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2007年4月

粗にして 野だが 卑ではない

「粗にして 野だが 卑ではない」
城山三郎著 小説の題名でもある

何十年前であったか 危機の国鉄を救う
初の民間出身総裁に 白羽の矢を立てられた
石田禮助氏が 国会でイビラレタ
当時 国鉄コネ議員 おおよそ60名とも
言われた時代である

国鉄労使ともに 民間出身の石田氏が
面白くない 国鉄官僚=自民党
国鉄労組=社会党の双方から
ネチネチと執拗なイビリ質問が浴びせられ
石田氏の資質 個人攻撃にまで及んだ時
石田氏はキレた 
「(私は)粗にして 野であるが
卑ではない」と 絶妙な啖呵を切ったものだ

石田氏は 白麻の背広 蝶ネクタイ
ステッキが似合う ナカナカにダンデイな
ジイ様だった
長く海外商社マン経歴で 流暢な英語を操り
背筋真直ぐな姿勢 ホレボレお洒落な
ジイ様だった
78才ながら 自らを「ヤングソルジャー」
【若い兵士】と公言 
総裁職を「パスポート フォァ ヘブン」
【天国への旅券】と宣言したアッパレな
ジイ様だった

粗野とは縁遠い 田夫野人でもないと
強烈な内なる自負心が彼自身にあった上での
俗(族)議員に対して皮肉たっぷり
裏返しの言句
「粗にして 野だが 卑ではない」
の名言になったのだろう

その名言は その時 二重の意味で
私の胸に刺さり ショックだった 

当時 亡父の後を継いで
いやいや 呉服屋商いをしていた私には
天国からオヤジの言辞が
飛んで来たようなものだった 
私の父は生前『飽き無偉』と言っていた
=胸を張り飽きず仕事=の意味で
父我流の造語だった 

石田氏の言に 私は はしなくも
亡父の口癖であった【胸張って商い】を
思い起こさせられた
そして又 とっさの時 かくも見事に
相手の難癖を叩き伏せる
名文句を繰り出す弁舌 機略と教養にも
ほとほと感嘆をしたものであった

当時 乗せてやる主義
小役人風の国鉄職員に向って
パブリックサービスの大事さとともに
前垂れ掛け根性(商人気質)を説いたのも
石田氏が 嚆矢ではなかったか 

悠々自適の生活から
「神様に与えられた仕事」と称して
瀕死の国鉄総裁職に就任した 【人】
石田禮助氏の私宅を眺めに
物見高く物好きな 若かった私は
東海道線に乗って 国府津駅迄
一日がかりで 出掛けたものだ

閑かな駅のすぐ傍ら 山の斜面全て
約千数百坪が 石田氏の宅地であり
ヤギ ニワトリ ブタ アヒルが飼われ
果樹があり 畑があって 田圃がある
家族全員の食材 ほとんどが自家製産だと
野次馬の私は 駅員から聞かされて 
いささかならぬ感動の
大きな溜息をついたものだ 

充実の人生 引き際の しばしの憩い
帰りなん いざ田園に
それは 若かった私の
はるかにして秘めた憧憬にもなったものだ

勿論 名言
【 粗にして 野だが 卑ではない 】が
後日 私の指針になった事は
言うまでもない

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咲くさくら散るさくら~信州白馬 御宿 かやぶき茶屋~

桜は 凛として美しい
咲くことに 美しい花はある
薔薇 芍薬 椿 いづれも好きだ
ただ散りぎわの 華麗さにおいて
さくらは 群を抜いて美しい

花びらの絨毯は 往く人 来る人 の歩みに
夢を託するかのように美しい



咲く さくら 散る さくら
美しく さくら 馨る 季節に なりました
皆様には お元気に ご活躍の日々と存じます
信州白馬は まだ肌寒く
雪解け水が音立てゝ
木々の新芽がやっとふくらむ
浅春の時候です

めぐり来たり 流れ行くような日々の中で
お客様のいっときの人生を
お預かりすることに
御宿かやぶき茶屋は心して努めておりますが
その多くを委ね専心しておりました
渡辺淑幸が
このたび退職いたすことになりました

足かけ七年
お客様との『一期一会』の出会い
胸溢れる想い出の数々を
至宝の手土産にして
出立の時機  転機になりました

幸い 後任には 六年前に
2シーズンつづけて
かやぶき茶屋居候として滞在した
金子博志が自分探しと称した
オーストラリア カナダへの
大きな迂回の旅から戻り
いわば彼のふるさと
御宿かやぶき茶屋
後継マネージャーとして着任 
青春と人生を 賭けるとの
意気込みであります

