキャ
またぞろ蠢動 お友達グループ再結成
イケシャーシャーと政治活動再開
ザケンナ いい加減にして欲しい

当今 政治家は人材払底だが
それでも 仕事を途中仕事ホォリダシの
トンズラ氏には用無しだ
政治家を「稼業」とされては はた迷惑
国民メイワク 日本国の恥さらしと思うが
如何か


【石破防衛大臣】
正確には 石破自己防衛大臣と
いうべきだろうが 性格も悪い

内緒にしていたメモがバレテ
メモでなく 走り書きだと言い抜けをした

グダグダ言い訳 三百代言
愚にもつかぬヘリクツで誤魔化す根性が卑しい
イージス艦事故で 石破自身
給与2ヶ月減俸で逃げを計ったが
そんなことで許されるかょ

イージス艦ハワイ迄
\4,000,000,000(40億)かけて
アメリカと合同演習帰途の日本海領海での
事故だ 本来知悉すべき自国の領海
小型船舶の錯綜状態の把握は
防衛のイロハではないか
ハワイから観光旅行お帰りモードが
事故の最大要因なのだ

事故直後 勝浦では遭難者仲間の漁民が
自費持ち出しで 懸命の捜索に当たった
そしてだ
数日後 自分たちの生活もあるのでと
捜索を断念すると 悲痛な表情でのコメントが
テレビに放映されていた

つめの垢を煎じて飲めょ石破大臣!
ホトボリ覚めた頃の視察で
お茶濁しは無責任の極み
税金でヘリコプターを飛ばす 捜索船は出す
費用税金総計幾らだったのかを積算しろょ

石破も事務次官も乗組員も
本来私財投げ打って 捜索費用弁済が
筋道というものである


【石原慎太郎都知事】
この男 見損なった
倣岸無礼 厚顔無恥 沙汰の限りである

何れ稿を改めて書きたい!

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首尾一貫 ~ 上村愛子 ~

上村愛子さんの 弾けるような笑顔が輝いた
イタリァ バルマレンコ
W杯スキーモーグルで 鮮やかな優勝だ
683点獲得 2位540点だから
ダントツ 白銀の女王 燦然たる成績だ

トリノ オリンピックの時にも
この [ヒマフロク] に書かせて頂いたが
輝かしい記録もさりながら
愛子さんの その時々の ひと言が 胸を打つ
記者会見で「ライバルは?」と 問われ
爽やかに 愛子さんは答えた
「自分自身です」 と 

1998年長野オリンピック出場の上村愛子さんは
当時 信州白馬村の高校生だった
惜しくも入賞を逸しが7位のウエムラアイコは
一躍 若者たちのアイドルになった
私のペンションKENの居候君にも
熱狂的なファンがいた

その夏[ ゆかたセール中 ]の
御宿かやぶき茶屋に
知己の塩島千典氏とご一緒に
上村愛子さんがお見えになり
ゆかたのお見立てと お着付けを
私がお相手した 
その時留守だった居候クン
帰宅して逐一を知るや
「オーナーのケチィーッ!」と 絶叫?
「ドーシテ 俺を呼ンデ クンナインスカ」と
イササカ 涙目にさえなったものだ

― マがワルイ ―

数日後 再びアイコ狂居候クンの不在時に
愛子さんの母上からお電話があった 
花火見物に出掛けるので
ゆかたの着付けをとのご依頼と
初めての浴衣姿なので 
思い出写真を撮りたい
塩島さんが ご一緒です と言われた

居候クンのフクレッ面と泣きべそ顔が
眼に浮かんだが 即どうぞとお引き受けをした
かやぶき茶屋での撮影では
愛子さんのポーズ決めが
お世辞でなく流石だった 
「右足つま先加重」などと
スキー用語での私の助言に
着物姿がぴたりと決まった

