長幼の序

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17042202

Nさま

冠省にて
お便りを拝して いささか憮然
黙殺も有りかと存じましたが
Nさん故に 率直を申上げておきたいとの
書信であります
お便りに同封の【例文】は
私の最も嫌悪し 不快な事象です
洒落にも駄洒落にもならぬ「イジリ」で
笑いの最下級レベル
ユーモァやペーソスが欠片程もない
無作法な「ドツキ」です
今日的テレビお笑い番組の笑いにならぬ
愚劣には同感しません

幼時 私の家庭では 正月四日に
ねえやさん小僧さんに対して
正座して「コトシモ ヨロシク
オネガイシマス」と
年初の挨拶を行いました
年上「上の人」 年長「長」への敬意を
通常の事と仕込まれました
自身八十二才車椅子の私は
今 「生き生きと 生きていたい」と
ヤセ我慢でなく考えており
「死ぬ迄は 生きていたい」との存念です
働き盛りの頃 私の自慢の所有は
「尾崎咢堂の書」「熊谷守一の絵」
二品でありました お二方とも
当時九十才を超えた年令の作品で
枯淡と稚気溢れる秀品に
人の生涯は かくあるべしが如実でした


サミエル ウエルマンの謳う 「詩」
心の青春をこそ 若さと言うべきで
『俗に流れ 世に媚びる』物差しは
私の執らぬ処です
「年金」と言うフィールドの中だけの人生も
辛い事ですが それを嘲笑するかのような
【例文】は不快であります


◎毒蝮三太夫さんから KENGブランドの
起ち上げに際して寄せられました都都逸
「君は吉野の千本桜
色香よけれど木が多い」
「気」が多いとの助言です
有難い事です

17040801


〇私の 返し戯れ
「ワタシャ白馬の雑木の林
材にならねど花守り」
「財」にならぬが カタクリ チゴユリ等
可憐な花のような きものの裂を守りたい

◎再び まむしさんから
「朱鷺の再生を 切に祈ります」と
エールが送られて来ました
 
「人は支えられて はじめて人」との
実感を心に刻んでおります

平澤 建二

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82才の遺言

今日は4月4日 二十四節 清明
清浄明潔
過って政治家が 謙遜語で 自らを
「浅学菲才」と称していたが
安倍首相以下 菅官房 稲田防衛
松野文科 文字通り浅学で
アサハカ極まりない
低レベルな学識で教育勅語を論じて
良いとこ取りで拾い読み
木を見て森を見ていない

そもそも【教育】【勅語】とは
天子が臣民に【教え】を【命じる語り】だ
天皇が国民に命じ聞かせる教育は
言うまでもなく民主主義国家の
教育ではない

【教育勅語】は
「朕おもうに我が皇祖皇宗......」で始まる
【天皇制国家宣言】なのだ
「父母に孝に.....」
「夫婦相和し.....」
「学を修め.....」などの
謂わば至極当然の徳目並列は
「一旦緩急あれば 義勇公に奉じ」との
結論に導かれ
「天皇陛下万歳」「滅死奉公」に繋がる
昭和20年以前「大日本帝国」と呼称した
天皇制帝国主義国家体制の
指針典範なのだ

誰でもが知り得る 昭和の戦史
満州事変 日中戦争 大東亜戦争の
流れを見れば  
天皇の名で国民の
「思想」「人権」「生活」の全てを
統括したのが【教育勅語】であり
無謀な戦いに 罪なき人々の
非業の死を招く典範が
【教育勅語】であったのは自明ではないか

大東亜戦争=太平洋戦争開戦時
私は国民学校一年生だった
校門を入ると右手に奉安殿があった
【天皇皇后の御写真と教育勅語】が
漆喰壁の中に納められ
奉安殿に向かい 生徒各自が
直立不動の姿勢で深く深い最敬礼を
行った後 教室に向かえた
教室では級長の「起立っ」「礼っ」に続き
全員で
「ワタシタチハ天皇陛下の赤子デス」と
斉唱
次に「皇国不滅」「鬼畜米英撃滅」と
精一杯の大声での掛け声を強制された

【教育勅語】の暗誦も強制された
モリトモ学園モドキに
訳判らず脳裏に刻み込まれた
一身を捧げ【決死報国】己が身を顧みず
【醜の御盾】当に→ISテロと
同次元のスローガンだ

