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2006年11月

鶴帰る

すっかり冬めきました
お元気に お過ごしと存じます

ご心配頂いておりますが
私も どうにかベットから 5~6歩の
つたわり歩きが 出来るまでになりました
回復には まだ遠い道筋だとは 思いますが
けんたくんが スキーで骨折の時ことを
お手本?に がんばります

先日お贈り頂いた ご一家が
お力をあわせて折って下さった
素敵なお見舞いの 「千羽鶴」には
心あたたかく 感謝があふれる思いでした

この鶴は おかぁさん
この鶴は おねえちゃま
このつるは ぼくちゃん の かなと
思い浮かべることは
寝ながらの読書を 禁じられている私には
何よりも 楽しく 心なごむ
楽しいひとときを与えてくれました

千羽鶴の かわいい和紙の
いくつもの色や模様の型は
東京だと 上野に近い谷中という坂のある
下町情緒の残る町に 『いせ辰』と言って
江戸千代紙の型紙を残す老舗の店があります

たまたまですが その『いせ辰』の
江戸千代紙の型模様をあしらった
『小紋のきもの』を
ジャパンカップ 女子ソフトボール
国際大会の敢闘賞の副賞に
きものひらさわが作り お納め致しました
町娘をイメージに
大元禄(おおげんろく)の
袂袖(たもとそで)に仕立てたのですが
振袖とは ひとあじ違った
小粋なきものとして きものの
さまざまな バリエーションの表現にも
つながりました
選手団―といえども―女性です
大歓声をあび大好評でした

素敵な千羽鶴の一人占めは
もったいないと考えて 私は
レセプション会場に持ち込み 
選手団にご披露しました
大変な人気でした 「きれい」
「かわいい」の 他
「どうやって作るのか?」が
一番多い質問でした

同行した若先生が 文字どおり
先生になって コーチ
そのテーブルには 各国選手が
沢山集まってきました
タケダ家から 私への
プレゼントの話とともに
昔からの 千羽鶴の由来もふくめて
説明したり 
千代紙 折り紙 女の子の遊び 
色と模様と きものとの結びつきに
話が及ぶと 選手達の感嘆の声は
ひときわ大きく上がりました

タケダ家千羽鶴は
アメリカ 中国 オランダに 渡りました
国際交流にも一役を にないました

一期一会 むずかしい言葉で
通訳不能のようでしたが
人と人とのふれあいの 大切さは
通じたはずと思います

日本の心 千羽鶴ときもの を
伝えられたと思います

今頃 鶴はどうしているか と

ご一家で 楽しく思いめぐらせて下されば
幸いに存じます

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名(迷)投手にノせられた

2006 JAPAN CUP 女子ソフトボール
国際大会 主催毎日新聞社

この担当者氏 一見茫洋の風貌ながら
仕事を大車輪でこなす 直球投げ込み型で
私など高評価の御仁であるが
時にのけぞる様な ピーンボールを
投げ込んでくる    
レセプションへの出席を 体調に自信なく
丁重にお断りしかかると
アゴがあがる曲球が来た
「アメリカ選手団では当社(毎日新聞)よりも
きものひらさわさんの 知名度が高い」ダト
そこまで言われては 頼まれたら
越後から米搗きに か 売られた喧嘩?
買うか の二者択一である
結局私は 後には引けぬと
出かける事になった

当然ながら 只今は 介添え助っ人が
必要である 
毎度 はた迷惑な話だが
止むを得ない K君U君に
白羽の矢を立てた
二人には 着物袴 着用を頼んだ
K君は 名うてのきもの着こなし上手で
安心だが 問題はUである
起業が成功しつつあるせいか
めっきり社長体型(ハラダ君)で
寝起きの上野の西郷さん!タイプ
キモノお着付けは{未履修デアル}
難題単位補習に深夜来訪
着付け実地講義 『20分で覚えろ』
とカマシた 手が利かぬ分クチウルサイ

汗をかいて一時限を修了 当店誂えの
仕舞袴きもの姿が格好よく決まった
バカタレは 自分自身を 鏡に写して
「いやぁいいスッネ」と自画自賛
自信満々で 当日に臨んだ

介護タクシー ベットにもなる車椅子で
新横浜プリンスホテル迄 自宅から約60km
車の天井を見てるだけの一時間半
我ながら ゴ苦労なことはである
会場に到着 控え室で K、U両君
10分で きもの羽織袴に御召し替え
やったぜ!!だ 
レセプションでは 担当者氏アイデァの
サプライズ 参加選手がきものを着て登場!!

