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2007年8月

そのとき カンナが咲いていた ~ギブミー チョコレート Ⅲ ~

その頃の 我が家の夕餉は 商家の常で
父が一緒出来ないことも
しばしばであったが

そんな折でも お膳の父の定位置には
父のお茶碗と箸が必ず置かれてあった

父の箸茶碗が 父の席に無いのは
旅行や泊り掛けで
父が留守の時に限られていた

ギブミイ騒ぎに「掛け合って来る」
と怖い顔をして出て行った父は
その日戻っては来なかった

そして 夕餉の膳に
父の箸茶碗が置かれて無かった
何故か 何なのか 大事な事が起きたのか
父がどうかしたのか 尋ねたくても
母の緊張しきった面持ちに
私は一言も切り出せず
食事も早々と終え 胸の中がモャモャのまま
その晩 まんじりともせず寝つかれなかった

翌朝 登校すると クラス中の話題が
ケンちゃん(私)の事件を中心に
沸騰していた

「ケンちゃんチのオジサンが
アメリカと喧嘩した」
そして「ブタバコに入れられた」と

幼い級友たちの噂話が
父に関する私の知らぬ真相の核心を
明らかにしたが 帰宅してもその真偽を
母にも ねぇやさんにも 聞けぬまま
幼なかった私の心に
しこりが澱んでいたものだ

忘れるともなく忘れていた
ギブミイチョコ騒動から 時日が経過して
その日は後から気がつくと 8月15日だった

「旦那さんが いらっしゃい って」と
女中さんに告げられ 茶の間に入ると
何故か 盆提灯が飾られ
緊張した面持ちの父と母がいて
固い雰囲気が張り詰めていた

父は「そこへ お座り」と言ったきり
しばし押し黙っていた
母が ぎこちない仕草で 盆提灯の蝋燭に
マッチで火を灯した
それをきっかけのように
軽く咳払いをした 父が話し始めた

父は 「今日は田舎の お盆だ」
と切り出し
こみ上げる思いを抑えるかのように
かすれた声で語り出した
[ 東京大空襲 ]
痛恨の惨禍についてだった

東京大空襲の未明
自宅の類焼をまぬがれた父は
出入りの職人さんたちの
生死や安否を知るべく
必死に自転車を漕ぎ 浅草に向かった

隅田川を挟んだ対岸の向島に着き
望見すると 浅草松屋百貨店の各階から
火柱が吹き出していた
渡るべき橋の何処もが と言いかけて父は
吐き出すように咽び泣いた
「ほとけさんが……
言い方悪いが ほとけさんが
ごろごろと……切ない……ね……
ご遺体がご遺体が…… だ
真っ黒焦げになって、だ、 ぞ、建二っ 」

「アメリカは女子供を殺した」
と父は話を継いだ
綿入れネンネコで 背負われた赤ん坊や
幼児が機銃掃射を浴び 焦煙に巻かれ死んだ
虚ろに 死児を抱いて 涙のかれた母親が
そこ ここに いた

「なんまんだぶ ごめんなさい
なんまんだぶ ごめんなさいよ」
と父は 自転車を担いで歩きながら
ふと見ると 赤ん坊を抱いて
お乳を飲ませている若い母親がいたそうだ

思わず父は 見知らぬその母子に
「おかみさんっ!」
「よござんしたね!」
と声をかけ 絶句した

「その赤ちゃんはな……」
「その赤ちゃんは 死んでいた……」
と父は泣いた 父は震えるように泣いた

「粗相で取り返しつかない事を
言っちまった」
「あの日の赤ちゃんや 無念の仏さんに
せめて」
「戦争に負けたこの日が 田舎のお盆の
ご因縁で」
「母さんと二人でお線香を あげている」

~父にはそれ以上の 言葉が続かなかった~

しばしの沈黙の後 蝋燭の火が消え
陽の翳りが感じられた
母が小さく呟くように言った
紙一重なのょ {生きてるってのが}

そして私の顔を見詰めながら
「戦争に負けたからって
根性までは 腐らせはしない」~ と
語気を強めた
[ギブミイ
  あの時のことだと私は直感した] 

