花は黙って花開く?!

櫻のつぼみいっぱいの枝が届いたのが
三日前 昨日今日一輪また一輪と
花ほころびている

櫻花の枝は 山形県酒田の
モト居候クンから
私の誕生日プレゼント! ほっこりとする

私は生まれつきの虚弱児だった
3才頃から小児喘息が酷く
入退院の繰り返し繰り返しで
複数のかかりつけ医師から 寿命は
ほぼ10才位迄と宣告されていたらしい

冬は熱海 夏は房総への転地療養
一年生入学後 出席日数が
三十数日のみで 落第をした

それがドウダロ 今年2月19日で
満82才 車椅子生活である→
車椅子で焦れてはいるが

しばらく以前 きものひらさわに
毒蝮三太夫さんが TBSラジオ中継に
来店された
まむしさんに
「今 一番の希望は」と聞かれ
『ハイカイでもイイ 外を歩きたい』と
答えた
「食事は?」と聞かれて
『女たちが カワルガワル』と答えておいた

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水森亜土さんひらさわオリジナル
【帽子&バック】が お気に入りで
5~6回ご来店をされ 
お近づき頂いているが
或る時 小さな鮭缶が送られて来た
独特の文字でメモが添書され
「Dear Ken これ食べると首の骨
治るよーん」と書かれてあった
―うれしいデス!

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日がな一日ウトウトだが ご来客の都度
「社長!」と起こされ
二階の【きもの展示室】へ
マイクロエレベーターで上り
毎度 お客様との『お喋り』が
私の出番なのデアル 
●赤ちゃんお誕生 氏神さま参拝
今風に謂うなら【住民登録】氏名の
【氏:神様】
●七五三祝 (7才♪トウリャンセの唄) 
(5才五月五日着袴の儀)
(3才髪結いの儀)の来歴
●着物季の物
「袷は紅葉に着て櫻に脱げ」
「アヤメ菖蒲で単衣の着物」
「蛍飛んだら薄いもの」など等
半世紀前の口伝を披露
『お喋り』のひと時を 周囲では
【口演会】と呼んでいる

「お喋りも現役のうち頑張れ」と
K君が千羽鶴82羽を贈ってくれた
【七五三御祝着セール】のお子様方に
大好評のお土産だが
千羽鶴82「種類」とお伝えで
皆様方「エーエーッ」と仰り 感服なさる

まさに きものひらさわの
キャッチ フレーズ
『レンタルよ サヨウナラ』に相応しい
心込めた手造り最高級ブランドと
自慢している

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誕生日に大好きな【ゴディバ チョコ】を
あちこちから頂いた
これでマァ 食べ終わる迄は
長生きしなきゃ ギリがスタル???
かである

お喋りの華 咲かせよう

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死出の旅路のお手伝い ~ 商い冥利に ~

呉服屋だからのセリフじゃないが
地球上人類の 最も美しい衣服は
『きもの』だと思う
マリーアントワネットもシンデレラも
粋で豪華で絢爛で 四季折々の着る物は
持って無い
『ドレス』は ダイヤなどの宝飾品で
整えなければ 衣装として成り立たないが
『きもの』は きものそれ自体が
宝飾に勝る 謂わば芸術品なのだ

世界のTOPブランド『きもの』が
日本人の日常から 当今 残念ながら
縁遠くなっているが
日本人ほぼ全ての人が
着物を着せられる時がある
終末の【死出衣装】をまとう時である

分別付かぬオバカが多い当節だが
マサカ【御棺の中】迄
パジャマやジャージーにはなるまい

ただし近頃 別な意味でのオバカが
「死に装束」と「死出装束」を
混同している
「死に」の時と「死出」の時は
【似て非なる時】着る物も
別なもの着用するのだ
【死に装束】は内匠頭切腹場の如く
正絹白羽二重長着長襦袢
下着も穢れ無い真白を着る
つまりは 死を決し
神の加護を願う意思表示の“きるもの”
なのである

敵討ちの場に女子供も白一色
【死に装束】に身を固め纏うが
これと【死出装束】は異なる

【死出装束】は 御棺のなかで着る
衣服 着付けも真逆に「左前」にする

かつて昭和30年代ごろ迄
呉服屋御得意様の諸方から
お心づもりの御調度御申付があった
【死出装束】を御仕度され
箪笥上段に納めておくのが
当時の心得であり 慣わしであった

