【ライオン看板 敗戦後復興の証】②

毒蝮三太夫さんから電話を頂いた
【ライオン看板仕上り】おめでとう
お祝い何がイイ 花カイ 団子カイ
アニさんや俺等は戦争や負けた後の
切ない時代の苦労が身に沁みている
最後の世代ダ昭和十五年生れから
【戦争を知らない子供達】だからネ
あれこれと三十分を超えての長話
戦争を語り継ぐことの大事
平和の道を歩むことの大事が結論
大きな大きな胡蝶蘭をお届け頂いた

1

昭和二十年三月十日【東京大空襲】
その年父は徴用長期不在女中禁止令
妊娠中の母が 十才の私と妹弟三人
大きなお腹を抱え独り 必死だった
一月末早産で 赤ちゃんが産まれた
母も赤ちゃんも痩せこけて栄養不良
母乳が出ない粉ミルクも牛乳も無い
離れて住む 祖母が やっと探して
ヤギの乳を求めて来たが赤ちゃんは
飲まない 母も匂いがと言った途端
おばぁちゃんの啖呵が飛んだ

「贅沢お言いでナイ」「お前さんはネ」
「5人の子供の命綱」「太くて丈夫に
そうでなきゃ 三文の値打も無いっ」
剣幕に押され 私達もヤギ乳を口に
「坊や ヤギの鳴き方知ってるかい」
『メーェ』 「違うノ ウメーだょ」
赤ちゃんは 二月五日に亡くなった
深夜警戒警報発令 紐で手首を繋ぎ
「死なばもろともょ」と母は言った
B29爆撃機編隊の 凄まじい空襲に
祖母の家は全焼 親族二人焼死した
我家に身を寄せた祖母が口惜しげに
「女子供を 上から撃ち殺すなんて
鬼畜生のやる事だ」と慟哭した

敗戦後 祖母は常々「戦争はマッピラよ
人の生き死に お上まかせはダメ」
と言っていた
 
  ひらさわ呉服店
      店主 平澤 建二
           八十二才

2017(平成29)年6月25日号
毎日新聞日曜くらぶ広告欄掲載

※2018(平成30)年3月迄連載予定

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【ライオン看板 敗戦後復興の証】①

東京大空襲昭和二十年三月十日未明
唸りを挙げアメリカ空軍B29爆撃が
東京下町を襲った    下町には
女 子供 年寄りのみが暮していた
深刻な戦況不利 青年達は全て徴兵
中年も軍事徴用か壮年兵招集だった

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爆撃は凄惨苛烈を極めた
照明弾投下 真昼の明るさに 照射
逃げ惑う人々に 炸裂爆弾を 投下
次に低空から油脂グリスを散布して
焼夷弾バラマキ炎上させ 機銃掃射
悲惨な焼死者は十万人を超えた

昭和二十年八月十五日無条件降伏
敗戦は死と隣り合せだった人々に
明日へ生きる希望の灯をもたらした
皇居前の米寄こせデモ 飢えていた
ボロボロを着た浮浪児 戦災孤児
物乞い白衣傷痍軍人達の切ない姿
やがて焼け跡にバラック小屋が建ち
復興へと歩み始め平和と民主主義が
小父さん小母さん達の口から語られ
東京下町の商いにも活気が出て来た
バラック建ての商店が競うように
店の上部に「トタン看板」を掲げた
下町商人の健気な心意気の看板だが
前だけ立派 後ろ建物が見劣りする
丁度ライオンのタテガミの如くだと
東京っ子らしい洒落の ネーミング
【ライオン看板】の呼称が定着した
町のランドマークとして満七十年
今や東京都内で最大にして唯一の
【ひらさわ呉服店ライオン看板】は
父や母世代が戦争の業火をくぐり
平和へ辿り着いた記念碑なのです
 
