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哀愁の街に霧が降る ~ 俳優 山田真二 ~

親友 山田真二が逝った

Photo_3

往年の映画俳優である
エキゾチックな顔立ち 端正な容姿
燦めき耀く銀幕のスターだった

美空ひばり江利チエミ雪村いずみ
三人娘の相手役 青春スターとして
華麗に一時代を生きた

昭和30年代 テレビもネットもなく
週刊誌もお堅い3誌のみ
言わば メディァは単一だった

その時代 等身大で見られる
あこがれのスターは
舞台俳優か 映画俳優だけだった

それ故に 映画俳優は
メディァが乱立する現在とは
比較にならぬ大きな大きな存在の
文字通り「スター」だった
- 山田真二へのファンレターは
毎週軽く100通を超えた -

「ヒラサワクーン」『ツネタカー』
と呼び合っていた親友が
或る日 祖母と歌舞伎見物の帰りに
松竹映画にスカウトされ
映画スターとして 彗星のように
デビューをした

クラスメートも学校中も彼の周囲も
山田常高から山田真二への変身
スターとしての彼の出現に沸きに沸いた
彼への視線 彼への扱いが
特別なものになって行く中で
私は変らなかった

それは 彼がどういう形でか
やがて世の中の注目を浴びるだろう
と確信めいたものが 私の中にあったからだ
-山田真二のブロマイドは
売上げが即ベスト5になった - 

私と彼 高校生の二人が
初めて煙草を吸った時
秘密でジーンフイズを飲んだ時
親にも学校にも内緒でパーマをかけた時
いつも弱気でオドオドしながらも
彼の所作には『 華 』があった 

デビュー作[黒いケシ]の撮影が終わると
俳優山田真二になった彼は
その足で私の家にやって来た
人目につかないように 帽子を目深にかぶり
マスクしてと 工夫をこらしてであった

離れの勉強部屋で二人になった
『センベイ もらって来てょ』と
私が言うと 彼は 母屋へ
お茶を取りに行って来て
ごろりと大の字に寝転がり
「みんなが変わったんだょナ」と 呟いた
目をつむり涙をにじませていた
しばらく黙っていた私は
そっと彼の両目にセンベイを乗せた

スターダムを駆け上がった山田真二に
文芸大作の役が回って来た
東宝映画 夏目漱石原作の
「三四郎」 相手役は その頃
楚々とした娘役で人気があり
今も現役の八千草薫さんだった

いわば本格派俳優として
初の試練を終えた疲れ休めに
私と彼 山田のお母様の三人で伊豆山へ
旅行に行った
眼下の波濤の見える部屋で
撮影中の しんどかったエピソードも
聞かされた

旅行代金のワリカンを差し出すと
彼は「ヒラサワ ボクは今
キミの何十倍も収入があるんだよ」
「オゴルヨ」と言った
私が『何十倍も差があるからワリカンだょ』
『トモダチだろ』と言うと
「ヘンナリクツだ」と言いながら
彼は私の背にまわり 肩をつかんで
突然泣き出した

隣室から山田のお母様が飛んでくるほど
大きな声で嗚咽するように泣きつづけた

少年のような気弱な彼が
スターの座に登りつめたことで
荒ぶれる周囲に苛まれ孤独でいるのを
垣間見るようで 切なかった

[ 哀愁の街に霧が降る ] 
吉田正作曲の歌謡曲は ミリオンセラーで
正味100万枚以上売れた

今 アユもウタダも それ以上に売れる
だがそれは錯綜する情報源の中の
一分野であって
世の中の多数派オジサンオバサンは
その名を知らないのではないだろうか

哀愁の街~は 日本中に溢れた
レコード・蓄音機と音源が
各家庭に一台やっとの時代だ
古めかしく言えば 日本中津々浦々
あらゆる所に流行歌が流れ
哀愁の街が歌われた世相だった
NHKの紅白にも出場した
甘くどこか幼さの残る 山田真二の歌声が
人々を魅了した

やがて昭和の終わり頃
芸能界を引退した山田真二が六本木で
ピァノ・バー「シンジー」を開店し
毎晩 トリに 哀愁の街に霧が降る を歌い
賑わっていた

平成の初め 私は交通事故の被害に遭って
彼の店にも行かれなくなったが 数年後
快気祝いの流れで知人友人と
「シンジー」に出掛けた
カラオケキライの私に順番指名がかかると
山田真二がすかさずマイクで
見知らぬお客様にも私を紹介した
短く真情溢れるスピーチだった

