躾と仕置きと暴力と ~ 戦前 戦中 ~

オフクロは「お尻ペンペン」オヤジは「ゲンコツ」
オバアチャンと爺ィヤサンは
「手のひらの挟み撃ち」が
私の幼い頃の「お仕置き」だった
何れの場合も「叱る」事での躾であって
「怒りに任せてと言う事はなかった

昭和16年秋 7才の私は
酷い小児喘息が持病で
例年 肌寒い季節になると母と私と妹弟
4人で 熱海へ転地療養に出かけて
温かな春先まで滞在した
病状が急変時に すぐさま帰京出来る様に
東海道線の線路沿いが定宿だった
毎晩『ヒィヒィ ゼィゼィ』の軽い発作があるので
一晩中 一人起きていて宿の計らいで
階段途中の踊り場へ 置きこたつと座椅子に
寄り掛かかり大好きな絵本を見る
童話を(爺ヤさん曰く)ヤットコ読みで
時を過していた

読書? と言うべきか 本に飽きると
窓の外を眺め 夜行汽車を勘定していた
後日思えば 開戦の年で【兵器運搬】が
始まった
シートを被った形:大砲は象:
高射砲はキリン:戦車はカバ:が
幼い目の観察
日にち時間を帳面付けする事にした
不思議に発作が少なくなる様でもあった
正の字で数勘定の知恵はなく
+プラスの発想もなく =イコールの知識皆無
【ゾオ】【キリイン】【カバ】を2ページづつ
111111111と書いた

その帳面を昼間 散歩途中落とした
拾われて届けられた先が 回り回って
【憲兵隊】だった
字が下手 数勘定が不自然 名前がケン
兵器を動物に例える変則 等々で
【スパイの所有】と捜査され
結果 母共々呼び出されて→ガンガン怒られ
怒鳴られ 歯から血が出る往復ビンタ
平謝りの母に免じて許された

国民学校4年生 集団疎開で
私は班長(級長)だった
飢餓空腹 里心 強制教育 息詰まる日々に
脱走を企てた同級生が捕まると
班長は監視不行き届きの同罪で体罰
 【石畳に正座】
【満杯の水バケツを両手に直立不動】
【火のついたお線香を両手に持つ】
ほぼサドマゾ世界? の教育だった

高校二年生 何故か赤い靴下が大流行で
但し校則違反だった
喫煙も 当然ながら 校則違反
停学か退学処分だった
「ダメ」と言われるとやってみたい
放課後校舎の裏 雑木林緑陰に腰を下ろし
赤い靴下をノゾカセ 文庫本を開き
煙草をクワエてカッコつけ
私はチョットオトナの紳士気分になった
紳士気分陶酔の4~5分
肩を叩かれビックリした
振り向いて2度ビックリ
謹厳剛直で鳴る校長センセが背後にイタノだ
「コイッ」と言われて校長室へ
道々:退学! か停学! かが
チラチラ頭をかすめ 頭の中は真空になった

校長室で向き合うと センセはヤオラ煙草の
「光」を投げて寄こした「吸え」
「煙草好きか」と言う 破れかぶれの私
『好きデス』
「早く吸え」
『ハイっ』と答えたが
「光」はダメだ(辛くて強い)
ダガやぶれかぶれ『イタダキマス』
「ふかさずチャント吸え」Etc~~
胸まで吸ったらクラクラ眩暈がした
「ヨシ又来い」Etc~~
数日後廊下で肩を叩かれた
振り向くとコウチョウだ
「一服しに来い」Etc~~
男がスタルと校長室に出掛けたが
マタマタ「光」ダ!
ゴホゴホ→メマイ→ギブアップ宣言をしたら
校長先生が言った
「お前は 喘息ナンダロウ」→
知っていたんだぁ と涙が噴きこぼれて来た

以来約60年 私は禁煙である

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能天気にも程がある ~トランプ 横田基地 沖縄辺野古 戦後レジューム ~

アメリカ合衆国トランプ大統領が来日した
専用機で横田基地へ到着
アメリカ合衆国トランプ大統領が離日した
専用機で横田基地を離陸
横田基地はアメリカ空軍の軍事基地である

