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2007年12月

K’くんのこと ~ 東京バナナ ~

かっての はるかな昔語りの風情に
なってしまったようだが
師走になると さわさわと鳴る
大きな3mを超す笹竹が
私の 商店街通りに飾られた
さわさわの音は 年の瀬の慌ただしさと
なにがなし新年への期待をふくらませる思いが
あった

年が明け 松飾りとともに片付けられる笹竹は
父の手で物干竿や竹馬に生まれ変ったものだ



師走 近時片々

某日 店長が奥へやって来た
けげんそうな顔つきで
「アホの○○さんとおっしゃる方からの
お電話でございます」
『ハイハイ分かります』
電話に出るとモト居候K´
5~6年振りである

居候の頃K´が懇願した
ワタシは居候の誰彼かまわずに
『バカタレ』『バカモン』を連発する
大阪出身のK´は
「オーナーの江戸弁『馬鹿っ』は
カナリキツイっす」
「自分の場合は アホちゅうのンで頼ンます」
だった
用件は ワタシのカオを見るために
上京するということだった

「オーナーの顔見るのヨメハンとオカン
(おふくろさん)に奨めらましてン」
『そりゃどうも』

「公費で 来ました」
『?』
「バス代ヨメハンに貰ろたんですゎ」
『!?』
『今どんな仕事なの』

「オカンなどを~」 と 言いかけるK´を
さえぎって  『バカタレ』と私は言った
『まーだ おふくろさんのスネを
カジッテいるのかょ』
「チャイます お棺です」『??』

私のハヤトチリ
-葬儀関係の商社勤務だそうである
ナラバとタノンダ『チカジカ必要と思う
ワタシのオカンをタノム』
「ウチは卸で小売はしません」と一蹴され
「クダランコト言わんといて下さい」
「オーナーが元気やから
ウチらも一生懸命やらなと思えるンです」
とカマサレタ

ホームページで見た きものひらさわ
オリジナルスカジャン 実物を店で手にとり
「商標登録せなイカン」
「エェ アイデァや京都観光に
ぴったりや 流行りまっせ」
とハッパをかけられた

遠来のもてなし?私が作ったポトフ食べて
「エ~ワ~ オーナーの味や」
お世辞をいってくれた

「次の時 京のわらび餅 買ォて来ます」
けど何故か 今回の土産は 東京バナナだった

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Kくんのこと 4

いっこくなひと 頑固一徹ともやや違う
頑固だけでなく 一本気な筋道を
立てる人……だろうか
“一刻者”とも“一国者”とも言って
かっては職人さん気質の根っこだった

T子さんの父上
<一介の職人さんから身を起こし
建設業として磐石になられた方だ>
夜分遅くにお訪ねするいきさつ

婚約辞退の話を「ほう ほう」
と柔らかな相槌で聴き終えると
静かに きっぱりとした口調で切り出された
「そのお話でしたら今晩お出で頂かなくて
結構です」
「私はT子が卒業したら2~3年は
手許に置きたいと考えていました」
「私は少し淋しいが」
「いい縁だ 嫁にやろうと決めました」
「娘ひとりです 決めるには
いろいろ考えました」
「だが 先様が お医者様だから
お金があるから 嫁に行って
楽が出来るからと 条件付きで考えた事は
一切ありません」
「貴方の太鼓判通り 人柄が良いと見込んで
賛成をしたのです」
「世帯を持ったら 共に苦労は
当たり前じゃないですか」
と 訥々として語る父上の言葉に
私はひたすら 電話に向って
何度も頭を下げ続けた

父上はひと息つかれ
T子さんを呼ぶ声がした

「T子の気持ちが 一番大事です」
「聞いて見ます」
「ひょっとして 条件が変ったから
嫁に行かぬと 娘が言うかも知れません」
「その時は ご勘弁ください」
そして「ただし」と
一段と語気を強め言われた
「そんな娘だったら 明日の朝
この家から出て行ってもらいます」

電話BOXの向こうには 私の涙でかすむ
いったり来たりのK君が ぼうっと見えた
T子さんの電話の声は 小さく
しかし 一語一語 噛みしめるように
はっきりとしていた

