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2005年10月

女の美は和にあり

「ノリノミヤサマ!」「ノリノ宮様!」
「紀宮さまデース!」
マルデ紀宮様が
ワガヤへお出でになったような騒ぎで
大声で呼ばれたが 
当然! チガウ!
これからテレビに映られる
というダケの話である

―イチイチウルサイなァ―
とかなんとか言いながら ワタクシ実は
『紀宮さまファン』である
シブシブ風に テレビで拝見申し上げた

お嫁ぎ前のパーティであるとか
いつもながらであるが 和服姿の
皇后さまは 優美 品位品格あって
おきものが断然お似合いである
ロイヤルファミリィの 御制約がなければの話
時には雰囲気をかえて
濃い地色の お洒落な―きもの
わけても濃茶地の 紬のきものなどを
お召し頂けたら さぞや素敵だろうとは
呉服屋の空想である

皇后様の お着物姿のよろしさは
洗練されたお裾さばきにある
下世話な言い方だが
『歩き方と食べ方で お里が知れる』と言う
そう! 隠し様もなく 歩く食べるで
その人の育ちも暮らしも バックグランドが
レキ然と判るものなのだ

ところで紀宮様 秋草の小花模様の訪問着が
清楚に すがすがしくお美しい
―本当のところ
いくぶん難しいお年頃の方なのではある―
お嫁入り前なので 落ち着きと品格が
若奥様風になっては困る 
さりとて
お嫁入り前のお嬢様風な華やぎが
派手すぎて品格を落しても困るのだ

この日 紀宮様は 控え目な訪問着に
帯結びを『ふくら雀』にされて
初々しく上品な 嫁ぎゆく人の
香しく匂うような おきもの姿であった
つまり きものと帯は若奥様にも
よろしいお品に 帯の結びを
お嬢様風になさっておられたのだ
その上 楚々とした お身のこなしは
日本舞踊のご素養のせいか
立ち居振る舞いの お見事なこと
母君様に ひけをとらないーと
感嘆しばしでありました 

女の人の美しさの演出!!
これはもう やはり
きものが世界一なのであります!

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さあ、刮目して見よ

ホームページ担当の竹内クン
マレーシァ旅行へ お出かけのあとで
メールを開いた
(ワタクシの場合
メールは週一回の遅達便?である)

マレーシァだけと思っていたら
ボルネオの名前が飛び込んで来た
パチパチと 頭の中がショートした
『サンダカン8番娼館』山崎朋子著
何度か繰り返し読んだ事がある
映画『サンダカン8番娼館』監督の名は
忘れたが 田中絹代主演だった
いずれも佳作といって良いが
その背景を タケウチ世代に どう語り
どう説明し どういう答えを求めるのか
しばし 暗澹と模索だ 

差別語を 敢えて記す
それぞれの語彙を調べて欲しい お願いだ
「土人」「チャンコロ」「女郎」
「売女」「パンパン」 
そして 朝鮮という国名をすら
侮蔑語とした 恥ずべき時代が 
この日本の国にあったことも調べて欲しい

性を売る ホストを買うためにではない
食べる生きる ただそれだけの為に性を売った
売らされた女たちが存在した のだ
自ら生きるのではない 性を売るために
生かされていた女たちがいたのだ

人は みな それぞれに 誰でも
辛い思いや 苦しみを抱えている
それを 自分以外のせいにすれば
大変に楽だ だが その前に一度
一時代前 同じこの国で
切なく生きた人のことも 調べて欲しい

来る日も来る日も 絶望の淵に生きて
自らの性を叩き売りする事でしか
一日一日を凌ぐ手立てを持ちえなかった
「女」「人」の存在が
残念ながら 私たち日本の国の
私たち日本人の 過去なのだ 

