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2006年4月

言論のカタルシス (2)-死を以って詫びる-

昭和20年8月15日

敗戦 ―終戦ではない― を
告げる天皇の放送の後
阿南陸相は 「一死 大罪を 謝し奉る」と
一行の遺書を残して 割腹自殺した
杉山元帥は 10月15日 軍司令部で自殺
その知らせを 電話で受けた
杉山夫人は 仏間に入り真白な死装束を着て
心臓を一突き うめき声も あげずに死んだ
台所の二人の女中は 気づかなかった
近衛文麿公爵 優柔の人柄と評されていたが
荻外荘で 死装束になり 服毒自殺をした

私は 死を賛美する者ではない
むしろ生きとし生ける 生命をこそ
大事大切にと 希う者だ 
が しかしだ 戦い敗れるまでの時代
この日本の国では 死を以って償う
死を以って詫びる こと
が 規範であり
道徳だった
死ねなかった者が 言う
『おめおめと 生き永らえて』の
愚痴に似た 常套句すらあった事も
私は 承知している

もう一度言う 生きて 虜囚(捕虜)の
辱めを受けるな
 と 
自国民に 教えたA級戦犯は
虜囚では ないのか ?
戦争指導者として
内なる自国民にたいする責任は 出所進退は
如何なるものだったのか
私は釈然としない

敗戦の色濃くなった 硫黄島の戦いで
追いついめられた 女性達が
崖から 次々に 「天皇陛下バンザイ」と
叫びながら 投身自殺したという 
バンザイクリフ ―
切り立つ絶壁から 海中に飛び込んだ
覚悟の死だ  
この何ともやり切れぬ 悲劇の女性たちは
靖国神社に 祀られていない

A級戦犯は 靖国神社に 祀られている

(祭神の選考は厚生省・都道府県が行ない)
靖国の宮司さんの 判断によって
昭和34年3月10日 合祀されたのだ

コイズミは 02年自民党総裁選立候補
終戦記念日の8月15日に
総理大臣としての参拝を公約した

ここから 私のコイズミギライが始まった

(つづく)

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言論のカタルシス (1)-生きて虜囚の辱めを受けるな-

千葉7区で 小泉純一郎が負けた
ここは面白い地域だ 演歌に歌われた
矢切の渡し の『松戸』は 東京に隣接して
通勤都民と言われる人が多く住んでいる
『流山』は 新撰組最後の地
近藤勇が投降した地だ
『野田』は キッコーマンの野田醤油があり
藤の花の名所である
つまりは 都市農村混在
選挙民の意識も高い

遊説で 一万人以上を集め 鼻高々だった
コイズミが負けた 
写メール持って『純ちゃーん』と叫んだ
連中&ジャンケン武部幹事長&小泉派の
チルドレンに対して ウンザリした人々が
87,046人いたという事である

投票日の朝 T君から電話があった
いきなり『オザワどうですか?』という
マジメ ブッキラボーの彼らしい
『投票に行く前に話が聞きたい』そうだ
ならば お茶飲みにおいで と誘った
来客の合間 食事をしながら 小半日の話
民主党小沢代表 賞味期限切れの旧い政治家
私はあまり期待は持たないが
靖国問題では
『捕虜になった人A級戦犯は
靖国神社に祀られる資格がない』

と言い切った

よくぞ言ったり ひとつの見識ではある

靖国問題は 私たち日本人の
過去 現在 未来 の 大事な話なのだ
中国 韓国に 左右される問題では
全くない
A級戦犯のなかに 広田弘毅のような
尊敬すべき人物もいる だが しかし その
A級戦犯が 外国に対してよりも
自国日本の国民に対して行った大罪がある
先の大戦中 国民のすべてに 
あたかも マインド コントロールのように
叩き込み 教え強制した言葉がある

『生きて 虜囚の辱めを 受けるな』
(りょしゅうの はずかしめを うけるな) 
死んでも捕虜になるな屈辱なのだ と
A級戦犯達は 自国日本国民に教えたのだ
『死ね 死ね 死ね
死んで御国の盾になれ』