命中率ほぼ10%の航空決死特攻隊
90%以上の死に 大義を掲げ
若い命を死に追いやった
人間魚雷100%の死
対戦車人間地雷100%の死
「死して虜囚の辱めを受けるな」と
捕虜になるなと死への選択を強制した
サイパン沖断崖から母子投身自殺の
悲劇も一例だ
「バンザイクリフ」とネットで検索してほしい
【醜の御盾】醜シコとは一般国民
御盾ミタテとは天皇の防壁になる表現だ

先の大戦で 戦死者310万人その中
約200万人が悲惨にも餓死と
言われている
更には東京大空襲の焼死者10万余人
他都市爆撃の死者
沖縄地上戦の死者約20万
広島長崎の原爆死者
シベリァ抑留の死者
更には東南アジア諸国での
無辜無数の非戦闘員の死者

東京大空襲体験の私
『御棺に入る事も叶わぬ戦争の死』を
思う時 慄然 極まって悲痛だ
この悲痛な死者は【教育勅語】を
敷衍実行した【天皇制国家大日本帝国】
犯罪の犠牲者なのだ

これらの経緯痛恨の反省から
敗戦3年後に衆参両院全会一致で
【教育勅語廃止】はされた
【教育勅語】廃止と【現平和憲法】施行を
車の両輪に 民主主義国家日本が
歩み出したのだ

【教育勅語】賛美
安易な【教育勅語】徳目の抜取りは
大日本帝国軍国主義への逆行になり
数多の戦争犠牲死者を礎にした
民主主義国家日本の歴史への
冒涜になると 瞑目して想う

『一人ひとり 時勢に流されずに
考えて考えて 生きて欲しい』
82才私の遺言でもある

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氏より育ち ~ 安倍晋三 安倍昭恵 ~

弥生二日 夜半からの小雨
冷え冷えと寒い
朝の食卓にポピーが5本
健気に花開いている 今日は通院日だ

主治医に一渉り 右足の激痛を説明後
痛み止めトリガーポイントブロック注射に
なった
付き添うヘルパーさんに
着物を脱がせてもらって ふと見ると
仕付け糸が残っている
『仕付け糸 取って下さい』
ヘルパーさんツツーと糸を抜き
クルクルっと丸めた糸を
ポケットに入れた
『あのネ ムカシ芸者さんは
旦那が仕付け糸を たもとに入れると』
『 「また 着物を買ってあげるょ」って
サインだったんだ』
― 主治医が割って入った
「楽しいお話し中ですが
お注射にしましょう」
主治医の小洒落たひと言が愉しい

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「仕付け」「躾」である
身を美しく「衿を正す」 矜持
何れも着物の着方が出典の言葉だ
かつて仕付けは 親が子に教える
行儀作法
それぞれの家庭で
基礎の初歩教育だったが
当節 シツケのワルイ大人が多い
典型例が安倍晋三首相だ

総理席からのヤジ 長広舌ジコチュー
識見が皆無 聞き苦しい他党への
アテコスリ
ひと昔前の安倍晋三「オナカ痛い」と
国会へ登院忌避 前代未聞の
首相不在 国会審議が停滞
麻生 福田両内閣の混迷を深めた
言わば原因となった病因が
オナカ痛いの持病ならば
何故 今日昨今 毎夕毎晩の食事が
グルメ歩きなのか
国権を担う責 自覚症状“ゼロ”ナンダ

森友学園に関連 安倍首相は昭恵夫人が
「私人」との発言は
事実歪曲もはなはだしい
総理大臣夫人で「私人」としての終始は
吉田茂 田中角栄 元総理の両夫人が
典型で
アッキーと呼ばれ外遊同伴
ファーストレディー待遇を再々甘受
風向き加減で「私人」の逃げ口上!
この識見皆無が 教育勅語校是の
森友学園とオ友達
講演後援関係の経緯だろう

安倍晋三は 祖父 戦犯 岸信介への
或る種の憧憬があるらしいと
私は推論するが 危険で愚だ
謂うを俟たぬ 教育勅語で心の底まで
固められた私の父母の世代は
軍人310万人が『鬼畜米英撃滅』を叫び
『大日本帝国万歳』と死し
『万世一系神州不滅』と叫んで死んだ
軍国少年だった私のすぐ上の
お兄ちゃん達も死んで 敗戦になった

甚大な命の犠牲の上に 敗戦三年後
教育勅語が廃止され
平和への国造りが始まったのだ
足元が揺らぐような この国の平和を
もう一度 今 みんなで見つめ直そう
と言いたい

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花は黙って花開く?!

