« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2006年9月

Kより近況報告

両足の硬直 左腕の痙攣(06/09/28参照)
それに伴う激痛などがあり
あるじは毎日 大変苦しんでおります
奇しくもマネージャーが言った
「せめて入院前の体に戻して下さい」
という痛々しい言葉に 同感できます

そんななかへ 由紀さおりさんから
2回目のおたより(06/09/27参照)
ハガキで届きました
私たちの気持ちを 心から
分かってくださっているように思いますので
掲載させていただきました

由紀さんは 歌い続けて
今年2千回目のコンサートを迎えるそうです
あるじもやがて ひた向きに再起の道を
歩き始めると思いますし
そういう共感が由紀さんとあるじを
結びつけているのだと思います

| | コメント (0)

開かない左手

時折 激痛を伴い開かなくなる左手
Hand

| | コメント (0)

あるじへのお見舞い ~由紀さおりさまより2通目のお葉書~

前略 その後体調はいかが?ですか?
かなり大変な手術であったとうかがっており
気になっておりました。Kさんから近況を
お知らせいただき 11月21日の
2000回のコンサートを目標に
頑張っておられるとのこと

是非是非がんばって下さい!
でも無理は禁物ですよ!!
お互い若くは!!(ハート)・・・ね!!
でもお逢い出来ればうれしいです
どうぞ気持をゆったりと明るくね!!
私もあと12回のコンサートを歌い切ると
2000回になり10月からリハーサルです

由紀さおり

060927yuki_1_2 

| | コメント (0)

現況報告 ~Kより~

由紀さおりさんから病室に
素敵なバラのお花が届きました
あるじは大喜びでした
看護婦さんや先生方にも
ひとしきり話題になりました
次の日にも由紀さおりさん自筆の
お見舞いの手紙が来て
これもまたあるじには
何よりの励ましになったようです
「きものひらさわ」で
お買い上げのお着物で
テレビ出演して頂いたり
そのほか由紀さおりさんとあるじとは
しばしぱお手紙の交換をしている
メル友(?)かなと思います

良い報せは続きますあるじのブログ
父への詫び状」が
大阪枚方市の中学校で教材にされたそうです

11月下旬女子ソフトボール世界選手権大会に
「きものひらさわ」が
最高殊勲選手賞にスポンサーとして
「振り袖」を提供することになりました

17日・18日に地元のお祭りに合わせて
少々無理でしたが
あるじは一時帰宅しました
お祭りの売出しでは
「きものひらさわ」は大賑わいでした
あるじは一回十五分だけですが
一日に三回車椅子で店に顔を出しました
やはり抜群の存在感でした
寝ている茶の間にもお買い物ついでの
お客さまが何人も励ましにお見えになり
言葉をかけて下さって
あるじは涙ぐんでおりました

当日「きものひらさわ」は店長の森田さん
マネージャーの渡辺さん・好子さん・
応援の問屋さんがテンテコマイの
200人を超すご来客で大盛況でした

手術後の後遺症もリハビリの道も
まだまだ険しいと思いますが
負けん気で退くことを知らない
あるじのことです
きっと再起への道を力強く歩き始めると
思います
私はそう信じておりますし
これからも支え続けて行きたいと思います

Kより

| | コメント (0)

急変     ~聞き書きK~

9月13日、14日と あるじの容態が
手術後遺症の下半身の麻痺硬直による激痛で
体調悪化です
ブログの聞き書きは無理なので
しばらく延期です

16日17日両日は あるじの地元で
三年に一度の〔例大祭〕
あるじは その両日 何としてでも
「一時帰宅」をして
お客様にご挨拶をしたいと熱望を
しております

| | コメント (1)

健在 ひらさわ節   ~聞き書 Kによる~

入院予定の 3週が過ぎてもなお
手術後の後遺症ともいうべきなのか
強度な下半身マヒが続いている

それは突然 足が棒のように硬直したり
足がガクンと曲がったまま硬直する
同時にキーンという激痛が
頸椎から頭のてっぺんまで抜ける発作なのだ
その発作は日に数回おきる
やり切れないのは深夜にもその発作が
無差別におきる
対策として主治医が 筋弛緩剤を
投与して下さった
筋弛緩剤の投与で 息苦しくなったり
二日酔いのような状態になる副作用もあり
さらに下半身マヒにより
自力での排尿排便が不可能という
二重三重の責苦にあって
遺憾とも心身ともに劣悪な状態にあった

それでもどうやら ダマシダマシの
リハビリを開始して数日を経過して
待望の車椅子へ移るリハビリを始めた
その晩 アクシデントがあって
硬直激痛の発作に 二十数回襲われた

その日から38度何分かの微熱が続き
夏風邪のような症状になった
食欲が まったく無くなり
セキもひどくなって 数日が経過した
8/31日夜半には 39度の高熱になって
深夜 見回りに来た看護婦さんが
隣室に気遣いつつ
グッショリ濡れた着衣の交換や
体拭きを熱心に何度もしてくださった
いつもながら 献身の看護に感謝の極みだ