Photo
昭和30年代

一昨年二月 都下近郊の方の電話
御問合せがあった
口ごもる様に「シデ イショウ」と仰る
『お旅立の御衣裳ですネ』とお答えすると
堰を切った様に次々ご質問があり
3~40分程 ――

忘れていた12月半ば
「憶えていらっしゃいますか」とのお電話
「本日〇〇万円送りました」
「お任せします【御旅立ち衣装】の言葉に
ほんと長い間の胸のつかえがとれました」
と仰る

昔作法で見積書請求書を
お送りしないでおいた
昔風な慣わしで小正月明けに鋏を入れた
仕立屋さんには
『糸を結ばない 糸を綴じない
返し針をしないで』と 仕立を頼んだ
ベテランの仕立屋さん二人
「勉強になります」と言いつつ
何度も何度も寸法を訊ねて来た

仕立上がり 『日』を撰んでの御納め
即日お電話があった
「偶然とは思えません 風邪をこじらせ
肺炎になり 入院中でした」
「お仕立ての出来上がったと言う日に
退院が決まりましたの」
「お品物が届いた本日只今
偶然のように退院ですのよ」
「ありがとうございました」を
繰り返し繰り返して
感謝を口にされておられた

『偶然でなく 御縁起です』
私は心の中でつぶやいた
商い冥利と言うべき想いがじんわりだった

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欣喜雀躍 ~素直になれなくて~

昔っから私はトシウエの女の人にモテタ
ドコヘイッテモ年上の女のシトに
モテてモテタ
東京弁の「オンナのシト」には
「オンナ」の単呼称より
やや距離間と尊敬感がある

新春【真紅の薔薇】をイタダイタ
今ハヤリPRESERVED FLOWER
長持ちの花!である
年上の女のシトから御年賀だった
其のシトは(82才の私より年上)
酉年生れ 指折り数え今年96才
「暖かくなったらお伺いします」のメモは
「元気長生き!ょ」のメッセージと思う
半世紀前バラ栽培に狂奔していた私には
年始絶好の逸品到来
有難く拝受であった

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逸品と言うべきかマニアックと言うべきか
折り紙千羽鶴108羽が
成人の日に飛来した
私の車椅子運転手だったK君の
プレゼントである
108羽の数も驚きだが その上
折り方80種類とあってドキモを抜かれ!
感嘆! 天を仰ぐ! 根の良さ!!
私ゃマネデキナイ

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K君は 私の再手術後
毎週水曜日夜に来宅
翌日の通院付添いを10年間皆勤!だった
一昨々年彼自身の病で
私が車椅子運転手を 訓戒辞職?
勧告!をしたのだが
折々 私の身を案じてくれている

K君は本業歯医者だからか
手先器用で根が良い
千代紙折り紙は得意中の得意 お手の物
我家へ来宅の都度 色々な折り紙細工を
次々と披露してれた品を
私は竹籠に入れて 
【ひらさわ七五三御祝着セール】
ご来店のお子様方に 2~3羽ずつ
プレゼント大好評!
【折り鶴】は「きものひらさわ」の
優秀有力な販促用品!だったのである

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昨年暮れ
「どうしたぁ 元気に商いっ」とK君
『おかげさんで ツルが足んねぇよ』と私

108羽80種類の千羽鶴は
その時のやり取りを
心に留めてのプレゼントなのだ

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内心は欣喜雀躍のなのだが
例により私は可愛げがナイ
『ヒマツブシに 丁度ヨカッタロ』と
憎まれ口を叩いておいた

車椅子生活は 時に溜息も出るが
新春のお年賀状に 少なからず
手書きの書込みがあった
その何れもが 私の体調を
気遣って下さっていた

何時もながら思う
『人は支えられて 始めて人』なのだ と
反省スッカな今年は 憎まれ口ヤメて
素直にオレイを口にシヨウカナ~
でも私のバヤイ それッて
ケッコウ 難しソなんですょネ

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死ぬまでは生きていたい

脇玄関の傍らに 紅い鮮烈な椿が
満開である
残念ながら道路際 落花の風情は
愉しめない 
「水仙も咲きましたょ」と
仏壇の供花に添えてくれたSさん
『花心』がある人だ