「私の気持は まったく変りません」

「雨降って地固まるだゎ」
目を潤ませ 大喜びした癖に
二人の結婚式に「あたしゃ出ない」と
我が家の母が言い出した 
K君の懇請にもS様のお申越しにも
「80の年寄です 粗相があっては
取返しがつきません」とニベもなく
お断りをしていたが 御招待状は頂いた

私が
「孫みたいに可愛いとか言いながら
ゴウジョウ張り過ぎてシッレイだょ」
と非難すると 
何故か母は 黙ってニコニコ
反論をしなかった 

「葉書に書いときましたけどさ」と母
「名代に梅若清瑛さんをお頼みしました」
スマシ顔である
当代若手随一と謳われた
津軽三味線の名手梅若清瑛氏に
母は代理出席を依頼していたのだ
「若先生もT子さんもおきもの似合いでしょ
紋付袴とお振袖に タンタカターンは
いやょね」

イヤハヤ老獪トイウベキである
ただ ご両家ともども 母のプランには
大喜びをされた

蝶よ~ 花よ~ と~ 育てた娘~
朗々と響きわたる梅若師の
秋田長持唄に迎えられ 満場の拍手を浴びて
新郎新婦お色直しの入場
「あの振袖」が絢爛と映えた

「あの振袖」の この日のために
新郎が贈った 萌える春新芽色の袋帯が
ひときわ目に沁みた

千葉県M市 市長さんの祝辞
「私は職責柄 盛大な結婚式への御招待を
数多く経験いたしておりますが
本日ほど盛大で しかも 本日ほど
心のこもった結婚式は 初めてであります」

大〆は 梅若清瑛師 心技一体の撥さばき
名演奏津軽じょんがら節に 満場が酔った
やがて 海鳴りのように沸きあがる
満堂の拍手に送られる 「あの振袖」を
私は しばし 陶然とした想いで見送った

(終)

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Kくんのこと 3

人生には 悲喜こもごもがあり
禍福あざなえる縄の如しの 出来事もある
穏やかだけの 仕合せな人生もあるが
さまざまな波乱も過ぎ去れば
(想い出函のオルゴール) 旋律のように
懐かしくも聴ける

振袖が縁 赤い糸が紡がれるように
K君とT子さん二人の交際が始って
母も私も祝福をした
翌年春 私は 事故被害が原因で頚椎が悪化
のっぴきならぬ身体状況で
半年間手術入院をした
全身砂袋で固定され 仰向きの1ヶ月余り
激痛の日々 ヨチヨチの歩行訓練
その日々をいつも
二人は仲良く見舞いに来てくれた
そして その秋 二人は婚約をした

二人の結婚式場が赤坂Pホテル
御招待客二百数十人に決定
予算1千万円を超えると聞いて
俄然 私のオセッカイ虫が蠢動した
K君と一緒に何度もホテルへ出掛け
トコトン予算を目指し アレコレオマカセで
私が交渉をしたが そのなかで
ワタシの気に入らない項目が
司会者謝礼15万円~50万円の価格だった

詰めの段階ホテルの宴会係が
「破格なオベンキョウ予算です
ご両家様に大変ご満足を頂けます」
「ところで」と言った
「司会者は どのランクに致しましょうか」
と聞いて来た

マンヲジシテ ワタシは言ッタ
『私が致します』
「ヒェーッ」と宴会係は奇声をアゲた
「オタク様がデスカッ?!」
~無理もない 毎度の交渉に
私は杖を突き 首にはコルセット付である
宴会係は 唖然&呆然 目を点にしていたし
K君も一瞬 目を泳がせていた

やがて一息入れてK君が
「そういうことでお願します」で
マァ一件落着!
とんとん拍子に 3月末結婚式の段取りが
進む中で 2月に思いもかけぬ出来事が
勃発した

K君の父上が事故で生死危うい状態になられ
半月後に危篤状態は脱したが
重度の障害が残った

寒風吹きすさぶ 2月のある日
K君から相談があると電話があった
待ち合わせたホテルの喫茶室で
思いつめた顔で切り出されたK君の話は
大要こうだった

「親父の回復は ほとんど無理
多分寝たきりになるだろう」......
会話が途切れた......