どよめくように満場騒然 大拍手
大成功のプランであった
ワタシは いささかの思い付き
千羽鶴を会場に持ち込んだ
この千羽鶴 三日程前に  
奈良のTさんご一家 ママと小学生の坊や
中学生のお嬢ちゃんが 心をこめて折り
お見舞いにと 私に ご恵贈下さった
大切なお品だ

各国選手団に 千羽鶴を見せたら興味津々
通訳を介しさまざまな質問を浴びた
人だかり 人の輪が出来た
『日本人の繊細な心配り 手先の器用さ
色彩感覚』をさりげなく アピールしたのは
言うまでもない
K君が オランダ選手を相手に
千羽鶴の作り方講習をはじめた 

レセプションが終わってからも 約30分間
折り紙の手順を追って オランダの監督が
熱心にカメラのシャッターを押していた
出来上がった鶴を 胸に抱いた選手が
握手を求めてきた

あたたかな手のぬくもりと
去り際の にこやかな笑顔が
いつまでも印象に残った

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身体と心の鬩ぎ合い

旧友が シラノドベルジュラックの芝居を
観に鎌倉から2時間かけて 私の地元
足立区千住の劇場まで やって来た
「ついでに 寄るよ」と見舞いに来てくれた
「思いのほか 顔色がいい」
『顔色だけが いい だろ』
「フフフ 良かった 相変わらずですな」

友あり 遠方より来る まずは近況報告

手術後100日を過ぎて なお
手足の硬直 痙攣 疼痛の厳しい症状が
治らない
ただやっと ベットからのつかまり起ち
支えられて5~6歩 歩きが
どうにか出来るようになった

そして今 最大の目標は 何とか2時間以上
椅子に座って居たい願望で
練習を重ねている

{ 結婚式 コンサート レセプション
表彰式 公演 }など いくつもの
ぜひ 伺いたいところと ご縁ある御招待が
いろいろあって それぞれの御招待日と
私のリハビリとの競争中なのだと言える

ただ 焦らず力まずと思いながら
本音は 遅々として進まぬ回復に
シンドイ心境だと 打ち明けた

1月●日 
モデル岡田真寿美さんとサッカーFC横浜
吉武剛さんの結婚式は 海の見える
素敵な場所
紺碧の空と紺青の海に似合う
きものひらさわ秘蔵 目も彩な
[ 岡本太郎作の打ちかけ ]をまとって
花嫁マスミさんが ご披露宴に
華麗な登場の手順である

11月16日 
2006 JAPAN CUP
国際女子ソフトボール大会 レセプション
新横浜プリンスホテル

協賛一流企業各社と共に ナゼカココニ
きものひらさわが列席予定
協会長山崎拓氏 覇を競う 日本
アメリカ 中国 オランダ 各国選手が
出席 国際交流

11月19日 
横浜スタジアムでの 決勝戦後
表彰式があり 最高殊勲選手賞に
きものひらさわ提供の 『振袖』が
贈られる
例年 外国選手に きものが
大もての関心事になっている

11月21日 
由紀さおり安田祥子さん2000回記念
コンサート
オーケストラをバックにオーチャードホール

童謡を唄い続けて2000回
当夜100曲を歌われる
ひたむきに ひとすじに歩まれた 輝く成果
由紀さんの煌く夜になるだろう

由紀さんから 入院中
何度も励ましのお便りを頂いたが
私は 2000回の不屈の偉業を
観ることを 病床の中の夢にしていたのだ

12月27日 
畏友山田奈々子さん[‘05江口隆哉賞受賞]
六本木俳優座で モダンダンス公演
女の妖しさ 心の深淵に潜む闇を演じて
当代随一の現代舞踊家でいらっしゃるが
この度は盟友だった詩人故吉原幸子さんの
詩の一節に 触発されてのテーマだと
言われ その意図を お手紙でご教示のあと
お電話でも私の体調を気遣いながら
弾むように話されていた

お茶も淹れず語り合った友人が
「また来るよ」と帰っていった
閑かな夜 しばし ひとり想った

さまざまな出会い ながいお付き合い
ふとした縁 生きて来た道筋の
その何れの折にも
私は 素敵な 『人』に 恵まれている

窮地にあって 今なお
幸せと言うべきなのかも知れない

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ひとむかし前 一度だけ 会った人

10年前に 一度だけ 言葉を交わした人
陶芸作家の その方から お見舞いを頂いた

10年 或いはそれより少し前の 春先
銀座のデパートで 恒例の 新聞社主催
絵画チャリティ・セール・オークションに
出かけた
片岡珠子の『赤富士』が出品されると
聞いたからであった

大混雑 喧騒 騒然の会場の一隅に
『赤富士』があった 
思いにたがわぬ朱赤の色に
私は しばし陶然と魅入ったものだ
運転同行のY君は
「自分にも買える値段の品がある」と
オモチャ売り場の子どものようにハシャイデ
「社長少し時間下さい」と
私を離れて 人込みに消えた
隣のコーナーに『有田焼 小畑裕司作陶展』
と プレートが掛かっていた