Iさま(店主と同い年)お久しぶりの御来店
「ハイお土産」と和菓子と共に
葉や小枝付きの柚子と蜜柑を下さった
「出掛けに 庭のを切って来たのょ」と
今や都内では珍しい鶯のやってくる
庭あるお家にお独り住まいで
目下「俳句とフラダンス」に専念
半年前に私がお貸しした
【山頭火】の本4冊
「楽しかったわ 独りだと煩わせずに
本が読めます」~
「7割引だと勘定がムズカシイ」
「ハウマッチ?」
「ワーィ ホールインワンだわ」とお買上げ

Sさま(店主と同い年)お若いころから
花柳流の名取だが
「だめょ近頃 おさぼり稽古」
「平日は 娘二人のところから
孫三人預かるの」
『大変でしょ』
「いいぇウチは放任保育園」
「お宅のお母さまが90才の頃に
人生50年は昔々当節はお年を
4割引で柄選びなさいませ」
「柄は4割引き 値段は7割引き
これこれこの訪問着」とお買上げ

Oさま (91才)ご遠方から2時間かけて
車でのご来店
(クルマデワ心配デス 店主)
癌手術を2度されて
主治医からはウオーキングも
止められたとかだが
「声を出す位」の運動は良いと
自己判断 詩吟を始めて一年目
来春の初舞台に
「先生から洋服でも良いと言われたが
シャクなので」と
御召の着物と袴を御新調
近々着付講習に再度御来店である

Sさま (店主と同い年)
ヤマハ音楽教室で
【サキソホン学習中】である
【サキソホン】は
①「指の運動 ボケ防止」
②「肺活量一杯 生きてる証拠」
一石二鳥と学説展開されている
発表会用に きものひらさわオリジナル
【 スカジャン】と【きものベスト】を
御誂えである

お名前は極秘 お年は90代半ば
毎日毎日 雑巾を1~3枚ずつ
縫っておられ にこやかだ
日本各地 毎年何処かの災害の都度
匿名でお金を添えて【雑巾数十枚】を
送っておられる

生き方は多様だが
私も是非『死ぬまでは 生きていたい』と
心底考えている

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一期一会

ベット傍らの窓越し 山茶花満開
桃白の花びらが雨に濡れ
心に沁みるメッセージである
暮れ半ば 今年はいろいろあった
「申年は危難の年」だそうだ

そう言えば 普通なら 生涯一回だけ
罹患の【帯状疱疹】に 私は4回も罹った
お見舞いの知人から
「美智子皇后様は 帯状疱疹に
三回罹られた」と聞いて 納得をした
コウキの人は回数が多いノダ
美智子皇后は高貴
ワタシもコーキ(高齢者)である

【ゲリラ豪雨】とてつもない被害に
遭遇したが 目まぐるしい雑事から
やっと一段落である
水濡れの畳替え 床の張替修繕を終え
ベランダ排水口増設とライオン看板と
大看板修復が来春着工決定だが
聊かならぬ難事は
『金策とワタシの天国行き』
目安の予定が 未定である

「人は支えられて はじめて人」
「一期一会」
言い古された月並みの言葉が
日々有難かった

朝八時半 朝寝の私には深夜同然!
十時開店 店員も出勤前
鳴り響く電話が止まらない
『モシモシ』と仏頂面 愛想ナイ声で
応対すると
「おたくのお店 七五三揃ってますか」と
オキャク様ダァである
途端に声変り→愛想ヨイ声で→
応対開始 ゲンキンな事この上ない

「お昼に薬を飲む時間が大事」
と仰るその方が 翌日開店前に
店前でお待ちの御来店だった

「七五三祝は まだまだ先なのですが」と
言われて 継がれた言葉に 息をのんだ
「癌で余命三カ月と宣告されてますの
形見に……孫の晴れ衣装をと
思っております」と仰る

お節介な私 商いをさて置きで
『癌の免疫療法 癌手術後の漢方治療』
等のあれこれを 知人や末弟の体験を
踏まえて 長々と 癌患者の希望ある
闘病について私が語った
~後 きっぱりとした口調で
「有難う ほんと有難いわ 初めての私に」
「でも」と語を継がれた

御子息が 癌の専門医
昨年11月健康診断
今年2月人間ドックで異常なし
~~ 6月骨折 レントゲン検査で
ステージ4の癌が発見された ~~
との経緯
――しばし言葉を失った私

デパートに無かった素敵な品が
格安で揃えられたと大喜び
ご予定時間を過ぎて帰られた
御納品に 徳島桐の衣装箱を誂え
御名入れをした
「アリガトお気遣い」とお電話を頂いた

