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2006年12月

門出の噺

ズボン ド ズボン ボーカルの
純ちゃんから 電話があった
「大成功! お客様 大喜びでした」
「おじちゃまの事も トークで
お客様に 伝えました」
「最高のパーティーになったと思います」
いつもながらソツがない アタマがヨイのだ

ホームページ担当タケウチ君の結婚式が
12月9日 芝白金 お屋敷風の一軒家で
行なわれた
凝り性のカレは ありきたりでない
結婚式をと思い巡らせて
純ちゃんとそのグループに白羽の矢を立て
カノジョ ユーコさんとともに
歌と演奏を頼み込んだら 快諾だった

式次第 結婚式は賛美歌で始まり
新郎新婦は純ちゃんの歌で入場
披露宴は 純ちゃんの歌で納めるという
タケウチ君の思いが叶い
大成功になったそうだ
打算の無い 交友関係の結晶とも言える

ぎりぎりの日まで 私も出席出来るかを
検討していた 
●介護タクシー ●介添え ●付き添い人
●ストレッチヤー車椅子 etc...
一生に一度の事だから列席したいし
そう勧められてもいた  
しかし 一生に一度の席だからこそ
不調法があってはならないと考えて
辞退を決めた
「古いですネェ」と 周りに言われたが
アタリマエデショ
『古いものが新しくは なれる筈がない!』

{古いオジサン方程式に従えば 好き合って
式を挙げて 所帯を持つ
共に白髪の生える迄 が
古いが人生の順序だ  
夫婦の関係が 親子 兄弟 友人 恋人
その何れの人間関係とも 異なり素敵なのは
たった一つ
『夫婦は一緒に歳をとれる』ことだ思う}

{サルトルとポーボワール の
夫婦の在りかたが 別世界か雲の上の話かと
思っていたら 今時それはフツーになった
夫婦別姓 事実婚 さらに
デキチャッタ婚 などと
オジサンには違和感のある考えだが
説得力ある説明は 未だ寡聞にして
聞かない}

いずれにしても タケウチクンと
ユーコさんが普遍の幸せへの
スタートラインに立った
我が家で 偶然出会った純ちゃんに
タケウチクンとユーコサンが
折々しっかりと
助言やサポートをしてくれている

出会いと夢 私の好きな言葉だ

春には ズボンドズボン の 純ちゃんも
大きな夢に翔ける スタートラインに
起つだろう!

期して 待つだ!

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硫黄島から続く轍

映画『硫黄島からの手紙』話題作である
ぜひ観たいが 目下の体調で映画館へは
不可能だ

昨夏 硫黄島慰霊の旅に
天皇皇后両陛下がお出掛けになった

硫黄島の戦闘は 司令官栗林忠道中将
旗下にロサンゼルスオリンピック馬術の
ヒーロー西男爵がいた
ドラマとしてなら 役者立てが揃ったと
言うべきだが 言えば不遜であろう

ドラマでなく史実は
『矢弾尽き果て 散るぞ悲しき』と
補給を絶たれ 悲痛な叫びの中
当時でいう肉弾 人命を 唯一武器にした
壮絶な死闘であった
敢えて怖れずに言えば 日本軍兵士を
集団自殺さながらの結末に追いやる
惨劇だった
悲惨な硫黄島戦闘は
当初から 日本の本土防衛の
『捨石作戦』として目論まれ
敗戦の たった半年前
二月十九日米軍上陸により火蓋が切られ
36日間の死闘が続いた

がしかし その間の3月10日には
東京大空襲があった 
B29爆撃機は サイパン テニアンを
飛び立ち 激戦最中の硫黄島上空を
悠々と通過して 首都東京を空爆したのだ
東京大空襲による死者は10万人を超えた
東京大空襲の死者は 大半が非戦闘員
年寄り女子どもだった 

無念だが『捨石』の意義が問われる 

言うべく言葉もなく 切ないが
補給の無い孤島 掘られた洞穴
退路は無し 勝算も無し
鼠も食べた 迫り来る餓死
無念の思いで 死へ一方通行の戦いを
させられた兵士に刻み付けられた
理不尽 非情な キーワードが二つあった

「天皇陛下バンザイ」と
「生きて虜囚の辱めを受けるな」だ

「死んでも捕虜になるな」 と
マインドコントロールのように
国民は 叩き込まれていた
「天皇陛下バンザイ」を叫んで
素手同然で突撃 死んだ兵士達の
無念を省みる事を忘れて
敗戦61年後の 今なお
島のいたるところに 未収集の御遺骨がある