と 教育強要をしたのだ
そして その結果起きた 言いようの無い
悲惨な悲劇の数々を 
日本人として思い起こし
忘れるべきではない と
T君に 私は説いた

話はさらに コイズミにまで
夕暮れまで続けた

(つづく)

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長屋考

寄席で聞いた話だから 尾ひれが付いて
いい加減かもしれない

先代 林家正蔵は お化けの正蔵と言われ
怪談噺が得意で晩年 林家彦六を名乗った
気骨ある明治生まれの落語家 
九十才頃の話だ

この人 バブルの頃も 東京上野の
長屋で暮らしていた
弟子が『師匠マンションでも
お買いになったらどうです』と言ったら
師匠「ゼニがネエ」とニベもない
『ローンじゃいかがです』と言うと
「バカヤロ ローンてな
日本語で言ャァ借金だろが 弟子テェ子供が
師匠の親に向かって 借金すすめるタァ
どういう了見ダ」と 一喝した

正蔵師匠 古風そのものの暮らし
気骨ある明治生まれなのに
なぜか 政治的にはラジカルで
革新政党支持だった
ある年 衆議院選挙の応援に頼まれて
出かけた先が 東京でも有数の
高層マンションが林立する
光が丘団地だった

団地やマンションの選挙演説は
窓が開くか 開かぬかが勝負だそうだ

ハヤシヤ ショウゾウさん
ハヤシヤ ショウゾウさんが参りました
で 窓が一斉に開いたそうだ
そこで おもむろに いちだん
声張り上げての 正蔵師匠
「え~っ オナガヤのミナサン ! 」と
切り出したそうだ
お長屋は マズイッ と運動員
マイクのスイッチを切る すると
「音 出てねぇよ」と師匠
ボリューム下げる運動員
「音 小せぇょ」と師匠
年はとっても流石プロ!
音については 一家言 ! 

困り果てて運動員
『師匠 マンションを
オナガヤはマズイです』と
小声で注意したら 
「バカヤロ オ隣サンと壁イチマイ
長屋じゃなくてナンダ」と
師匠一喝 ! それも ナント
マイクに入って トドロイタそうだ

ローンは借金 マンションは長屋 
話の筋道は 師匠の言うとおりが
正論でもあるようだ

{ マンションの15階から
坊やの投げ捨て殺人があった } 
コミニュティとしての成立していた
長屋暮らしとは ほど遠くなったマンション
個別住宅なのか 集合住宅なのか 
新しい発想での お長屋 向こう三軒両隣り
地域社会がなければ 
子供も 個も 人も 暮らし辛いと思うが
どうだろう

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豚児もオダテリャ木に登る

「豚も オダテリャ 木に登る」
そんな格言 ありようはずが無い 
が コレって ムカシ
私たちのスキーグループでの
ハヤリ言葉だった
思うに多分
“豚児も 煽てれば 気分良く 仕事する”
位の ことだろう

ホームページ担当のタケウチ君に
オダテラレテ 私も 恐る恐る
ブログを始めたが
太平洋の真ん中で 釣り糸タレタような
心境に 毎回オソワレル!

ア~ア~ ダメダ 返事が来ないラブレター
それがワタシのブログだ 
ダメナラダメと コメント来い乞いが来ない
きっと ダーレモ見テナイョと 言うと
タケウチ君
『今日は こんなにアクセスありました
昨日は こんなにもアクセスです』と
オダテテくれる ホントカネ と思う   

タケウチ君が1日数十回
ユーコさんも協力して
二人で可哀想だからと「暇フロク」に
ヒマ見て アクセス{だけを} ?している ??
悪夢の恐慌状態を想像したと ヒガンだら
タケウチ君
『知る限り 世間のミナサンに 好評です』
と 自信ありげに 又 オダテである

ソンナ コンナの所へと トンデモナイ
ブログ賛辞が着いた
大阪枚方市 H先生からである
半年振りの ながい
お便りの文末に あった
過褒も良いとこ 幸田文 中野孝次
野町和嘉 養老猛 の次に
H先生のご興味が
「暇フロク」だと
ラインアップされてあった 
『暇フロク~~ ~~ ~~
プリントアウトして座右に置きたくなること
必至。』
 とある 

いくら豚児のワタシでも 考え込んだ
顔を洗って 眉につばである

情報収集の結果 判明 コウデアル 

約1ヶ月前 白馬ペンションKENに
おいでになった H先生御子息の談話 ?

