73回目の敗戦の日 ~ 戦中戦後の想い ~

8月15日 平成最後の全国戦没者追悼式
天皇皇后両陛下 御臨席で執り行われた
天皇陛下は 平和への想いを
【四つの日】に託し
大事にされて来たとのことだ
8月15日「終戦の日」
6月23日「沖縄慰霊の日」
8月6日「広島原爆の日」
8月9日「長崎原爆の日」……
『東京大空襲の日』3月9~10日は
御存念に無いようだ

昭和20年3月9日夜~10日未明の
東京大空襲
アメリカ空軍により虐殺された焼死者は
ほぼ全員が今日で言う非戦闘員
10万余人が殺戮され……
生き残りの大人達に衝撃だった
更にの衝撃は 大人達のひそひそ話で
畏くも聖上大元帥陛下が
瓦礫の焼け跡を徒歩で御行幸との
噂話には驚愕した……
軍国少年の私は「ウソだ嘘だ絶対嘘だ」と
抗がった

白馬に打ち跨る雄姿
陸海空三軍の長 大元帥天皇陛下が
徒歩アルイテの爆撃跡の行幸等
有り得ぬ作り話だと頑強に大人達に
反抗した……

国民学校では毎朝登校時に
全員校門直近奉安殿に向う
天皇皇后両陛下の御写真が
内蔵されてあり 一人づつ直立不動
最敬礼後 教室に向い 教室では
先生の入室と同時に 級長が
『起立っ 礼っ』の号令後起立のまま
『私達ハ天皇陛下ノ赤子(せきし)デス』と
大声での斉唱が 毎朝 授業開始の
鉄則だった……
神国日本:萬世一系天皇陛下:
敵米英撃滅:一億火の玉:と
私は刷り込まれていた

歴史に「もしも」は無いと謂うが
三月九・十日東京大空襲で
アメリカ空軍と対峙した日本軍
非力を正確に把握認識し
戦争継続「否」との 正鵠の姿勢が
執られていたなれば
沖縄:広島:長崎:次々の無惨な死
悲痛な死が 起こり得なかったものをと
痛惜に思う

【十殺講話】
近衛吉田の和平:軍部の虚妄の
対峙に際して軍部傾耳は
返す返すも残念だ
然も【東京大空襲】10万余人虐殺死者が
次代に埒外で記憶に残らぬとすれば
浮かばれぬ

繰り返しだが 年寄り 女 子供のみが
暮らす東京下町へ B29爆撃機大編隊
低空飛来【照明弾】でおびき出し
爆弾投下炸裂で爆殺
油脂グリス焼夷弾で 死後迄も焼く殺戮
更には 死者生者へ区別なく無差別射撃
まさに偏執狂か嗜虐性癖かとも思える
指揮官がカーチスルメイ将軍だった

あろうことか戦後 佐藤内閣が
航空自衛隊育成の功に依るとして
カーチスルメイ将軍に
「勲一等旭日大綬章」を贈っているが
私はこれを国辱と考える
以来 半世紀後の現今
勲章返還を主張する国会議員
皆無である

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73回目の敗戦の日 ~ 東京大空襲 ~

灼けるような陽ざし 碧い空
73年前の8月15日 敗戦の日だ
大日本帝国は まさに叩きのめされて
無条件降伏 ポツダム宣言受諾
戦いに負けた
「終戦」では無く「敗戦」なのだが
負け戦を「終戦」と言いつくろって
自省が無い 
一国の興廃 歴史の真実に目を背け
 「体裁」と「格好」付け“言い訳”
“言い逃れ”
敗戦を終戦と表現する悪癖体質が
現今政治の ウソツキ ゴマカシの淵源と
私は考える

8月15日 昭和天皇の玉音放送
著名な一節がある 
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ
以ッテ萬世ノ為ニ 太平ヲ開カント欲ス」
この文言に軍国少年の私は疑念を持った
萬世に続く二字が伏せられているとの
直観は 今も同じだ
「萬世一系」は四字熟語
萬世一系は天皇家の前置詞枕詞でも
あるのだ

