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2007年6月

渡る世間に「おふくろ」を ~ 信州白馬 御宿かやぶき茶屋 ~

信州白馬『御宿かやぶき茶屋』の外国向け
ホームページ 7月初め掲載公開の
総仕上げに白馬から ひろし が
上京して来た

ソバニ居る者 親でも使え
一石二鳥!絶好のチャンス到来
とバカリに ひろしは
お惣菜! 賄い! オフクロの味!
の料理研修を考えた

ナニシロ 我が家の出入りに
家庭料理の達人が お二人がいる
店を手伝って下さる 東京下町生れの
Yさん
私の身の回りを看て下さる
関西育ちのMさんの お二人である

某日 ひろしは Yさんに
鰹節の削り方から仕込まれた
「パックに入ってる削り節」
「あんなのは カンナクズと一緒ョ!」と
過激にアジラレテ 鉋の研ぎ方から始まった

やがてしばし だし汁をとった後の
カツブシを捨てようとして
「ダメダメ」と叱られて
怪訝な面持ちの ひろし だったが
翌日もMさんに 同じく ダシをとった後の
昆布を捨てようとして
「アーラ ダメョ」と言われて
ここでもまた フシギソーナ顔の
ひろし だった

やがてYさんのカツブシの残滓は
白胡麻をまぶした佃煮風鰹節に 
Mさんのダシガラコブは
甘辛い昆布佃煮に 仕上がって食卓に載った
言うべく これぞ 『かぁさんの味』である

世の中 母親には 幾つかの類型がある
近頃 「母上様」「お母上」は
絶滅危惧種だが  類型の呼掛けに
幾つかのヴァ-ジョンがあって
「お母様」「おかぁさん」「かぁさん」
「ママ」「おふくろ」「オカァチャン」
「カァチャン」などに分類される 

―― 時には「オカン」「ババァ」などの
変性種も存在するようだが
―― ワカラナイ ――
―― 「ウチのハハオヤは」などと
自分の母親を呼称するバカ種については
論評に値しない
母は親であるに決まっている
何故「母は」とタンテキ正確に言えないのか
―― バカだからダ ――

文豪吉川英治の句
「世の中に おふくろほどの ふしあわせ」
があるが
『おふくろ』と呼ばれる母は
不仕合せではあっても
森進一流のジメジメ真っ暗な
不幸を一身に背負ったトイウヨウナ
母ではない
どこか気張らぬ
ふとした明るさがあるのが おふくろさんだ

『ママ』これがイッチ アブナイ種である
ダイイチ呼称が国籍不明である
カタカナ語で呼び合い カタカナ食好き
PTK(パチンコ テレビ カラオケ)が
共通項のようだ
ついでに言うと カタカナ呼びで
ファーストレディを売り出し中の方
カルスギテ存在感ナシです

政府が 子育てを親学称して
お節介を焼く ヤナご時世だが
出来れば 『かぁさん』の自然種が
増殖すると 渡る世間のみなさんが
心豊かになるとワタシは思います

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陽は また昇る-屋根の上のヴァイオリン弾き- ~ 警察病院 ~

数日後 女医さんI先生が回診に見えた

「この間は みんなで笑ったわ
クレープ殺人のはなし!」

「楽しい会話のやりとりで 聞いていると
同年代の人同士みたい」

「この病室は 明るく元気で良いって
スタッフが言ってます」

「ところで 今日の お加減は如何ですか」

クリッとした目のI先生に聞かれて 
思わず本音半分を 私は口にした

『近々 窓から飛び降りて
退院しょうと思います』

「エッ?!  その時は 私が全力を挙げて
阻止します」

本心と本音をさらけ出すと
苛立つような焦燥感に喘ぐ日々だった
手術前 全く聞かされず予想もしなかった
激痛 痙攣 硬直が 波状的に襲ってくる
その上 感覚麻痺がある
追い討ち掛けて精神的な重圧もあった
さらに尿意便意の感覚が
全く喪失された無残な思いも苦渋の極だった

オシッコはバルーンで排泄だが
フテクサレテ ワタシハ『点滴』?
と称していた 笑い話ではない
そうでも言わなければ
回復の見込みない症状に
精神的に耐えられなかった

