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2007年7月

分を知り己を知っての“仕事”

テレビでは日夜 馬鹿騒ぎだけが出来る
馬鹿タレ バカタレントが
持て囃されているし
芸無しの 芸NO人が ハバを利かせている
ご時世でもある

昭和の時代の終わりごろまでは
斜陽になりつつあった映画に
舞台に 綺羅星の如き 名優と
一癖もふた癖もある 個性派役者が
いたものだ

「グぅファっ!ふぁふぁはっはっ!
ンはぁーファ」
文字では絶対に活写出来ない
独特の笑い声で
憎憎しい悪役を演じて天下一品だった
上田吉二郎さんという役者さんがいらした
肩肘張って写楽顔
ふてぶてしい敵役からは 想像も出来ない
絵筆を取ることがお好きな日常平素は
温和な方だった 
映画出演に便利という事で
日活撮影所近くの東京調布にお住まいで
そのご自宅に私は 月に一、二度
呉服の商いに お出入りをさせて頂いていた

ある時
[ 東宝歌舞伎 主演 長谷川一夫 ]
の助演に上田吉二郎さんが出演された
長谷川一夫は 今ならさしずめ
マツケンプラス杉良プラス玉三郎のような
人気と実力があった

上田さんの奥さんから
「ひらさわさん 長谷川センセの楽屋へ
行かはる?お気持ちあるんやったら
おとうさんに 言うときますょぉ」
と言われて『お願いしまぁーす』と私は
マイアガッタ

当日 東京宝塚劇場へ
長谷川一夫さんの大好物が
小豆餡子と聞き知っていたので
神田名物だった『壺最中』を
楽屋見舞いに持参した 
上田さんにご案内頂いて楽屋へ伺うと
先客に ご婦人たち数人がいらしたが
その誰方もが 呉服屋の私からすると
大変高価な着物を さりげなく素敵に着て
詰め合って座っておられた
居並ぶ女性を見て私は
『流石 千両役者 ファンも一流だゎ』
と 心中ひそかに感嘆したものだ

早々に引き揚げようとした私に
支配人だか番頭さんだかが 声をかけた
「先生から お話がありますから
しばらくお待ち下さい」
居並ぶ女性達から一斉に
鋭い視線が向けられて私は
隅の方に 小さく畏まって 俯いて
座りなおした

当時の嗜みある女性達のことだ
ほどよい挨拶とほどよい時を過ぎ
入れ替わりに立ち去るのだが
見ていると どうやら
お茶席の席入りのように 上座に就く人
下座に座る人に 暗黙の順序があるようで
これまた『流石!』と思いながら面白く
興味深かった

やがて長谷川一夫さんが
諸肌脱ぎ化粧にかかると
客達が立ち去り 番頭さん部屋子さんだけの
楽屋になった

「呉服屋さん」
鏡に向って 長谷川一夫さんから
声がかかった
― 『ヘヘーェ』「オモテヲ アゲョ」 ―
まぁ ニタヨウナ?雰囲気の挨拶のあと
長谷川一夫さんから思いも掛けぬ話があった
前々から上田さんを通じて召し上がっていた
『最中』
「大層美味しいので
阪急デパートの名店街に入れるように
声かけてあげますょ」と仰るのだ

天下のハセガワカズオ
トウホウ ハンキュウ コバヤシイチゾウ
勝手放題に私の連想が膨らみ
凄いぞコレはと ワタシは
芝居も観ずに劇場を飛び出して
神田の『最中』屋に向った

角店だが小さな店で
年寄りの親父さんと番頭さん二人で毎日
ふた抱えもある大釜の中を
シャベルの如き大シャモジでかきまわし
小豆を煮てあんこ作りの 壺最中は大きさも
パソコンのマウス位ある
大変美味で 我が家も馴染みの
贔屓にしていた

息せき切って駆け込んで
『ハセガワカズオさんが メイテンガイが』
と得意満面説明の私に
オヤジ深々とお辞儀をしてから
オモムロに言った
「若旦那 ありがとさんです」
「まったく もう お世話さんで
ご恩にきます」
「でもね アタシンとこじゃぁ」
「名店街に並べるようなマズイモンは
出来ゃしません」
『?! ?! ?! ????』
私が絶句したのは 言うまでもない

一息入れ冷えたお茶を飲んで
私は思い返した
その日その日の売り切りだから美味しいのだ
分を知り 己を知っての 仕事がここにある
そうだ 企業は 最大よりも最良を目指せ
と どこかで聞いたぞ と 納得をした

ダケドまぁ 後日ハセガワセンセに
ドオ言おう と
ホントその時アタマが痛かった

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懐かし 急行アルプス号 ~ サロ165 ~

THE NEXT このつぎ
-チャーリー・チャップリン-


信州松本から 新潟糸魚川への鉄道路線を
大糸線と言う
松本から白馬まで車窓左手の素晴しい景観は
四季折々 息を呑むほどに鮮やかだ

松本駅を出て ほどなく 槍ヶ岳 穂高岳
常念岳 爺ヶ岳 峻烈な北アルプス山脈が
つづく
大町駅を過ぎ 静寂を秘めた青木湖
湖畔賑やかな木崎湖 小さな中綱湖の
それぞれな趣の湖面の景色
仁科三湖に心が洗われる