櫻のつぼみいっぱいの枝が届いたのが
三日前 昨日今日一輪また一輪と
花ほころびている

櫻花の枝は 山形県酒田の
モト居候クンから
私の誕生日プレゼント! ほっこりとする

私は生まれつきの虚弱児だった
3才頃から小児喘息が酷く
入退院の繰り返し繰り返しで
複数のかかりつけ医師から 寿命は
ほぼ10才位迄と宣告されていたらしい

冬は熱海 夏は房総への転地療養
一年生入学後 出席日数が
三十数日のみで 落第をした

それがドウダロ 今年2月19日で
満82才 車椅子生活である→
車椅子で焦れてはいるが

しばらく以前 きものひらさわに
毒蝮三太夫さんが TBSラジオ中継に
来店された
まむしさんに
「今 一番の希望は」と聞かれ
『ハイカイでもイイ 外を歩きたい』と
答えた
「食事は?」と聞かれて
『女たちが カワルガワル』と答えておいた

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水森亜土さんひらさわオリジナル
【帽子&バック】が お気に入りで
5~6回ご来店をされ 
お近づき頂いているが
或る時 小さな鮭缶が送られて来た
独特の文字でメモが添書され
「Dear Ken これ食べると首の骨
治るよーん」と書かれてあった
―うれしいデス!

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日がな一日ウトウトだが ご来客の都度
「社長!」と起こされ
二階の【きもの展示室】へ
マイクロエレベーターで上り
毎度 お客様との『お喋り』が
私の出番なのデアル 
●赤ちゃんお誕生 氏神さま参拝
今風に謂うなら【住民登録】氏名の
【氏:神様】
●七五三祝 (7才♪トウリャンセの唄) 
(5才五月五日着袴の儀)
(3才髪結いの儀)の来歴
●着物季の物
「袷は紅葉に着て櫻に脱げ」
「アヤメ菖蒲で単衣の着物」
「蛍飛んだら薄いもの」など等
半世紀前の口伝を披露
『お喋り』のひと時を 周囲では
【口演会】と呼んでいる

「お喋りも現役のうち頑張れ」と
K君が千羽鶴82羽を贈ってくれた
【七五三御祝着セール】のお子様方に
大好評のお土産だが
千羽鶴82「種類」とお伝えで
皆様方「エーエーッ」と仰り 感服なさる

まさに きものひらさわの
キャッチ フレーズ
『レンタルよ サヨウナラ』に相応しい
心込めた手造り最高級ブランドと
自慢している

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誕生日に大好きな【ゴディバ チョコ】を
あちこちから頂いた
これでマァ 食べ終わる迄は
長生きしなきゃ ギリがスタル???
かである

お喋りの華 咲かせよう

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死出の旅路のお手伝い ~ 商い冥利に ~

呉服屋だからのセリフじゃないが
地球上人類の 最も美しい衣服は
『きもの』だと思う
マリーアントワネットもシンデレラも
粋で豪華で絢爛で 四季折々の着る物は
持って無い
『ドレス』は ダイヤなどの宝飾品で
整えなければ 衣装として成り立たないが
『きもの』は きものそれ自体が
宝飾に勝る 謂わば芸術品なのだ

世界のTOPブランド『きもの』が
日本人の日常から 当今 残念ながら
縁遠くなっているが
日本人ほぼ全ての人が
着物を着せられる時がある
終末の【死出衣装】をまとう時である

分別付かぬオバカが多い当節だが
マサカ【御棺の中】迄
パジャマやジャージーにはなるまい

ただし近頃 別な意味でのオバカが
「死に装束」と「死出装束」を
混同している
「死に」の時と「死出」の時は
【似て非なる時】着る物も
別なもの着用するのだ
【死に装束】は内匠頭切腹場の如く
正絹白羽二重長着長襦袢
下着も穢れ無い真白を着る
つまりは 死を決し
神の加護を願う意思表示の“きるもの”
なのである

敵討ちの場に女子供も白一色
【死に装束】に身を固め纏うが
これと【死出装束】は異なる

【死出装束】は 御棺のなかで着る
衣服 着付けも真逆に「左前」にする

かつて昭和30年代ごろ迄
呉服屋御得意様の諸方から
お心づもりの御調度御申付があった
【死出装束】を御仕度され
箪笥上段に納めておくのが
当時の心得であり 慣わしであった

Photo
昭和30年代

一昨年二月 都下近郊の方の電話
御問合せがあった
口ごもる様に「シデ イショウ」と仰る
『お旅立の御衣裳ですネ』とお答えすると
堰を切った様に次々ご質問があり
3~40分程 ――

