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2007年11月

Kくんのこと 1

それは 美しいきものだった
ときめくように 気品ある美しい振袖だった

昭和64年正月 初春荷開き市で見つけた
ほれぼれと美しい「その振袖」は
価格が○百万円 と 
飛ぶ抜けて 高価な逸品だった

「その振袖」は 後に ある
「人生」の一生の出会いと
恋物語の発端になった

染めも巧緻 能衣装のあしらい
典雅な金箔蒔絵 華麗な「その振袖」は
翌二月にホテルニューオータニで問屋主催の
きもの展示会で 筆頭に飾ると聞かされた

私は仕入先で時折 呉服屋商いを離れて
心を惹かれる素敵なきものに
出会うことがある

日本人独特の感性 あやな色彩
繊細な手仕事 完璧な職人技の
素晴しいきものを見出すと
ついつい ソロバン抜き 商売抜きで
店の仕入より 自分が欲しくて夢中なる
ドーラクがある

「その振袖」も 素晴しい逸品物!なので
ぜひにも欲しいと考えたが難問が二つあった
ひとつは 高価すぎる 
ひとつは 黒地色~個性的だが
着こなしが難しい サテ売れるかな と
いささか心もとない 

ラシクナイ迷いが その時の私にあって
「その振袖」を ひとまず借りて
検討することにした
帰途「その振袖」だけを助手席に積んで
小さな子がオモチャを手に入れた気分で
運転をした
店で「その振袖」をひろげると
店のSさんYさんが異口同音に嘆声をあげた

「ウヮーッ素敵 見たこと無い」
「お値段お高いでしょうネ?
見当ツカナイ!」と言った 

母はおもむろに「またオ道楽なの」フフフ…
そして
「売るには ちょっと ヒト苦労ダワネ」
「仕入値は ○○○万位?になるの」と
流石に!年期である
ツボに嵌った指摘をした 

店で全員が「その振袖」を話の種に
盛り上がっているところへ
当時N歯科大学医局にいたK君が
ふらりと遊びにやって来た 

「ニギヤカデスネ」とK君
私が『この振袖ドオォ?』と
「その振袖」をひろげて見せると
K君が言った
「素晴しいですね!!」
そして「だけど」と続けた
「ブスが着ると ド-ショゥも無い
きものですね」

―ブスが着るとダメ― 言い得て妙だと

店で一同が大笑いだったが
ワタシはそのヒトコトで仕入れを決めた
母に「決めたの?」と聞かれ
私は『ブスに着せなきゃ いいンだろ』と
答えたものだ

翌日問屋に出向いて 私は
押したり引いたりの駆け引きの結果
「その振袖」は 
ホテルニューオータニの展示会場の
正面に飾る事を条件に
私が極々格安に買い付けた

-きもの展示会-
ニューオータニは連日
御来場者が引きも切らず盛況で賑やかだった
なかでも「その振袖」は
群を抜いて御来客の目を惹き
お客様皆様が「その振袖」と
値札の両方を見詰めては
感嘆の溜息を吐いたものだった

そして「その振袖」が取り持つ縁で

当時独身貴族だったK君の
恋物語のプロローグになったのであった

(つづく)

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ミシュランなんぼのものでっか? - 庄内 酒田 -

「おいでのう」 山形庄内地方
酒田の言葉で 「いらっしゃいませ」の
挨拶語だそうだ

吉永小百合さんが
JR東日本のコマーシャルに出て
「庄内なのに京言葉?」と言っていたが
きもの姿の彼女の語り口からも
はんなりと たおやかに「おいでのう」が
聞こえて来るかのようだった

そのはず それもしかりである
往時 交易の「北前船」が
大阪湊~酒田湊を往復していて
盛大に栄えた港町である
京言葉が何時やら
そっと伝わっていたとしても不思議ではない

居候君のHが大学を卒業して
故郷の酒田に帰り就職したのは2年前だった

横浜での大学生活中は
さほど気に留めていなかった 地方の格差
人口の減少 わけても若年層の
都会への移動流失には
少なからぬ衝撃があって 故郷の疲弊に
心を痛めていたようだった

夏休みに上京して来たHは
「なんとかしなければ ダメッすょ」
と辛そうに故郷の現状を語った
いくぶん苛立つような彼に
その時私は思い付きを口にした

[ おいでのう ]を
著名な某書家に揮毫して頂こう
そしてそのコピーを酒田の街中の商店に
プレゼントして
いろいろなお店の店飾にしてもらっては
どうか ! と提案をした
傍で聞いていた Mさんも
「いいゎ おやりなさいょ」とけしかけた

揮毫料などの諸費用は
取りあえず私が立替えておいて
Aから私への返済は
月々5千円のローン?と
話は盛り上がったが まだ実現はしていない
あれこれと 音も無く崩れいくような
故郷の街での 目前の危うい切迫に
ゆとりが持てない
力が出ないと 時折り電話で語っていたのが
止む無い現実ではあるのだろう

そのHから 久し振り
明るい声で電話があった 
聞けば 今年の田植えから
兼業農家のご両親を手伝って
稲作刈入れが終わったそうだ 

「オーナー 新米が取れたので送りまーす」
と なんとも嬉しい話である

『つまり 新米がツクッタ新米か!』

「その通りッース」ほどなく
心づくしの新米が送られて来た

Hの弟Tは 今春 社会人になり
在京していて 時々 我が家へ
遊びにやって来る 
ワタシの顔と「鰻重」とを
時々 二重写しに?思い出すそうでアル

某日Tから電話
「平日休みがとれたので 一緒に
お医者さんへ行きましょう」と 殊勝である
あいにくと その日は ウナギ屋が
定休日なので 夕飯は鍋物にした

Tはヤセの大食い!
頼もしい位 食欲旺盛である
ビール&鍋
ニギヤカに箸を動かしていたTが
-ご飯にしますか- と お給仕された
トタンに 大声で叫んだ
「アー 俺ンちの米だァ」……

うかつにも私は
Tにご実家から新米が送られて来た話も
お礼も し忘れていたのを思い出した

ニシテモ 凄い!!知らずに 出された
[ご飯を] 一目見て 俺の家の[米]と
判る眼力は凄い!
ミシュランもマッサオ顔負けの眼力と
言うべきである

ササニシキ コシヒカリ アキタコマチ
と知ったかぶりで能書きを私も口にするが
出されたご飯の見分けはつかない
ブランド名に寄りかかって
イッパシを言うだけの事だ

ミシュランの鑑定員も
寿司屋でシャリを酢加減にダマサレ
半可通で 星を点けたのでないのか

- オレンチのコメだ - のレベルには
ワタシもミシュランも 脱帽の他ないハズだ

そう そう オラガ在所を自慢ジャないが
と 故里の埋もれた至宝を見い出せ
自信を持て

「おいでのう」素敵な故郷の言葉で
地方から元気を発信しろよ! と  

今晩アタリ電話で Aにハッパをカケョかな

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準備万端?! ~ パラドックス ~

東京っ子 特に下町っ子は かっての時代
「芝居」が大好きだった
我が家では 父 母 母方の祖母が
半端でなく 芝居好きだった

父は「シバイ」母は「オシバイ」
祖母は「シバヤ」と芝居を呼称していた

好都合なことに 父や母が采配の昭和の時代
家業の呉服屋は反物をまとまって仕入れると
問屋が必ずと言って良いほど
サービスに 温泉か芝居を
招待してくれたものである

「熱海 箱根は見飽きたゎ
お芝居にしていただくゎ」
「歌舞伎がいいっかな~」が 
毎度々々 ひらさわ呉服店のお内儀
母の口上ではあった

毎月の芝居見物は
父 母 祖母が ローテーションで
出掛けるのだが
[ 師走の顔見世 ][ 正月初春 ]の
興行には 三人揃っての お芝居見物だった

当時の大人たちは ―学令前のお子様は
ご入場出来ません― と
わざわざ断り書きが無くても
子ども連れでは 芝居見物には行かなかった
~可愛い我が子も 他人にゃガキだ~
との ジョーシキを心得ていたのである 

チナミに かってその頃
寿司屋のカウンターは大人サマ優先席であり
買物は大人サマが決定し
ガキは参考意見のみ聴取の時代で
物事常識が作法エチケットだった
大人と子どもの住み分けが 秩序厳然とあり
当前ながら 大人と子どもの娯楽は
別とされていた 

