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2006年1月

嫌忌

ホリエモン堀江語録
「人の心は お金で買える 」
これって まぎれもなく
小泉構造改革の 結果成果であろう
堀江貴文 小泉純一郎 似た者二人
きわめてな相似性がある

ホリエモンが学生時代会社立ち上げに
恋人の父から600万借りたそうだ
会社が成長して 株価資産7000億になった
この恩人にお礼を考えてもヨサソだが
そんな話マルデキカナイ

小泉純一郎若い頃
{出社しない&働かない}で
給料タダ貰いをしてた
年金問題でバレルと
「人生いろいろ会社いろいろ」と
キ弁で逃げた

働かぬ架空社員=小泉純一郎への
給料支払いと受取りは (時効だが)
当然 税法上違法だし 現在なら
政治資金規正法違反である
その上 コイズミ氏は この恩人社長が
健在なのに死亡と誤認をしてた
失礼キワマリナイ話 恩人に対して
盆暮れの挨拶ナシ年賀状ナシが 丸見えで
ウソ寒い話だ  李下に冠は
コイズミ氏には ムリなハナシ!

家庭の事情は言いたくないが
二人とも公人なので 敢えて言う
別れた妻との隔たりは当然としても
血を分けた子供との疎遠は如何か
冷え々々として ぬくもりの無い人
ホリエ コイズミではある

そのうちキット コイズミ氏は
堀江知らんと言い出すだろう
時代の寵児
かつ
てタナカマキコ 今ホリエモン
利用し尽した後
ポイステが 目に見えている

私は
小泉純一郎氏が大嫌いである

徹底的に不快な存在でもある 
この五年間 彼は キベン イイノガレ
シラバックレに 終始した
詭弁 言い逃れ 前言を翻して恥じぬ
無責任な一国のリーダーの言動が  
この国の人々から 言葉の重みを失わせ

若者たちから
凛とした気迫を失わせた罪は重い

カネ かね 金 カネの亡者の
カネタタキとは 落語
金が 仇の世の中とは 歌舞伎 ―と
私達日本人は 金の持つ魔性を知り
金と対峙の距離をおく 知恵と
精神構造を持っていた それをバブル時に
モノカネ尺度で狂奔し 失敗したのだが

今また
コイズミ タケナカ路線によって
カネッカネッの 競争狂騒で

日本人らしい 心の豊かさを求める
精神構造が コウゾウカイカク?
されてしまったのではないか

せめて せめてだ 次の総理は
写メールで追っかけないで
コイズミとは 無縁の人
小泉の息のかからぬ人

宰相としての 理念 風格ある人物をと
希う(こいねがう)が 如何なものか!

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情けの身に沁みる

~ 袖に 涙のかかる時
人の情けの身に沁みる~

何十年か前 亡き母が
ここ一番の商いのあと
しんとした 夜ふけに
つぶやくように唄い ちいさく
しのぶように 三味をつまびいていた
ぴたり閉ざされていた ふすまのむこうの
母の顔がその時 目に浮かぶようだった

数十年来の豪雪 被害予測の
『御宿かやぶき茶屋』の 対策資金のために
[ きものひらさわ 全商品五割引セール]を
はじめた 
ひたむきに 人生を駆けて来た
私の背水の思いを 諸方に
お手紙にして差し出した
由紀さおりさんからの お電話
『つむぎのきもの でも!』と
おっしゃって下さる
お得意さま 友人、知己の
みなさまからも お励ましが
続々として寄せられ 胸熱い

Tさま  高校生の頃から20年来
何時でも おばぁちゃまと ご一緒にご来店
お二方とも チャキチャキの下町生まれ
チョウチョウハッシの会話 胸がすく
『ダメょおばぁちゃん その柄
ゴクツマよ アァ その柄もゴクツマ!』
お相手の私は
ゴクツマとは ゴクツマラナイの
略かと思ったら そうではない!
粋すぎて『極道の妻』ツマリ
岩下志麻系=ゴクツマ的になるという
表現だったノデアル
黒地総絞りのきものを おすすめしたら
おばぁちゃまが 
『あァそれなら 中道の妻?!
品がいいわょ』 と 一言 キマリ!でした