忘れていた12月半ば
「憶えていらっしゃいますか」とのお電話
「本日〇〇万円送りました」
「お任せします【御旅立ち衣装】の言葉に
ほんと長い間の胸のつかえがとれました」
と仰る

昔作法で見積書請求書を
お送りしないでおいた
昔風な慣わしで小正月明けに鋏を入れた
仕立屋さんには
『糸を結ばない 糸を綴じない
返し針をしないで』と 仕立を頼んだ
ベテランの仕立屋さん二人
「勉強になります」と言いつつ
何度も何度も寸法を訊ねて来た

仕立上がり 『日』を撰んでの御納め
即日お電話があった
「偶然とは思えません 風邪をこじらせ
肺炎になり 入院中でした」
「お仕立ての出来上がったと言う日に
退院が決まりましたの」
「お品物が届いた本日只今
偶然のように退院ですのよ」
「ありがとうございました」を
繰り返し繰り返して
感謝を口にされておられた

『偶然でなく 御縁起です』
私は心の中でつぶやいた
商い冥利と言うべき想いがじんわりだった

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欣喜雀躍 ~素直になれなくて~

昔っから私はトシウエの女の人にモテタ
ドコヘイッテモ年上の女のシトに
モテてモテタ
東京弁の「オンナのシト」には
「オンナ」の単呼称より
やや距離間と尊敬感がある

新春【真紅の薔薇】をイタダイタ
今ハヤリPRESERVED FLOWER
長持ちの花!である
年上の女のシトから御年賀だった
其のシトは(82才の私より年上)
酉年生れ 指折り数え今年96才
「暖かくなったらお伺いします」のメモは
「元気長生き!ょ」のメッセージと思う
半世紀前バラ栽培に狂奔していた私には
年始絶好の逸品到来
有難く拝受であった

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逸品と言うべきかマニアックと言うべきか
折り紙千羽鶴108羽が
成人の日に飛来した
私の車椅子運転手だったK君の
プレゼントである
108羽の数も驚きだが その上
折り方80種類とあってドキモを抜かれ!
感嘆! 天を仰ぐ! 根の良さ!!
私ゃマネデキナイ

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K君は 私の再手術後
毎週水曜日夜に来宅
翌日の通院付添いを10年間皆勤!だった
一昨々年彼自身の病で
私が車椅子運転手を 訓戒辞職?
勧告!をしたのだが
折々 私の身を案じてくれている

K君は本業歯医者だからか
手先器用で根が良い
千代紙折り紙は得意中の得意 お手の物
我家へ来宅の都度 色々な折り紙細工を
次々と披露してれた品を
私は竹籠に入れて 
【ひらさわ七五三御祝着セール】
ご来店のお子様方に 2~3羽ずつ
プレゼント大好評!
【折り鶴】は「きものひらさわ」の
優秀有力な販促用品!だったのである

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昨年暮れ
「どうしたぁ 元気に商いっ」とK君
『おかげさんで ツルが足んねぇよ』と私

108羽80種類の千羽鶴は
その時のやり取りを
心に留めてのプレゼントなのだ

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内心は欣喜雀躍のなのだが
例により私は可愛げがナイ
『ヒマツブシに 丁度ヨカッタロ』と
憎まれ口を叩いておいた

車椅子生活は 時に溜息も出るが
新春のお年賀状に 少なからず
手書きの書込みがあった
その何れもが 私の体調を
気遣って下さっていた

何時もながら思う
『人は支えられて 始めて人』なのだ と
反省スッカな今年は 憎まれ口ヤメて
素直にオレイを口にシヨウカナ~
でも私のバヤイ それッて
ケッコウ 難しソなんですょネ

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死ぬまでは生きていたい

脇玄関の傍らに 紅い鮮烈な椿が
満開である
残念ながら道路際 落花の風情は
愉しめない 
「水仙も咲きましたょ」と
仏壇の供花に添えてくれたSさん
『花心』がある人だ

Iさま(店主と同い年)お久しぶりの御来店
「ハイお土産」と和菓子と共に
葉や小枝付きの柚子と蜜柑を下さった
「出掛けに 庭のを切って来たのょ」と
今や都内では珍しい鶯のやってくる
庭あるお家にお独り住まいで
目下「俳句とフラダンス」に専念
半年前に私がお貸しした
【山頭火】の本4冊
「楽しかったわ 独りだと煩わせずに
本が読めます」~
「7割引だと勘定がムズカシイ」
「ハウマッチ?」
「ワーィ ホールインワンだわ」とお買上げ