「有田の朱赤」 ふとそんな思いがよぎり
足を踏み入れると そこは静かな空間だった
繊細な色彩と図柄の優しい器が
展示されてあった

青い果実のような肌合いの陶器に
次々と 見惚れていると 
物静か声音 穏やかな物腰で話しかけてきた
青年がいた 
作者その人であった
その時 何を語りあったかは 覚えていない
その時に 絵皿を1枚求めて帰った
いわば それだけのご縁なのだ

毎年銀座での作陶展の御案内は
いただいているが 折あしく伺えない 
それでも 年賀状 暑中見舞いのやりとりが
例になり
あちらの端正な書体の添書に
こちらも思い入れ多い
書き添えになってはいる 

しかし そういうご縁 それだけの事で
お見舞いをいただいたのだ

仁窯と記された函に 年輪を経た枝に
櫻花の絵柄の マグカップが有った
カップの内底に 花びら2輪
そっと優しく揺れるかのようである

一期一会の 素敵な縁に
まためぐり逢えた    至福 と想う

Mag

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05年レセプションのオハナシ

2006 JPAN CUP 国際女子ソフトボール大会
11月16日~11月19日

開会式レセプション
新横浜プリンスホテル・試合&表彰式
横浜球場
きものひらさわ が
一流企業に伍しての協賛参加である 

3年前ひょんなことで
主催者のオエライサンの相談を聞いて
それならwatasiがと 例によって例の
私のオセッカイが 一流企業と肩を並べる
発端になった

毎日新聞一面の社告に
トヨタを始め一流企業が十数社が並び
そのシンガリに
JAL ・きものひらさわ とあって
愚弟が「番付に横綱と幕下が並んでる」
と笑った 
が チガウ 正確には
『横綱と村相撲が同番付』!?
と言うべきである

にしても マァ 最高殊勲選手賞に
『振袖』を贈るプランは 大受けであった

さまざまな 出会いもある 面白い旧聞だが
04年 開会式レセプションに
きもの袴姿で出席すると オオモテだった 

モチロン『私』がでなく
キモノハカマ姿がモテタノだ
―その程度は自覚シテル―

アメリカ選手団が寄って来て
記念写真をと希望された 一緒に並ぶと
彼女らは一斉に 私の足元だけ見つめていて
「ハイッ ポーズ」にならない
彼女等の興味は私の白足袋にあった
牛のヒヅメのようで面白い
良く見せて欲しいと言うので

「ワタシのチャームポイント?は
顔だょ!」と通訳に伝えたら大笑いになった

宇津木妙子監督に 声をかけられた
「子供達(選手)が 振袖 大喜びですよ」

そして言葉をついで
「振袖に添えられた文章 素敵ですね」
とお褒めにもあづかった

その年の 最高殊勲選手 「振袖」受賞の
テルアィア フラワーズさんから 
後日 2枚の写真が送られて来た
身長186cmのテルアィアさんは「振袖」を
パーティドレスの上に ガウンとして
羽織って下さり 優雅にお似合いだった

05年レセプションで再会
彼女から声をかけられた
言っちゃなんだが?ワタシは 
『アイ キャンノット スピーク
イングリッシュ』以外の 英語は喋れない!

通訳さんが飛んで来た
「ワタシガオクッタ シャシン
マダアリマスカ」
『勿論私の家3ヶ所に飾ってあります』
「2マイノシャシン
ドーシテ3カショデスカ」
『1枚目は私のキモノショップ
2枚目は宝石箱』
「オー オー」
『3枚目は 私のハートの中!』
「オー キャーッ」
と言って握手をされた 凄い握力だった

旧知のように宇津木さんからも
声をかけられた
見慣れたジャージィ姿でなく
パンタロンスーツがピタリとキマリ
タカラジェンヌのように 小粋だった

宇津木さん乗せ上手である
敢闘賞に出品の ひらさわオリジナル
「きものアロハ」を 素敵 ! と
誉めて下さった
アロハは ハワイの日系移民がルーツだと
私は 自説をご披露すると
大変興味をしめして下さった 

私がさらに 監督時代の宇津木さんが
長年手塩にかけた選手達が 今 まさに
全日本の中核で大活躍!
ご苦労の甲斐がありましたねと
賛辞を呈すると 
彼女は 童女のように
はにかまれたものだった

4日後の決勝戦 球場に 私は思い切って
宇津木さんへのプレゼント持参した
ところが宇津木さん
ダックアウトにもVIPルームにも
いらっしゃらない

探しあぐねて 主催者に尋ねると
「宇津木さんなら
監督を引退したのだから と言って
一般席で観覧されています」とのことだった

25才で全日本チームを率いて監督
長年歴戦の宇津木さんである

プレス席にいてもVIP席にいても
誰も文句異存なし 顔パスとは違う筈だが
それを ご自分で けじめをつけての
『一般席席観覧』は
言うべく お人柄である

人の 出処進退 言うは易く 難しい 
まして そこここから 潔さの消えた
この時代
奢ることなく 自らを
律し切れる宇津木さんに
私は改めて敬意を抱いたのだった

(つづく)

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