お帰り際に おばぁちゃまが
『あたくし大正生れ こちらさんとは
先代さんからの 長いお付き合いだけど
おたく様のぜひぜひ買ってという御挨拶は
このたびが初めてよネ
大変ね 頑張ってね』―
に 言葉なく私は ただただ
ひたすら頭を下げました

Yさま 80代なかば
お身内をお二人お連れになって ご来店
初めてご紹介のお二人が 大層ご気分良く
ご満足のお買い上げをいただいて
取り敢えず内金にと
お二人それぞれから頂いたお金に ふるえた
ものも言えず震えた 

手の切れるような 旧札なのである
思わず不覚 その旧札の上に ポトリ
涙をこぼしてしまった私に向かって
お身内の方が 人差し指を口に当てられた
言うまでも無い 旧札の預金口座?は
あの方のタンスの中と 思えるのだ

旧友のI君 はるばる鎌倉から
ゴ来店である
(今回は ご訪問ではなくゴライテン!)
途中 大船で人身事故 2時間位列車が遅れ
乗り換えた電車が これまた故障で 
遅れ々々の ご到着
「なんだよ オレンチが
前途多難のサインかよ」と言ったら
『そうじゃないよ 苦難を乗り越えて
到着のシルシだよ』と言ってくれた 
わずかな言葉に ふっと 心が和む!
お客様の合間をぬって話がはずむ 

人柄でもあるが I君
カッコヨイ セリフを聞かせてくれた
『鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ』
仏教詩人 “坂村真民”の
詩の一節であるという
そして さらに 『念ずれば 花ひらく』と
四国に住む100才近い この詩人の
詞も教えてくれた

そうだ 生きねばならぬ 

生き生きと生きて 生きることで
明日の夢をみたいと思う

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オーバーラップ

しんしんと ゆきふり しんしんと
音ない音につつまれた かやぶき茶屋
ひしひしと迫る 豪雪の重圧を K君
マネージャーと 話し合った

ポツリ K君が云った

「この家 百数十年の歴史もだけど
あるじの人生もかかっている」 と

平成1年秋 私は 交通事故被害にあって
首の骨に 腰の骨を移植手術した
平成3年 私が 歩行も 話声も 未だ
おぼつかない リハビリ中のことだった
『かやぶき』を売らないかという話が
持ちかけられた
価格は 1億円
若干の上乗せも可という話は
バブル末期だったが
それでも1億円は 良い値に思えた 
何でも 気学の占う先方にとっては
「方角が良い」「神社の隣り」
「流水が二方に巡り」「古民家」と
何拍子も揃った「かやぶき」は
好(幸)物件だったそうだ  

その話に心が揺れた
売って リハビリに専念
安穏に暮らすかと 半分以上は考えた
決心のために 家族には
病院の検査と偽って
ひとりで 白馬に出かけることにした
途中疲れが酷く 甲府で下車
さらに松本で一泊
やっとの思いで白馬にたどり着いた

かやぶきの なつかしい匂いが
胸に沁み 心に 沁みた
一休み お隣へ伺うと
当時80代なかばのおばぁちゃんが
お一人でお留守居だった

『兄サ よく来た ニイサよく来た』
と喜んで下さった が 
『バァチャも 年いったデヘィ
弱くなったデ』と言われた
お年のせいか 心なし
魔法瓶を持つ手が震えてもいた 

ひとわたり半年以上かかった
私の警察病院で手術入院や その後の
鹿教湯病院へのリハビリ入院の話
熱心に聞き終えると おばぁちゃんは言った
『兄サ こっちへ来ましょ
チカゴロ温泉も出るテ言うデ
こっちで養生しましョ』
『白馬は 水がきれいで 空気がうまいで
こっちでセ 養生しましょ!』と
強い口調だった
「でもねぇ おばぁちゃん
私は 運転も出来なくなったし
歩くのもやっとだし」