我が家も幼い私たちが
いくらねだっても芝居見物の時は
爺ゃさん女中さんとお留守番が定番だった

そのかわり お土産は派手に盛沢山だった
色とりどりな金平糖 美味しいカリントウ
板アメ 芝居人形 千代紙 小凧 風船
時には 役者絵の羽子板などもあって
幼な心がときめいた

芝居見物から帰ると お茶を一服しながら
大人三人は「音羽屋がいい」
「成田屋が良かった」「播磨屋が一番だ」
と 賑やかに話し合うのが常だった

当時5才位 マセタガキのワタクシは
その音羽屋等の○○屋を
土産物屋と勘違いをしていた

お芝居見物というお出掛け場所は
衣装を派手に 綺麗に着飾った
土産物屋の店員がいて
店員全員が絶世の美男美女
声高らかに格好つけ
踊りながらの物売り姿を 想像シテいたので
浅草仲見世の賑わいより 数段格上なのだと
考え ナントカ一度は
行きたいと夢見ていたらしい

夢は実現の目標である
三つ子の魂トイウベキカ連れて
けツレテケと 毎日百萬遍の文句を並べ
終いにマセガキの私は
目標貫徹の為にゴウジョウにも
ハンガーストライキを決行したらしい

「坊やはナミより利巧だから」と甘い祖母
「ショウガナイカ」と父
若干懸念を残しつつの母 女中の定ちゃん
私の五人で 芝居見物に出掛けることに
相成った

華やかに総見の芸者衆
きれいな着物姿の女性たちが行き交い
浮き立つような開幕前の
芝居開幕のひととき
ざわめく劇場「廊下」の雰囲気に
マセガキのワタクシは 最初
ソレワソレワ 至極ゴマンエツ
ウサギの耳当て着物姿が 可愛いいと
誰彼にほめられて 得意満面だったそうだ

ところが事件は起きた!

場内で着席 幕が開き最初の一幕は
世話物だったそうだ
母はいやな予感がしたという
ゆったりと 人情物の世話場の口説き
しかも初日近くで 役者に台詞が
入ってなかった
いささか 場内だれ気味のその時
一瞬鋭く マセガキが甲高く叫んだそうだ

『ハヤクゥ オ芝居へ行キマショ-ょッ!!』
『ヨォ-ッ ネーッ』
『ハヤク イコウョー お芝居へ』

マセガキの口を母が押さえ
定ちゃんがマセガキを抱えて
慌てて廊下に出たそうだ
女中さんの腕の中でモガイテいたマセガキが
「廊下」に出た とたんに言ったそうだ
『あーっ お芝居のとこに
ダァレモ いないゃ』

後年 母が 「猫に小判」は
あの事だと言っていた

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役者バカに捧ぐ ~ かやぶきライブ 山田真二 ~

親友 山田真二が逝った

Yamada







先日開催された宝塚映画祭で山田真二出演作品が3本上映された

華やぐパーテーの賑わいも好きだが
宴の前の 心なしか緊張ある
浮き立つ気分も 好ましい

13年前 茅葺き屋根の大崩落をきっかけに
私は信州白馬かやぶき茶屋の
再生新築に取り組み
落成記念のオープンパーテー開催に
こぎつけた 

ゲスト出演には 親友の歌手山田真二
日本舞踊五月千豊さんと
社中3人さんが駆けつけてくれた

信州白馬御宿かやぶき茶屋

玄関大戸を開け見上げると 4階吹き抜け
豪快な梁が交差する空間は
誰もが息をのみ感嘆した

その空間30畳に
昔古材を敷き寄せ[ 舞台 ]見立て
つづく60畳の大座敷を 客席にしつらえ
我ながら ほれぼれと見事な
[ ライブステージ ] が完成したのだった

打ち合せが一段落 掘りこたつで
お茶を飲んでいると 五月さんが来て
小声で言った
「平澤さん 真二さんのお姉さまも
今日出演なさるの?」
『いいえ どうして?』
「奈々子先生 先刻からステージで
大黒柱にポーズを構えたり
かるく踊ってらっしゃるゎ」......