旬日後 旧知の 口で絵を描く
川合誠さんのサイン入り絵本をお送りした
小さな震え字で お便りを下さった
「ボタニカルアートが 大好き」と
記されてあった

暮れに入り「錦松梅と梅干し」をお送りした
「ご飯が進む 美味しい」そして......
「只今 酸素ホース
10m以内の暮らしです」と
お葉書をいただいた 

~~ 2週間を経て
私は 未だ ご返事が書けていない ~~

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捲土重来を期す ~ 8月20日 ゲリラ豪雨被害 ~

【きものひらさわ】8月20日
ゲリラ豪雨被害から100日が経過した

悪夢の如きあの日の昼過ぎ
けたたましい「社長!社長っ!」と
女性店員に呼び起された
二階展示室にマイクロエレベーターで
上がり 一目 愕然 唖然とした
数十反収納の【男の着物商品棚】に
水道の蛇口全開状態に
水流が激しく落下していた
『三階っ』『三階からだ』と叫んだが
~私自身は頸椎再手術後12年間
自分の居室3階へは一度も上がって
いないし 上がれない~

*2階から3階への階段が
L字カーブ構造で エレベーター設置が
私には危険とされていた* 
ましてや 歩行不自由 身体障害の私が
自力で 階段を一段づつ上る事は
全く不可能であり 介助者一緒でも
危険と厳命されていた

だが 火事場の馬鹿力
もたもたもたと這い上がり
三階に上がり 再び愕然とした
道路側2m巾のベランダには
篠突く激しい豪雨だが
反対側は消防放水さながらのゲリラ豪雨
花樹好きで植木場にした
14畳のベランダは 波立つ池の如くで
長靴半分を水中に排水口点検の店員
「水は流れてます」と叫んでいた

ゲリラ豪雨が去り 改めて
商品損害の巨きさに愕然
その晩一夜 眠れぬままに過ごした

翌日 水濡れ商品の片付けに
店員二人応援の問屋店員三人が
いつになく笑い声を立てず
冗談も交わさずに 黙々と
整理仕事の雰囲気が辛い一日だった

来る日も来る日も水濡れ商品の整理
愛着ある一反一反には どれもこれも
仕入れの際に思い入れがあるのだが
水濡れ反物には 吐息ため息だけが
付きまとった

旬日を経て 御見舞い頂いた方々
励ましにお出で下さる方々にお会いして
ホッと一息の 安息が戻ったようでも
損害の大きさには
幾晩も眠れぬことがあった

眠れぬまま行きつ戻りつの考えの結論が
【七割引きセール】だった
それしかないだった

新品や正規品を 商人根性で
仕入原価を考えて『勿体ない』が
脳裏にふつふつと浮かぶが
『やるっきゃない』と決めた

【きもの 季のもの】の言い伝えがある
【きものは 時機のもの】でもある
【7割引きセール】で
新たな さまざまな出会いがあって
今ふつふつと希望が湧いてきた

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戦争と天皇🉁 ~天皇の御言葉~

6月14日劇症の帯状疱疹に罹り
一旦治癒の途中 医師の
「不適切処方の薬」の副作用で
頭重と手指の震えに悩み病床だった
加えて8月20日のゲリラ豪雨で 
「展示室のきもの」が水浸し
被害額約2000万円 内憂外患の中
それでも気にかかることがあった

【天皇の御言葉】
息を詰めて聞き さらに全文を
くまなく拝したが
世論調査の結果とは別に
私には 意の足らざる事が多くあった

今上天皇と美智子皇后は共に
献身 心を籠めて 先の大戦での
慰霊の旅にお出になる
サイパン パラオ フィリピン
報に接する毎に お二方に 私は哀切に
敬意を抱いていた

天皇皇后両陛下が謂わば天皇家の
【負の遺産】に真正面から向き合われて
揺るがせ為らぬ慰霊と償いを御考えかと
拝して共感していたからなのだが
この度の【天皇の御言葉】には
先の大戦を省みる脈絡はなく
向後の天皇家が向き合うべくの大事
民主主義国家日本
平和国家日本の初代象徴天皇としての
御決意御抱負を 語られては
おられなかった


私は昭和十年の生れ5才の時
(昭和15年)が 大日本帝国皇紀
二千六百年の祝祭典だった
向島生れ馴染みの市電通りに
「花電車」が来た 
爺やに背負われ肩車をねだって
キラキラ輝く 満艦飾の花電車を
2停留所も追いかけたそうだ
時まさしく日支事変の戦勝に沸いていた