そういう私を さえぎる様に
おばぁちゃんは続けた
『むかし あの大きな荒れ屋敷
どうするだって? バァチャ聞いたらセ
兄サ言ったじゃぁ 今に 年とったら
だーれも入れなんで
ひとりで本読んで暮らす
ニイサ そう言ってたよー』
おばぁちゃんは 何時になく雄弁だった
『お大工さん めぇ年入れてセ
茅普請してセ えれぇ事ダワ
ニイサのようすみて バァチャは
トンボ帰りちゅう言葉 知ったダ』
『こっちへ来ましょ』『養生しましょ』

「ありがと おばぁちゃん!
でも 私ひとりじゃ
ごはんも食べられないモンね」

きっぱりと おばぁちゃんが言った

『兄サの まかない
バァチャがしてやるで!』
エッほんと? おばぁちゃんが?
多分 そんな顔で見つめる私に
おばぁちゃんは 再び きっぱりと
言い切った

『なぁーに ちかごろ チンすりゃ
なんでも出来るデ ぞうさ ねえわさ』
その時 私は あとから あとから
突き上げて来る 溢れるような涙を
おばぁちやんに 隠すことが 出来なかった

商人の家に生まれ育った私だ
百円の利に どれほどの苦労があるのかを
知っている ましていわんや 1億円だ
恐らく生涯 手にする事のない
金額ではある 
だが しかし やめた!
事情を知らぬまま 説き聞かせた
明治生れのおばぁちやん が
希望を捨てるなと 生きる道筋を
教えてくれたのだ 

人は ひとりで生きられない
と しみじみ その時 思ったものだ
何十年も前 亡父が
呉服の値札を付けながら 始終言っていた
「建二 世の中には
値札では付け切れない ものの値打ちが
沢山にあるんだ」 と

かやぶきでのK君
なぜか おばぁちゃんと ダブって見えた

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畏怖忘れた報い

2006年元旦 朝 
白馬は 素晴らしい晴天
抜けるような紺青の空
昨夜までの 地鳴り地吹雪は
どこに行ったのだろう

白一色の岩岳山頂に 耀く光が
遥かに 優しく 映える
輝く陽の光 待ち望んだ太陽に
「おてんとさま」という やさしく
なつかしいことば を 思い起こした
母方の おばぁちゃん 居候の
じいやさんから 幼い頃 折にふれて
言い聞かされていた言葉だ
「おてんとさまの バチがアタル」
「おてんとさまは オ見トオシダ」と
{食べ物を粗末にする
ウソやゴマカシを言う
弱い者イジメをする}と 決まって
「オテントさま」がの 前置きで
お小言があった

お天道様 それは 自然に対する畏怖
人知の及ばぬことへの謙虚さを
自然に持ち合わせていたのが
むかしの 真っ当な日本人だった
『ツナミ』『ハリケーン』
『豪雪』、、、は オテント様から
バチが当てられているのではないか! 
私達が 自然に対して奢り
自然に対して傍若に振る舞うことへの
「バチがあたって」いるのだ と
考えるのが それこそ自然だろう 
もはや警告の域を超えているのだ
京都議定書に調印しないアメリカに
何も言えないソーリは
将来や未来を考えぬフヌケなのだ

思い巡らすことが多くて
いささか混乱気味である
ともかく ひと寝入りして
身体を休めるように K君もマネージャーも
すすめてくれる 夕方目が覚めると
また雪模様である
この豪雪は 日を追い 厳しさを増すだろう
かやぶきの崩壊は
かやぶき古民家百数十年の
さまざまな暮らしの 言わば歴史や想いの
集積を崩すことになる 
極めてな 私の人生の切所でもある
退くことはしないが
ただ 想像をこえた資金を 要するだろう
なにを どうするか
かぎられた人智を絞ろう!

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本気でヤルっきゃないだろ!!

