「馬鹿」が差別語の馬鹿な時代
したがって 「馬鹿」とタイトルが
付いただけでバカ売れベストセラーが出る
馬鹿馬鹿しい時代である
私の知る「馬鹿の」最高傑作は
浪曲ヒロサワトラゾー・モリノイシマツ
『馬鹿は死ななきゃ治らない』の名文句
一世を風靡 今なおトップをいく造語である
「馬鹿な性分」
A死ぬまで ナオラナイ
B死ななきゃ治らない
C死んでも治らない
の3ランクがある
私は間違いなくそのランクの
いずれかに属する
不測の事態 江戸弁なら 死ヌカモシレネエ
と医師から告げられて 病院内の理髪室へ
出向いた
狭い室内の2脚のイスに座ると
若い理容師さんが
「ちょっとお待ちください」
と言って席を外し
電話の受話器を取り上げて
いささかチグハグなアクセントで
「はい床屋さんです」と答えて
外へ女性職員を呼びに行き
その人を介して話を始める
電話を切ると
また同じことの繰り返しが
3度ほど続いた
やっと私の後ろに立った理容師さん
「ごめんなさい 私」と言いながら
自分の左右の耳を鏡に映して見せて
「生まれたときから難聴なのです」
見るとなるほど 両耳に補聴器がはめてあった
「今もお客さんの話がなかなか
聞こえないので困るときがあるし
これからだんだん年をとって
なお聞こえなくなると
ほんとに困ります」と言った
それでもポツポツと 職場のこと
本店が東大近くにあることなどを話し続けた
そしてもう一度
「歳をとって 聞こえなくなると
困りますよね お客さん」と言った
私は
『お兄さん 長崎生まれでしょ?』と聞いた
彼はびっくりしたような顔で
「分かりますか?」と答えた
『分かるよ 長崎生まれだし
良い耳を
持っている人だと思うよ』
と言うと
彼は一瞬戸惑ったような顔で
「それなんですか?」
と聞き返した
『耳の種類にさあ 聞く耳持たない耳
馬の耳に念仏っていう耳
があるでしょう?
それに比べると君は 小さい時から
いつも人の言うことを よく聞こう聞こう
よく聞こうと
熱心だから 生まれた土地の長崎弁に
なっているし 今も人の話を
良く聞く いい耳じゃない』
と言ったら
しばし かみそりを止めて
一瞬黙ったあと
ふうっと大きな息をつきながら
「そうですか」と言った
その後 例によって例のごとく
私のオセッカイが始まった
鏡に向かって「アイウエオ」と言ってみせて
『ほらやってみな』
『ほら大きな口を明けて ほらもう一度
ほらお腹から声を出して』
『ほらできるじゃん』
『出来たよう』
と言ったら
カミソリを持つ手が一段とスムーズに
なったようだった
アイウエオ五十音を終わる頃には
剃り手の手が時々休憩をして
時間がかかったが 私のレッスンほぼ完了
“難しいのはやはり カ行”
彼の希望で「お客さん」の発音練習
“お”は簡単にできた
“きゃ”が問題であった
ケンカするときのネコの真似
『ニャオー』と口を左右に引っ張って
鏡に向かって バカな私は
ネコの鳴き真似をしてみせた
お兄ちゃん 笑いもしないで
「ニャー」とやった
そこですかざず私は
『キャットのキャ やってみな』
『ほ~らできた』
続いてクである
簡単直截に教授することにした
チュっというキスよりは
もうちょっと深い首を曲げてやるキス?!
ポーズで「く」と教えたら
彼は
「ボクは23歳なので まだヨクワカリマセン」
という話だった
いずれにしても“お客さん”は
見事完成である
ツルツルに剃り上がった私に向かって
彼は
「お客さん5250円です」
と言った
“お客さん”は完成度90点
残念ながら“ヒャク”の発音が
未だしであったが
私の迎えの車椅子が来てしまった
23歳理容師のお兄さん
「お客さん ありがとうございます
また来てください」
と言った
あれからからほぼ一ヶ月
10cmほど伸びた髪の毛に触って
このいきさつを皆に話しながら
『またツルツルになりに行こうかナ』
と言った
さて 私の性分は“ABC”
いずれのランクになるのか?
私自身の次なる
不測の事態の前に知りたいものである
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