羽田空港で無く 成田空港でも無い
【他国アメリカ空軍】軍事基地での
国賓送迎の事態を
誰もが 異議申し立てをしない
新聞記者も読者も テレビマンも視聴者も
政界人も 日本人の全てが
 『矜持』を捨て去ったのか と
私は切歯扼腕の思いだ

言うべくもない 韓国も中国も 当然ながら
自国 自前の空港で 国賓送迎対応をする
それが真っ当で 常識なのだ

駐留軍の空軍基地が首都園に在る
その事柄すらが そもそも異状なのだ
首都東京に隣接する横田基地は
敗戦後72年間アメリカ空軍の基地として
厳存したままだ
72年前 大日本帝国 無条件降伏敗戦に依る
アメリカ占領軍に接収されたままの軍事基地
コレッテ! オカシカナイデスカ?
もの笑いのタネじゃないですか!

沖縄で【アメリカ空軍機が墜落】した
民有地 牧草を育成手入れ
行き届いた畠で炎上
原因究明に日本の警察は
一歩も立ち入り出来ない
【日米行政協定】がイビツのままなのだ
コレッテ!オカシカ ナイデスカ?
笑い話じゃない
沖縄の方々に 沖縄県外の私達日本人が
矜持を忘れ【アメリカ占領軍統治下のまま】を
押し付け ノホホンと見て見ぬ振りをして
太平楽を並べ脳天気にしているのです

「戦後レジューム」などと安倍晋三がヨク言うが
ヨウ イウヨだ
講和条約独立以前の政治的偏波は
今現在も続いており
片務条約は【横田基地】も【沖縄】にも
アメリカ占領軍軍政がそのままに現存なのだ
この現実に ほっかぶりの 日本人のアナタ
かなりな脳天気デスョね

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選挙 余聞

投票日台風直撃 八十二歳の老躯
車椅子であるが 雨合羽の重装備で
投票へオデカケ!!
私ゃ積年の「安倍晋三嫌い」
反アベの一票を投じてきた

◆「自民圧勝 野党分裂」が
メディアの決まり文句だが
チョイマチである
比例で「自民」と書いた人3割3分ダケ
「立憲民主」1割9分8厘8毛
つまりホボ2割 「希望」1割7分だ
言いたかないけど
「安倍晋三ハ3割首相」になるのである

◆自民圧勝の根源は①小選挙区制
②組織力=解説スル ①②は自民党
→公明支部ノユエンダ

◆【コイケユリコ】女天一坊!
口舌セリフ 群を抜いて政界随一だが
舌禍で堕ちたの世評
江戸っ子は金のセコサにもアイソツカシ
知事報酬削減マデハ良いが
身内的秘書1200万
選挙ポスターツーショット代3万円は
イタダケナイ
しかも民進党交付金狙いは凄まじい

◆前原のおバカは報道済だが
連合のコウヅリキオの脳天気が
報道されていない
裏役者気取りで 小池と前原を取り持ちの
愚策連発を責めるべきだ

◆「希望」「維新」東京・大阪の候補者
すみ分け? テキ屋の縄張りかょ!
更に両バクチ打達
【カジノ】開設を政策にしているが
許してはダメ
日本人のルーツは農耕民族だ
コツコツと働くことが本来 性に合っている
未来につながるのはバクチじゃない 
 
◆【希望】の行先が「絶望」になると
私はハナカラ言い続けてた
希望が失望され 小池の「野望」が
潰えたのは僥倖だったが
思えばワレワレの民度の低さも諸因デス

◆劇場選挙当選 都民ファーストの陣笠
都議会議員は「代表選出」の3回とも
ツンボ桟敷
コイケ御下命で代表決定だった
異議申し立ては2名ノミ
他のクズが4年先迄議員だょ

◆ざっと見渡しても政界に
次世代ホープが見当たらない
「小泉進次郎」アレハイケマセン
ご当地ソングしか歌えない
希望の先の未来を託せる男では無い
近頃政界では皆無 政界だけではなく
本を読む知識人 良識の人が
過少な時代のようだ