8月15日 本年も 
天皇皇后両陛下御臨席で
全国戦没者追悼式が 執り行われた
戦死者310万人と言われるが
その内 約40%以上が 
餓死と病死との推計がある
戦いに赴いた戦地で武器に依らぬ死
【餓死 マラリァ等の病死】は
悲痛な惨劇だ
しかも 餓死病死の大半は
下級兵士なのだとは 言うべく言葉もない

8月15日正午
全国戦没者追悼黙祷の合図だが
私は わだかまりが有り 黙祷しない
戦後73年だが
【73年前の3月9日東大空襲】の
死者犠牲者への慰謝鎮魂が未だしであり
司法 政治 行政から
全て見捨てられたままだ
東京大空襲被害者訴訟に
裁判所はほぼ門前払い
その判決は被害者に泥水を浴びせる如き
不快な屁理屈 曰く
「東京大空襲被害者は
国との雇用関係が無かった」の論旨が
あった

ならば問いたい
明治憲法下の大日本帝国旧軍人への
恩給61兆円支給に付いては
新憲法下の日本国は軍事不保持であり
軍人恩給支払いは違法なのではないか

旧軍人を祀るべくは 千鳥ヶ淵戦没者墓苑
異論はあるが靖国神社がある
東京大空襲死者御霊は
関東大震災の震災記念堂に在る 
東京大空襲死者御霊は
自然災害死者御霊と
同居させられているのだ


(つづく)



*敗戦の翌年 復員兵の隣家
フクチの小父さんに話を聞いた
「自分も傷つき餓死寸前の時
戦死した戦友の死体に沸いた
ウジ虫を食べた……」 
数日間私は思い出しては 震えた*

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「死なばもろともよ」がわが家の合い言葉。

昭和20年3月9日深夜
「警戒警報発令」で母に揺り起こされた。

当時10歳の私は防空壕に入ると

ひどい喘息発作を起こすので、

母は2歳の妹を背負い、私と妹8歳、

弟7歳の左手を紐で縛って繋ぎ、

いつもの口癖「死なばもろともよ」を

強く言った。

「防空頭巾の紐っ」「水筒っ」「手拭いっ」

「ズック(靴)」と母が点検、

「死なばもろともよ」を2度3度繰り返し、

店の片隅の土壁に母子5人が

肩を寄せ合って座ると直後に

「空襲警報発令」がされた。


低空飛行のB29爆撃機大編隊が飛来、
恐怖の大爆音だった。
真っ昼間のような照明弾破裂。
ドギモを抜かれ震えた。爆弾投下炸裂、
低空飛行襲来轟音、焼夷弾、
続いて油脂グリスのバラマキ炎上。
それが身体衣服にへばりつく―――
死後も顔面が燃え続けていた―――。
起ち上がり、走り出そうとする私たちを
母は「ダメッ」「ダメッ」「水筒! 水っ」と
叫び水を飲ませ、まだまだと励ました。
店前の十字路は避難の人々が右往左往、
混乱極限だ。大風呂敷包みを背負い
逃げ惑う人々に、直前の交番から巡査が
出て来て「荷を捨てて逃げろ」と
サーベルで風呂敷包みを
叩いて回っている。
直後、低空飛行、機銃掃射バリバリバリ、
バリバリバリ。大火災が渦巻き、
火の粉が飛んで、母の背中の
妹の泣き声が「キキー、キィーッ」と
悲鳴に変わった。

母の紐を引く合図で起ち上がり
「手拭い、口にっ」の指示で
外に飛び出た。
パラパラっと火の粉が飛び、
百数十メートル近くに大火災が
迫っていた。バリバリバリ、バリッ。
機銃掃射に再び屋内に逃げうずくまり、
妹弟と3人震えながら抱き合った。
暫くしてB29爆撃機の音が消えて、外で
大勢の人声がどよめくように聞こえた。