それを知らずに 今を生きることは
無知でなく怠慢なのだと思うのだ

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人(アナログ)なんだよネ 結局は

彼女の希望で オランゥータンを見る
島行きを 最大の眼目に
ホームページ担当のタケウチ君が
マレーシァ・ボルネオ旅行にお出かけだ
オラウータンに会いに!旅行!
― ウレシクも 又 タノシイ話だ が
タケウチ君は 当初
{パソコンを持って旅行}の
ツモリダッタらしい
彼女に「ナニ 考えているノ」と
軽く ジャブを入れられて撤回!したそうだ
が コレ アタリマエデス!
彼女の判定勝ち 高々と手を挙げます
オランウータンに逢いたいという
心根優しい彼女と ふたりの旅行です 
パソコンはモチロン カメラ ビデオ も
不要です
美しい風景や 素敵な思い出は
心に映り 脳裏に焼き付けられます
デジタル不要!アナログにしましョ
アナログに!
アナログで行かなければ お目にかかる
オランウータン様 
つまりは ワレワレのゴ先祖サマに対して
ゴ無礼にナルと思います

居候OBのN君が この夏 癌だと診断された
発見当時 既にかなりな程度に
癌が進行していて 深刻な病状だった 
当然 手術は止む無しなのだが
さて どう対処 病院はどこにするかなど
相談を受けたが 言うまでもない
なまなかな答えには 窮する難問だった
几帳面なN君 自らが ネットで
丹念克明に調べた資料のファイルが 
週刊誌の厚さ程もあった
その中のひとつに 啓示があった
通常なら 約30センチ以上の
開腹手術をすべきところを 
最先端の医療機器 最新の医療技術で
5円玉の穴を開ける程度の手術で
治癒出来るいうのだ
それなら 当然 術後の負担も少ない
資料で見る限り その医療機器
それは まさにデジタルの極致ともいうべく
神の手にも 近いように思えたものだ
ただ最新のということは
成功事例の蓄積が少ない
新しい病院の信頼度は如何かと
何回かの話は 行きつ戻りつで 日数が過ぎた

再考に再考 私は私の結論を N君に話した
開腹して目視するアナログ手術
開腹せず機器探査のデジタル手術も 
結局のところ 神ならぬ医師の手腕力量と
医療への取り組みの誠実さに拠るのだと思う
としたらだ 病院の有名無名よりも
お医者さんを選ぼう 
そして その医師を信頼するしかなかろう
というのが私の考えだった

そして・・・

N君は 最新手術で大成功!
お腹に5円玉の穴6個の傷跡だけで
癌病棟から生還 元気快復です
先日の検診でも 転移なしの
太鼓判だったそうだ 
いやぁ ほっとした
ほんと よかったです 

ところで 名医を撰ぶ基準ですが
「病気」を治して頂くのだから
気の合うお人柄のセンセにすべきです
自分と気の合うお人柄の方が
「主治医」 医を治める主として
最善の名医なのだというのが
私流儀の考えです

ワタクシですか?
私は整形外科は冬賀先生 漢方は花輪先生
私流最高基準の名医お二方のおかげで 
賞味期限切れの身体なのに
イマダ 無農薬(ノウナシ ヤクナシ)に
ならずにどうやら 生きております

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バカモノ賛歌

春のような 秋の日を
小春日和というのであれば
10月の蒸し暑い秋の日は
コ夏日和とでも言うのだろうか? 
とは ヘリクツで あるが 
鑑賞の映画 『蝉しぐれ』の題名には
奇妙にふさわしい日だった
居候さん二人「の」お供である
断っておくが二人「を」ではない
ヨコハマ君とアイチ君の二人 お供のワタシ
3人が東京上野に集った
『蝉しぐれ』は かねてから周平ファン
周平ワールドに どっぷりの私が
白馬のペンションKENに
居候をしていた若い二人に 推めたものだ

映画では「ひとすじに 純な 忍ぶ恋が」
メロディのようだった 
それはそれで心にしみる佳品だったが 
周平さんには珍しい 屈折ない 若さ
友情 青春を 紡ぐように語り
「ひとすじに 生きる さわやかな人生」を
謳いあげた原作が 若い居候クン二人への
賛歌のように 思えたものだ

毎年 冬になると白馬のペンションKENと
古民家宿かやぶき茶屋に
スキー スノボーをやりたい
居候希望の若者が いろいろ やって来る
シーズンが終わって帰っても
事あるごと 古巣白馬や東京のワガヤを
実家のようにやって来る居候OBが
北は小樽 南は高知 長崎にと 大勢いて
快き哉 快き哉である

はじけるような若さの夢と
希望を聞くことも 楽しいことだが
若さゆえの 心のかげりや苦悩に
手を差しだすことも 一期一会だと考えている
とかく 青春は残酷なものだ
と 漱石は 言った

アノ二人 アイチ&ヨコハマの
イソウロウ君 来春大学卒業を控えて
それぞれに いささかならぬ
悩みがあるようだ
人生に 経験者はいない はずである
経験とは 何回かの積み重ねだ
誰でもが 人生は
一度切りしか通過出来ないのだから
エラソウニ経験者としては 語れない
……が でもである
何とか 無い智恵しぼってサポートしよう!
と 思う
なにしろ カワイイんだよ
あのバカモノたち!

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主役はファンと選手だぜぃ!

ワタシプロ野球は
Gアンチファンでありますが・・・

昭和ヒトケタ時代 野球といえば
6大学リーグ戦だった
亡母は 明治42年生まれながら
日本髪に着物姿 日傘を差して
観戦したそうである
「うしろの人が
さぞかし迷惑だったろうに?」と言うと
「大丈夫よ」と母
「御免なさいましね」って
まわりに挨拶するでしょ
『はいょお平に』って
「今と違って その頃の男衆は
みーんな女の人に優しかった」と
――妙な反撃を食らったものだ

慶応大学の名三塁手水原茂が
人気女優田中絹代とー好いたらしい仲―
(ほのかな恋仲とでも訳すか)という
噂があったなど昔話というより
母の話は 石器時代のシンワ?に近かった
その水原が戦後 巨人軍の
監督に就任 ソノナガレで
母は 熱狂的な巨人大鵬玉子焼きになった
そして 我が家は 母 弟妹
お手伝いさん六人が 全員巨人ファンで
只独りワタクシが Gアンチ!
テレビ前の冷戦に 孤軍奮闘していた
ワタクシ はっきり言って
竜でも鯉でも燕でも 鯨だっていいのだが
ダメ虎が 王者巨人には猛虎になる
大層気になる一番手の存在だった

阪神タィガース 村上ファンド
始まったね 気に入らないね
株ころがし 株の買占めだと
本音を はっきりさせればよい
全ては 『村上ファンド株主の利益最優先』
その為の 経営参加なのだ  
あとは付け足しアト理屈である
儲かるから買う ただそれだけのオ話だ

美味しい果実だけを 次々食べ散らかす
マーケット至上主義
種を蒔き 花を咲かせ 実らせる事は
迂遠で野暮になったのだろうか

kabu

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ケとハレ(わが家の自慢 其の三)

深刻だ 不況だと言う割には
今 かなりに ノーテンキな時代だと思う
一年中サンデー毎日?に 暮したい願望の
若者が 多くなったかと思えば
シニァ世代までもが 第二の人生などと
言い出す 
ダイジな人生なら判るが
人生に 第二 第三 が あるのだろうか
オマケやフロクの 人生があるとでも
言うのだろうか
「ケとハレ」それが
日本人のアィデンティティではないか
節句。節季。
祭り『ハレの日』は ケの日の努力の
集大成この日の為にと 祝い 寿ぐ
鮮やかな心意気を 見せるのが
日本人の暮らしだった筈だ 