翌朝 担当医がお見えになって
「高熱の原因について
血液検査をしましょう」
と言われたので
天井の換気口と煙探知機の汚れきった
塵芥を指差して
『先生 これが原因の一つでは
ないでしょうか』と申し上げた
さらに続けて 入室当初から指摘している
空調機からのカビ臭さにも言及
『私は すでに告知してあるように
小児喘息でしたので ホコリ・カビに
いささかのアレルギー気味であります』

昼過ぎ 担当の者という職員2人が来た
私が換気口と煙探知機の
垂れ下がっているような汚れホコリは
おそらく一年以上は清掃してない
結果だろうし 空調のカビ臭さは
これまた清掃未徹底だろうと
指摘したところ

職員B
「これはスプリンクラーです
こちらは患者さまへのスピーカーです」
と説明を始めたので私はキレた

『スプリンクラーがなんだ!
スピーカーだからなんだというのだ!!
天井の未清掃の
ゴミ・ホコリが問題なのだ!』
さらに続けて
『スプリンクラーなら ゴミが付いていても
やがて水が出るまで
放っておこうというのか!
いいというのか
スピーカーなら
音が出さえすればいいのか!」
と言った

職員A
「患者様の ご希望に添うように
善処いたします」
と言うので私はまたまたキレた

『私は 今 希望を言っているのではない
当然の要求を告げているのだ!
善処などと トボケルな
過ちを認めて改善しようと言うべきだ
今は私の体力が続かない
若干休みがほしい
その間にトイレ網戸を見て来てほしい
概ね3cmを越す 真っ黒の塵埃が
くっついている 恐らくこれは
2~3年溜まりに溜まったゴミ
清掃手抜きの結果だろう
それを見た後 話を続行したい』

しばらくしてやって来た職員A
「網戸は毎年一度 交換しております」
と言う
ここで私は 再びブチキレた

『何度も言うが 目下体力がないから
あなたと議論ができない
網戸を毎年一回取り替えるとき
これほどひどい汚れなら
なぜ半年に一回取り替えようと
考えないのだ
もしも予算がないなら
Yシャツ腕まくりして
月に一度網戸を洗えばいい
それが 病院の衛生管理者の
イロハではないか』

職員A
「すべて 私の責任でございます」

私は続けた
『あなたの責任は この場合小さ過ぎて
私の対象の範囲ではない
あなた方のトップ 事務長の責任だ
この病棟の看護婦さんだちは一級だ
いつでも親身に骨身惜しまず全力投球で
患者のために真剣に働いている
先生方も 例外はあるが
これまた一級と申し上げていい
しかし裏方のあなた方は
三等以下の劣等というべきです
そして その責任のすべては
事務長にある
事務長をただちにここへ呼んできて
私と話をさせて頂きたい』

職員A
「いいえ これは私の全責任でございます」

問答はこれまでで

ほどなく隣室が騒がしく
掃除機の音などがして小一時間
やがて私は 隣の部屋に移された
清掃完了の部屋である
その後私は レントゲン検査等に出かけ後
元の部屋に戻された
仰ぎ見る天井はリフォーム?済み

そこへ職員A氏が また現われた
「ああ きれいになりました
私の方へ話が上がってこなかったので
ご迷惑をかけました」
私は言った
『繰り返しますが
この病院の看護婦さん 医療の関係者・
スタッフには責任のカケラもない
すべて責任は裏方にある
トップの事務長が 病院経営の基本である
衛星管理に心しているなら 机の上で
毎日やっているハンコ遊びを一日やめて
月一回 病院全室を点検して回ることが
絶対の責任ある行為です
そして部下の行為に手落ちがあったとき
責任もって患者に詫びるのが事務長の役目
あるいは患者側に ワガママ・横暴が
あったときには 身をもって部下をかばうのが
トップたるリーダーの心構えです
失礼ながら この度の件は
あなた方“下僚”から
ご免なさいで済む問題じゃない』
と言って 引き取ってもらった

立ち会った婦長さんが残って
深々と何度も頭を下げられて
「ごめんなさいね」と言われたのに
かえってこちらが恐縮をした
(いずれかの機会ブログで公開したい)
文字通りの献身によって 私の尿意回復に
つながった恩人だからである
その婦長さんに 職員AB両氏の名刺を
持参してほしいと お願いをした

職員A氏 名刺を持ってやってきた
『くどいようだが事務長が
まだおいでいただいていない
これは どうしたことですか』と私

A氏
「この度は まったく私の責任で
ございます」

次は我ながら冷静な口調で しかし強く
もう一度聞いてほしいと告げた

『警察病院というからには
警察本来の仕事“生命と財産を守る”
という理念があるはずだ
私は今 再起ややおぼつかない状況であるが
財産はどうでもいい
しかし今 命は惜しくなった
なぜなら この入院中 さまざまな人々に
支えられて 入院生活を送ることが
できている
さまざまなご縁の方々からも 心をこめた
お見舞いをいただいている
退院して 少しだけの命でもいい
精一杯生きて さまざまな方々に
御礼と恩義をお返しすることが
これからの 私の人生の全てなのです』

見舞いにきたK君に
「どうするの?」と聞かれた

『当たり前じゃないか 来なければ
公の場で決着をつける
そのとき 世間の常識と法が 私の言葉に
言い過ぎがあると言うのなら
もう一度 頭を剃って土下座しよう
ただし この勝負 絶対に私の勝ちだ』

| | コメント (1)

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »