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2006年2月

一期一会の神髄1

WATASIの誕生日前夜に 食事でもと
K君に誘われた
当日でないところがK君らしい 心くばりだ
寅さんの葛飾にある
ネパール カレーの店にした
ペンションKENで3年働いてくれた
ネパール人コックHがいる店だ

店に入ると目敏くH
『オーナ オーナ イヤッシャイ』
と声がかかる
店内に客がいない が K君「先着ダネ
」と片目をつぶる 
左様!ワタシが入店すると イカなる時
如何なるヒマシテル店でも 
後から客が入って来るというジンクスがある

K君 店長のネパール人に
なにやらネパール語で話しかけて
ネパールの新聞を広げた 
鉄棒にヘビがぶら下がったような
ネパール文字 ワタシには
皆目見当がつかないが K君は
ネパール語 読み書きOK
会話ペラペラである

コックHが KENに来た当初
全く日本語が判らなかった
ワタシもスタッフも ネパール語など
チンプンカンだった
煮る 焼く 揚げる 蒸す 茹でる
和える 炊く 等 
料理の基礎を 大きな画用紙に絵を描いて
紙芝居のようにイチイチ 教えたのだが
疲れ果てた
{言葉の通じないHに 煮ると茹でるの
区別をおしえるなど至難だった
モットモ近頃日本人女性に聞いても
煮る 茹でるの 区別正解率は40%台だが}
四苦八苦のところへ
正月休みにK君が KENに来た
現職歯医者だが モト居候としては
{ タダ働きの貢献が使命? }ではある
なにしろK君は
ワタシのオモリヤクが出来る位だから
辛抱強い
コックHとの 意思疎通係=通訳?に
任命?したのが きっかけで
ネパール語を独学 堪能になったのである

広げた新聞の写真部分ダケは
ワタシにもワカル!?!
かやぶきライブに出演されたことのある
チャイティ デビさんが
大きく三段抜き掲載の 先月
帰国の折のインタビュー記事である

K君の直訳 遂語訳? A4紙3頁によれば
チャイテイ デビさんは ネパール映画界の
パイオニァで モスクワ大学留学も
女性解放の嚆矢で 彼女は ネパール女性の
先駆者だったとの内容だそうだ       
K君はネパール人もビックリの語学力だが
歯医者の癖に 歯が立たないのが
諺だそうだ
「苦いものを食べたあとは
甘いものがより甘い」
直訳だとナンだか判らない と言うから
ワタシガ 訳して オシエテヤッタ?
「若い時の苦労は 買ってでもしろダロ」
「ドウダ」と 聞いたら
『凄いねぇ 流石ァ ヒ ヤ ク だね』
だと バカにしゃがって 

どうでもいいけど 30分で水割り6杯
のK君ペース
呑み過ぎだ いい加減にセイ と言っても 

『まだまだオープニングです』いなされた
お客さんは4組ふえて 深夜まで話が続いた

(つづく)

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境遇に負けるな

トリノ五輪 上村愛子選手 5位入賞!
お見事
1998年長野五輪7位
2002年ソルトレイク6位 
愛子さん 今大会は 神様にメダルを
お願いしたそうだ
だが 『他の選手のミスを
お願いはしない』と 愛子さん健気である

ナガノオリンピックの年の 夏
白馬 かやぶき茶屋で
上村愛子選手 愛子さんに 私は
『ゆかたの着付け』を 二度して差し上げた
ウカツなことに私は 当時その愛子さんが
スノボー選手という以上に若者達の
熱狂的なアイドルであるとは
ついぞ知らなかった

その日 かやぶき茶屋は
{ ゆかたセール中 }
愛子さんお買い上げのゆかたを 
私が お着付けをして差し上げた
同行のS氏が 写真を撮る お手伝いもした
ポーズをつける時に「肩を引いて」
「かかと荷重で」「半長足 前に」と
スキー用語での私のアドバイスに
愛子さん ピタリと面白いように 姿形が
決まるのには感心をした

ゆかたも似合うし 素直だし
感じの良いお嬢さんだと
ペンションKENの厨房で
テーブルを囲み スタッフに
お茶のみ話をしていると
トツジョ 突如として 

当時17才の居候 N君が立上り
「アッー ワッーッ オーナーのケチィ!」
と怒鳴り出した
顔を真っ赤にイソウロウNの
シリメツレツ言語?を翻訳する とコウダ
「彼は 愛子サマの超熱烈ファン!

ナゼ自分をその場に
呼んでクレないのか!ー ト」

強硬 猛烈な 抗議だったのである

「お前教習所へ行って留守ダッタダロ」
と言えば『電話かけてクレレバいいのに』
とスネル『どうやって着せタンスッカ』
と執拗でもある タメイキ! フクレ面!
若干ボケ面?

Nの不運は二度続く 

数日後 愛子さんから
「急に花火に出かけるので
浴衣を着せて頂けますか」との電話
又しても N不在!
帰って来て『ツイテネェ!!』ト 吠えた
『オーナーのケチ』が始まったが
オモムロに私が 愛子さんのサインと
写真を取り出すと Nの態度はトタンに
豹変イッペン!『オーナーサマはカミサマ』
に昇格したモノダ 

さらに数日後 愛子さんのお母さまが
鉢植えのお花を持って お礼に見えた
小づくりで もの静かな方
私とは初対面ながら
しばし話し込まれておられた
女手ひとつ 育てた時の苦労より
今 手を離れた道にいる愛子を
思うことの方がずっとずっと
苦労で心配です と
しみじみと お母さまは 語られていた

コーヒーを淹れて
聞くともなく聞き入っているNに
傍らに座るよう 目で合図をした
家出をしてKENにいた N に
ぜひ聞かせたい話だったから  なのである

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賽は投げられたり2

思わず私が言った
「可哀そうに つかいもンにならなくなって
ホッポリ出されたか
俺のウンメイみたいだナ」       
Y君 物凄い顔つきで
『くだらない言い方止めて下さい!』と
怒鳴って 枝垂れ桜の手入れをはじめた
わらをほどき 根の土をワリバシでほぐし
枝を切り詰めて ていねいに小一時間

~~話しかけてもフクレツラで無言
返事をしない~~

やがて仏頂面で聞いてきた
『折れたとこ どうします』
「接いだほうが イイダロ」と 私
ブッチヨウヅラへの対抗上!?
素っ気無くは言ったが 内心ヒソカに
アツク、カンシャの心根であったのは
言うまでもない

二者協力体制確立!
腐葉土 牛糞 ハイポネックス メネデール
アゲクは 薬局で ソエギ ガーゼ
バンソコウ まで 買い込んで
〆て1万円也を越えた
\4,500の植木に \10,000以上の投資!
馬鹿はテイドを知らない見本である

[ 枝垂れ桜 ]
ゴールデンウイークには
母が根元にカタクリを植えた
ペンションKENのシンボルである
その前後 白馬へ出かける者が
寄って集って 介護?した
六月の雨季が終わると見事
接木は成功 葉桜になった 
もっとも 枝を全部切り取られ
テッペンにだけ葉っぱ付 枝垂れでなく
―奴さんの毛槍みたいなー木になっていた
それで ひとむかし
雪に耐え 春に芽吹き 花が咲き 葉桜の夏
秋に色ずき 3mを越す木になった

白馬の雪害は 50数年ぶりという
かやぶきもペンションも どこまで
被害が拡がるか心寒い 
大きな雪害被害予測の前に
枝垂れ桜は 小事なのかも知れない
と 自分に言い聞かせて
詳しい報告を聞かずにいる

『社長 桜は 春 きっと芽を出しますよ』
という マネージャーに
今は 任せるより手だてはない
春の来ない 冬はない
そう もう ひと仕事だ!
【きものセール】 で やるきゃっない!

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賽は投げられたり1

雪害対策の相談 かやぶき茶屋から
マネージャーが 東京へ飛んで来た
開口一番
『残念ですが 社長の しだれ桜も
折れました』と言う

[  枝垂れ桜   ]
話は9年前に さかのぼる
当時私は 頚椎手術のリハビリ中で
かやぶきを 居酒屋に賃貸していた

3月末 白馬に出かける連絡をいれると
『イベントに使う 桜を買って来て欲しい』
と頼まれた 白馬は 花が凍って
花持ちが悪い
思いついて高さ80cmほどの大壷と
植木の桜を 持参することにした

植木を買いに 西新井大師の縁日に
運転のY君と出かけた
西新井大師は 厄除けで名高い
関東屈指の名刹 我家からは2kmの距離
参道両側は ダンゴ屋せんべい屋が並び
植木屋は 山門の右側と後方に並んで
賑やかである      