青春真っ只中の頃 私はお金節約で
白馬へのスキー旅行は
いつも夜行列車で行った

昭和40年代 スキーブーム最盛期
民宿発祥の地白馬村は
スキーヤーのメッカだった
新宿発「急行アルプス号」白馬
信濃森上駅終着の その夜行列車は
ほぼ超満員が通例で
通路に座る人も 通路で寝る人も
例外ではなかったし 私もその仲間だった

夜行列車の ざわめく車内も
甲府を過ぎる頃 乗客は ほぼ眠りに就き
静かになる
深夜の月明かりで稀れに
八ヶ岳が濃く見える辺りでは
ひっそりと話し声も聞こえなくなる

やがて朝 かすかな どよめきに似た
嘆声があがり 乗客の誰もが
一斉に車窓を見つめる
湖面を照らす朝陽 朝茜に染まる万年雪を
頂きに 五竜岳 唐松岳 白馬鑓ヶ岳
杓子岳 白馬岳
峨々たる山々が連なり
それは旅のロマンの序曲だった

昭和62年 松本駅で 列車払い下げ公告を
見つけて私は 通り過ぎた若い日を
思い起こした
列車払い下げ価格は40万円だった
その列車は「サロ165」
あの急行アルプス号だった

サロ165急行アルプス号は
4車両が 松本の隣 塩尻操車場に
置かれてあった
なつかしい私の回想列車と思えて
即購入を決めたものだ

滑稽な事に 私の回想列車の回送費用は
洒落にもならぬ程多額だった
南松本駅までの曳行に45万円
そこから白馬岩岳ペンションKENまでの
トレーラーで運賃が
日通の当初見積り額680万円
設置基礎費用650万円……
なんとも 馬鹿馬鹿しい積算価格に
目をむきながら
それでも 私は
列車サロ165急行アルプス号を
白馬岩岳ペンションKENへ
運ぶことに夢中になった

夢中とは 夢の中のことだろうか

はるかな青春の想い出を
追いかけての夢中が
夢でなく目の前に姿を現すことに
その時の私は わくわくと胸躍らせたものだ

あれから四半世紀
サロ165は朽ちてボロボロ寸前である

私もまた交通事故被害と二度の頚椎手術とで
決定的な身体障害の状況下にある
夢を追う事が不可能な身体なのだと
誰よりも自分自身が知り過ぎて痛哭の思いだ

だがしかし もう一度 夢を見たい
夢を追いかけてみたい

ボロサロ復活に賭けて 夢を見たい

見果てぬ夢でも ドンキホーテでも
人生 THE NEXT が あったら
それは楽しいだろうと思うのだ

Photo_3

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満身創痍の喧伝マンがゆく ~ ゆかたでサッカー・ジャパンカップ女子ソフトボール ~

バカで マヌケで オッチョコチョイで
タン気 ソン気で ノウテン気
落語的江戸っ子気質の一側面であり
言って見ればワタクシの性格DNAでもある
「生まれ在所」と言う 「気風」と言う
抜き難く生まれた土地に
性格が育まれるものだ

馬鹿 間抜け オッチョコチョイ
短気 損気 ノウテンキな私は
車椅子に乗せられ押されて
今年も また[ 祭 ]である
トイウヨリ [ 祭りの仕掛け人 ]である
[ 浴衣着て サッカー観戦 ]
思い付きを FC東京に吹き込んだら
実現シテシマッタ

[ ジャパンカップ 女子ソフトボール
世界選手権 最優勝選手賞 振袖 ]
思い付きを毎日新聞に吹き込んだら
実現シテシマッタ

両方ともに 始めて5年目のイベントで
そこそこ世間様でも 御評判ではあるが
毎年 初心の宣伝が肝心だ
けれど お金をかけずに宣伝する
これって結構大変で面倒な仕事! 
しかし自分で蒔いた種である
広報は全て自分でヤラネバと
諸方への 恋文?作戦中である

おかげさま 損得知らずオッチョコチョイの
私に 取材のマスコミさん達が
好意的なので助かる
但し 新聞 雑誌 ラジオ から
お声懸かりがあっても
目下の私は 車椅子生活なので
オイソレとは 出掛けられない身の上である

さらに ここで難問到来
ラジオ出演御依頼を受け
承知をしたのはイイノダガ 体調不調
声が出難い咽喉が痛い
耳鼻科の診断は「頚椎手術の後遺症」
オイソレとは治らないそうだ

7月11日FM放送 77月14日ラジオ大阪
日にちが迫る ドォーシヨゥー。。。。。。
喋らないラジオ出演
音無し<オヤジギャグなら>
オトナシィワタシ それもアリカ? と
能天気に 私 只今深慮?中である