「犬猫相手じゃあるまいし
食べ物投げて それ拾って
人間のカスですょ」
と母はきっぱりと言い切った

ねえやさんが 蚊取り線香を持って来た

父と母の顔を見比べてそっと私は立ち上がり
滑るように縁側を降りた
庭木戸を開け 一目散に駆け出した
近所の防火貯水池の土盛りの上に立った
おぼろげな理解
ギブミイへの父と母の怒りが
沁み入るように胸にひろがった

池の渕に 幾つものカンナの花が咲いていた

昏れゆく陽射し池の水面にカンナの花が映り
小石を投げるとカンナの朱が
めらめらと空襲の夜の炎のように揺れた


(終り)

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日本人だから ~ ギブミー チョコレート Ⅱ ~

ギブミイチョコレート!
ギブミイチューインガム!

子どもたちが振り絞るように大声で叫ぶと
ジープの幌が外され
仁王立ちのアメリカ兵が3人が
片手を挙げたり 両手を拡げたりして
子どもたちの叫び声と静粛とを自在に操った

喜色満面のアメリカ兵は
それを何度も繰り返した後 

やっとガムやチョコを 放り投げ始めた
子どもたちは嵐のような嬌声を挙げ
右往左往ぶっかりあい 
砂埃り砂塵が舞いあがり 大混乱になった

私も駆けたり 転んだり やっとの思いで
2枚のチューインガムを拾って
ポケットに入れた

銀紙に包まれた2枚のチューインガムを
ポケットから そっと出したり入れたり
見つめたり溜息をついたり
たまらなくなって私は 帰りの道筋
鳩ポッポのいるお不動様の境内に入った

銀紙をあけ 寄って来た鳩を追い払い
ほんの少しだけチューインガムを折って
口に入れてみた

ガムは 紙芝居で買う昆布
駄菓子屋のニッキとは 比較にならない
それはもう天国の味だった

そして思い切って一枚全部を口に入れた
恐る恐る噛むと だんだん味が薄くなるのが
心細かった が 私は 味がなくなった分
大胆にクチャクチャ噛みながら
この初体験の自慢話をしょうと
家に帰ると店へ廻り『ただいまァ』と
父に声をかけた

「お帰りぃ」
「建二 何食べているんだぃ」
「道々 歩き歩きで ものを食べては
いけませんょ」
父の言葉をさえぎって 待ってマシタと私は
“チューインガムを クチャクチャやると
歯磨きになる エーセーにもイイ”
と力説シタものだ 

『それでサァ アメリカさんはサ』と続けた
『虫歯が無しで 大きく成れるンだってさ』
と コマッシャクレタ 変な能書きも
並べたてた 

「フーン」と父は 半ば呆れ
感心したかのようでもあった

「そのチューインガム 高いのかぃ?」
「どこで買ったんだぃ?」と父に尋ねられて
調子に乗った私は 本日の出来事
アーメン幼稚園での成果の 一分始終を
得々と喋り出した

得々と喋る私の話の佳境というべきか
アメリカ兵がガムやチョコを放り投げた話に
及ぶとにこやかだった父の顔付きが一変した

「お前! 拾ったのかっ!」
「アメ公! 地面に投げたのかっ!」
凄まじく怒り出した父の形相に気負わされ
私は声を呑んで コックリと頷いた

間髪おかず 父の拳骨が飛んで来た
よろめく私の腕を掴んで
二発目の父のゲンコが私の顔面に炸裂した
店番のシズちゃんが「旦那さぁーん」
と止めに入った 

大声で泣き叫ぶ私の騒ぎに
母と女中さんが奥から飛んで来た

「お父さんは
まったく手が早いんですから」
「子どもの言い分を
良く聞いてやって下さいましな」

母の仲裁に力を得て
私は泣きくじゃりながら事の顛末を告げた
ところがガム拾いに話が及ぶと

「お黙りぃっ!」
鋭く母が言った
「乞食は ウチの子じゃありません!」
「口から出しなさいっ!」
と 母に頬をツネリ挙げられた
ガムを吐き出して私は
『ガムは 口に入れとくモノなのにー』と
抵抗を試みたが
「恥知らず!」と母に一喝された