かやぶき美術館の ほの暗い空間でも
大座敷の囲炉裏傍の 昔ながらの雰囲気にも
愛子さんの 初々しく上品な
立居振る舞いの風情に 好感がもてたものだ

仕上りの写真は 上村愛子&塩島千典の
コラポレーションとでも言うべく
馨りたつ若い女性の ほのかに爽やかな
お色気が感じられて 好ましかった

私は塩島氏にむかい
『女の写真を撮り続けたら如何か』
と大エンゼツで迫ったものだ

その後 塩島氏は かやぶき茶屋ライブでの
モダンダンス山田奈々子さんに魅入られ
あたかも 執念のように撮り続けて
独特の画像秀作を 発表され続けておられた

撮影後 愛子さんの母上は
お礼にと鉢植えの花をお持ち下さって
ぽつりぽつり女手ひとつ
ペンション経営をなさりながらの
愛子さんの子育て時代のこと
選手としての将来へのことなどに
いささかな不安も のぞかせ語られたものだ

十年を ひと昔と言う
苦節十年とも言う


あれから十年である


家出少年ペンションKENの居候
愛子フアンのNは 何日も幾晩も
話合い語り合って やっと復学させた

卒業の時 彼は彼の卒業証書と成績表を
私にプレゼントしてくれた


塩島氏は 揺るぎなく
創作舞踊写真家としての地歩を
固められたようである


「最大のライバルは 自分です」 と
語った上村愛子さんは
母上のご心配を超えて
優勝メダルよりも 素晴しい耀く「思い」を
自らの胸中に収め 飾られてあるようだ


年々歳々 人同じからず 


翳り無く あすなろの樹のように[上村愛子]は
大きくなった

「最大のライバルは自分自身」
その通り そうだと思います 愛子さん

“自らを制して 自らの人生のゴールを
目指したい”

私も 常々 そう考えております



塩島千典写真展 於 髙橋節郎記念館
08/5/1~
長野県安曇野市 

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竜頭蛇尾  高言にして仁少なし

大言壮語 竜頭蛇尾
昔々 落語のような時代 是非にもとの
お金を借りる時には
「女房を質に入れても」とか
「千両のカタに編み笠一介」などの
言い習わされた言葉があった

石原東京都知事の発案で「無担保無保証」を
唯一最大のセールスポイントに
「新東京銀行」が創業されたのが
平成17年だった 東京都が1,000億円出資して
オープンをしたのだが
それから3年目新東京銀行の融資先で
潰れた会社が2345社 融資焦げ付き金が
285億円だそうだ 

只今赤信号の経営危機に 石原知事は
東京都が追加出資400億円要請と言っている

バカも休み休みにして貰いたい
後先なしの思いつきに
都民の1000億円の税金をつぎ込んで
さらに 武士の商法が行き詰り
追い銭400億円は 殿御乱心と言うべきだ

落語の世界だとしても八五郎は
大工道具(担保)を質入れ
長屋住いの素浪人は 武士の矜持を
カタ(信用)に 金銭貸借が行なわれた

不足勝ちな担保力を人物信用で補う
血の通った中小企業向金融が私たち商人には
格段に必要だが 
「担保」と「信用」その両方を欠いての金融は
成り立たないのが 自明の理だ

石原銀行とも言われた「新東京銀行」の
貸出金は 年平均 約90億円も
焦げ付いた計算だが それにもまして
貸付先が 年平均 約800社の倒産とは
信じられない 呆れ返った数字だ 

担保も信用も無し
経営者にさしたる人物評価無しで
貸し出した新東京銀行の無謀さのツケだ
ヤトワレ社長の責任もだが
スキームなどと気障なことは言わなくて良い
計画初手から金融のイロハを欠いた公約を
掲げた イイダシベェ石原都知事の責任は
重いと 言うべきだ

にしてもこの度の石原知事
平素の大言壮語にも似ず
責任逃れの言動終始は どうした事だろう

しばらく前だ 地方債の拠出を国に要請され
当初石原知事は
「(国は)使い込みした悪代官。
拳銃(けんじゅう)持って強盗するのと同じ」
と語った
ところが 要請された他府県に先んじて
早々とギブアップ 東京都の3000億円差出しを
決めた

たとえばそれが 疲弊した地方への
緊急避難策だとしても
地方自治の根幹にかかわることだ
愛知県など要請あった他府県と
協議整合を計った上で 止む無くば
今年限り単年度特例として
国に地方格差是正策を強く迫るべきが
筋道だろう 
東京都それ自身も 数年前迄の財政危機を
忘れたのかと言いたい