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暴頭解散

安倍総理【暴頭解散】
我利我利の自己チュウ
究極の保身術である
巷間「モリカケ食い逃げ解散」
言い得て妙だが ダ洒落の場ではない
一国の総理が職務権限の不公正関与を
夫人共々疑われているのだ
「説明責任」の甘い語句でくくる話でもない

安倍は 職を賭して釈明が 本来だが
相変わらず 逃げ口上得意男
昭恵総理夫人 公職だ 率先国会へ
参考人出席すべきを 似たもの夫婦
臭い話にフタでトンズラ

【逃げまくり解散】改造内閣
『仕事人内閣』が 仕事をしなかったと
メディアの評は甘すぎる
論外の欠陥大臣!
稲田防衛 金田法務を
「体裁よく更迭が仕事の仕事人内閣」が
安倍晋三の狙いだったのだ

【アッカンベェ解散】
シリマセンの一辺倒男→国税庁長官就任
昭恵氏付け人→海外赴任
籠池夫人とズブズブmail友アッキー
どう見ても 国民をなめ切っている

アベノミクス=安倍のミス→
輸出企業好調だがトリクルダウンは
白昼夢
日銀国債爆買い→一万円札は
印刷代16円トカ→孫世代に借金
付け回し
物価目標未達成→黒田日銀総裁
安倍へオベッカ ベッタリだが
FRBを始めヨーロッパもイギリスも
中央銀行は ゴールに向かって
走りこんでいるのだ
愚策連発ノロノロ緩和
一周遅れ黒田日銀は
安倍とともに 切り捨てるべきが
真の国益だ

【安倍の国連演説】
北朝鮮脅威! 脅威の演説はホボ
日本国内向け選挙演説
極めてな大事 国益を損なった演説だ
なぜなら 当事国ではない
大半の国連加盟諸国に
「日本が好戦的な国」との
印象を与えたマイナスは
取り返しがつかない【アベノミス】だ 
ゴーストライタの文章棒読み安倍は 
かってG7でも国内向け選挙演説マガイで
ヒンシュクを買った政治屋だ

日本の未来の為に「暴頭解散」では
次善でも 「安倍晋三以外の支持」
にしか「道」はない

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“敗戦”を“終戦”と言い換えは死者への冒涜 ~ 82才の遺言 ~

昭和20年8月15日【敗戦】
【終戦】と言い換える
マヤカシ逃げ口上語句の定着が
日本人の精神風土から『潔さ』を失わせた
昭和20年8月15日は 大日本帝国が
【無条件降伏】の日
ポツダム宣言受諾の日だ

【東京大空襲】
再び言うが アメリカ空軍
B29爆撃機による 照明弾投下
逃げ惑う人々に爆弾投下炸裂
油脂のバラマキ 焼夷弾投下
機銃掃射を終局にした
入念な虐殺であった

当時 東京は「帝都」と称していた
大日本帝国の帝都の謂いである
大日本帝国「帝都東京」には
軍部総司令本部「大本営」が存在し
陸海空軍総司令官
大元帥陛下起居の「宮城」も存在する
謂わば大日本帝国の頭脳心臓部だ

その頭脳心臓部 帝都東京下町への
アメリカ空軍爆撃大空襲が
3月9日深更だったが 対する日本軍は
空軍迎撃機ほぼゼロ
陸軍高射砲も能力貧弱であり
東京下町は壊滅的に 茫々たる焼け跡
焼野原 非戦闘員の無惨な犠牲死者
十万余人だった

翌日茫然自失 そこかしこの 御遺体収容
或いは 焼け跡整理にも
軍隊出動皆無の事態で
指導者に理性と決断あれば
この東京大空襲での決定的な
軍事力敗北を自認し
この機に 講和へ向かう一歩とすべき処を
あろうことか指導者の保身と狂信により
「更なる戦い」抗戦を決定した
「一殺講話<講和>」
米英に打撃を与え優位に立ち
講和条約締結を夢想
噴飯もの無謀 指導者達の
究極の自己保身だった