最大の屈辱は ウンチの話だ
便通が皆無なのだ 下剤 他の薬剤 浣腸
漢方薬 全て効かない 
当然ながら 首頚椎のダメージが
唯一の原因なのである 

止むを得ず 看護婦さんの{ 掻き出し }
という荒療治での 処理になるが その際
麻痺したはずの下半身に 激痛が奔る
そして最悪な屈辱感に苛まれる

某日 K君夫妻と 居候だったSが
関西から見舞いに来て話をしているうちに
便意を感じた
席を外してもらって
看護婦さんに便器を持って来てと頼んだ

「15分経ちましたどうですか」
「25分経ったわょ」
「40分ですょあんまり頑張らないで」

やがて
「頑張り過ぎは 身体に悪いですょ」と
小1時間後 声がかかった
私は『もう少し』とは言ったものの
何か虚ろな妄想が湧いて来た
左手上からの点滴 右ベット下に尿管
生きた人間とは思えぬ惨めな肢体
フト見ると 何故か右ベットの柵が
外されてあった
ゴロリ一回転すればベットから落ちられる
ベットから落ちれば 楽に死ねる

単なる事故死で終わる
その妄想の実行が その時私には
取り得る最高の手段に思えた
私は自分の動かない体の寝返りを試みた
芋虫ほどにも動かない
ジリジリッ 肩を首を動かした
動かしたつもりが動かない
それでも ジリッジリ ギリギリッと
少し少し動いた

何分経ったろうか
やっとやっと右肩が下になった
病室の外に視界が拡がった
ズキーンと衝撃が奔った
ドァカーテンの下から見えた!
廊下に6本の足が見えた!
K君、奥さん、Sの足だ
お茶に出掛けないで ワタシのトイレの
お付き合いだったのだ

ほぼ1時間 廊下に立ち尽くし
息をころして 私を見守って
くれていたのである

止めた 今日は止めだ  と
大きく 私は ひとり吐息をついた
ナースコールに呼びかけた
『オワリました! オワリニシマース』

看護婦さんが 病室に来るまでの間
私は呆けたように 考え続けた 

I先生以外にも私の窓からの退院を
全力で阻止してくれる人間が
何人もいるのだ と いうことを

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密室の恋殺人事件!? ~ 警察病院 ~

人は誰でも 眉目容貌(みめかたち)の
美しさを尊びます
けれど それ以上に その人の心が
美しかったならば
それは どんなにか素晴しいことでしょう
―シラノ ド ベルジュラックー

昨夏私が 飯田橋警察病院へ
手術入院中のことである
手術後遺症で 頚椎の神経がダメージを受け
首から下 手足が全く動かなくなった
{食べる}{喋る}の 口だけは
どうやら健在で ナースコールも
押しボタンがダメなので
ワイヤレスマイクで ナースセンターに
通じていた

キラキラと酷暑の陽が 窓から差し込む変化
それだけが楽しみな病室では
読書もTVも止められていたが
その分絶え間なく お出で下さる
お見舞い客との語らいが 
ひとしきりの安らぎの時だった
食べる物のお見舞いも
いろいろにいただいて 
冷蔵庫には あれこれと沢山つまっていたが
ワタシには 若干
『ナイモノネダリの持病?』がある
ある日曜日の昼下り 突如として!
クレープが食べたくなった
無性に食べたくなった

愛知県から上京して10日間
病床に付き添ってくれた法科学生Yに
神楽坂のトアル人気店で
クレープを買って来るように頼んだ
問題は そのトアル某店は お持ち帰りが
確か出来なかったことだ
Yは身長190cmの巨体
クレープが似合わない?し
やさしいウサギの心臓の持主でもある
お持ち帰りを クレープ店で交渉するに
 いささかならず心もとない が
シカシ食べたい!