[ ゆかた着てサッカー観戦 ] は
今夏 観客動員4000人を目指す
ナイトスタジァムに 鮮やかな
サッカー選手の動き 『躍動』
ハーフタイムに 盛大な打上げ花火
夏の夜空の彩り 『絢爛』
『花火と ゆかたと サッカーと』
どうやら 東京の夏の風物詩に
定着したかのようだ

当夜観客席は カップル ジジババ孫々
オバサマ連 若い衆 ギャル 親爺サマ
サマザマ 多彩な集客になる
8月19日夜 FC東京vs柏レイソル
調布アジノモトスタジァム

お代は要らぬ チケットプレゼント中!!
この指止まれ 寄っといで!

アメリカ 日本 中国 カナダ
女子ソフトボール世界選手権
11月16日~横浜球場で開催
開会式レセプションと
閉会式の優勝チーム&最優秀選手表彰式が
きものひらさわの出番で
きものひらさわ推薦の お嬢様が
プレゼンテーターとして活躍の
晴れの姿ご披露の場面である

さてふたつとも 歩行困難な私の
車椅子参加出場は 如何なものかと
溜息だ 大変だ
我ながら 馬鹿じゃないかと考えるが
当節 馬鹿が少なくなった いいじゃないか
利口と打算はヨソ様任せ
成算なんかゴザイマセン
ヤルッキャないと ひとりで突っ張っている

アァーット そうだ マダある マダある 

思い出したぜ 信州白馬の
『列車サロ165』
[ボロボロ車体の修復工事] 8月1日よりと
決定されたのだ 誰がって自分で決めた~
オッチョコチョイか! オマエ!!

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I LOVE JAPANESE ~ズボンドズボン~

英語についてワタクシは 読めナイ
書けナイ 喋れナイ 聞いてもサッパリ
ワカラナイ
ただ唯一  ―  I  LOVE  YOU ―
のエイゴだけが 理解出来る
I  LOVE  YOU は
古今比類なき名文句である
私と貴方の存在の間に愛がある
正に 簡にして要 東西比肩なき名句である

一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな
馬肥やせ =  要件は足りる が
テツガク?が無い
しかしだ  love = 愛 恋 惚れた
好きだ  となれば断然 日本語の方が
多彩に 胸の内を語れると
浅学のワタシは考える

―JOY―ジョイのタイトルで
ボーカル ジュンちゃん
ズボンドズボンのCDが 発売された
明るいノリの曲で ナカナカだ
オリコンチャートで発売初日13位の
好スタートだったそうだ
娘同様に可愛い純ちゃんのCDである
早速買い込んで アチコチに
プレゼントをしては虎視眈々の心境だったが
『マテバカイロノヒヨリ』である
チャンス到来!となった

ラジオ大阪7/14 FMかつしか7/11 に
私の出演が決まって 『ワタシのお喋り』
BGMには
「お好きな曲をどうぞ!」と
両局の担当者から 電話があった
願っても無い 勿論―ジョイ―を
オネガイした そして純ちゃんに電話した

― JOY ―って なぁにと電話で聞いたら 
「人生の楽しみ 音楽の楽しみ
楽しいってこと」と答えが返って来た

だけどサァ と オジサマには
さらなる モットモットの
いささかならぬ 願望がある 
音 ―― 楽 には モーツアルト風もあり
ベートーベン流もある
人生には 愉楽 悦楽 娯楽 etc...
さまざまなジョイがある 

ジュンちゃんが『如何なるジョイを』
如何に抉決して 聴き手に届けるのか
その極めがエンターテナーへの階段を昇る
初心の性根なのだ と
オジサマは思案したが どうだろう

音と言葉を 伝えられた聴き手が
至悦を感じるのは 歌い手の音と言葉への
深い洞察に共感した時でしかない

かやぶきの 吹き抜けは― HALL ―
ホールじゃないと 私はツッパッタ
エイゴは知らないが
そんなカンがするし
ワタシの勘は絶対ダと ツッバッタ

理屈にならぬリクツだとは
百も承知の上である?
ダダッ子のワタシをを相手に
英語版かやぶきHP作成に
ヒロシはヒト苦労のようだった
「かやぶき」「座敷」「いろり」
英語は無いのか? 無けりゃ作れ!と
ワタシは駄々をこねた

『この英語文 ココはナンナンダ』
と読めナイ癖に指摘しては
『ヘンダ』と 突っ張る私に
ヒロシは ―根気&丁寧―の繰り返しで
私をナダメ ナダメて 完成に漕ぎ着けた

考えてワタシもスコーシ譲歩した
アイ マイ ミイ たった3個で
自分を表現する国の言葉だ

私 自分 俺 手前 僕 あたし アタイ
ワシ etc... 等々 マロ チン まで
数えると 約30の自分を表現する言葉を持つ
日本語への 移し変えは
至難と諦めたのである

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