母は先年93才で亡くなったが
烈火の如き怒りを露わにしたのは
後にも先にもあの時だけだ

「拾って食べて良いのは節分の豆だけっ!」
「武士は食わぬど 高楊枝!」
立て続けに飛び出す 

母の小気味良い啖呵の連発に
ドキマキしながらも
言葉の意味がワカラナイと最後の抵抗をした

「腹は減っても ヒモジュウナイ!」
『ワカラナイ ウチはサムライじゃなくて
アキンドでしょ』
「ナマ お言いでない!」
母からも平手打ちが飛んで来た

母は衿元を直し父に向き直り
頭を下げて言った
「お父さん申訳ございません
私の躾方が悪うございました」
父は小さく頷いたあと
「掛け合ってくる」と店を出た 

目の前の交番から出て来た
お巡りさんの制止を
振り切るかの様子でもあった

母は 店の前に立ち続け
父の後姿を追うようにして
何度も何度も小さく 頭を下げていた

~ その晩 父は帰宅しなかった ~


(つづく)

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ギブミー チョコレート Ⅰ

敗戦の日 カンナの花が 燃えるように
咲いていた
瓦礫の焼け跡 どぶ川のふち 防空壕
バラック 防火貯水池
町中いたるところの傍らに
カンナの花が咲いていた 
カンナは 燃えるように朱色の花が
多く咲いていた

敗戦昭和20年8月15日

その年3月10日東京大空襲
東京の下町は 唸りを上げて襲来した
B29爆撃機の猛爆を受けた
照明弾で明るく照らされ
逃げ惑う幼子も年寄も 爆撃を受け
機銃掃射を浴びて 殺された

翌朝 隅田川にぎっしりの焼死体遺体が
浮かび 死者は10万人を超えたという

私の家は 右方90mの近所迄が
爆撃を受けて炎上したが 辛うじて焼け残り
ぐるりが瓦礫の焼け野原の中で
敗戦後も呉服店として商売をしていた

敗戦のその年のことか 次の年か
いつごろかが 記憶に定かではないが
近所の悪童 カッちゃんが耳寄りな話を
教えてくれた

何処で仕入れた話なのか 情報通の彼は
「ミンナに言っちゃダメダョ」
と声を潜ませて囁いた

「チョコレートとチュウインガムが
モラエルンだぞ」
と言って 得意満面の顔付きになった

「ソンデモッテさ それがサ
タダで貰えるんダカンネ」
と 鼻をうごめかせた

カッちゃんの情報を整理すると こうだった

我が家から1.5km程の所に
今 アメリカさんが
アーメンの幼稚園を建てている

そこへ○曜日に来るアメリカの兵隊が
集まった子供達に
チョコレートとチュウインガムを 

ジープの上から放ってクレルというのだ
従って人数が増加は好ましくない 

「シミツ(秘密)だょ」
とカッちゃんは言った 

「ソンデモッテさ ソン時にはサ」

「ギブミィ チョコレート! とか
ギブミイ チュウインガム!
ってってサァ」 

「ミンナ口揃えて エイゴで
ゴアイサツするんだ」
と カッちゃんは
細かな指南もしてくれた

「ダレニモ内緒ダカンネ」
とカッちゃんに念を押されて
私は父にも母にも内緒で当日を迎えた

やがて○曜日『ギブミイ チョコレート』
『ギブミイ チューインガム』
私は 念仏のように呪文のように
道々 小さく声を出して唱えながら
チョコ ガム獲得に?出向いたものだ