昨夏 敗戦60年を機に 天皇皇后両陛下が
慰霊のため硫黄島に お出ましになった
遙かな海に向かい 死者への礼を捧げ
る両陛下の お写真をも拝した 
お言葉は 日本戦死者の実数を
述べられており 細やかなご配慮かとも
ご推察申し上げた
両陛下わけても美智子皇后が
天皇家の負の側面に 鎮魂の重いお考えを
お持ちと 漏れ聞き
いささかな安堵もあったが
昨日の小さな新聞記事によれば
イラク派兵の自衛隊員を
両陛下がご引見された とのことだ

時流なのか 心のゆらぎなのか
知るべくも無いが 辛いことではある
さらに言えば 皇族方も含めて
マイホーム目配り主義の世代には 
ふたつのキーワードの 検証能力は
皆無のようであり 60年前の戦争の悲劇は
すでに風化してもいるようだ

中国 朝鮮半島 アメリカ
それらの思惑に 左右されることなく
この国の未来のために
歴史の轍を見つめて欲しいのだが
無理だろうか

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二百羽鶴の恩返し

奈良公園の紅葉もすっかり
さみしくなっていよいよ冬模様に
なってまいりました
お元気でいらっしゃいますか?
先日は心温まるお手紙ありがとうございます
いつもオーナーのお手紙に
時計と競争している私たちは
心癒される時間を与えて頂いております

さて 私が“これや!”と思いつきで
作った二百羽鶴(笑)がまさか!
海を渡るなんて 思いもしませんでした
でもこれも神様が私に教えてくれたのかも
しれません
こんなに喜んでいただいたうえに
国際親善に役立つなんて
誰が想像したでしょう
子どもたちもビックリ!
たったの二百羽でも 本当は家族4人で
毎晩内職の様でありました
健斗は二回、三角に折る
(折り方が分からないので
三角オンリー(笑))
私とあすかが最後まで仕上げる
色・模様分けがパパ担当

鶴のおかげで家族の絆も深まり……(?)
本当に楽しい日々でありました

来春はスキーではお会いできないかも
ということで 残念ではありますが
いつもいつもお祈りしております
素晴らしいクリスマスとお正月を
お迎えになられますように
風邪などひかれませんように!
また お会いできる日を信じて……
かしこ

由美子

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何をかいわんや

90才を超えた おばぁちゃまが
お見舞いにおいで下さった

江戸弁と言うか 生粋の東京言葉である
亡母の面影が重なって懐かしい

まぁま そりゃ おおごとでしたのね
でも あぁたは しっこしのおつよいおひと
だから じき ようおなりんなるわょ
あーらそう おぶうも ひとしごとなのね
とうせつ どこのおうちも ゆどのが
ちっちゃくなっちゃって 
おゆやさんでなけりや
てあしゆったりぃっ て あぁた
まいりませんことよね

そうそ おとしゆ やぁねいいかた
わかしゆじゃなきゃ いせぇわりぃわょね

(訳注)
おおごと=大変 あぁた=貴方
しっこし=尻腰(根性とでも言うか)
おぶう=お湯の幼児語(おぶ は白湯)
ゆどの=風呂場 おゆや=風呂屋、銭湯

もうあたくしなんか としですから
いつおむかえでもよござんすけど 
どうせ ながかないンでしょから
そんときまでくらい ねておきてだけじゃ
ごせんぞさんに もうしわけないって
まめつぶひろい やってますのょ

(訳注)
まめつぶひろい=まめには働けぬので
ボチボチ動いている の意

おとついあたりから すっかり
おさぶくなりましたものね
おかぜなんぞに おきをつけてね
ちゃんちゃんと ごはんをたべて
あぁた おみおつけとおこうこ
だけでもよろしいのょ
まぁま おいしいおちゃ おてかづね

(訳注)
おとつい=一昨日 おさぶく=お寒く
ちゃんちやんと=しっかり
おみおつけ=味噌汁 おこうこ=お新香

あったかになりましたら またさんじます
ごぞうさかけました どーぅも
ごめんくださいまし

(訳注)
さんじます=伺います
ごぞうさ=造作(沢山お世話の意)
ごめんくださいまし=さようなら
(ごめんください=
こんにちは こんばんは)

