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2007年9月

タイミング ~ 長蛇を逸する ~

言うまいと思えど今日の暑さかな

来る人来る人「暑い暑い」と言う 
ゴモットモナガラ 暑いと言う人を
ウラヤム人だっている
ワタシの事だ 昨夏の手術後遺症で
目下介護ベットの柵の中 クール宅休で
27℃保冷中である
真っ赤な太陽に 早く面接したいと
熱望している

昨夏7月29日 私が仕掛人で
「浴衣姿でサッカー観戦4000人大集合」の
イベントを行なった

深夜に帰宅 疲れで眠れぬままの翌朝
TVで 作家吉村昭氏が亡くなられた事を
知った

吉村氏は 死期近くを悟り 点滴の管を
ご自分で抜かれて 覚悟の死であったとも
報じられた 
吉村氏の死には 吐息をつくような感慨と
長蛇逸するの思いが私にはあった

丁度そのころ私は 頚椎のダメージで
足先から麻痺が徐々に上にあがり
みぞおち近くまで冒されていた
後日 あと数cmで 肺に達していたら
生死危うかったと 担当医に教えられた

そんな状況が 吉村氏の死と
クロスしたこともあるにはある

それの数ヶ月前 通院の帰路
本屋で ふと手にした
吉村昭氏の文庫本を めくって心騒いだ

やったぜとも 思ったものだ
前々から気になり ひっかかる
もやもやが氷解したからだ

その文庫の著作は 太平洋戦争の戦中戦後
吉村氏自身の暮らしを描いたエッセイだった
そして その背景となる 荒川の河畔などは
まぎれもなく私の住む 東京足立区であった

しかも 私の家の すぐご近所らしいような
記述も 随所に散見され
その文章によって私が
吉村氏の作品を読むたびに
脳裏に浮かんでいた断片が
パズルのように はめ込まれたのだった

早速のように 近所の知人に尋ね
お年寄に伺うと 私宅から300mほどの所に
あって 現在はスーパーになっている土地の
前身が 吉村氏のご実家で 戦中戦後は
「ヨシムラ紡績」として

吉村氏の父君と長兄が経営されていた
ということであった
『よし よーし』と思った
そこで早速 出版関係の友人に電話で
話を聞くと 吉村昭氏は 鎌倉に御在住だと
知り得た
お会いすべく 何かの伝手はないだろうかと
頼むと 友人に いささか心当たりが
あると言う 願っても無い話だった
熱くなった私は 勢い込んで
ホームページ担当のタケウチ君に
白羽の矢を立て 口説いたものだ

戦中戦後の東京在り様を 東京大空襲を
焼け跡から復興の足取りを さまざまな
ある意味で近くて遠くなった歴史と
自らが住む地域のアィデンティティを探る時
それらを知る語り部として 吉村昭氏は
好個の方だと 語ったものだ

そしてそれは 若いタケウチ君の
絶好のチャンス飛躍にもなると
私は勝手に気炎を上げたものだ
タケウチ君は文章も達意 人柄も誠実
根気もある
インタビュアーとしても最適だと信じた

素晴しい何かが出来上がるとの期待に
私は しばし高揚もした
熱中もしたのだが
当時私の体調は 悪化の途をたどってもいた
そして吉村氏の訃報の後五日後に
私は首の脊髄を切り開く手術をした
そして一年 私は手術の後遺症で
未だにペンが持てない
自力歩行は 数歩のみがやっと可能で
人手に支えられての車椅子である

[ 長蛇 逸した ]

人生の「あの時というチャンス」
なかなかものには 出来ないものである

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