しかもその時 あろうことか
石原知事は「泣く子と地頭と国には勝てない」
と言い捨てた
負け犬は最初から吠えないものだ 

石原流に言えば まるでカツアゲされて
親の金を持ち出したパシリのようではないか
世間では 泣く子とは
石原知事の二人の息子
自民党代議士のことだと喧しいが
それも言えるかと思える位に
過激人騒がせな表現で発言後
石原知事は態度豹変するのが常だ

竜頭蛇尾 高言(巧言)にして 仁少なし
と言うべきなのだろうか

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人は生かされ生きている ~ 世界ウルルン滞在記 由紀さおりさん ~

由紀さおりさんが
TBSの『世界ウルルン滞在記』に 出演された

ブルガリァへロケの手土産に
私のアイデァで きものひらさわから
手拭をお贈りしておいた
お出掛け前に 長寿を探るテーマなので
ご期待下さい と 由紀さんから
お礼のお便りを頂いた
「明後日放映です」と
由紀さんのマネージャーTさんから
2/22に電話があった
「由紀は135才まで生きる予定に
なりましたので!ヒラサワさんも
お仲間にどうぞ」と言われ
私は答えておいた
『折角ですがご遠慮いたします
車椅子ですから モウソロソロで結構です』
「まぁ そんなぁ」

由紀さんがホームスティ先のご家庭で
85才のお父さんが 首に手拭を巻いて出て来た
やったぜ!である
昼食時の画面に そのお父さん
「オーイッ メシはまだか」の雰囲気だった
80才の奥さんと由紀さんに向って
「しょうがないナ二人とも お喋りばかりデ」
と言いつつも
デンと座ったお父さん!
テーブルひとつ拭くでナシ!
ムカシ昔の日本のお父さんの風情だった

遠来の珍客 由紀さんをもてなすために
親戚の人が羊を殺す場面があった
「いやーン」と泣き出した由紀さんに
「私たちの食糧のために飼われていたのょ」
とお母さん

思い出した事がある
半世紀以上前の食糧難の時代
我が家では 庭でニワトリを飼っていた
経験ナシの呉服屋の父が集めたニワトリは
白色レグホン 名古屋コーチン
ナントカプリモス チャボと
種々雑多のメスの他に 幼い私たちを
追い回すほど 喧嘩強い軍鶏のオス
“銀次郎”が居た
“銀次郎“は 玉子ウマナイネと言うと
父は「オスにはオスの役目がアル」
と解説したものだ

その頃 戦災で家族全員が死亡
独り生き残り我が家に身を寄せていた
「マセおばちゃん」がいた
下町言葉と違って必ず語尾に
「ませ」をつけていた
「いってらっしゃいませ」
「お帰りなさいませ」

お屋敷に暮らしていたが
身寄りが無くなった人だから
おばちゃんには いろいろ聞いては
いけないョと言い聞かされていた

或る日 銀次郎がツブサレルことになった
お客さんが来る夕御飯の鍋に
なることになったのダ

大工の小父さんが来て
いよいよギンジロがコロサレル寸前
マセおばちゃんが飛んで来た
「オヨシナサイマセ」「オヤメナサイマセ」
「坊ちゃまオドキナサイマセ」
「あーオカワイソー」と
ギンジロに涙したマセおばちゃんは
二階の部屋に入ったきりになり
出て来なかった

やがて夕御飯 鶏スキヤキの匂いが
家中に漂った 
呼ばれてマセおばちゃんも夕食の膳についた
マセおばちゃんは 深々と頭を下げて言った
「いただかせてイタダキマス」
何故か トリナベ=銀次郎を
誰よりも食欲旺盛に食べたのが
マセおばちゃんだった

食べ終わるとマセおばちゃん
「オイシュウございました」
手を合せて 深く々々 お辞儀をした

そうです 由紀さんも 美味しそうに
羊料理を食べていました

生命をいただいて
私たちは命を繋いでいるんです

長寿の村には 中国ギョーザも
冷凍食品も無かったようだ
セカセカしたヤンママも
オドオドしたパパも居なかったようだ

生き生きと 今日を生きて
その結果が長生き長寿なのだと思えた

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