申すまでもなく 渡辺淑幸 金子博志ともに
いまだ 独歩の覚束ない未熟者であります
皆様方よりの ご指導こそが
再出発の道筋に
唯一 成否の鍵と 承知をいたしております

ぜひ皆様方より
一夕叱咤ご激励の機を得たく
御宿かやぶき茶屋に於いて
両名の歓送迎会をと
心して決めました次第でございます

ご遠路 遥々 まことに 恐縮ながら
是非 ご出席を賜わりたく
心より お願いを申し上げます

平成十九年春

信州白馬御宿かやぶき茶屋主人
平澤建二

追伸
当夜 渡辺より たっての希望があり
津軽三味線 名手 梅若清瑛師の
記念演奏を お願い致してあります

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咲くさくら散るさくら

花の雲鐘は上野か浅草か万朶の桜
その眺望には 起伏がかかせない

東京の花見 桜の名所 山は上野
川は墨堤 浅草と向島 隅田川両岸が代表と
目されていた
下町生まれ向島に嫁ぎながら
亡母お気に入りのお花見は
皇居の千鳥が淵だった
対岸絶壁の緑を背景に満々の水を湛えた濠に
映る さくら 桜 に 胸ときめかせての
遊歩は 我が家の年中行事でもあった

3月29日定例の木曜日
警察病院へ通院である
甘えた定例であるが K君が三時間かけて
前夜来てくれる 通院介助にであるが
その他にも懸念してくれているらしい
三寒四温 気温の変動とパラレルに
三月初旬から右手指が硬直したり
痛覚異常がある

パソコンのマウスが操れない
右手中指だけで やっと叩いていた
キイボートが思うようにならない
以前から「ん」の字がnnになることが
頻発していた「な」が nあ になる異常
肝心の中指に激痛が走る
自分以外極秘のつもりが
バレバレだったらしい
「ブログ休めば」といってくれた
黙って返事をしないでいたが
無性に口惜しさだけが 胸に澱んだ

3月20日 カナダへ行っていた
ヒロシが上京して来た 
信州白馬 御宿かやぶき茶屋の
新しい戦力である が 彼は
スサマジイ花粉症になっていた
慌てて漢方医への受診を命じた
マネージャーは私のオ勧め漢方で
視力0.2から1.0になった
タヌキ腹が10cm減って適正デブ!になった
トイウ経緯と結果の漢方治療経験がある

マネージャーから
「ヒロシ オーナーの言う事を聞けば
治るゾ」と助言されて出掛けた
(ナニシロ ワタシはアレやコレや
20年患者歴ベテランサマである)
スナオなヒロシは 漢方受診と
腹式呼吸で快方に向っている 
御宿かやぶき茶屋も 快進撃を担う
乞う期待!の星である

3月22日 彼岸明け
K君 ヒロシに連れられて 墓参り
車椅子が通れない 墓地の通路を支えられて
歩む 墓を洗ってくれるK君
手桶水を運んでくれるヒロシ
ヒロシひいきだった亡妹も喜んでいるはずだ
翌日ヒロシは 白馬御宿かやぶき茶屋へ
出立した マネージャーと実践訓練である

3月29日 警察病院から500mの靖国神社
真向かいの千鳥ヶ淵へ
K君心づかいの花見である
病院で受診が終えて K君
奥様T子さん旧知の母上様と待合わせ
私が『タクシー拾って』と言っても
車椅子でソトのクウキにアタリましょうと
ご夫婦交代で押してくれる

若干の不満! 靖国神社境内で
屋台を見回す私に
「ナンデモ 買ってアゲマスョ」まではヨイ
「ヨサン500円デ-スッ」とは
ドーユーコトか!
「現状でメタボを食い止め!」だそうだ
イタクキズツイタワタシ
グラパレに食事に寄ったが
拒食シテヤッタ?!

東京の桜は 年々 色が白くなって
はんなり桜色が失せつつある
それでも咲く さくら 散る さくら
芽吹き 蕾み 咲き 散る いづれの折も
桜は 凛と美しい

ねがわくば花のもとにてわれ死なん
この如月の望月のころ
西行の歌もまた いつの折にも心に沁みる

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