生まれつき ワタシは気が短い 
若い頃 デートの時間30分前に行って
約束の時間6分過ぎには
待っていられないノデ 帰って来た
ケンカになった
ワタシが36分間も待った事?を
リカイ出来ないヒトが ワタシには
リカイ出来なかったタメだ! 

大晦日 只ならぬ豪雪との報告で
急遽 白馬かやぶき茶屋
ぺンションKENへ行く事となった
マネージャーが気を遣って
元祖居候?のK君に 同行を頼んだら
快諾だった

気短か 多忙 気がセイテ
上野駅の待合せ場所には 20分前に行ったが
K君がイナイ K君 場所の勘違い
発車ギリギリ滑り込みだった
ソコマデはマア良い
座席へ着く前に
「首のコルセットどうしました?」
聞かれて 忘れたのに気が付いた
「ダメじゃないですか!」
「ドーシテ忘れたんですか!」
と立て続けに言われて ムカッパラが立った
忘れた理由がワカル位ならワスレヤシナイ! 頚椎手術後遺症は自分自身だ
コルセットが大事なコト位
センコク承知だ!

ウルサイ!>>>>>で
口聞くものかと キーメタ
テキもサルモノだ 着席したら
折りたたみテーブルに チョコレートが
4種類出された
「どれから食べますか」とキタモンダ 
告白!!すると ワタシにとって
チョコレートは麻薬&ドラッグなのだ
禁断の実に手を出した
「美味しいけどゴデバは
列車に似合わないでしょ」などと
洒落たフレーズを テキは繰り出して来た
根負けして 口をきいてしまった 
考えてみたら 居候OBのK君
現職は歯医者ダ
口を開かせるのがショーバイなのデアル

深夜 長野駅に ペンションから
コンナイさんが迎えに来てくれた
想像をこえた大雪だという
昭和56年の いわゆるゴーロクの
豪雪以上の積雪
残念ながら被害も大きく予測され
どこの家も 昼夜わかたず除雪作業
ペンションKENも除雪機が
オーバーヒートして故障
修理に出したら48番目と言われて
村中の混乱を再確認をしたそうだ
人力だけでは 当然ながら
ギブアップ寸前だという

ペンションKENに到着
カウンツダウンの始まる時間
ゲレンデの 打ち上げ花火見物の
お客さまと玄関前で鉢合わせ
おなじみのお客様が
オーナーの私に『いらっしゃい!』と 
声を掛けてくださる
楽しくも 不思議風景 よき哉である

凄まじい氷塊だ
軽自動車1台分位づつの屋根雪氷が
随所 ペンション1階外部に落下
1階窓を全部覆っている
レストランは 氷塊が窓のサッシュを
押している
かやぶき茶屋へ廻ると
ここは 東京から駆けつけてくれた
秋田生まれの大工さん達が屋根雪だけは
正面 裏正面とも落としてくれていたが
庭へは車が縦1列しか入れない 
屋根から地面迄すっぽりと
かやぶきの家が 雪に覆われて
それは見事といえば見事だ
『屋根巾28メートル 堂々 豪壮な
築160年の古民家宿 かやぶき茶屋』を 
ご近所の民宿へお泊りの
お客様方が大勢さん
写真を撮りにお出でになるそうだ

しかし 見事な景観と実態の生活の融合
被害をこの先 どこ迄で食い止められるのか
10年前にも積雪被害
茅屋根の大崩落があった
裏正面の屋根普請
当初見積りは1890万だったが 不足だった

正念場だぜ やるっきゃない!だろ
難関突破 『ヤル気』が 人生キーワードだ

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2005年オーナー語録 2

【語録2】
褻(け)がないのに晴れがある」

【解説】
J民党が衆議院選挙で大勝した際の
マスコミに対して。

「政府の悪辣な政策は
ほとんど取り上げもしないくせに
ここぞ、というとき
センセーショナルな見出しで国民を煽る」。

日本の行く末と
マスコミの姿勢を嘆いた言葉。

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