「おかみサン、おかみサン!」という
交番巡査の声かけで屋外へ出ると、
烈風の方向が変わり、
火の手が逆向きになった。

数十メートル先は焼け野原、焼け跡が
果てしなく続き、人々が立ちすくんでいた。
2キロ離れた祖母の酒屋が全焼し、
一家4人がわが家へ避難してきた。
「親戚2人が焼死」の報せに、祖母は
「女子ども、年寄りを空から打ち殺すなんて
惨い。アメ公は鬼畜生だ」と
身体を震わせて慟哭した。

平澤建二
(昭和10年生まれ 83歳・東京都)

通販生活2018年盛夏号
―戦争を知らない世代への伝言。―より

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昭和19年秋 激しさを増した戦時下で
隣組の相互密告監視体制が強固になった
その秋 「女中禁止令」が出て父は徴用に
召集された
我家では身重な母一人が
幼い私たち4人を守って暮らしていた
翌20年2月初め
栄養不良のまま未熟児を出産
一週間後に死亡させた
母は涙を拭く暇もなくひとり必死に
4人の子育て 商い 家事の全てをこなす
激務の中にあって 3月9日
悲惨な東京大空襲に遭遇したのだった
 

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信州白馬村 御宿かやぶき茶屋 御挨拶

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珍客 シアトルからのお客様 ~日本人が忘れたもの~

かっての 江戸っ子的東京っ子は
満足の買物を終えると ほぼ一様に言った
殿方は「釣りは要らないょ
取っといてくれ」と 小気味よい口上で〆た

ご婦人は「ご面倒掛けたわネ
サショウ ダケドそちらへ」と
これ又 粋だった
この手の方は 昭和の時代迄の存在で
今や ほぼ絶滅危惧種である

対する商人も
『ハンパは タネ銭に お預け致します』と
端数のオマケをしたり
特段の事情に『算盤を忘れまして』と
お客様の懐具合に合わせ
値引商いをしたものだが
これ又 近頃 パンダかトキのタグイで
希少な骨董的生物になったようだ
ワガひらさわ83歳店主は
そのタグイ 折々番頭サンに
ニラマレル事シバシバである

某日 午前10時半朝食
コーヒーひと口の所へ 店員Mさんが
顔を出した
「外人さん4人さん 浴衣のお買物です」
「二階展示室にしましょうか」と聞かれた
『そうだね お楽しみに
振袖も見て頂いて!』と私
Mさんは ご主人のお仕事で
海外生活が長かった
言葉も十分 お選びも浴衣なら
任せて大丈夫と思っていたら
コーヒーふた口目に?→
室内電話で呼出し→二階行だが→
体調不調『ヨッコラショ』と→車椅子→
二階へのリフトに『ヨッコラショ』→
二階専用車椅子に乗換え『ヨッコラショ』→
ヨッコラショ ヨッコラショの連チャン移動だ

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外人サンは男女4人
二組ペアと思ったら
ホテルで知り合った仲だそうだ
浴衣お買物は 身長195㌢の男性
マサに(車椅子から)見上げるような
巨漢である
当然だが 既製品の【仕立上り浴衣】では
ツンツルテン テンデ サマにならない
「土産だから これでヨイ」と外人サン
 『売れればヨイでは のれんがスタル』と
店主 通訳Mさんの意訳らしい説明に
大きく頷いたOKサインの外人サン
あれこれ迷われたが
粋な縞柄の東京本染浴衣を選択された
さて仕立が大至急
仕立屋さんに店主が掛け合いで
外人サン滞在中の二日間で
ご納品にこぎ着けた

店主『ペラペラプリント外国製浴衣は
国辱物?』だと気炎を挙げ
『日米親善ダカラ?』と
ゴ機嫌ジョークで オ値段大勉強
仕立代角帯を含め
合計金弐萬九千数百円也にした