1時間後 にわか雨に濡れて
Yが帰って来た 巨体のシャツに
おおわれて シッカト
某店の器ごとクレープが病室に運び込まれた
ドエライ行列と持帰り不可の難関を突破!
して 器は本日中に返還の約束としてである

オヌシなかなかヤルノゥと カンシャ!した
クレープはスグサマ食べる~と言うよりは
両手両足硬直=食べさせてもらうことにした

Yは巨きな坊や!である
クレープの切り分けが 不器用に大き過ぎた
アーンと開いた ワタシの口に
無理矢理押し込もうとする

『オマエ もう少し 小さく切れョ』
「もう全部切りました」

『オレがクレープを ノドに詰まらせて
死んだら オマエ 犯罪ダゾ』
「善意の過失ですから ダイジョウブです」

『バァタレ 予見可能の過失なら罪にナル』
「委託された行動で 重大事態は
ナーンニモ 認識デキテマセン でした」

『絶対これは 未必の故意の 殺人ッ』
「アッ 知ってますね 未必の故意」

『知ってるょ オマエと違って
密室の恋も 知ってるょ』
「アーァ コレダ」

クレープを食べ終わって
ややしばし 病室がノックされた
チャームな女医さんI先生 ご入室である
回診時間ではない? 
壁にもたれてI先生 おもむろに
「病状に急変がありましたか?」と聞かれた
ワタシもYも 異口同音イイェッと言った

ニッコリとI先生「あー よかったゎ」
「クレープ殺人だと聞いたけど?!」

マズイーーーッ 慌ててYが
ワイヤレスマイクのスイッチを切ったが
手遅れだったのは言うまでも無い

(つづく)

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男子三日会わざれば刮目して見よ~白馬発 東京へ~

『愚直』という言葉がある
かって 若者の多くは 若さ故に愚直に
人生や恋や仕事に悩んだものだ
バカショウジキ キマジメを
ダサーイという昨今の風潮を
私は好きではない
むしろ馬鹿正直に 生真面目に
敢えてひたむきに 我が道を往く
ひと筋な若者が 私は大好きだ

マネージャーの交代に
ヒロシに白羽の矢を立てた
6年前のイソウロウ君だが
糸の切れた凧のように オーストラリァ
カナダへ 飛び出して 音信不通だった
曲折あって 彼からの電話が
かかって来たのは 次の人材を
検討の直前だった

サンタ爺さんモドキ
大きなバックパックの家出スタイル?
迷彩服のヒロシがやって来た
第一声「チワーッ」とキタモンダ
『バカタレ! 6年振りダロガ
チャンと座って挨拶しろ! 』と言ったら
「イヤー 恥ずかしい」
と 逃げ出して
( 勝手知ったル他人の家? )
部屋に入ってしまった

『挨拶が恥ずかしいとは トンデモナイ
挨拶出来ぬのがハズカシイとオモエ』と
シメアゲて 翌日「きものひらさわ」の
店長から{正座 お辞儀}の強制特訓!
更に私も強制干渉?をした

ヒロシの力闘が始まった
料理修業の総仕上げに
電車往復4時間強かけて横浜へ
帰宅は深夜12時半
それから“当日の習得”を私に報告調理
食事しながらミーティングという
ハードなスケジュールだった
めげずに通った 横浜のお洒落な和食の店の
社長 板長 スタッフさんにも
可愛がられての一ヶ月だった

なにがなし 彼の心に火が点いた と
私には思えた 

とかく青春は残酷なものだ と漱石が言った
迂遠な廻り道 空疎な時を経て
やっと自らを知るのが
若さなのかもしれない

3月末 白馬へ出発の夜
リハビリマッサージ中の私に
ヒロシが声をかけた
「オーナー
これから白馬へ行って参ります」
振り向くと 
ヒロシは 畳から こぶしひとつ下がり
板の間に正座して両手をつき
お辞儀をしていた
「オーナーも お身体を気をつけて下さい」
「ウワーッ かっこいいねェ
おたくの若い人!!」
- 「オーナー 御身体お気を付けて」 -
「なーんちゃって まるでドラマみたいだね
ヒラサワさん」 と 出掛けたヒロシを
見送って マッサージの先生に言われた

私は
その時の感想を 未だ 誰にも
語ってはいない

※信州白馬 御宿かやぶき茶屋のマネージャーを元かやぶき居候の『ヒロシ』が務めることになりました。これはその際、あるじが彼に宛てた激励込み(?)紹介文です

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