『ウチのオヤジは アナログだから
ネットを見ないで いつでも 
オイッ 暇フロク プリントせいっ !
って言うんです』?????? 
H先生にとっての 暇フロクプリント
ニワトリ タマゴか 何れかは知らないが

御慧眼の先生は 飽きるな豚児 ! と
ワタシをオダテテ下さったのに 相違ない

H先生 中学三年生の御担任であった
生徒に向けた学級通信のコピーも
お送り頂いたが
ここでは 絶対と言うべく
アナログの勝ちだ と思えた
惚れ惚れとする絵のような
手書き文字の文章がコピーされ
子供達に配布されていたようだ
毎回 二千字~五千字
一字一句 文も文字もおろそかでない
学級通信が 70号にも及ぶ

恐縮な申し上げようだが「一途である」
一途な お仕事振りである   
旧いかも知れぬが 一途さが
私は好きである
その一途さを受け止めた 子供達には
きっと素敵な人生が あるだろうとも考える

恋も 仕事も 生き方も 一途であれば
結果出なくも 悔い残らない 
H先生から 卒業生全員一人ひとりにあてた
沢山のメッセージのなかに 
わけても 心を揺する 一行が目に沁みた

『○○くん 一生懸命掃除をする君の姿
素敵でした~』 とあった

偏差値だけに とらわれぬ 教育の現場が
ここにある
言い過ぎではない
H

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中年を野心を抱け!のその後

中年よ 野心を 抱け ! と 
ワガ マネージャーに ハッパをかけたのが
昨年秋だ
その折 ブログにも 記載したが
信州白馬御宿かやぶき茶屋に
お出でになる ご常連のお客様のなかに
創立25周年になる 『筆子会』という
書道の お集まりがある
そのおばさま方が 研修旅行としてお泊り
ご歓談の折に 話のながれで
『書道展に マネージャーも 出品したら』
との お誘いを受けて
マネージァー大困惑だと
電話相談があった ワタシャ言ってやった

オサソイでなく ソレワ挑戦デアル !
「男子 敢然として 起て!」
(オーバーデアル)
「女子に 後れをとるな!」
(サベツゴデアル)    

カクテ 鳩首相談 長考熟慮の結果 
手馴れた{かやぶき茶屋お献立}
お品書きを 出展したのである
言ってはナンダガ 町中でフト見かける
{アジのある字}が アルデハナイカ
{大根一本百円} {塩鮭一切れ百円}
コレデス コレ
コノ路線が狙い! コレより ホカニワ
修練のおばさま連に 
抗すべく手立て手段は ない?!

さて それから半年~ 弥生 三月末
東京新宿のホールで 筆子会書道展が
開催された
マネージャーも 白馬から妻子同伴で
上京の手はずになった
夫婦で きものを着ておいでと言ったら
ちょっとオオゲサでしょと
ビビッテはいたが
カミさんの きものは なかなかの
ベストドレッサーと言うべきで 
マネージャーも 恰幅良く
きものが よく似合うので 
シャチョウメイレイだょと 押し切った

当日会場中ほどに 作品縦50cm幅1mの額装
[春のお献立]が掛けられ
ひときわ目を引く異色作?
御指導の宇賀神師から「味のある字だ」と
御託宣を頂戴して シテヤッタリ!
我が意を得たり であった
ご来場者にも なかなかな
人気作だったそうな~ 

子役?のカズキ
これまたナカナカ演技派でして
オバサマ方に オオモテダッタそうな~
カミサンのきもの姿も 絶賛されて
マァマァ ナンです

中年よ 野心を抱け! 

一陣の旋風 春の嵐のように
成功裡に 終了でありました!

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