  ひらさわ呉服店
      店主 平澤 建二
           八十二才

2017(平成29)年5月28日号
毎日新聞日曜くらぶ広告欄掲載

※2018(平成30)年3月迄連載予定

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戦争そして戦後 ~ライオン看板に寄せて~

【ひらさわ呉服店ライオン看板】に寄せて
エッセイをいただいた
心溢れるような想いで皆様にお届けします

平澤建二

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父が復員したのは昭和21年2月、敗戦の6ヶ月後であった。マッカーサーが厚木基地に来るのを迎える為で、旧日本兵の奇襲を恐れ、沿道の左右、ニメートル間隔で、日本兵が警備をしたと話してくれた。厚木基地の戦闘機・零戦は、尾翼を上にして立てかけて敵意が無い事を示し、全戦闘車両は、大きな穴を掘って投げ込み、涙しながら処分したそうである。夜に周辺の住人が、その部品を盗みに来たそうだが、米軍には内緒で見逃したという事でした。

父は、長男として大切に育てられた。18歳の時、病の為入院し両親に心配をかけたが、20歳過ぎて兵役に甲種合格で入隊をした。

戦友の少しのミスでも、全員並ぱされ、上官に顎の骨が折れる程殴られた辛さや、代々木の練兵場から故郷の町田の方を眺め、父や母を思った事などポツリポツリと話してくれた。「新兵さんは、かわいそうだね。また寝て泣くのかよ」と、消灯ラッパのメロディに詞をつけて唄っていた事を聞くと、切ない気持が幼心にも伝わってきた。

父は、生涯パジャマを着る事は無かった。懲罰として米袋に首と手の穴をあけ、着せられたそうで、その肌へのざらついた嫌な感触が忘れられないのだと言う。外地への出兵の当日、上官に呼ばれ他の任務を命ぜられた。自分は戦友と共にと懇願したが、命令でやむなく日本に留まったが、南方に行く船は敵の攻撃に遭い撃沈され、全員が亡くなった。

それ以来父は生涯、温かい物はすべて口にしなかった。御飯も味噌汁も、母があたたかくして出すと、「僕の気持ちが、まだわからないか。海に沈んだ戦友は、どんなに冷たかったか。自分だけが良い思いをしてはいけないんだ」と、冷ましてから食した。大好きなコーヒーも、いつも冷たくなってから飲んだ。私が生まれる前からの習慣で、そのような父の姿しか知らず大きくなるまで猫舌と思っていた。りりしく軍刀を持ち、日の丸を背にした、セピア色の父の写真から、同じような若い人達が無念にも散っていった過去を思う。

叔父は、レイテ島で「飯盒の蓋で油蝉の羽を油代わりに、ネズミやゴキブリを妙めて食べた。そんな事までしたんだ」と、吐き出すように話した。93歳の誕生日に「白い御飯がおいしい」とおかわりをし、その一口を喉に詰まらせ急死した。遺族は、食べたかった白い御飯を食し逝ったのだから満足であろうと、それぞれの心を慰めた。

父が進駐軍から貰った布がある。それを祖母が私の羽織に仕立て、6歳のお正月に着せてくれた。当時は珍しく天使が赤い実や花を持つ絵柄で、人が集まり見られるのが嫌で二度と着なかった記憶がある。父の話を聞き米軍への抵抗、戦への幼心の反発だったのかも知れない。その後虫喰いのある布を1.5メートルに切り額装にした。

Photo

もうすぐ終戦記念日がくる。消灯ラッパの替え唄を心に、生きているのが申し訳ないと言っていた父が、天国の戦友の許に逝き15年が経つ。無事復員していなければ、生まれていなかった私は、平和の為に何が出来るのか、父の思い出と共に、夏のわき上がる雲を眺めながら皆の人生を狂わせた戦争を忘れてはいけない、繰り返してはいけないと強く思うのです。

平成29年8月7日

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安倍総理更迭 ~ 生来の鉄面皮 ~

又しても稲田朋美
今度はエスケープ事件だそうだ
そして メディアは 安倍総理の
「任命責任」が問うているが
オ門違いと言うべきだ

安倍総理は 任命責任以前の
「任命能力」に欠陥が有り
「人事管理」にも偏向欠陥有りなのだ
今 問われるべき「任命責任」は
間接的だが安倍総理を任命した
我々有権者の意識だ

内閣改造等の ペンキ塗りに
ゴマカサレズ シッカリと早期に
安倍内閣退陣を求めるべきだ

安倍駄目の教材見本は
「稲田朋美」である
都議選最中の【稲田朋美自衛隊発言】
防衛大臣のみならず 公人失格即罷免の
大問題だ
【シビリアンコントロール文民統制】
【コンプライアンス法令順守】
【政治的中立】
の三点は
自衛隊存立の【鉄則】であり
【前提条件】である 
稲田防衛大臣発言は
失言を超え暴言 公人失格であり
即罷免が本筋だ

稲田朋美の弁明「誤解をマネキ」と
35回繰り返しが揶揄されたが
それでも安倍総理はカエルの面で
訓告すらしない鉄面皮
安倍・稲田は同類項と断じたい

稲田朋美ソノ(2)
昨夏スーダンへ視察渡航である
【自衛隊日報虚偽記載】も問題有りだが
航空機搭乗の際の稲田朋美
【制服を小脇に抱えた】姿がテレビに映り
私は唖然呆然とした
幼稚園児以下の アノ恰好→
制服抱えたオマワリサン通勤ッテ
=アルダロカ 日本国の恥だ

だが この件も 安倍内閣の戒告
訓告 処分聞イテナイ
安倍恥知らずと言うべきだ

稲田朋美ソノ(3)
森友学園問題国会で虚偽答弁がバレテ
後日訂正
「記憶に無いので虚偽ではない」と
屁理屈三百代言を並べていた

稲田安倍両者志向の「教育勅語」には
「嘘をつくな」とは書いてないが
巷間俚諺
『ウソツキはドロボーのハジマリ』である
『嘘で塗り固めた政治運営の安倍』
『任命能力欠如の安倍』を指弾すべき時
到来なのだ

次期内閣改造に於いては
『安倍総理更迭』が
最も至当と思うが 如何か

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平和への希求 ~ マムシさん ~

【ひらさわ呉服店ライオン看板】
「修復工事完成の新聞記事を読んだ」と
毒蝮三太夫さんから 電話を頂いた

「いやぁ アニさんオメデト」「頑張るネェ」
「お祝いナニがイイ」
 『いえいえ いいです』
「カミさんも 好みを聞いてダッテヨ」
『ほんと お気遣いなしに』
「花カイ?団子カィ?」と
押しまくられて 花をいただくことにした
「アニさんはサア 10年生まれ
俺11年ダロ」
「昭和も15年過ぎの生れからは
戦争を知らない子供たち
なんだよなぁ・・・」と
蝮さんは 感慨深げに言葉を継いだ
「俺達が戦争を知る 最後の世代なんだ」
「今 言っておかなきゃ ならない事
アルヨナ」と
蝮さんは 慨嘆するようでもあった

【ライオン看板ひらさわ呉服店】
東京新聞 朝日新聞 毎日新聞
各社の取材を受けた
記者さん3人とも三十代位有能だ
真摯で熱心な取材時間が3時間半~
4時間以上かかった 
率直のところ私には“頚椎症の
障害があり”長時間の対話は 無理
辛苦 疲労困憊だったが 
戦争を知る最後の世代として語るべき
今が絶好の機会なのだと
心中ひそかな思いがあり
出来るだけ にこやかな応対を
心掛けたつもりだったが
蝮さんの慨嘆も よく分かる

Photo


お世辞でなく優秀と思える記者さんに
私の思うところが通じていない
もどかしさがあった
肝心 要な『死』と『飢え』についてなのだ

私達世代は
戦争が無い 平和な世情の
暮らしの中にでも 『死』は身近にあった
ドコソコのお婆ちゃんが亡くなった
「お線香あげてらっしゃい」~
ドコソコのお爺ちゃんが
ほとけさんになった
「お通夜だから拝んで来なさい」~と
人の死に顔に遭うのが普遍だったが
現今は病院から火葬場へ直 密葬
後日「偲ぶ会」がハヤリになり
普通の死体 普通の死に顔との
対面がほぼ少ない時代になった
【東京大空襲】で私や蝮さん体験の
無惨な御遺体死に顔に対比する仏さんが
見えてないのだ

『飢え』テレビチャンネル
ドコモ イツデモ 【グルメ】グルメだが
食料自給率が危機的状況を考える
マスコミも日本人も ほぼゼロのようだ

マリーアントワネット
「パンがなければ ケーキをお食べ」が 
大方の日本人思考になったようでもある

ソレでも矢張り
「戦争を語る事が 平和への道を歩む
一助になる筈」と
蝮さんと私の意見が一致した

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品格欠損の総理大臣

世上 安倍内閣閣僚の凡ミスに
その都度 野党やマスコミから
任命責任との論評があるが
問われるべきは【安倍晋三を選んだ】
我々有権者の過ち
間接的にだが「任命責任」である

安倍内閣が次々打ち上げる
目くらましアドバルーンを検証すべきだ
2020年改憲の安倍発言は
目くらましの最たるもので
公約塗り替えである 
安倍内閣一丁目一番地の公約
鳴り物入りの「アベノミクス」は
完全に失速 失敗した 
【日銀の国債 爆買い】
将来へのつけ回し 残債務になり
『アベノミス』と言うべきだ

2020年五輪招致の安倍首相演説
3/11放射能汚染
「フクシマ アンダーコントロール」は
国際公約だが 目途が立つどころか
被災地復興への安倍人事は無責任
かつデタラメだ
高市 石原 鉢呂 務台 今村の
失言連鎖は 「任命責任」の範疇を超え
安倍首相のオバカ
無定見 見識不足を露呈
第一次安倍オトモダチ内閣続編の
【安倍晋三私事 優先人事】


戦後70年私は
人一倍政治へ関心を持続だが
「安倍晋三」かくも品格欠損の総理は
ハジメテだ
【総理席からのヤジ】それも再三だ
【他党へのアテコスリ】は
安倍の天に唾シタもの
安倍のドタキャン辞職が原因で
事後の麻生福田両内閣混乱
民主党政権への引き金だった
【ご都合主義のマスコミ利用】
国会で「特定新聞を読め」など
常軌を逸しているが
更には国会では党総裁の意見と
逃げていたが 自民党内でも
安倍発言を発表の形跡なし 二枚舌

「公人」と「私人」の区別も噴飯もので
訳の判らぬ 屁理屈強弁を連発している
その最たるが
昭恵夫人【公務員を付け人】に使用だが
付け人公務員達 役所への休暇届が
如何なる事由かを精査すべきだ
森友学園問題 昭恵夫人名誉園長
【8億円値引き国有地】
「忖度」にシラを切り 駄洒落に使う
安倍の厚顔 無教養 鉄面皮の嘘
ホドホドにしろよ
嘘はドロボーのハジマリである

安倍晋三の 胡散臭さ 傲慢さ
独りよがり 駄目さ加減
それらは謂わば 今現在現実の
私達に通弊の病根のように思えて
辛い~ のだが~

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日本の躾 今昔

私は妹弟5人の総領で長男だが
我家は 末にいくほど親のしつけは
甘かった~ようだ
すぐ下の妹は亡くなって今年で13回忌

某日 一番末の妹がやって来た
かっては家族多勢の暮らした我家は
部屋数も充分有るが
目下の私は車椅子生活で止む無く
七畳仏間&台所の1DKモード
来客の都度 食卓に山積み書類 手紙
本 新聞 雑誌 珈琲セットの隙間を
片寄せての応対である

しばらくぶりの妹は 真向かいに座ると
いきなりペットボトルを取り出し
飲み始めた
『バカ者!』と私 
『ヒトの目の前で 口のみは無作法ダロ』
と一喝した
ココハ応接間ダ
「ハイ ハァーイ」と妹
「♪コップーゥ♪コップっ??」と鼻唄♪
グラスを出して来た~~。   
『タック!モゥ 親の顔が見たい』と
言いかけヤメタ 親はオンナジ父母なのだ

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躾の話 友人が著書序文のお礼に
元駐日大使ライシャワー夫人
ハルさんに面談した 
~友人に私も同行した
その折 お聞きしたエピソードがある~

ライシャワー ハルさんの御知人
後日アメリカ国務長官夫人になられた
Hさんは学生時代 
フルブライト交換留学生で来日して
浅草の天ぷら屋に居候サンだったそうだ
“三社祭りに浴衣を着せられて
大はしゃぎ 祭り見物の帰り
串に刺したオデンを手に
アメを口にくわえて帰宅した途端
天ぷら屋の女将にいきなり
“マゴの手”でお尻を叩かれた

双方言葉がワカラナイ「キャー」「ワー」の
騒ぎに 唯一人英語の喋れる若女将が
飛んで来た

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「歩キナガラ物ヲ食ベテ
犬チクショウミタイ」
「だってアメリカでは」
「ココは日本ッ」
「3ッ4ッの子供イカ」
「オ行儀ワルイ」
「オ嫁ニ行カレナクナル」etc.
~「ココは日本ッ」を連呼され
郷に入れば~で Hさんが敢え無く
譲歩 決着したそうだ

ひと昔以上過ぎて
ハルさんが 国務長官夫人となった
Hさんと 或る立食パーティーで
出会ったそうだ
Hさんは壁際に腰を下ろし椅子に座り
珈琲を飲んでいたそうだ
ハルさんを見かけるとHさん
大きく大きく肩を挙げて言ったそうだ
「ワタシ 良いお嫁サン ナッタデショ」

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長幼の序

1

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Nさま

冠省にて
お便りを拝して いささか憮然
黙殺も有りかと存じましたが
Nさん故に 率直を申上げておきたいとの
書信であります
お便りに同封の【例文】は
私の最も嫌悪し 不快な事象です
洒落にも駄洒落にもならぬ「イジリ」で
笑いの最下級レベル
ユーモァやペーソスが欠片程もない
無作法な「ドツキ」です
今日的テレビお笑い番組の笑いにならぬ
愚劣には同感しません

幼時 私の家庭では 正月四日に
ねえやさん小僧さんに対して
正座して「コトシモ ヨロシク
オネガイシマス」と
年初の挨拶を行いました
年上「上の人」 年長「長」への敬意を
通常の事と仕込まれました
自身八十二才車椅子の私は
今 「生き生きと 生きていたい」と
ヤセ我慢でなく考えており
「死ぬ迄は 生きていたい」との存念です
働き盛りの頃 私の自慢の所有は
「尾崎咢堂の書」「熊谷守一の絵」
二品でありました お二方とも
当時九十才を超えた年令の作品で
枯淡と稚気溢れる秀品に
人の生涯は かくあるべしが如実でした


サミエル ウエルマンの謳う 「詩」
心の青春をこそ 若さと言うべきで
『俗に流れ 世に媚びる』物差しは
私の執らぬ処です
「年金」と言うフィールドの中だけの人生も
辛い事ですが それを嘲笑するかのような
【例文】は不快であります


◎毒蝮三太夫さんから KENGブランドの
起ち上げに際して寄せられました都都逸
「君は吉野の千本桜
色香よけれど木が多い」
「気」が多いとの助言です
有難い事です

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〇私の 返し戯れ
「ワタシャ白馬の雑木の林
材にならねど花守り」
「財」にならぬが カタクリ チゴユリ等
可憐な花のような きものの裂を守りたい

◎再び まむしさんから
「朱鷺の再生を 切に祈ります」と
エールが送られて来ました
 
「人は支えられて はじめて人」との
実感を心に刻んでおります

平澤 建二

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