「更なる戦い」とは
特攻隊 人間魚雷 対戦車地雷
何れも人の生命を戦力にしたものだ
美談ロマンで語られる特攻隊も
成功率10%以下 ましてや
人間魚雷においておやである

「滅私奉公」「醜の御盾」
更には「一億総玉砕」に至っては
軍国少年の私ですら
「みんな死んで どうするの」と
疑問を呈したものだが
かくて沖縄地上戦で
住民4人にひとりが犠牲30万人の戦死
広島長崎原爆死者23万人
横浜 神戸 大阪 名古屋 仙台
全国各地の空襲犠牲者......
これらの犠牲者は敵によるものでは無く
大日本帝国指導者の
保身の結果と言えるのだ

滅多打ちの負け戦
無条件降伏の八月十五日は
【敗戦】以外の何ものでもない
御体裁の【終戦】と言い換えは
死者への冒涜である

(つづく)

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【ライオン看板】は“敗戦”後復興の証 ~ 82才の遺言 ~

処暑 八月が終わる 例年八月
メディアに溢れかえる「終戦」の語句に
私は 極めて 不快な 違和感を
抱いている
本年82才「戦争を知る子供たち」だった
私の体験した【昭和20年8月15日】
終戦ではなく 紛れもなく
【敗戦】の日だった

今次大戦の戦死者310万人の内
餓死に依る人 約4割130万人と言う
ネズミを食べ ミミズを食べ
セミコオロギを食べた
極限の餓死者130万人なのだ
「死して虜囚の辱めを受けるな」
死んでも捕虜になるなと洗脳された

餓死130万人
現人神(あらひと神)天皇の統べる(統率)
大日本帝国「神州不滅」と狂信させられ
武器弾丸に依らぬ餓死の兵士130万人の
冷酷な数は 負け戦以外の
何ものでも無い

【東京大空襲】私は国民学校4年生だった
その日昭和20年3月9日深夜に
アメリカ軍B29爆撃機大編隊が
東京下町に襲来した
当時の首都東京は 男が青年壮年ともに
全て兵役か徴用に強制招集され男性不在
軍事施設の無い東京下町には
「女 子供 年寄」のみが暮らしていた
その東京下町を狙い撃ちに
ルメイ将軍指揮のアメリカ空軍の空爆は
加虐を極めた

1

照明弾を落下させ 真昼の明るさに
逃げ惑う人々に 爆弾を投下炸裂させ
次には油脂をバラマキ 焼夷弾投下炎上
燃える炎で焼き殺し
更には低空から機銃掃射
念入りな虐殺とも言うべき焼死者は
10万余人の多くを数えた

この猛爆に対する 日本空軍の迎撃機は
ほぼゼロ 対空高射砲も役立たずだった

当夜首都東京には 陸海空三軍総司令官
大元帥陛下も起居されていたのに
この為体だ

手も足も出ない「負け戦」だと冷厳に認め
対処すべき指導者が皆無だった
叩きのめされた「負け戦」「敗戦」を認めぬ
尊大 傲顔 無恥の指導者が
次なる沖縄 広島 長崎の惨劇への
連鎖を生んだのだ
「終戦」などとは おこがましい

「敗戦」と正鵠を告げるべきだ

(つづく)

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【ライオン看板 敗戦後復興の証】③ ~ 虱っ子 シラミっ子 ~

東京都内屈指の神社 国宝根津権現
宮司内海様 お一人で御来訪頂いた
何かなと瞬時の思案「ライオン看板
修築御祝い」とのご挨拶に胸溢れた
きもの展示室で畳にきちり正座され
歓談 爽やかに二時間余 至福の時
幼時五才の【東京大空襲】で社殿の
青白い炎の恐怖今も鮮明と語られた 