おばぁちゃまの お話振りは 駘蕩として
ふんわり あたたかな イントネーション

それでいて歯切れよさは 東京っ子独特
耳ざわり格段に良好であった

江戸っ子の言葉というと おおむね
テヤンデエ ベラボウメ と思われがちだが
テヤンデエ アタボウヨ は
職人言葉であって 商人(あきんど)は
決して使わなかった
ただ良貨が悪貨に駆逐され 落語家ですら
志ん朝亡き後 江戸弁を喋れる者は
絶無である

しばらく以前 NHK3チャンネルで
「漱石」を語る番組を観ていた 
作家 半藤一利氏と 落語家 柳家花緑氏の
対談であった
半藤氏が やや背を丸め
両膝を揃え手のひらをのせた 品良い格好は
かっての ご町内の旦那衆や商家主人達の
作法良い立ち居振る舞いの姿勢で
好印象だった

片や カロク君 膝をひろげ
手のひらも遊んでいて 年長者に対する
姿勢としては 聊かならず礼を失しており
落語家ですら コレカと
私は ひとりごち したものである

明治でなく
昭和も遠くなりつつあるのかも知れない

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由紀さおりさん

2000回記念リサイタルを終え
お疲れはいかがですか

リサイタル 中ほどで由紀さんと
安田さんのお二人が それぞれに熱唱された
ミュージカルナンバー
オペラ座の怪人VSキャッツには
感嘆をいたしました

ほんとうのところ
2000回記念100曲歌うというキャッチの
コンサート
三時間の長丁場をどう乗り切られるのか?
機知と機略あふれる出だしの演出と
いつもの由紀さんの軽妙な語り口に
乗せられながらも私は
このペースで観客をどこ迄
引っ張って行かれるのか?
この展開で長時間を大丈夫なのか?
などと内心密かに余計な心配が
胸をよぎっておりました

しかし流石です
見事あの場面で杞憂が吹き飛ばされました
鮮やかに記憶に残る名場面でした
お二人の熱唱は胸打ち心打つものでした
曲の選定も相俟ち
素晴らしいの一語につきます
そして
メモリーを歌い終え万雷の拍手を浴びて
童女のように恥らう仕草の由紀さん
あのキュートなポーズは限り無く
魅力的でした
『芸は人なり』微笑ましく拝見しました

ゴフクヤのシロウト論笑わずに
お聞きください

リサイタルの構成が非凡で巧みと
感じ入りました
その非凡有為の人材スタッフの支えは
ご姉妹のお人柄のなせることと思います
リサイタル三時間最後の切り札歌舞伎なら
大見得のところで
『トルコ行進曲』を歌われました
難しい曲と思います
疲れも見せずそれを歌い上げる力量と
ファイトに圧倒され
私は万感の思いで拍手をおくりました

カーテンコールを終え
花道のように客席通路を引き揚げる
由紀さんが目敏く私を見つけられ
「よく来てくださったわぁ」と
声をかけて下さいました
無理をして伺って良かったと
しみじみ思っております
2000回長い遥かな道のりを歩まれた成果
その舞台を観に出かけることは
この夏入院中の私の小さな夢であり
勇気づけでもありました

介護タクシーで寝かされ!
休憩時間はストレッチャーで通路に寝かされ!
ワタクシはフクレッ面でおりました
ご一緒の皆さん22名の方がともにきもの姿
これはこれで
大変に愉しいことでもありました

喫煙所で男性五人が
キモノ姿でタバコを吸っていたら
傍らの紳士に「お着物のお集まりですか」
と聞かれ茶目なのが
「ハイ着物着て由紀さんを応援する会です」
と答えて
「流石由紀さん多彩なファンが多いですね」
と真顔で感心され ジョークジョーク
とも言えなくなって困ったそうです

由紀さん安田さんが
このたびもいつものコンサートでも
夢見果てぬ夢と『平和』ソレードを
観客に歌唱指導されておられます
子どもたちへの手作りコンサートを
始められて小中学校に出向かれる事も
聞き知っております

お仕事を通じて
ご自分達の思いを果たす生き方
倦むことなく飽くことなく
ひとすじに夢に向かう姿勢
それは
再起を計り歩き出す
私の目指す道でもあります

素晴らしいコンサートが
私の背を押すことになりました

お姉さま マネージャーさん
スタッフのみなさんに
2000回の『ご成功おめでとう』
『さらなる前進』をと ぜひお伝え下さい

平澤建二

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