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お会計のMさん 素っ頓狂な声を上げた
「社長! オツリは 要らないと
仰ってマース」
『折角だから 頂いてオキナサイ?』~~
サービスに「扇子を差し上げて」と
指示したら シアトルから来日された
お客様ニックさん 両手広げて
大喜びだった が 一件落着とは
ならぬ後日談 続々だった

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嘘つきは泥棒の始まり

「ウソツキハ ドロボウノ ハジマリ」
「嘘つきは泥棒の始まり」である
森友問題で「ソンタク」「忖度」と
カマビスシク「カイザン」「改竄」と
ヤカマシイが
―「忖度」本来は 相手を思い遣る
日本人の心象であり
そんなに悪い事でもない―
問題は「改竄」と言うウソゴマカシを行い
国民を欺いた大ウソツキが
官僚だった事だ

「公僕」の言葉が死語に等しくナッチャツタ
小役人と蔑称された連中は 忖度で無く
上役に「オモネル」が得意技
阿る=オベッカ:オベンチャラ:ゴマスリ
自尊心無し 恥知らずなのだ
モトモトは 国民の税金の中から
給料をモラウ自分の身分「公僕」を
勘違いして 上役にオモネリ
「カンテイ筋」に忠誠を盡す佐川長官
このままでは退職金5千万円は
ドロボーノハジマリと 心すべきだ

「イラク戦争の日報問題」も
本来只事ではないのだ
次世代の日本人の 文字通り
死活に関わる問題なのだ

「自衛のための自衛隊」と言う 
「ウソツキ」の上塗りに
イラクへ海外派兵を行った
更にその「嘘」に重ねて
戦闘のあった事を隠す「嘘」を
シャアシャアと吐いたのが
稲田朋美元防衛大臣であり
白々しくマジメ顔で嘘セツメイが
小野寺防衛大臣である

75年前 大東亜戦争太平洋戦争で
敗戦のその日まで 「勝った勝った」の
大本営発表
嘘の吐き放題だった為に
戦死者310万人
その内無残にも餓死者が4割だという
戦争責任 敗戦責任で言えば
上役指揮官ほど重い筈だが
戦後の軍人恩給年金では
上役ほど高額受給だったが
責任を感じての辞退者は
数えるえるほども居なかった
イケ シャアシャアと言うべきかダ

ウソツキではナイ と 信じたいが
新聞で報じられた 国会議員の
資産報告を読んで 唖然 呆然とした

【小泉進次郎代議士】所有
〈土地建物〉ゼロ〈預貯金〉ゼロ
〈借入金〉ゼロ〈車〉ゼロ
〈ゴルフ会員権〉ゼロ〈株式保有〉ゼロ Etc
オールゼロなのである

30代後半 独身 少なからぬ報酬を
「トッタカ ミタカ」ZERO行進!
「国民の範」たれと迄は 言わずにおくが
未来の宰相の器の行跡では無い
ご当地ソング的 遊説隊長が
国民的人気とは 世も末ではある

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その時カンナが咲いていた⑤ ~ギブミイチョコレート~

「アメリカは 女子供を殺した」
と父は話を継いだ
綿入れネンネコで 背負われた赤ん坊や
幼児が 機銃掃射を浴び
焦煙に巻かれ死んだ
虚ろに 死児を抱いて
涙の涸れた母親がそこ ここに いた

「なんまんだぶ ごめんなさい
なんまんだぶ ごめんなさいよ」
と父は 自転車を担いで歩きながら
ふと見ると 赤ん坊を抱いて
お乳を飲ませている
若い母親がいたそうだ
思わず父は 見知らぬその母子に
「おかみさんっ!」
「よござんしたね!」
と声をかけ~ しばし しばし  絶句した