道幅6m 駅から約2km
荒川の土手までびっしり大小の商店が
立ち並ぶ通りの やや奥まって

バタヤ部落と賤称されたあたりが
アーメン幼稚園 後年の愛恵学園 
後年のA学園建設地であった

既に 数十人の子供達が
ガヤガヤと集まっていた

やがて しばし 現れたアメリカ兵が
勿体振った 大げさな身振りで
ジープの後部に乗った

私もふくめ子供達が一斉に
「ギブミイ チョコレート!」
「ギブミイ チユーインガム!」
と 囃し立てた
3人のアメリカ兵は 大きく両手を広げて
静かにというようなゼスチャーをした

そして次に シーンとなった
私達子供に向って 指揮者のように片手を
振り下ろした

またまた子供達は 黄色い声で
絶叫するように「ギブミイ チョコ!!」
「ギブミイ ガム!!」と
声を揃え大歓声を上げ続けた

(つづく)

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安倍首相への手紙

『居直り晋三 洒落にもならぬ』

参議院選挙は 年金年金 年金
一色かのようでした

ひょっとして貴方は 自分の責任ではない
年金問題で 選挙に負けたと
お思いかも知れませんが
それは 大変な勘違いです

そもそも 首相指名選挙で安倍晋三に
投票した 衆議院代議士の中で 約80名は
郵政民営化一本槍で 当選して来た
コイズミチルドレンでした 
国民は誰もコイズミチルドレン代議士に
安倍晋三首班指名への
付託をしてはいないのです

安倍晋三首相貴方の勘違いは
ここから始りました

ワンポイント ワンフレーズで選ばれた
代議士による 首相指名を含め
民主主義制度上のある種の弱点を
謙虚に熟知する事無く
奢り昂ぶった安倍首相貴方は
衆知を集める事も無く 身内贔屓で
世間知らず
政治家稼業三代目の 欠陥を露呈したのです

売り家を唐様で書く三代目と言います
世襲は さまざまに問題を
はらむものですが 特に世襲政治家は
最大の欠陥として 自らの『志』と
『哲学』を持たずに
政治を業とする事にあります
そしてその反面 世襲政治家は
小ざかしい手練手管を弄すことには
長けています

安倍首相貴方の靖国参拝がそれでした
行ったとも行かぬとも 言わぬ
これは卑劣な言い方です 

従軍慰安婦問題で 国内とアメリカとでは
言い方を変えていました
これまた卑怯な方法です

一国の宰相たるもの二枚舌は いけません
このあたりに 安倍首相貴方の
人柄への不信と不審とが底流になって
今日 最低の不評と 最悪の世評を
形成しているのだと思います

美しい国 戦後レジームからの脱却と
安倍首相貴方は スローガンを掲げました
しかしこの何れも誰かの入れ智恵でしょうが
安倍首相貴方の 不勉強が極めて顕わです

美しい国とは何ですか
美しい風景ですか 美しい人の心ですか

農業林業軽視の成長経済路線が
緑の田圃も林野も荒廃させました

帰りなんいざ田園にと
かっては すべての人にとって
心の故郷であった 農村も山村も
田も畑も山も森も 荒れ果てています
そこ住む人々が過疎になり
極端に高齢化しています
そのはなはだしい格差を生んだものは
小泉構造改革5年間の
弱者切捨て政治にあったのです

コイズミ タケナカ路線と決別して始めて
美しい国になり 希望と未来があるのですが
安倍首相貴方には その力量も能力も
意思も無さそうですね

太平洋戦争において わが国の戦死者は
260万人とも310万人とも言われています
戦争末期 広島 長崎の原爆 沖縄の戦い
東京大空襲 と それら各地で
女性 老人 子供
銃を持たぬ非戦闘員 50万を越す人々が
殺されました それは皆私達の
父母の世代の人々でした