植木と古道具 値切らず買うのは
アホバカ野暮である     
気のないソブリで立ち止まる 
『ダンナお目当てなんです 』
「そのシダレ いくら?」
『6500エン』
「タケーナァ」
『5年もンだよ 安いョ』
「モトは 挿し木か実生ダロ
5年で6千5百倍 モウケ過ぎだよ
植木屋サン!」

『アンマリ安くスルト
カァチャンにオンダサレちゃう』

「かぁチャンやさしい
キリョウ良しじゃないノ」
『いやいやオッカネェだよ』
「フゥンそれで家出て ここで商いか」
『そーかも知れねぇ』~etc...
結局\4,500で求めた

持参した 白馬かやぶき茶屋では
大好評だったのだが
1ヵ月後 シーズン終了の
かやぶきへ出かけると
あの[ 枝垂れ桜 ]
が 二つに折り曲げられて
庭に捨ててあった 
そして いとおしいことに 折れた枝先から
小さなチイチャナ新芽が
瑞々しく芽吹いているではないか

(明日へつづく)

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ちいさな贅2

15年前 年始に見えた新婚A君夫妻が
当時健在の母に『ハイお年玉』と下さった
母はいくぶん上気した顔で
「マァマァ ありがとございます」と
手のひらを蓮の花にして 丁寧に
受け取り大喜びだった 

私にもと 渡されたのだが
ワタシャ ドギマギ 「イイヨ」と言った
「イイヨ」「イイッテバ」を連発した
テレと ソンナ年じゃぁネェという
ジソンシン?からだったが
ポチ袋に書かれた『字』に押し切られた?

お年玉の袋に 『ケンちゃんへ』
と書いてあったノデアル!   
その年そのポチ袋
アチコチの私の背広に
落着きなく転々してたが 
母の(お年玉)使用方法を
ヒソカに観察?して 見習うことにした
母は 頂いたそれぞれの人の
お年玉(金額)の範囲で ショールやら
履物などを 一品づつを求めていた

あくる年私はお年玉で 歌舞伎座桟敷に
ひとり陶然として芝居見物!
幕間の食事『松』!
帰り 茜やのコーヒー¥800!
至福であった 

毎年の お年玉のおかげで
次の年から 正月中に オペラ
隠れ家の仏蘭西料理 ジャズライブ と
いささかならず こころ ゆたかな
ひとりの時を 愉しんで来たが
今年は 鬱々と気が晴れない
使わぬうちに 正月が終わる

思いついて買い物に出かけた
前々から 欲しく目を付けていた
会津塗りの小卓 朱塗りの
素敵な品があったが 困ったことに
お年玉では 3000円不足である
立ち帰り思い切って A君に電話した
「オトシダマ 3000エン
プラスしてクダサイ! 」OKだった

ワタシとしては キワメテ スナオに
「アリガトゴザイマスッ」が言えた
モチロン熱意を込めてである!

この会津塗り小卓 かやぶき雪害対策の
{ きものセール }中 
おでかけの お客さま お接待
お茶出しに 使うつもりである

きっと 縁起が良いはづと
弾んだ思いで 朱の小卓を ながめている

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ちいさな贅1

お正月の カンゲキが 年々薄れる
羽根突きも 凧揚げも 門松すらも
見かけなくなった
下町でも  お正月の晴れ着姿が
めっきり少なくなった 
かつて七草までは 毎夜どこの家からも
聞こえた カルタとりの歓声や
賑わいの さんざめきも聞かれない
お年始廻り 御用始め 鏡開き
小正月 二十日正月 の行事よりも
お年玉にだけ お正月の存在感?
があるようだ

当方喪中 雪害予測の
『かやぶき茶屋』の事もあり
重苦しい気分の正月だが
さりとて その事情の説明が
無理なチビちゃん達には お年玉を用意して
気がついた
受け取るどの子の手が ピァニストのように
指が長く 往時の童子のような
ふっくらの手のひらではない 

当前だがアカギレ シモヤケ皆無である
お礼の挨拶も『ありがとう!』ではなく
『アリガトウゴザイマスッ』
と幼稚園発声の丁寧語! 但しタダシである
ギリチョコ受取り上司のように
全員イササカ カンゲキ薄い語調だった

実は 私も  毎年 お年玉を頂いている

(明日へつづく)

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