「その赤ちゃんはな……」
「その赤ちゃんは 死んでいた……」
父は泣いた 父は震えるように 泣いた

「粗相で取り返しのつかない事を
言っちまった」
「あの日の赤ちゃんや
無念の仏さんにせめて……」
「戦争に負けたこの日が
田舎のお盆のご因縁で」
「母さんと二人で お線香を あげている」

~父には それ以上の 言葉が
続かなかった~

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空爆で半壊した民家を片付ける人々

しばしの沈黙の後 蝋燭の火が消え
陽の翳りが感じられた
母が小さく呟くように言った
「紙一重なのょ “生きてる”ってのが」

そして私の顔を見詰めながら
「戦争に負けたからって
根性までは 腐らせはしない」と
語気を強めた

“ギブミイ”あの時のことだと私は直感した

「犬猫相手じゃあるまいし食べ物投げて
それ拾って人間のカスですょ」
と母はきっぱりと言い切った

ねえやさんが 蚊取り線香を持って来た

父と母の顔を見比べて
そっと私は立ち上がり
滑るように縁側を降りた
庭木戸を開け 一目散に駆け出した

近所の防火貯水池の土盛りの上に立った
おぼろげな理解
“ギブミイ”への父と母の怒りが
沁み入るように胸にひろがった

池の渕に 幾つものカンナの花が
咲いていた

昏れゆく陽射し 池の水面に
カンナの花が映り
小石を投げると カンナの朱がめらめらと
空襲の夜の炎のように揺れた

(終)

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その時カンナが咲いていた④ ~ギブミイチョコレート~

ギブミイ騒ぎに「掛け合って来る」
と 怖い顔をして出て行った父は
夜になっても戻って来なかった
そして 夕餉の膳に
父の箸 茶碗が置かれて無い何故か
何なのか 大事な事が起きたのか
父がどうかしたのか
尋ねたくても母の緊張しきった
張りつめた面持ちに
私は一言も切り出せず 食事も早々と終え
胸の中がモャモャのまま
その晩 まんじりともせず
寝つかれなかった

翌朝 登校すると クラス中の話題が
ケンちゃんチ(私)の事件を中心に
沸騰していた

「ケンちゃんチのオジサンが
アメリカと喧嘩した」
そして
「ブタバコに入れられた」と
幼い級友たちの噂話が
父に関する私の知らぬ真相の核心を
明らかにしたが 帰宅してもその真偽を
母にも ねぇやさんにも 聞けぬままに
幼なかった私の心には
しこりが澱んでいたものだ

忘れるともなく忘れていた
ギブミイチョコ騒動から 時日が経過して
その日は 後から気がつくと
八月十五日だった

「旦那さんが いらっしゃい って」と
女中さんに告げられ 茶の間に入ると
何故か 盆提灯が飾られて
緊張した面持ちの父と母がいて
固い雰囲気が 張り詰めていた

父は「そこへ お座り」と言ったきり
しばし 押し黙っていた
母が ぎこちない仕草で 盆提灯の蝋燭に
マッチで火を灯した
それをきっかけのように
軽く咳払いをした 父が話し始めた

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「今日は 田舎の お盆だ」
と切り出した父が
こみ上げる思いを抑えるかのように
かすれた声で 語り出したのは
【東京大空襲】痛恨の惨禍についてだった

東京大空襲の未明
自宅の類焼をまぬがれた父は
出入りの職人さんたちの生死や
安否を知るべく
必死に自転車を漕ぎ 浅草に向かった

隅田川を挟んで対岸の向島に着き
望見すると 浅草松屋百貨店の各階から
火柱が吹き出していた
渡るべき橋の何処もが と言いかけて
父は 吐き出すように咽び泣いた
「ほとけさんが……
言い方悪いが ほとけさんが
ごろごろと……切ない…ね…
ご遺体がご遺体が……だ
真っ黒焦げになって、だ、 ぞ、建二っ
道をふさいで……いたっ」

(⑤へつづく)

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