その悲惨な戦いの結末と
敗戦による戦後体制として
わが国は 民主主義国家になったのです

主権在民 男女平等 言論の自由 戦争放棄
これらをこそが
戦後レジームと言うべきものです

思えばこの民主主義は
国民の尊い血の犠牲によって
贖われたものと 心して知るべきなのです

安倍首相貴方の 浅薄な歴史観と
強行採決手法は 民主主義の根幹を
揺るがすものです

安倍首相貴方の祖父 岸信介氏は
太平洋戦争開戦に署名した戦争犯罪人です
肉親への畏敬とはべつに
総理安倍首相として
冷徹に歴史の事実を探求し 併せて
巣鴨拘置所から裸一貫出所した岸信介氏の
資産形成につきまとった数々の疑惑
黒い霧汚職の疑いを 精査されることも
政治家安倍晋三貴方の責務です

民主主義体制では 如何なる国に於いても
選挙による国民の意思表示に従うべきが
唯一無二のルールであることは
言うまでもありません 

国民の審判レッドカードを渡されて
なおもグランドでプレーを続ける
独りよがりの安倍晋三

主演『居直り晋三』『居座り晋三』の
猿芝居では 洒落にもならぬ国辱ものです

安倍首相貴方が 国家や国民に対する責任を
寸分でも考えるのであれば 
一日でも 一刻でも 早く退陣をすることが
必須なのです

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巧言令色 仁少なし 安倍首相への手紙

巧言令色 仁少なし

選挙番組で ペラペラ ぺらぺらと
時に 人の話をさえぎって
よくマァ 多弁に喋っていた
安倍首相の話振りは
テレビの通信販売セールスみたいと
はじめ呆れ返って見ていたが 
繰り返されるうちに 私は
いささかウソ寒くなって来た
あの軽佻さ 宰相の器では 無い

敗軍の将 兵を語らず

ボロ負け惨敗の後 赤城農相のクビを切って
自分は居直る
トカゲのシッポキリよりタチが悪い
安倍首相のこの人事
ミミズのドウキリと言うべく
コ汚く 醜態ですらある

責 自らを処し 敗因部下に帰せざるが
リーダーだ あのアテコスリ振り
総理の器では 無い

些事構わず 大道を行く

八百円の光熱費で辞めさせるんですか!
と安倍首相 テレビ討論で
啖呵を切ったつもりらしいが

800円の光熱費では
クーラー ストーブ オール無しデ事務所
ソリャ変だが 市民の常識だ

「コマカイ事は総理が言わなくて良い」
とタシナメタ小澤氏に軍配が上がる
国民の税金 政党助成金の使途を
明らかにするその大道から逃げまくり
首相の器では 無い

敢えて死者に鞭
故松岡農相
「法令にのっとって適正に
処理を致しております」

安倍首相
「法令にのっとって適正に
処理を致しておると報告を聞いております」

『デキレース』『グル』『同じ穴のむじな』
小役人的な摺りあわせ逃げ口上
総裁の器では 無い

隔世遺伝

レッドカードを渡されても
ワタシはプレーをツヅケマス
そんなルール 安倍チャン ナイョ
民主主義の根幹は選挙の審判だ
選挙の結果をナメタラ アカンノョ
安倍チャン

時は60年安保 押し寄せる大群衆のデモ隊
「岸 辞めろ」のシュプレヒコールの感想に
時の首相岸信介が言った
「デモ隊よりも大勢が 後楽園球場で
楽しんでいる」 と

この無神経さ この厚かましさ
この我利我利我執
首相の座にシガミツク三百代言論理は
まさに隔世遺伝で 祖父岸信介から
孫安倍晋三の受け継がれた権力妄執の血か
安倍首相のキニナル言い方がある
「私の内閣 ワタシの内閣」と
しばしば口にするが
総理首相は言うまでも無く 公職中の公職
それを政治屋三代私物と考えての証左なのか

肌寒い

綸言汗の如し

何れにもせよ 安倍晋三は
小泉チルドレンの基礎票で選ばれた首相で
国民は一度も選んではいない
そして今 国民は安倍総理退場を
命じたのだ 

選挙戦最中
「私を取るか 小澤氏を取るか」
と安倍晋三自ら 選択を迫った
その結果も国民に見捨てられたのだ
鉄面皮は即刻剥ぎ取るべきだ

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