人生 晴れてばかりはいないものだ
わたしの父は早くに亡くなった
「商いを知らぬ奥様の母」
「学帽かぶった私」と
「六人の兄弟姉妹」では
難しい呉服屋商いの継続が
不可能と思う危機が来た
父の百日忌頃だった 
それは 丁度 七五三の時季にも
重なっていた 
我が家では 毎夜毎夜 どうしょうの
家族会議小田原評定が 続いていた
或る夜 母が 父の あの祝儀羽織を
とりだして言った
「これからは 毎日毎日 智慧を絞る
それしか道はないと思うわ」
その時 母は 泣いていたが 決然としていた
そう それから毎日 一日一日が
(ない知恵を絞っての)勝負だった
そして その勝負 どうにか勝ちと思える
商いに地がつくまでには
約十数年を越す年月が 必要だった

とりとめない 思わぬ昔話 長話は きりがない
又にしますが

あの 祝儀羽織は 我が家が
近隣からの火事で類焼した時
私が 交通事故被害で再起不能と言われた時
父から 「ここ一番だぞ」 との
メッセージように思えたものでした
ここ一番 やるべき時には精一杯やる
父だけでなく父の世代の心意気
それが 「祝いだ」 「人生だ」
と 私は 共感しますし 思います

余計な見栄は 不要だけれど
―借り着着て 写真を撮って―
後日のアリバイつくりをすることを
祝い事とは言いません

(終)

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わが家の自慢 其の二

「シ ノタマワク」が 出典であるのか
どうかは知りませんが
中国の故事に 水がめに落ちた幼児を
救出した 幼童の話があります
―丈余の甕― と言うから
大人の背丈より高い(いわば貯水槽)に
イタズラガキが落っこちた
「キャーッ」 「ワーッ」と
周囲の大人達はシュウソウロウバイ
成すすべが無い
何しろ 甕だから口径が小さい
綱が駄目 手が届かない
アワヤのところへ 木槌を持った幼童登場!
水がめを叩き割って メデタク幼児を救出!
トまぁ コロンブスのタマゴの
チャイナ版である

父は イタク この話が
お気に入りで 考え抜いた父の考案は
祝着羽織の背中いっぱいに この寓話を
絵師に描かせることでした

「木槌を振りかざした幼童」 

「割れた水甕からほとばしる水流に乗って
生還の幼児」 
「賛嘆する大人達を周囲に配した」
それは見事な図柄の絵羽模様でした 
呉服屋だからの『贅』 ウチの息子
世界一頭がイイと 思い違いの
親馬鹿が『贅』を尽くした
その祝着は お披露目の11月15日当日
ヒト騒動だったそうです
父のお得意先 向島花柳界の待合、料亭に
祝儀御礼に出向くと「アラマァカワイ」などと芸者さん達が寄って来る 
それをワタクシは
ポンポンと白扇で払ったそうですー
カワユクナイー

だが この七五三の祝い羽織
この日一日だけでなく 私が長じて後年 
なんども何度も 手にする事になりました

(つづく)

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わが家の自慢 其の一

『レンタルよ サヨウナラ』の
キャッチコピーで
レンタルより お安い七五三セールが
お陰さま 繁盛してます
本音を言えば
「ヒトノ借り着で
祝い事をするもんじゃーネエ」と言う
下町育ちの性根がやらせているのです

五才の頃のワタシ
我が家のアイドル?でした
番頭さん 爺やサン
大学生の居候さんが 寄って集って
ワタシに「字」を教えたそうです
拾い読みが出来るのが嬉しいのと
小児喘息のせいもあって
日がな一日部屋から一歩も出ずに
絵本噛り付きのワタシを心配して
父が「たまには表で
ドロダラケになって来い!」と言ったら
ワタシ プイッと 店の前に出て
道路に寝コロガッテ一回転 フン!ッン!
ドウダ!の態度で戻って来たそうです
カワユクナイ ガキです
番頭さん達は 下を向き
笑いをこらえてケンメイだし 
父はといえば 真っ赤になって
一言も 言葉を発しなかったそうです

read






オヤバカ チャンリンの父は
ワタシが賢い智慧者と勘違いをして
とてつもない 五才のお祝い着を
つくる事になりました

(つづく)

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