歌う私の背中にまわり
彼は小さく肩をたたき
耳元でハミングをしてくれた
歌い終わると
「ウマイ ヒラサワ うまいょー」
とコドモをアヤスようにオセジを言った 

そして「ヒラサワ君のために2曲歌います」
と歌いだした 
- マイウエイ -と
- 哀愁の街に霧が降る -だった
唸る様な思いで聴いた

しばらくの間に 彼の歌は大きく変った
切々とした情感 歌に人生が投影し
歌にドラマがあった
いささかな感動を込めて
歌い終え隣に腰を下ろした彼に
『うまくなったょ』と言ったら
「ヒラサワ ク~ン」
「君らしくなく 点がおお甘じゃナァイ」
と彼は照れた

平成10年私は銀行から大きな借り入れをして
かやぶき茶屋の全面改修をした
ボロボロになった自分の身体に重ね合わせ
ボロボロな茅葺きの家の復活を夢見たからだ

リニュアールオープンのその日
彼山田真二も駆けつけて
日本舞踊の方たちとともに
華やかに ライブを繰り広げてくれた

盛り上がり さんざめく二次会で
主人役の私も 歌う羽目になった
止む無くマイクをにぎり
-マイウエイ-を 歌いだした
何時の間にか 私の背後に山田真二がまわり
マイクを持ち私の肩をつかんでマイウエイを
一緒に歌っていた
絶唱とでもいうべき歌い方だった

歌い終わり 振り向くと彼が抱きついてきた

大粒の涙を流しながら
「ヒラサワー」と言って絶句していた 

ガキの頃の あの泣き方  そのままだった

Photo

先日開催された宝塚映画祭で 山田真二出演作品が3本上映された

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コメント

山田さんとの思い出話、嬉しく拝見させて頂きました。
私は山田さんが活躍されておられた時代を知りませんが、
三人娘の映画や「哀愁の街に霧が降る」の歌声を後年知って
ファンになりました。
山田さんのスクリーンや舞台での存在感からは、
このブログで紹介された貴重な一面を意外に思いましたが、
本当に心の澄んだ優しい方だったのだなと思います。

私事で恐縮ですが、実は子供の頃山田さんと接触した事がありました。
当時私はTVの子役をやっていて、何かの番組で山田さんとご一緒しました。
当の私は小さ過ぎてその事は全く記憶していないのですが、
後年母がその時山田さんが待ち時間に色々とお話してく ださったと言っておりました。

幼い私の事を親身になって心配してくださって、
「子役は早く辞めた方がいいですよ」
と助言してくれたそうです。
私には演技の才能や度胸もなく、
自分の意志で子役をやった訳でもなかったので、
そういう仕事は直ぐに辞めてしまいましたが、
この平澤さんのブログを読んで、
若くして芸能界入りし、色々と苦労された山田さんだからこそ、
その様な助言を母にしてくださったのではないかと思いました。

六本木の「シンジー」の存在を知ったのも、
山田さんがお亡くなりになるちょっと前で、
一度も行けなかった事がとても悔やまれます。

今回、平澤さんのブログで山田さんのお人柄を
少しでも知る事が出来て嬉しいです。
また山田さんとの思い出話がありましたら、
是非シェアしてください。
宜しくお願い致します。

投稿: シンジファン | 2013/12/09 15:51

私は確か同年代です、哀愁の街に霧が降るは、私が昨年他界した妻とよくデートしていた時によく歌っていました。お世辞で妻が感情が出て素敵ね、と褒めて呉れたことが思い出され懐かしさが蘇ってきます。
昨年他界されたとは大変残念です。これからも
彼の歌をカラオケで精一杯彼の事を思い出し歌って行きたいと思っています。合掌

投稿: サンタナ | 2008/08/23 17:51

心にしみじみと伝わるいい話です。山田真二さんというエキゾチックで都会的な映画スターのことは、三人娘の映画を観ていた私には、なんとなくずっと脳裡の片隅にありました。本当に男の哀愁を背中に滲ませた雰囲気のある俳優さんでした。その方がもう亡くなっていたのですね。合掌。 

投稿: 藤衣庵 | 2008/01/22 22:34

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