「あの方パホーマンスの名手だから
急遽出演!ナァ-ンテ 楽しみかもね」
と茶目っぽく笑った

『お茶をどうぞ』と声をかけると
奈々子さんが こたつに入り
ふぅーっと息をついで話された
「平澤さん素晴しい空間を創造なさったわ
あなたの人生を賭けてかしら」
『いやーそれほどでも』
照れる私に モダンダンス山田奈々子さんが
静かに語りかけた

「ヒラサワクン かやぶき茶屋の
この素晴しい空間で 私に踊らせて
下さらないかしら?」『エッ』
「ノーギャラで結構 全部ヒラサワクン任せ
何としても この空間で踊りたい演目が
あるの」と......
高揚されたように胸のうちの想いを話された

 

― その数年前 近代詩の吉原幸子原作
「花魁」を芸術祭参加作品として上演
好評だったそうだ
詩人吉増剛造 琵琶半田淳子
ギター中村ヨシミツ
言うべくコラポレーションの嚆矢だ ―

― 東北の貧しい家に生まれ
身売りをされた娘が 花魁の位に登りつめ
栄華つかのま 子を孕み
結核に罹り 追われ 捨てられ
さまよい 狂った女の生きようが筋立て ―
展開という

批評家にも絶賛を浴びたそうだ 

さもありなん
「女」を演じて 当代屈指の舞踊家と
言われる山田奈々子が
詩壇最高峰の吉原幸子と組んだ
渾身の舞台 だったのだから 

さてそして その人 山田奈々子に
名指され懇請されたのが
[ かやぶき茶屋空間 ]とあっては
私に否やのある筈が無い
胸弾む思いで承諾をした

パーテーは盛大を極め
歌も踊りも喝采を浴びた
そして何より 山田真二の
友情溢れるトークが
絶妙に御来客の心を打った
ご来客との二次会も打ち上げ
当夜はペンションKENに引き上げた

宿泊室に 真二、奈々子さん 私
K君の4人が集まって
奈々子ライブ「花魁」を話し始めたが
案に相違して 真二が大反対だった

「ヒラサワクン お姉ちゃんの芸は
ここじゃ当たらないょ」

「ダメダメ ウケマセン お姉ちゃんに
恥かかせないでょ」

「冒険どころか危険です」 

「かやぶきのお客様に
山田奈々子の芸は異質です」と真二

『ウケ狙いだけが 芸じゃない』と私が反論

「青いンだょ ヒラサワもお姉ちゃんも!」
彼は強硬に自説を曲げなかった 

現代舞踊モダンダンス奈々子さんの
時に高踏な芸風が
かやぶき茶屋に集う観客には
理解されなかろうとの彼の懸念は
一面妥当とも言えたのだが

『アオイ方が 新鮮ダッ』
「リンゴは紅い方が美味しいョッ!」
アルコールの勢いもあって 
彼と私の議論は 脱線気味に
アア言えば コウ言う で果てしなく続いた

終止符を打ったのは 小気味良い
東京っ子らしい奈々子さんの
啖呵にも似た一言だった

「お客様どなたも観て下さらなかったら
ラストで かやぶき茶屋のガラス戸を
蹴破って 雪の庭へバッタリ倒れるゎ」
オホホ である 
観客総立ちマチガイナシ!と確信出来る?!

かくて翌年  山田奈々子パホーマンス
「 花魁 」が[ かやぶき茶屋ライブ ]
として上演され 山田奈々子畢生の
名舞台になった 

後日評判を聞きつけ 国立劇場参与の方が
かやぶき茶屋へ わざわざ東京から
来訪されたフランス大使館からの
問合わせがあった
当夜の観客には 詩人吉原幸子さんが
病身をおしてお出掛け下さっていた

終演鳴り止まぬ拍手の中
山田真二は立ち上がり
ボロボロと泣きながら声つまらせていた

お姉ちゃん凄い! お姉ちゃん凄い! を
連発していた山田奈々子の弟・山田真二君
目をうるませて 拍手していた山田奈々子の
盟友吉原幸子さん
お二人とも 遙かへ旅立ち 故人になられた

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