「これから先の大変さを僕は覚悟している」
けれど と K君は低い声で話を継いだ
「嫁に来てもらうT子さんには
考えれば考える程
負担が多すぎると思う」............
「辛いけどT子さんのために」と
押し黙り......目をうるませて言った
「婚約を解消したい」

切ないが 私には K君への反論説得が
思うように出来なかった
私自身も障害の重圧を知り過ぎているからだ
ざっくばらんなところ
口から入れてお尻から出す
生きる人間の最低ラインを失った人を抱える

家庭の困苦を 自身が知る私には
新婚のその日から 介護を覚悟の人生は
非情だとも思えた



長い長い時間が過ぎた
なんとか婚約の破局を食い止めたいと
必死の思いと焦りが私にあった
だが その時 K君の苦渋の選択を止める
適切な考えが
悔しいが私には思い浮かばなかった



ともかくT子さんのお宅に伺おうと
電車を乗り継いで都下のS駅に着いたのは
夜10時だった
夜分の訪問なので 駅前の公衆電話BOXから
私が電話を入れるとT子さんの父上が出られた

(つづく)

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Kくんのこと 2

数多くの中で 「ひときわ目立つ」
人も 器も 物も ある
舞台大勢の役者のなかで
ひときわ目立つ のは 華ある主役
何気ない集合写真のなかでひときわ目立つ
なぜか 華ある人もいる

きもの展示会 ホテルニューオータニ
千数百人がざわめく 広い芙蓉の間
飾られた数々のきものの逸品 群鶴のなかで
ひときわ目立つ「その振袖」を
成人式ご見分に 都下のT市から
お出掛けのお得意様S様が
お目に留めて下さった 

「本当を仰って下さいね」
「その振袖ウチのT子に似合うかしら」
「一存では決めかねるお値段ネ」
「帰って 主人に相談します」 

「その振袖」を手に私は
『やがて結婚式のお色直しにも
お召しいただけます』と申し添えた
「オヤオヤ成人式もマダなのに
結婚式のお話ですか」
「もっとも ココのような立派な式場でも
お衣装だけは釣り合うかしら ホッホッホ」
とS様 
『いぇいぇ中身も 素敵に
お似合いの筈ですょ』と私

T子さんは 前年
ミスきものコンテストに出場された
きものの似合う可憐な女子大生で
七五三のお祝い着にはじまり
きものはすべて ひらさわが ご調度である

S様の父上が
「女の子はひとりだ 気張ろう」と言われ
とんとん拍子に「その振袖」とともに
格調高い袋帯もご調度 6月に御納品して
後日 和装小物をお選び頂く
段取りになっていた

その年私は 信州白馬で
ペンションKENをオープンして好調
古民家かやぶきは 新指針を決め
本業の呉服屋経営も
きわめて順調に推移していた
が しかし好事魔多し というべきなのか
9月に 交通事故被害で頚椎に傷害を負い
徐々に体調が悪化しつつあった
車の運転にも支障が出て来て
11月にS様へ 和装小物のお届けを
電車で行く事にした

当日 書類を渡す所用があり
新宿で落ち会ったK君に「辛そうですね」
「今日は暇だから~」
「何処までだか 荷物を持って行って
あげましょう」と言われて
同行を頼む事にした

「ものはついで 帰りも一緒します」
ケイタイのない時代
「駅前でパチンコやって待ってます」

S様の御宅では 「その振袖」を
ためつすがめつの四方山話で盛り上がった
「お夕食を」とのお誘いを受けてやっと私は
K君との約束時間の遅れに気がついて慌てた
「そうでしたか 駅まで送らせましょう」
と S様がご子息を呼んで下さった

ご子息は スキークラブでK君と旧知の仲
私は
『いっそ イタメシでもご一緒シマショウ』
『T子さんもイカガですか』とお誘いをした

「ハーイ 行きまーす」
とT子さんを お連れした
それが「その振袖」の取り持つ縁!

― 赤い糸が紡がれる始まりになった ―

(つづく)

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