万世一系の皇尊(スメラミコト)
現人神(アラヒトガミ)と
天皇陛下は雲上の存在とされ
私は物心つき知恵も精神も
軍国少年に育った 
大東亜戦争も天皇の統べる
「神州不滅絶対」と刷り込まれて
「鬼畜米英」も刷り込まれ
大御神天皇と心の芯まで
刷り込まれていた

昭和二十年八月十五日その日迄
天皇陛下の御為に「一死報国」が
私達の決意合言葉だった
玉音放送に依る戦争終結を半ば放心
半ば呆然と 大人達も 私達少国民も
聞いた

戦死者310万余人
東京大空襲焼死者10万余人
沖縄地上戦死者20万余人
広島長崎 原爆死者16万余人
シベリア抑留死6万余人
さらに無辜の
東南アジア諸国民の死が在る

【戦陣に死し 職域に殉じ
非命に斃れたる者及び其の遺族に
想いを致せば 五内為に裂く】
【昭和天皇詔勅】の一節である
ここに【天皇家の負の遺産】が
明示されていると私の所存だ

81才戦時下を生きた私達には
「玉音放送」なのだが
正鵠な歴史上の呼称に改めるべきだ 
戦後71年 歴史の事象として
冷静に考察すれば
玉音放送とはまやかしで『無条件降伏』
終戦とはまやかしで
『敗戦』と 呼ぶべきが正しいのだ

今やまさに この国の過去の過ちを
冷徹に知り尽し
この国の未来へ託すべき
大事を語り合う時と思う

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戦争と天皇 二

【大日本帝国無条件降伏調印式】
戦艦ミズリー号上の敗者日本代表団は
重光外相の黒の礼服 他全員礼服正装
勝者の連合国代表団は 略装シャツ姿
幼な心に彼我歴然の差が悔しかった

――――――――――

【一億総ざんげ】昭和20年8月17日
東久邇宮内閣の声明
「……国民の道義のすたれ……
天皇陛下の承詔」
~~私ら何を懺悔するんだと~~
父が憤然としていた様子が記憶に鮮明だ

「一死大罪を謝す」と阿南陸相が割腹自殺
お公家さん(優柔不断)の近衛文麿が
服毒自殺
杉山元帥拳銃自殺
杉山夫人は白の死装束で
服毒後短刀で首を突き自刃
東條英機自殺未遂

【マッカーサー 天皇陛下会見】同9月27日
略服昂然とマッカーサー
黒礼服の天皇陛下の写真

【天皇人間宣言】敗戦翌年一月元旦
「現人神から人間天皇に」
それは衝撃的な発言とされた
だが 後年仔細に文章を読むと
明瞭に人間宣言を述べてはおられない

【東京裁判】昭和21年5月~48年11月
戦犯絞首刑7名

【新憲法発布】昭和21年11月3日
主権在民 男女同権 戦争放棄
*天皇制明治憲法破棄*

【天皇陛下地方巡幸】昭和22年2月19日
マセタ軍国少年だった私の誕生日に
神奈川県に天皇陛下が
地方への行脚を始められた
天皇の御所作は
機械人形のようにぎこちなく
御応答必ず「あっそう」の仰りかたは
一種流行語のようにもなった


昭和天皇の生真面目な御人柄
一筋な海洋生物御研鑽
「雑草と言う名の草は無い」の至言
その何れにも 私は昭和天皇の総てに
敬意を捧げるのだが
ただ一点わだかまりがある

戦時下 三軍の長として
一億国民の長としての
出処を御考えになるべきが
さまざまな節目に
御退位をなさらなかったのは
何故なのかなのである

幾つもの節目があった
【東京裁判】【講和条約締結】
昭和天皇御退位への御決断なき経緯が
その後の 日本の政治風土に
出処進退に 決然明瞭が欠ける典範に
なったのではないか
との思いが私にはある

そして
「堪えがたきヲ堪え 忍び難きを忍び
以って万世の為に太平を
開かんと欲す~」の御言葉に
私は今なおこだわりを抱いている


今上天皇 美智子皇后お二方が
天皇家のある種『負の遺産』に対して
真摯に向き合い 負の遺産の償いに
献身ご努力の御姿を 私は
常々涙ぐましい思いで拝している

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