Sさま(店主と同い年)お若いころから
花柳流の名取だが
「だめょ近頃 おさぼり稽古」
「平日は 娘二人のところから
孫三人預かるの」
『大変でしょ』
「いいぇウチは放任保育園」
「お宅のお母さまが90才の頃に
人生50年は昔々当節はお年を
4割引で柄選びなさいませ」
「柄は4割引き 値段は7割引き
これこれこの訪問着」とお買上げ

Oさま (91才)ご遠方から2時間かけて
車でのご来店
(クルマデワ心配デス 店主)
癌手術を2度されて
主治医からはウオーキングも
止められたとかだが
「声を出す位」の運動は良いと
自己判断 詩吟を始めて一年目
来春の初舞台に
「先生から洋服でも良いと言われたが
シャクなので」と
御召の着物と袴を御新調
近々着付講習に再度御来店である

Sさま (店主と同い年)
ヤマハ音楽教室で
【サキソホン学習中】である
【サキソホン】は
①「指の運動 ボケ防止」
②「肺活量一杯 生きてる証拠」
一石二鳥と学説展開されている
発表会用に きものひらさわオリジナル
【 スカジャン】と【きものベスト】を
御誂えである

お名前は極秘 お年は90代半ば
毎日毎日 雑巾を1~3枚ずつ
縫っておられ にこやかだ
日本各地 毎年何処かの災害の都度
匿名でお金を添えて【雑巾数十枚】を
送っておられる

生き方は多様だが
私も是非『死ぬまでは 生きていたい』と
心底考えている

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一期一会

ベット傍らの窓越し 山茶花満開
桃白の花びらが雨に濡れ
心に沁みるメッセージである
暮れ半ば 今年はいろいろあった
「申年は危難の年」だそうだ

そう言えば 普通なら 生涯一回だけ
罹患の【帯状疱疹】に 私は4回も罹った
お見舞いの知人から
「美智子皇后様は 帯状疱疹に
三回罹られた」と聞いて 納得をした
コウキの人は回数が多いノダ
美智子皇后は高貴
ワタシもコーキ(高齢者)である

【ゲリラ豪雨】とてつもない被害に
遭遇したが 目まぐるしい雑事から
やっと一段落である
水濡れの畳替え 床の張替修繕を終え
ベランダ排水口増設とライオン看板と
大看板修復が来春着工決定だが
聊かならぬ難事は
『金策とワタシの天国行き』
目安の予定が 未定である

「人は支えられて はじめて人」
「一期一会」
言い古された月並みの言葉が
日々有難かった

朝八時半 朝寝の私には深夜同然!
十時開店 店員も出勤前
鳴り響く電話が止まらない
『モシモシ』と仏頂面 愛想ナイ声で
応対すると
「おたくのお店 七五三揃ってますか」と
オキャク様ダァである
途端に声変り→愛想ヨイ声で→
応対開始 ゲンキンな事この上ない

「お昼に薬を飲む時間が大事」
と仰るその方が 翌日開店前に
店前でお待ちの御来店だった

「七五三祝は まだまだ先なのですが」と
言われて 継がれた言葉に 息をのんだ
「癌で余命三カ月と宣告されてますの
形見に……孫の晴れ衣装をと
思っております」と仰る

お節介な私 商いをさて置きで
『癌の免疫療法 癌手術後の漢方治療』
等のあれこれを 知人や末弟の体験を
踏まえて 長々と 癌患者の希望ある
闘病について私が語った
~後 きっぱりとした口調で
「有難う ほんと有難いわ 初めての私に」
「でも」と語を継がれた

御子息が 癌の専門医
昨年11月健康診断
今年2月人間ドックで異常なし
~~ 6月骨折 レントゲン検査で
ステージ4の癌が発見された ~~
との経緯
――しばし言葉を失った私

デパートに無かった素敵な品が
格安で揃えられたと大喜び
ご予定時間を過ぎて帰られた
御納品に 徳島桐の衣装箱を誂え
御名入れをした
「アリガトお気遣い」とお電話を頂いた

旬日後 旧知の 口で絵を描く
川合誠さんのサイン入り絵本をお送りした
小さな震え字で お便りを下さった
「ボタニカルアートが 大好き」と
記されてあった

暮れに入り「錦松梅と梅干し」をお送りした
「ご飯が進む 美味しい」そして......
「只今 酸素ホース
10m以内の暮らしです」と
お葉書をいただいた 

~~ 2週間を経て
私は 未だ ご返事が書けていない ~~

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