2_2

太平洋戦争 日本人戦死310万余人 
悲惨はその内 餓死140万の人数だ
ネズミを食べた ミミズも食べた
「生きて 虜囚の辱めを受けるな」
生きて捕虜になるな死ね帝国軍人教育が
悲惨な餓死へ強制の道でもあった 
国民学校4年生軍国少年だった私も
【決死報国】を 幼い脳裏に刻んでいた
集団疎開強制命令で 長野県へ移住
飢えに直面 一食のご飯は
雑穀米茶碗半分位 
休み時間に野草を採りカエルを捕り
源泉で茹でて食べ 空腹をしのいだ
地元民には「虱ッ子」と蔑視された

初夏青いリンゴが実る道で集団下校
コヤマ君が得意の紙飛行機を旋回!
皆が歓声を挙げた途端家から親父が
飛出しコヤマ君を「リンゴ泥棒」と
殴り長靴で蹴った 私が「紙デス」
「リンゴ落ちません」とかばったが
「虱っ子ぶっ殺す」と私も蹴られた
「殺して下さいっ」と 私は叫んだ
騒ぎで出て来た女の人に連れ戻され
親父は家へ戻ったが私は門前に正座
「早く殺して下さいっ」と叫んだ
親父にバケツで水をぶっかけられた
私の背を両手で震えてつかんでいた
コヤマ君が 大泣きに 泣きながら 
級友数人とで私を抱え起してくれた
引率女教師三人傍観するのみだった
宿寮に帰り私は寮長から往復ビンタ
石畳に正座一時間と食抜き罰だった

検閲を逃れ 父と母へ手紙を出した
『ムカヘニ コナケレバ 千曲川ニ
荷物ト僕ガ トビコミマス』ーーと
敗戦3週間前父が迎えに来て言った
「東京は空襲で死ぬ苦しみだぞ」と
連日連夜の敵機襲来に怯える東京
やがて 敗戦の日 荒川の土手から
茫漠と拡がる 焼け跡 東京下町と
夕茜の空を 放心して眺めつづけた


 ひらさわ呉服店
      店主 平澤 建二
           八十二才

2017(平成29)年8月13日号
毎日新聞日曜くらぶ広告欄掲載

※2018(平成30)年3月迄連載予定

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【ライオン看板 敗戦後復興の証】②

毒蝮三太夫さんから電話を頂いた
【ライオン看板仕上り】おめでとう
お祝い何がイイ 花カイ 団子カイ
アニさんや俺等は戦争や負けた後の
切ない時代の苦労が身に沁みている
最後の世代ダ昭和十五年生れから
【戦争を知らない子供達】だからネ
あれこれと三十分を超えての長話
戦争を語り継ぐことの大事
平和の道を歩むことの大事が結論
大きな大きな胡蝶蘭をお届け頂いた

1

昭和二十年三月十日【東京大空襲】
その年父は徴用長期不在女中禁止令
妊娠中の母が 十才の私と妹弟三人
大きなお腹を抱え独り 必死だった
一月末早産で 赤ちゃんが産まれた
母も赤ちゃんも痩せこけて栄養不良
母乳が出ない粉ミルクも牛乳も無い
離れて住む 祖母が やっと探して
ヤギの乳を求めて来たが赤ちゃんは
飲まない 母も匂いがと言った途端
おばぁちゃんの啖呵が飛んだ

「贅沢お言いでナイ」「お前さんはネ」
「5人の子供の命綱」「太くて丈夫に
そうでなきゃ 三文の値打も無いっ」
剣幕に押され 私達もヤギ乳を口に
「坊や ヤギの鳴き方知ってるかい」
『メーェ』 「違うノ ウメーだょ」
赤ちゃんは 二月五日に亡くなった
深夜警戒警報発令 紐で手首を繋ぎ
「死なばもろともょ」と母は言った
B29爆撃機編隊の 凄まじい空襲に
祖母の家は全焼 親族二人焼死した
我家に身を寄せた祖母が口惜しげに
「女子供を 上から撃ち殺すなんて
鬼畜生のやる事だ」と慟哭した

敗戦後 祖母は常々「戦争はマッピラよ
人の生き死に お上まかせはダメ」
と言っていた
 
  ひらさわ呉服店
      店主 平澤 建二
           八十二才

2017(平成29)年6月25日号
毎日新聞日曜くらぶ広告欄掲載

※2018(平成30)年3月迄連載予定

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